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2026年5月

  5月1日(金) 美学校で音楽室のために造作した軽くて白い片面可動壁、かなり上手く使えてて嬉しい一方で、映える技術みたいなのばかり伝授してないだろうかとモヤモヤする。 5月7日(木) アートワーカーは事業のためじゃ無くて芸術全体のために働いてるのかな? 5月9日(土) はーなんかもう嫌だな、夜あんま好きじゃないのかもGW明けて今日からはずっと働き詰めの日々が始まっていて、別にどれも非常にいい環境でする楽しい仕事なんだけど、だからと言って大変でないわけではなく、定時も無いので、なんかだらだらキリのいいところを探し続けてしまう。今月は大変そうだから、頑張りすぎずにゴールを明確にして最短距離でやることを心がけないと詰みそう。 前に朝まで歩いて過ごしたとき、朝に向かって物理的に歩いてたみたいな感じがしていた。実際、朝まで歩くのと、朝に向かって歩くのとでは、行為も過程も結果も、一致していたわけだし、朝という場所があるわけではないが、朝である場所はある。 5月14日(木) 上原さんから作品をプレゼントしてもらった。帰宅して、さっそく本棚の上に飾った。空いているところに置いたら偶然、15年前に友達から借りたCDがその下のところに差してあり、その友達とは返さないでいるうちにそのまま会えなくなった。その隣には別役実の小説が差してあり、中学の頃図書室から借り返さずにいる長野まゆみの小説がその隣に差してある。その借りパクしたCDや本を、ひとりきりで読んだり聴いたりしたこと自体が、なぜだか、上原さんの作品を見て思い出される。家の中での作品鑑賞はこうなるのですね。稀有なことです。 5月16日(土) 『同伴分動態』の本にその造語が指す状況をit isという書き方で説明することは結局叶わなかった。複数的な場での折り合いを読むこと、その技術は個別に身体化されている。他性的な行き当たりと、自律的行き当たりは互いにどちらも不安定に揺らいでいる。そんなよくわからない状況にすでに突入しているというのが身体というもので、それがパフォーマンスの面白いところ。

2026年4月

  4月3日(金) 歩き方を変えてから早く歩けるようになった。前からおかしいと思っていた。歩いている間に、片足で立つ時間があると感じていたし、そのせいで進まないなと思って、後ろから来る人に追い抜かされることもしばしばだった。先週そのことをchatGPTに質問したら、この歩き方はふくらはぎで支えているので膝を軽く曲げて力を抜きお尻の筋肉で太ももを押すように歩くといいと回答され、その通りにしてみた。 4月4日(土) instagramでどこ大だったかの行動学だかなんだかの教授の最終講義を聴講しただのというストーリーズをみて、ラボの時に沖さんの退任イベントなどをなにも企画しきれなかったことを思い出した。それでそのまわりの友人たちと沖さんと会いたくなったので飲み会を企画し、お店を探して予約したのだけど予約が通ってないわ私は遅刻するわで運良くその店に入れたものの、まず一回謝る。外の非常階段の喫煙所が世紀末のようだった。雑居ビルの外階段の5F。雨が強かった。 4月5日(日) 青山ブックセンターにも、渋谷の紀伊國屋にも、本の在庫がまだ届いて無いようでがっかりした。まず仕入れてもらい、そうでなければ買ってもらうことはできない。書いてから読者の手の中に文が収まるまでに、何人もの人の選択が介在する。それが全て直列に揃わなければ、本を読んでもらうということは達成されないのだ。  S,K,Mと高円寺で飲んだ。飲酒を追い込むと明日が来るということを忘れる。というか抗う。しなくてもいい話ばかりをした。時間を浪費することを共にできる友達は重要だ。役に立たず。なんとも無用な握手。缶のお茶割りは最高。お茶が好きだ。酒も好き。何を話したんだか、夢のようにほぼ全て忘れてしまった。 4月6日(月) Aの実家で花見。31でアイスを買って行こうかと思って寄るも、昨日の酒が完全に残っていて選べない。やっぱいいですと言って店を出る。店員さんが怪訝な顔をした。噂に聞いてはいたものの、Aの実家はハンパなかった。デカい木製の門が2つもあった。小さな池、そして川。鯉。立派な桜の木があり、樹齢が高く倒れるかもしれないということで、花見に誘ってくれたのだ。鳥が花を食べている。Aが「あいつら甘いの好きだよな」と言う。たまらなく可愛いな。早めに解散し、カフェでズームに入る。送別会へ行って寿司を食い、ここでもまた...