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2024/05/04

家族に会いになぜか埼玉の辺鄙なところへ行く。小川町というところだ。こないだ都営線の小川町駅を調べてたら小山君がぽつりと埼玉の同じ名前の駅のことを言っていたが、まさかこんなすぐにその駅の名前をナビタイムで調べることになるとは。行きの電車で植本さんと滝口さんの往復書簡を納めた「さびしさについて」を読む。だれかと手紙のやり取りがしたくなる。植本さんが中3の時に受験について考えていたことと、その子どもが中3になり受験のことで悩んで色々決めようとしていることなどが少し書かれているところを読んで、「わたしは何か分岐に立ちどちらかを選んだりあまりしてこなかったな。諦めたり、なにかものすごい挫折をしてそこから立ち直ったりをしないできたな。」と、ひとの話を読んで、自分のことを思い返した。 正直なところ、家族に会うのにわざわざ遠くへ行ってそこで家族のもろもろをするのって変だとおもう。だから苦手だった。昔大学生のころにも、うねとそういう話をしたことがあった。 これまで仲良くなった友達の何人かは、親のことを下の名前で呼んでいた。そういうのがあるんだ、と小学生のころ転校してきたナナの家に遊びに行った時おもった。そういえば中学のころ帰宅した時に、私がナナの母氏から借りた「ホットロード」を誰かが(たぶん母だ)読んだ形跡があったのを、そういうのいいねーとおもったっけ。ものすごくちっちゃな記憶の類だ。「崖の上のポニョ」をみた時に映画の中の親子関係が名前呼びだったので、ナナんちのやつじゃん、と思ったこともあった。うねんちもそうで、そのときにはポニョんちのやつ、とおもった。わたしは高校生以降父母のことをなんて呼んだらいいかわからなくなってしまって、なるべく呼ばないで済む文法を採用しつつ呼ばざるを得ない時にはトチャン(父ちゃん)、ママ、と短く、口をほとんど開けずに言うようにしており、いまだにそうだ。恥ずかしいのだ。なんとなく妹と父、弟と母がわりと仲良く、わたしはなんかちょっと浮いてるっていうか。いまいちずっとうまくやれないままでいる。 家族のLINEグループへ、なんか「向かってます!」というのをスタンプで送ろうとして、何なら変じゃないかな?と少し悩み、忍たまを父は知らないかもしれないのでドラえもんを送る、ということを繰り返しているけれど、忍たまのことを教えてあげたっていいよなあと思ったりしたんだよね、とい

2024/05/03

なんか「あだ名で呼んでもいい?」とか「そろそろ敬語やめていい?」とか「一緒にzineつくらん?」とか。そういう感じになること多いな、人と。友だちってこと? 2年ほどかけて界隈?の若年化をすすめていきたいかもしれない、活性すれば仕事は増える…そのインフラ仕事なら頑張れるかも。つうかアーティストとしての仕事の横でやりたかったのはそのような仕事なんだった。学びに行かなければ。。 昨日した展示設営の手伝いの仕方について、ちゃんと失敗できる余地を残しながら、しかし初めての展示がうまくできたその嬉しさだけで作って発表するのを続けていくかもしれないというようなことを思うとどう手を貸したものか悩ましくおもった。 なんかもっと全体的に引いた目線で見て生きたい。。。。水槽の大きさの分だけでかくなる魚みたいに自分のこと感じる時があるけど、そんなこと思う程度には一生懸命やっちゃってる。素直すぎる。そんな全部必死になってやらなくていいんだよ、うーちゃん。

2024/04/30

文が長すぎてすごいパニック状態だだもれだよなという話をした。放っておけばいい事実に近いことの確認へとかなり確実な足取りでひたすすんでいて本当に大変そうだという。嵐のような心の動きを全部キャッチしようと頑張ってる。自分に興味ありすぎだろ!擦り切れるように悩んだら物心もあらたについた。自分のユニークネスが見えた。 BOATが前に、この作品はいいけどうらぽくない、良いけど誰でもできる、考え込んでイメージが変化するのが挟まってないよ。というような感じのことをアイス屋さんの作品に対して、作った瞬間いってくれた。それをようやく挟み込む季節到来したかもしれんな。具に言葉にしていこう。 平易な言い方で伝わることを第一に言葉選んで話したら、めっちゃ気が楽で中学生に戻ったみたいだった。こんなふうに自分の気持ちを話せるんだーと思って驚いた。言葉のプロダクトな側面。気楽さ。 「地元の友達」のストーリーズに子ども連れで知ってる人たちが次々登場する。てかそのジモ同士が結婚して子どもまでいるようで、みんなで厄落とし行ったみたいなことが書かれていた。同じクラスの女全員が厄年だ。なんだかおかしいな。やっほーわたしはエンジェルブルーの靴下履いてポケモンやってるよー。

2024/04/29

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育ててる葉っぱに新しい芽がたくさん出てきた。味噌汁を飲むためのお椀が欲しいなーと思いながら葉っぱに水をやる。 誕生日のメッセージをfbにもらったので返信した。眞島さんから眞島竜男アバターのバースデースタンプをもらった。眞島さんがやることにいつも驚き、何をやっても(さすがトゥルーアーティスト…)と憧れてしまう。そういうわけで、眞島さんに倣って返信した。自分のアバター的なものは、現在の髪型がどうあれ、選べる時には茶髪のおかっぱor二つ結びのお団子ヘアにする。平均的な自分自身の印象。パフォーマンスをする身体として、自分のキャラクリを考えるべしかもしれない。眞島さんや橋本さんや泉さんはただ立ってるだけで何者かわからないような佇まい。怪しい。なんだかわからない凄みを醸し出してる女性、、オノヨーコ、中島みゆき、、身近な人だと、、、、、。怪しさは毛に宿るのかもしれない。。。

2024/04/28

 誕生日。お買い物してケーキ食べてゲームした。ゲームやってるのを隣で見るのも楽しい。気に入ってるものを教えてもらって嬉しい。私も最近気に入ってるものを教えた。ひとから教えてもらって、そこから調べて新しく好きになったもののこと。読んだ本の面白かったところ。これからやろうとしていること。最近見た映画。急に思い出した子どもの頃のこと。前に来た時にはあった店が無くなったこと。 いつもならもう二回しくらい行くところだが、なんだか今日は文を書くのが少しも面白くないので今日の日記はこれまで。

2024/04/27

  朝急に素直さの開示が必要だと思って即会いたいし話したいしというの電話したら開口一番おはよー…ウッ……てなぞにボロ泣きする人になっちゃった。やば。。メンタル終わってる自分をオープンにしたら大丈夫だった。勝手に絶望してたものは私の閉じた感じだったのかもしれない。ガッチリ閉じてたドアを開けたら、全然ずっとドアの前で待っててくれてたみたいな感じだった。

2024/04/26

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ラボにずっと置いていた荷物をとりに行った。学生たちとつなち、大澤君がいた。ギャルたちがなんかでかい布に刺繍したりしていた。めちゃいい感じだったな。留年、院進が多いのか知った顔ばかりだった。しばらくすると小山君が来て、そして池上ちゃんがきた。喫煙所にはシモケンもいた。 荷物の配送手配。伝票を3枚書く。品名の欄に「粘土」と書くのが面倒で、皿を自宅へ大量に送る人になってしまった。ヤマトの人も「皿?全部ですか?」と怪しんでいたが、「ええ、はい、皿が3箱、精密機器が1箱、本が2箱の6件です。着日明日AM、支払いPayPayでお願いします」とやたら澱みなく堂々と受け答えた。はい、の意味で「ええ」と言うの、初めてやった。また段ボールが届く。 思ったより早く用事が済んだので、ラボで久しぶりに、というかほとんどはじめてあらゆる予定から手を離した状態で過ごした。誰でもない人として。立場を持たない人として。おしゃべりもそこそこにして、ちょっと飛び跳ねてみたり、落ちてるもの凝視したり、ウロウロしたり、しゃがみ込んでみたりした。天井を仰ぎながら適当にピアノ弾いて遊びながら、おやこの挙動って川上君じゃねと思った。 自由で誰のコントロールも感じさせない空間でありながら、運動体的な側面も説明していくのって大変やなと半ば他人事として思ったりもした。今日のラボはかなり雑然としていて、私のいた時のそれとも当然違う具合だった。本当にとにかく暇なので目に映るものをずっと記憶してみた。誰かの作業中のものがどの机にも折重なり合ってて、その上で作業をくりひろげている人がいて、それが床に侵食していて、誰かが何かを探しながら床や机を見ている横で新しいカメラで遊んでいるひと、その隙間を人が機材を持って通り抜けていく。 おー。「、」で繋いだ長回しの文で切り出すだけでけっこう面白い。そういうテキスト形式のオンラインのイベント何か催したいかも。なんかリフレッシュしたな。アイス屋作品のディスクライブもやるぞ! そうこうしていると重音部のライブとサークル勧誘会が同時に始まって、そのあと助手展のトークショーが始まった。映画専攻の助手の作品解説の時間、あらすじの話をなんとなく隠れながら聴く。「こんなことが起きてねえ、まあ誰でも狂っちゃいますよね」と話者。(そうですねえ…)とうーちゃん。 犬とか蜂とかとやった自分と双方の行動を分析する

2024/04/25

CSLABの冊子の川上君が描いた漫画読んで、空間全体ごとを愛していたこと思い出した。泣いちゃった、普通に。ラボの素晴らしい瞬間が抽出され思い出される。なんかした気でいたけど、思い返してみると私は大して何もしていなかったな。ただ一緒に遊んでただけだった、まじで。仕事なんだかなんなんだかよくわかんない感じのことをばらばらとやってると誰かしらがが訪れて、そんな感じで毎日約束しなくても会って(私は仕事で居たわけだけど)、毎日楽しかったね、素晴らしい日々だったね。 今日はなぜかラボづいていて、仕事終わりにスヒョン、つなちと新宿で会った。スヒョンとは一年ぶりくらい。Red Stockingの新刊のことを話し合った。手作りのzineに立ち返って、その企画について固めるために最近のことをちょこちょこと話した。 ラボで友達になったみんなのこと、ずっとずっと大事にしたい。いつまで遊び続けるのかわからないけど、いつか会わなくなってもずっと大好き。

2024/04/24

今日はいろいろと暇のなかで考えが揺蕩う。将来の見通しへの拒絶感から始まり、そう思うのなら、子どもを育てるという選択肢は取らぬべきではないか(別にそんな予定もないのだけど)って方に今日またより少し傾きを増す。たまにそれを考えてはどちらかに投票をしている。自分だけの話として。 そこでは現在の自分への信頼が判断材料となる。現在をokにするにはどうしたらいいのかな。今がとにかくokでなさすぎてな。。全ての根本的な問題は生活習慣にある。寝不足、栄養不足、運動不足。仕事は頑張ってやってるつもりだけど、その頑張りの反面単価が低く、生活とキャリアをキープするには異常な努力が必要になる。いまはなんとかなっているとはいえ、搬出の翌日に搬入するのを繰り返していてはとてもじゃないけど暮らしどころではない。かなり前の花見で山本さんが言ってた「家族やめますか?アートやめますか?」っていうパンチラインもたびたびに思い出す。アーティスト友達と会いたい。孤独な気分になっているが、忙しさのタスク処理と恋関連のことに全部動員してる場合ではない。ガチで頭おかしくなってた。あぶー。ここのところの自分、まるで自分ではないみたいだ。ありえない、どうした?!怖い怖い。 仕事の話に戻せば、ほとんど無料の奉仕も多すぎるな。個人的な関係性の他にも、それを巻き込んであまりある生活維持の土台の問題が大きい。いくつもを掛け持つというのは、それだけでカレンダー人間になってしまうとあっては、もはや七曜制にまで不便を感じる始末。それで家にある橋本聡さんの「二曜制カレンダー」を観る。これはこれで厳しい気持ちになる。  展覧会もないし、すぐにやらないといけないこともないし、19:00に仕事を終えた瞬間夕飯を食べて20:00に風呂に入って、だけどそれが一番難しいのよ話のきっかけとかどーしよ全然自然じゃないよね?!(まだ言ってんのかよということでもあるが、それはそれで重要なことだ)で、22:00に布団に入った。健康へ真っ直ぐ歩みを進めるの嬉しい。展覧会が遠くで開催中なのもいい。実に健康的。昨日全部考えがまとまってよかった、まとめるのは大事!

2024/04/23

  したくないダンスを振り付けられおどりながら、探究心でそのダンスを見出そうと努力する。それはダンスでなくて劇だよ。ダンサーでないひとがダンサーになってゆく劇。…と、こうして状況把握としてカメラを引いていくと劇がうつるが、どのようにその運動が「したくないダンスである」というのを表現するのかって、そういう話。 私の元に起きるある種の揉め事の調停の場は、どれも解を出さずに「そういうわけで引き続き…」という物に落ち着く。細かに話してるうちに問題部位の腫れが引いて、問題が問題とも思えないくらいのところまで行く。ここでそうしているように宿題として分解していく(もはや趣味である)と、結局は問題そのものを介して作られたそれぞれの心持ちの不自由さが摩擦点であることに辿り着く。そうなれば結局摩擦し削れ果てた部分はそれぞれに違うので異なる処方が必要になるはずだが、処方はより具体的な必要性を示した方に寄り添った一つしか作られない。なぜなのか。今日はずっとそれを考えていた。仕事の間も電車に乗っている間も自転車に乗っている時にも(なんかおかしいな…)と考えていた。 「なんで私に悪いところがあるわけでもないのにこんな思いをしないといけないんだ」という平凡すぎる気持ちの在りかは、問題存在として自分を指されるという認識に端を発しているものだ。まず私は処方者としての立場に立ち、悩みごとをなんとかしてやりたいという利他感情が働く(そもそもの場におけるロールも関係するのかもしれない)。今回の問題対象は自分自身の存在についてなので、それを見た目の上で変形させることは難しいことではない。事実を作ることは簡単なことだ。そうして相談に最大限に寄り添うため、自身には症状とは異なる処方を適用し、その隠蔽のために行動を変形させるにあたって心まで変形させていたことによる負荷が「なんで私がこんな思いを」ということだったのだ。と解がでた。スッキリした。自分を理解できた。そして二粒だけ涙が出た。 やはり昨日の自分が積極的に見せかけ取った選択は少し違ったということだけれど今更かな。どうしよう。どうしようもないか。別になんか言うようなものでもない。なんか実行していくことで後からわかっていくようなものだ。それでいいか。本質的に、私は問題存在ではない。 私には未来のイメージが無いから相談の形にするのが難しいのかもしれない。つか未来っ

2024/04/22

昔のカレンダー無いかなとおもって神保町の古書店街の、すごい古い本や記帳や手書きの本や、おそらく日記的なもの、それから版画とかを扱ってる店に入ってみた。版画は本よりも適当に置かれているように見えた。そんな置き方したら曲がってまうど。まあいいのか。本の値札はピンキリで、4000円とかもあれば13万円のも40万円のもある。多分しまってあるもっとすごいやつとかもあるのだろう。店の中の物量と一つ一つの本が持つ圧がすごくて何か恐れ多く、資料が何かないかと見たくて入ったのに、こう、どうにも中を開いて見る気になれない。それは自分のものではないことによる触れ難さではきっと無くて、美術館とかにある安全な距離が設定された鑑賞の対象に慣れすぎていて、どの距離感でこれとどう付き合えばいいのかわからないというようなものだ。読まれることを拒否する本だ。コレクションのための本に対峙するにはちょっとこちらの全てが足りていない。ダメージの少ない和紙の触り方も知らないし。静かにじっとして背表紙をウォッチするので精一杯であった。 電車の中にオフショルのレベルがカンストした服を着たひとがいた。人魚姫みたいな服で電車に乗るなんてすごい。知らない人に背中とかくっつく可能性もあるのに。すごいよ、あんたがクイーンや。好きな服を着るというのは接触可能性からなんらかの態度を持って自分を守り、見られる恐怖を弾き返す表現である。だのに彼女、よりにもよって寝ている。大丈夫か?とりあえず彼女が無事に帰れますようにとおまじないをかけた。 件の問題についての合議を執り行い調停。問題を変形させることで次の問題を作ってそれを落着とするも、問題を変形させたと見せて実際には自分の方を変形させている。問題自体は変形しないので仕方なし。と、まあ大体こういう感じだ。やむなしである。アーなぜショックなのかもよくわからない。変に狡猾なズルさが消えて素晴らしい嬉しさが帰ってきた感じもするから。しかも何かが増えて。

2024/04/21

朝風呂に入って支度をする。この6日間なにかひどく飢えたような気持ちになって毎晩毎朝ベソをかきベランダで縮こまっていたとはいえ、ギャラリーへ向かう道に生える草を観るのは楽しかったし、ひどい駄作であるにしてもよくぞ3日足らずで仕上げたとの満足と疲れと安心の余韻の湯に浸かる。今回の過集中した努力をうーちゃんはリハビリになったように感じてそれに満足をしていた。 連日の人疲れで一刻も早く家に帰りたいうーちゃんは、空港に出発の3時間前に到着した。しかしせっかく早く着いても特にすることがない。巨大な銀色のキャリーケースを転がし全ての店を回り、全ての練り香水の蓋を開けて嗅いだのち隅にある本屋にて不意に西村賢太「雨滴は続く」を購入することになった。この作は後に読むのがいいよとある筋より教えてもらっていたけれども胸の内では知ったことか次に読むのはきっとこれにするのだと決めていたのだった。とはいえ、この機会が来なければ律儀に勧めに沿った順番で読んでいたのであろうが、都合積読のウェイティングリストに500ページを差し込むこととなった。 悪天候で見通しが立たないために出発が遅れるという放送が入る。窓の外を見やると確かに真っ白に霧が空気一体全てにこもっている。玉突きした遅延の混雑で椅子はほぼ全て埋まっていたので、窓のところの浅い出っ張りがうーちゃんの暫くの拠点となった。 そこへ座り込んで60ページほど読み進めた時、ふと(クソでかい画面でキスでもセックスでもいいから他人同士の粘膜接触の様をみたい…)との慾に心が駆り出されることとなった。うーちゃんはこれまでエロでポルノな描写をとある理由にて映画であれ漫画であれなるべくなら直視することを避けてきた。それどころかゴアも胸糞も怖いのもびっくりもくすぐりも辛いのも、そういったあらゆるテイストのようなものをなるべくなら避けて、たまに見ては焦るようにして心を転がしていた。産毛の生えた桃のような心を垂らして生きていた(それは少し金玉に似ているとおもう)。とにかく速度と傾きの強い娯楽に興じること自体が嫌だった。遅ければ遅いほど捉えやすく、ささやかであればささやかであるほど自分の身体に巻き込みやすかった。それで特大のバジャイナをのぞいて、他人同士のセックスをすごくじっくり見たいとおもったのはよくよく結びつけてみれば頷けるけれども、単に汚い性欲の描写に引っ張られて心

2024/04/19

 平岡手帖への寄稿文をここで書く。このブログエントリは私にとって文を書くための机になっている。Googleドキュメントで書くのすら最近は少しよそよそしい。このbloggerの不便利なUI、ずっとこのままでいてほしい。 さてなんて書こうか。 == 鑑賞ってどうやってするのかと聞かれて、とにかく見るのだということをどのようにして話せばいいか…という時に平岡手帖をレコメンドするシーンを思い描いた。 平岡手帖では、複数の展覧会をひとりの人が鑑賞してまわることについて目の当たりにできる。異なる展覧会での鑑賞体験が引き続き折り重なり混ざり途切れながら隣り合って経験されて、そこへは展覧会とは別の経験や記憶なんかも当然のように入り込んでいる。鑑賞という行為が存在していることを記録した文だ。この生(活)のアーカイブは作品だけでなく鑑賞があるということを示す。作品はそれぞれ孤独に浮いているのではなく観る人の内でなにか別の物事とくっついたりして変形しているということ。それで世界がひそかに芳醇になっていること。 == どうだね。支離滅裂にも思えるけどまあいいか。 夜、知らない人と映画の話をしてすこぶる楽しかった。素人の言葉を尽くす。そういう会話があればいい。

2024/04/17

宿泊施設にはパジャマの用意がありませんのでと言われて、パジャマをたくさんパッキングしてきた。しかしそれとオープニングパーティーできるためのワンピース以外の普段着的な服を持ってき忘れたので制作中ずっとパジャマを着る羽目になってしまった。パジャマはただの二軍の服。制作中はみんな汚れてもいい格好をしているのでパッと見同じようなテンションの服を着ているふうに見えるが私のとはコンセプトが違う。そんなそぐうようなそぐわないような場に、だらだらとした私が入り込んでいる。中学生が手紙に書くような癖のある手書き文字やひらがなの名前のインフォーマルさで、さらにパジャマで。

2024/04/16

  また飛行機乗れなかった。ダメ人間すぎる。幸いちゃんとしたチケットだったので時間変更してもらえた。契約とか約束とかって双方のやりとりが取り交わされればなんとかなるものだな。権利を買っている。安堵。 今いるところは廿日市市で、これまでのやり取りで文字は目にしていたけども電車で降りるときに音で把握できないと困るんでようやっと読み方を調べ、「はつかいち-し」と読むのを知った。しかしまたなんでだか間違えて「五日市(いつかいち-し)」で降り立つ。もと来たのの次の電車に乗る至極無駄なスクラッチ運動を行った。ぼけなす。いつかつかつはつかいちしつはつかついつつはつかつ。 24:00就寝のサイクルを広島にいる間やってみて調子良さそうなら続けてみよう。

2024/04/15

誰にも話してないから誰にも伝わるはずないのだけど、なんで誰もわかってくれないのと心の中だけでオギャって体はめちゃじっとしてる。6日間の出張、鍋洗わず行ってもいいか?いやさすがにまずいよ。 ネトフリの三体S1全部見終えた。忙しいとか言いながらそういうのはみてしまう。セックスエデュケーションの指揮者の先生の役者が一瞬出てきて嬉しくなった。しかしグズな映像化だった。ゲボのシーンが2回あり、ひとつはヒスパニック系博士が非人道的な研究に加担して呵責し部屋のいろんなとこでゲボ。もう一つはコールドスリープの実験台になったチンパンジーが副作用で弱ってゲボ。 あーほんとにほんとに疲れた。all power goneしぬー ウ〜 

2024/04/14

 カキヤさんの踊りの動画を撮って、このモーメントが良きでしたと4秒間のことを事細かに話して楽しかった。腰から上と下に分け、手の特権的な表現に拠って立つ踊りであることや頭の位置がほとんど変わらぬこと、ノールックで役割を与え続けることのできる足がする動きは手のする踊り的踊り性とはまるで違うこと。それらの扱いをどのように同等とすることがこの踊る為に作り上げているわけではない生活のためのいわば最低限の身体に可能かということ。頭から頭というのをどう解放するか。たとえば全身を星型に抽象化して時計回りにひとつずつずらし、右腕を右脚に、右脚を左脚に、左脚を左腕に、左手を頭として、その5つ+5つのずれて重なった10の部位に割り振られ+割り振り直したずれた身体によって、いかにして物を空間を触り歩き転びうるのかを踊りとするというようなこと。

2024/04/13

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 美学校の展覧会が始まった。毎週展覧会で何かしら作品を介して他人とコミュニケーション取っている。 帰り際を逃した受講生たちがダラダラしてる間に別の鑑賞者が入ってくる。その人から「時代」の関連で知ってもらっていたようであった。そんなこともあるのか。あるか。たしかに、「時代」のインディペンデントな空気感は、美学校と通ずるところがあるかもしれない。 帰り、亀有駅で電車のドアが開き、目の前に金庫の広告に描かれた亀と少女の萌絵が現れた。小学校の卒業文集の表紙に微エロ獣人萌イラストを花びらや「思い出」などの作字と共に描き大人と同級生から囁かれるようにして顰蹙を買った記憶が突如として立ち現れ、ウーはおよそ20年間のうちに知らぬ間に膨れ上がることとなったトラウマティックな1分間にも満たぬ停車時間を耐えた。 (メモ) 他人の制作をサポートするTAや助手のような仕事は、作ることに心と手とが同じ速度で向かなくなった制作者がごく短期間の間着くべき仕事ではないか。手を動かすことにまず癒され、それは自分がどうするのかを考える契機にもなる。そのようにして、何かのついでに脳を身体をスプリットしそれぞれの部分へと繋がりつつも異なる仕方で分散させ、そしてそのスプリット倍分のことを考えるというのが他人を経由し補助しながら学ぶということの本質的な職務内容であるとウーは結論づけた。それがタコの自画像のモデルにおけるマルチタスキングのベースとなるアイデアであった。

2024/04/11

切実な悩ましさについて話すのを先延ばし先延ばしして、そこからまたそれについてはさらにまた今度となってから、またもひと月ほどが経つのに気づくのは生理が来るからだった。不快さが何かリマインダー機能を果たす。カレンダーを考案したのは女であったに違いないと思って調べたらそうではないらしかった。そんなはずはないとおもうのだが。女の功績を男が奪っているのではないか。知りようもない。調べ物のおまけに古いカレンダーを色々と知ることができたので、できればコレクションしたいと思った。 もうしばらくずっと長いこと不眠症であり、毎日4時間くらいしか眠れない。加齢のせい?寝つきが悪く眠りも浅くて悪夢がやまない。それは見た目にも現れている。たまに連続で10時間眠れると再起動にかかる巨大なカロリーを感じる。たくさん寝て起きた朝の身体は重い。冬眠から醒めた熊の動画を何度も繰り返し見た。ぼさぼさの痩せた白い熊が辺りを見回しながら地面をふみふみ。空腹と長い眠りによって世界を確認するしかたが身体ごと新しくなったみたいに感じているように見える。 ここ最近では、眠りにつこうとするときには、この熊の世界へむける目を空想する。熊の中に入り込んで熊の目で世界を見、そこから夢に入ってゆく。前はカラスの巣のある場所をこれまた空想の中にある森の中に探し、その前は自分が鯨のアバターを操作する想像をしながら寝返りを打った。個人的な想像上の庭をどんどん具体的にしたこともある。小さな門がついていて、草は膝くらいまで茫茫であり小さな黄色い花が咲いて奥へと細長い。気に入ってる石を空想の中で3DCG化してゆっくりとグルグルまわしていたこともある。わたしはその時期、その石を全て知り尽くした気でいた。 美学校の展覧会はみんな、自分も含めて、文を書くのが止まらなくなってしまう質のひとが集まっているようであった。展示ではなく本を作る成果発表にしてもよかったのかもしれない。帰りにまた、神田川沿いの変な長屋を見に行った。川底へ向かって伸びる階段を降りる決心は今日もつかなく、憧れにも似た思いで細くてぼろっちい暗い階段を見つめる。きっと降りてしまえばなんてことはないだろうと予想はつくので、この美しさのまま階段を降りないでいい。 「根が警察嫌いにできているうーちゃんは、警察をみるたび何か邪魔をしてやりたいといつも考えていた。」曲がろうとするパトカーに

2024/04/10

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PARADISE AIRに開かないドアがあるとかお化けが出ただとかで探偵として夕方に緊急出動。どうやら原因不明の気圧差でドアが開かないだけのようだった。なぜ?〈探偵編・完〉 建物全体が歪んでる可能性もあるのだろうか。築年おそらく40年くらいか。自分ちも同じくらい。こわ。死の予感する。 この間、代々木のあたりをふらふら散歩してたとき、いわゆる(いわゆる)上弦の鬼ハウジング(上弦の鬼ハウジング)をみて、でかい家の全部の部屋の電気が付いてるのがすごい羨ましくなった瞬間があった。どうしたら上弦の鬼になれるんだろう。全く想像がつかない。悪いこととかしないと無理かな、詐欺とかそういう。いやそれでも上弦の鬼にはなれないだろう。私程度の考えつく悪事じゃ浅ましき守銭奴になるのが関の山。ああ毎月20万くらい貯金してみたい。こんなささやかな願いなのに。それに、ガッツリ仕事持ってきて友達にバッチリ仕事振ってモリモリご飯食べさせクリエイティビティを満足に発揮し満たされた気持ちでグースカピーと寝かせてやりたい。この一年間そうさせてもらったので、もうそろわしも頑張らねばとのおもい。私も少しはほんの近いところでしかないけど仕事を作っている。でもこれ以上に人の分まで頑張るの、いまは限界だ。ごめんね。 それはそうと香港の時の作品を見返している。これもずいぶん前だけれど。あんま話したくない人とそれでもどうやって話すのかについてのディスカッション。There in no political position with Tinder つってて爆笑した。これを参加してる美学校の哲学講座「アートに何ができるのか」成果展「ゼロ・ゼロ・プラクティス」に出すことにする。元言ってたのと違いすぎるけど仕方ない。またも過去作だが、これも日本で見せるのは初めてのことだ。 私は私が悲しいという状態についてをすっかり忘れがちになるので、ここで少し書いておこうと思う。 私という人物は、おそらくは大体いつも元気で、目がキラキラとして、にっこり(顔色は悪いかもしれないけれど)楽しげに見えるだろう(本当にそうか?)。 が、元気だった?と久しぶりに会った人に聞かれて、正直ちょっと前までまじ無理でしたーでも今はかなり元気です!テヘヘ!と言う時もある。ひとと会ってる時は、大体ハイになっている。 私が死にそうになることはきっとない(今のところな

2024/04/09

 夢に岡田君が出てきた。aokidや村上さんもいたし、ひょろっと背の高い髪の長い知らない女性と、昨日あたり引きこもりから帰還したというまた別の知らない女の人もいた。 そこは引きこもりから帰還した女性の実家らしく、部屋の途中に薄緑色の軽いカーテンが下がっていて、奥へと長い小上がりになった先には出窓がついている。その細長いステージのようなところにみんなで座ったり寝転んだりしてパフォーマンスリレーのようなことをして遊んでいた。夢にしてはやたらと明晰である。 村上さんが精神疾患についてのラップをして、それに参加者がアンサーのようにして聞きながら反省する気持ちになったなどと言っている。 かわるがわる自作の紙芝居を披露する。八切りの画用紙が絵の具を吸い込んで縮こまり固くなっている。私は持ってきたずいぶん昔に描いた紙芝居の読み上げをしてみるがうまくいかずに、即興的になにかいいポイントを作ろうとしてしどろもどろ。そして悩んだために長い時間注目のなかで黙り込み、紙芝居を捨てて自分の隠れた人見知り性について話すことにした。 明るく美しい空間で自己開示の会をしているみたいな夢。有り体に言えば悪夢の類であろうか。 岡田君がカーテンの下でヒューーーと言いながらじたばたして、 「うらぁ、時間はたくさんあるよぉ」 と言った。 ほかのみんなはにっこりしているが、私はムッとしていた。 ここ最近で岡田君が夢に出てくるのは二度目であった。その記憶は夢を跨いで引き続いてるようだったが、起きている間はなぜか忘れていた。 そして私は、みんなは知らないのかもしれないけど、岡田君は――そう言って泣き出した。それで、岡田君は存在が謎だったことがあるよね。存在が謎だった期間があるよね。とそう言ったのだった。 死と言わずに、存在が謎という言い方をしたのは、まず他の人が驚くであろうし、それにそのことが明らかになって電気がパッとつくみたいにこの今の世界のバランスが崩れてしまえば、また岡田君はどこかへ行ってしまうと思ったからだった。 だから、岡田君は存在が謎だったことがあるよね、とそう言った。 こうしてケロっと目の前にいると死とはなんなのかとの怒りに近い気持ちが湧いてもきたが、しかしそうおもいながらも、私は夢より半身ほど覚醒しているように感じていた。いやでもおかしいな、そんなことあるのかな、葬式にも出たし。身体の半分でそう考

2024/04/08

 窓を開けたら虫が飛び込んできたがうーちゃんは気にも留めない。小さな虫が部屋をぷんぷん飛び回っているのはむしろ愉快愉快との余裕を見せてかつてないほどバグズフレンドリーな朝。その理由はひとえに展覧会が終わったからである。 搬出へ出かけると、もう既にほとんどすべての撤収が終えられていた。印刷物在庫を持ち帰る手配だけして、すぐに帰宅。夕方のミーティングにあわせて家について、3月中にほとんどを終えたいくつかの仕事の事後的な細かい確認や納品作業を済ませて、久しぶりにまともな状況下で必要なだけの分量の仕事をしたなと思った。いつもおそらくは業務過多なのだ。それで、20時にはのんびりとした時間を家の中で過ごすことになった。本を読んだりSNSをのぞいたり音楽を聴いたり電話したりして過ごす。うーちゃんは長電話をするのが好きなのだ。 音楽を聴くのは気が楽であり、高純度で楽しい。興味を持つ先が増え、知っていくことは感性のスコップでどんどん掘り進んで行くようだった。鑑賞する主体として作品と対等に向き合う力がついているのを感じて、それも誇らしい気持ちになった。憧れでなく、知欲や焦りでなく、ただ余暇として無用に趣味として向き合うのだった。今一番楽しいのは日記を書くことで、その次が音楽を聴くことだ。現代アートは狂ってる。疲れた。どっか行ってリフレッシュしたい。1.5ヶ月くらいがいいがそれもすぐには叶わない。音楽をたくさん聴いたり好き勝手に好きなだけ調べたりすることはどこか違う場所や何か理想的な心のありかへ向かう心地である。 ウーはリベラルでフェミニストで女性でというキャラ付けされた範疇において友敵判定をかけられることも多いが、しかしその実ただ身勝手なだけなので、人としておわってるアーティストの作った作品をそれでも好きだと思えもする。が、逮捕されろとも思う。人を恨んで作品憎まずをゴニョゴニョ言いながら通用させるだけの自由主義者であった。 そういえば日本画家Uさんは共同研究者K氏の悪事の露呈に乗じてその共同研究の成果からK氏の名前を削除するよう各機関へと電話をかけて回っているそうだ。あまりにしつこいので、名前を消すことでUさんの鬼電が止むのならと削除してしまうことも起きているらしかったが、これは甚だ歴史修正行為であり、一度日本画界隈人、M美術館、戦後美術史の歴史家、各教育機関の妖怪たちで集い、どのよう

2024/04/07

 東京藝術大学陳列館で14-16時に行ったWS「みんなで何か思いつき、実行する」は2部構成で、①14-15時:うらの悩み〈デモに行かない人をどうやって巻き込むことができるか〉について参加者にアイデアをもらう。②15-16時:官邸前(会場より20分ほど)でのデモにそのメンバーで移動して参加し、感想を言い合う。という内容であった。 3/30、大規模なデモの傍で、ルミネから出てくるカップルへ向けて「デートでデモに立ち寄るというのも乙なものですよ」というクソみたいなアジテーションをちっさい声でウーは行っていた。しかしそんなクソアジであっても、デモ参加の経験が0から1になるというのはその人にとっても、社会にとっても大きな民主主義の一歩だ。そういう考えがうーちゃんの企みの根源にはあった。てかラブってる者同士で手繋いでデモ行くなんて最高にクールじゃん、かっこいい、流行れ。 WSの話に戻そう。「悩み相談」という形式をとることでそれぞれの意見が仮置きのアウトプットとして話されるテーブルを作れる。悩む主体に無遠慮にアイデアを投げ込む。悩む主体はオーガナイザーとしても機能して、焦点を絞り続ける。 負担なくアイデアを出してもらうには、悩み自体が素朴である必要もある。話されたこともなるほどとおもえることが多数あり、メモを展示室に置いてきてしまったので今はここに書けないものもあるが、いわゆる「無関心層」である参加者よりのコメントを並べてみる。 -デモはどのような人がいつどこで企てているものなのか、それをどうして知ることができるのか -あらゆる社会問題がある中でなぜパレスチナへの関心があるのか -共感とエビデンスはどちらがマスな感性へ有効であるのか -歴史の中にいるという当事者意識はどこからやってくるのか こういった素朴なコメントは、おそらくツイッターなどで文字で見たらムッとくるかしょんぼりしてしまうものであるけれど、このめちゃ素朴相談の場ではそれもokである。 若干話はそれて、WSという形式に関しての覚書を尊大不遜ながらしたためてみよう。 WSとはプラクティカルな場であること、そして安心して実験できることがウーにとって重要な場づくりの思想的下支えであった(実際にうまく行っているかはさておき)。火や塩酸のような危険な薬品を安全に扱うのが実験室であり、実験という言葉を使うのであればその実験室のイメ

2024/04/06

高田馬場へ到着すると、早稲田口から駅を出て脇にある喫煙所へ当然のように足を運んだ。人とぶつからないようにして半透明のパーテーションを背にして立ち止まり周りを見渡すと、他所の喫煙所と比べてこの高田馬場駅前喫煙所にはより多様な人がいるようにチャン・ウーには感じられた。 ウーの本日の召物は白いスプリングコートにクーフィーヤを巻いたスタイルである。3/30のデモでシオニストが突撃してきた現場に遭遇して以降、日々の抗議グッズを纏うことへの緊張感はピリピリとした刺激を増している(この感触こそが特権の表出なのであろう)。などと考えながら煙草を吸い込む。 ぼんやりとしていると、返信していない連絡のことが頭をよぎった。 これまで散々アート全体に対して貢献してきたという壮大(かつ尊大)な自負が、ウーにはなぜだかあった。特に、他人のチャレンジングな研究領域に協力する仕事は――そのほとんどは少しの予算もつかぬものであった――尋常ならざる積極性を持って引き受けてきたし、無茶振りのような新作制作の依頼にもかなり答えてきた。ウーは他の人よりもそのあたりの身のこなしが華麗であるかもしれないのだが、しかしこのウーは、そろそろこればかりではよくないのではないか、とここ三年くらいずっと感じていたのだった。そしてそれを何度もその都度忘れてしまうのだった。面白そうだと思うとつい引き受けるというのを、何度となく繰り返した。 それでもういよいよアイデア枯渇した、おしまいだ、とおもっても案外いつも何かしらやることができて、このスタイルはなんなのだとの疑問もあるが、とにかく意外となんとかなり続けているので、多少調子に乗っているのではとのコメントをうーちゃんは否めないでいた。 どうやらこれまでに声をかけてくれた何人かの企画者は、ウーの仕事(?)をネットで把握し、それでなんでか面白そうだと思うらしかった。展覧会にも(かつては間接的な関心の入り口にもなったことがあるCSLABにも)来ないままに、それでどこからどうしてそうなったのか不可思議ではあるが、とにかくポテンシャルを見出されて企画に誘ってもらうことが何度も何度もあった。 それはこちらは別にいいのだけど、でも、そちらは本当に大丈夫ですか?とウーは何度も確認した。口説かれるみたいに、どうぞ前向きに検討し、是非参加していただけないでしょうかという感じで(もっと流暢な敬語に

2024/04/05

うーちゃんは 予定してたことに赴くつもりで朝の支度をしていたが、そのうちだんだんと気落ちしたためにやっぱり今日はずっと家にいることに決めた。 予定とはデモのイベントに参加することと演劇の公演を見に行くことであった。今日の分の体力まで使って昨日をやってしまったのか、全く家から一歩も外に出る気が起きなくなってしまったのだ。 それで、チャン・ウーはこの日、本を読み、メールを返し、家事をして過ごした。朝集荷で鳴ったインターフォンへの「はい」が信じられないくらい低い。これはいけるぞと思い立ち、朗読を録画してみる。それが単なる自撮りであっても、撮影されていると気が張ってかえって身体が動きやすくなった。プレッシャーで自分を固定して、格好つけたりつけなかったりをする。部屋に声が響いて気持ちいい。なんのためにやっているんだか正直さっぱりわからないが、自分が楽しそうに本を読んでる様が記録に残っているのは社会貢献のうちに入るんじゃないかと考える始末である。 チャン・ウーの魂は過剰なまでに気高く、かつかなり多くの割合が怠惰に構成されて、それでいてシャイのかけらもない。 しかしウーは、美大芸大制度の一歩外へと自分の作品を持ち出してしまえば、自分のやっていることはなんの価値も持続しないのではないかとの焦りも感じていた。どこに出しても渡り合えるような作品もいくつかはあるのもたしかだが、しかしまあ、作品を見てもらう環境を整えるためには制度の外へ持ち出すというのがそもそも難しい。制度空間へ入ってきてもらうか、それかこちらが出向いてやって、見れるように準備して制度空間を展開するか。鑑賞のためにインストールが先に立つというわけだから、いかんせん、取り回しが効かないのだ。 来週にでも、作品の実況プレイをやってみようか。はたと思いつく。作者がその特権を駆使して、作品をカジュアルにしてやるのだ。動画の形でなく、文としてできごと全てを書き出してみるのでもいい。 平倉圭「ゴダール的方法」の狂気を目の当たりにして以降、克明さの基準がまるまる変わってしまったけれど、それでもなんとか頑張ってみる価値はあるようにも感じる。だらっとした雰囲気のものを、超密度へと変換するのだ。

2024/04/04

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朝起きたらなぜか全部の服が脱げててびっくりした。寝相が悪すぎる。暑くなると前からたびたびそういうことになる。風物詩である。 御茶ノ水から西日暮里まで、GPSを介して足元に千代田線を感じながら歩く。川底へ向かって階段が続く神田川沿いの長屋には、温めた海水で蒸したバスタオルで体を包む温浴サービスやらヘブンズアーティストの養成所やら、怪しげな商いが並ぶ。途中秋葉原の端に店内の装飾がモンハンみたいになってる美容室があった。ガラス張りのコンカフェでオレンジ色のメイド服を着た女の子が偉そうな感じで立って、お客さんと話していた。千駄木のあたりのレストランの外に置かれた植木に電飾が細くかけられているのをみていたら、お店のひとが明かりを消しに出てきた。なので去ることにした。 不忍池は賑わっていた。普段はピクニックや花にあまり興味のないひとたちがみんな花を見に出掛けていって写真を撮ったりする。その隙間を縫うようにして、ひたすらに歩いた。 音楽の過程を聴いていくのと最後の音を聴くのとで、モードのようなものをこちら(私)も変化させることができることにはたと気付いた。カーブした道に沿って歩行を変化させ実際に曲がっていくように、曲を私がこの身体をもって聴くのだという積極性があることに気付いたのだ。みんな知ってることなのだろうか。音楽を聴く人みんなに備わっている常識なのだろうか。ダンスするとかって意味ではなく、なにか働きかけるような、音を捕まえにいくような、そういう感じ。

2024/04/03

小雨。でも寒くない。ポンチョを被って自転車で某ご飯会へ。みんなのポンコツかまされエピが披露される時間のあいだ、わたしはポンコツ側の人に感情移入せざるを得なく、心の中だけで話される全員のダメエピ全てを一手に引き受けた。 雨が降ると花が散るのではと心配になる。花が知らないうちに一気に咲いて、知らないうちに散ってしまう。随分前に、茅場町で銀行事務の契約社員を2ヶ月間だけしていたことがある。2月から3月の間中、毎朝毎晩同じ時間に行き同じ時間に帰った。街路樹の様子を見ることだけが楽しく、3月末には空中を花びらが(おそらく花粉も…わたしは花粉症ではないのでわからない)舞っている中を歩いた。moe and ghost「幽霊たち」、空間現代「RAP phenomenon」、Jazz dommunisters「Cupid & Bataille, Dirty Microphone」、メラニーマルティネス、ダイアントワード、「ミニモニ。ひなまつり!」、キリンジ「エイリアンズ」、Grimes「Art Angels」、ちょびっツのop「Let me be with you」、などを狂った1時間の満員電車で毎日毎日、上を向いて息を吸い、目を閉じて聴いていた。 その後、4月から8月ごろまでは小学校の中にある学童で働いていたこともあった。3-5時の2時間しか働けないのと、服装や髪型の制限が厳しかったのと、掃除の質を何度も叱られてしまうのにへこんで続けられなくなってしまったのだが、楽しい仕事だった。校庭で遊ぶ子どもたちの安全を監督する仕事だった。あまり細かいことを言わないように「危ない」ということについてなにを基準にするかをよく考えていた。何度も起こりうる危険行為(クッソ高いところから飛び降りる、5年生が2年生にボールを全力投球する、すべり台を逆走してる人がいる時に砂利を流したり上から立ち滑りをする、などなど)は注意したが、あとは大体ただひとりで遊んでる子どもに構ってもらうか、ドッヂボールなどの欠員補給として混じるか、などをして過ごした。ハードな仕事だった。一輪車をする女の子たちに連れられて校庭の端へ行き、そこで手を広げて立ち止まるよう指示される。女の子たちは四方へ散り、それから「せーの」といって全員がこちらへ向かって一輪車を漕ぎ出す。私の手を取り、私を軸にして一輪車に乗った女の子たちが大き

2024/04/02

同居を解消してからというもの、この漠とした時間の膨大さに困っている。夢の中にいるみたいにうっとりしているのは寝不足でただ眠いだけなのか。アル-シファ病院での殺戮とその結果としての死体をみる。「身体をばらばらにして、」とは頭対体の関係から身体全体を解放しようとして、ダンスや舞踏に学びそれから何度となく使ってきた言葉だ。本当にばらばらな体を毎日目の当たりにする。死体が白いのは、砂にまかれているからだ。ビニールの中に体のパーツは放り込まれ、赤ちゃんの頭には穴が空いてる。比喩は機能不全を起こしている。(身体という時と体という時がある。体は物理的で死体も含めたbodyを指す記号的な語彙であり、身体はより概念に寄り添っていると考えて使い分けている) パラダイスエアのプレゼンを英語でやってみた。全くひどいもんだった。2年目だしそろそろお願いします!とコージ君に言われ、バレたとおもった。自分のプレゼンシートを作った方がいいな。私のプロフェッションはコーディネーターで合ってるのかな?アーティストたちの何をコーディネートできるのだろう。同時に滞在する人たちの自己紹介の時間を簡単にでも作れてよかった。いる人同士の交流を促したり、それが街にも接続できるといいのだが私がまだ街のことを知らない。パラダイスの帰り、ショッピングモールの上の方にある古本屋でない本屋に寄り、西村賢太「芝公園六角堂跡」を買った。 帰りに乗ったバスの運転手が女性だった。乗客も全員女のアマゾネス交通を利用し帰宅。8駅目で降車。男性社会でなくなるというときには、こうして女ばかりの公的な空間に入っていくこともあるだろう。武蔵美の近くには女性限定の賃貸物件の集まる袋小路があり、そこが「女村」と呼ばれていたことを思い出す。ただ思い出しただけなのだけど。思い出す瞬間と、思い出したこと自体の内容を紐付けて一行に収めるような文を書く様式は、日記から私小説へと横断する一歩だろうか。できごととおもったことを書くこの日記には、思い出したことを記述して膨らませる作業が入らない。その作業を入れる時、そこの箇所から、世界がめくれるようにして、できごとが物語に、日記が小説に変身するような気がする。柴崎友香「百年と一日」を読んでおもったこと。 そういえば昨日の夜、ドクターペッパーを初めてちゃんと飲んだ。20種類以上のフルーツフレーバーと書いてあり、近種

2024/03/28

仕事で疲れすぎて逆にカラオケに寄った。自分の声は思ってるよりも低いような気がする。声てどうやって変形させるんだ?粘土みたいにできる部分がある気がする。 インタビューの編集。緊張がすごい回があり、頭の中では構成をめっちゃ組み換えまくりながら話を理解しようと努力してたんだけど、、心配してた以上にまじで全然聞き手が務まってなくて落ち込んだ。編集でどうにか楽しそうな感じになるだろうか。本当に申し訳ない。司会上手くなりたい。もう東浩紀とかをまねぶしかない。 年度末だ。なぜか緊張する。CSLABではイケガミちゃんの任期が終わって、次の管理人はつなちが入る。いろんな考えや方法論がきっと手渡されて、どんどんどんどん良くなっていく。素晴らしいことだよ。それぞれの特性が活かされる。来年のラボもきっとすごいだろうな。ラボで毎日楽しく働けたのは、ひとえにガミちゃんのおかげだった。お掃除と、グラフィックデザインは素早く作ることがクリティカルさに直結するということを学んだ。幸あれ。(いいかげん荷物取りに行く。今度こそ行く。まじで一年経ってる。最低!だけど一年間ずっと忙しかった。よく頑張った、自分も。フリーランス2年目頑張れ…)

2024/03/27

 仕事して部屋の掃除して洗濯して変な時間に(16:00)風呂に入った。借りた服を畳む手が優しい。 ずっと、生きている間ずっと、日記を書き続けてみたいと思ったのは、「パレスチナのクィアたち」の日本語訳のnoteを読んだからだ。 https://note.com/bashir/n/naf300476df75 「ほんのちょっとしたなんてことのないやりとりの中で、私たちは意味深な視線を交わした。でもそれで、自分達が本当は何者なのか、私達は気付いた。たとえ数秒だったとしても、真の姿を見てもらえて、解放された気分だった。」ナーブルス(「パレスチナのクィアたち:Queering Map パレスチナ/イスラエル 抄訳」より) すごいよね。。解放という言葉の手触り。ありありとした感じ。 == 齋藤君に日記本のタイトルを相談した。好きなところ、覚えてるところの中から2023/08/02と2023/11/09と2023/06/11を取り出してくれた(多分)。ふーん。。気づくと「堂々巡りな暴虐さに支配された音楽祭」に参加する話になる。ステージというものの性質が「堂々巡り」という言葉に集約されてる気がした。 日記は巡らず絶え間なく(もしくは絶え絶えに)増える。或る時に止まる。そしてたまに思い出される。私がいつ死ぬのかはわからないけれど、そのなるべく直前まで日記を書いていられたらどんなふうだろう。それを読みたい(けれど死んでしまう)。墓は巨大な日記帳に。私の生はそのまま文に形を変えて生き続ける。質が量になり、それでまた質として再現される。なんてね。 人間は死ぬ、私は死なない。君も死なない。いつか私たちは人間じゃなくて、名前や文や作品や踊りや現象に存在を変えて、いつまでも生きてゆく。去った者の痕跡としてではない。私は墓ではない。霊でもない。 / 人間は死ぬ、僕は死なない。君も死なない。いつか僕たちは人間じゃなくて、名前や文や作品や踊りや現象に存在を変えて、いつまでも生きてゆく。去った者の痕跡としてではない。僕は墓ではない。霊でもない。 僕という人称は、ごく個人からの訴えかけるような感じがする。他でもないこの僕。なぜだろう。 僕、と自分のことを呼びたい時がある。 私という人称は、一般的な私性に及んで、この私個人をはみ出した範囲を指し示すような気がする。私という主語は異なる私へと移っていく。私。 そ

2024/03/25

ちょっと前のことなんだけど、私の話を聞いた辺見さんが「愛がなんだ」観なよというので、本当は人に言われて映画みるのって積読してしまうからあまり得意ではないんだけど(本は間に挟んで読んでも大丈夫なんだけども)岸井ゆきのが好きだしそれにまあ今のような状態じゃなきゃ見ないだろうとおもって観たの、家で一人で、それも今日じゃないんだけど。 それでその映画が、知ってる場所が出てくるのも関係してかなんだか既視感のある自分の嫌なモードを一個ずつ一人一人の俳優が担当してそれがピンボールしてるような感じだったんだよね。感情がぴったりと閉じたオブジェクトっぽい人物たちというか。事の運びもやはりなんか知ってる感じで、うわやだな、やだやだ、うわぁと3コマで連れて行かれる。人や出来事の間に擦れて起こる温度や形を見出す関係性ではなくて、なんか思い込みと片思い、いや完全に独立した愛情というのか、それがいっぱいに積み重なってるとおもったんだけど、もしかして私、辺見さんからそんなふうに見えたのだろうか。まあ確かに言わんとすることはわかるような気もするが。遠回しな警告と受け取っておこう。と、インタビューの映像編集をしながらその合間に思い出して書いてる。インタビューでは自分の話し方がすごく気になる。声も速さも話し方もそれぞれ相手に合わせてるからなのか、とにかく各回ごとに自分のキャラが定まらなく違って見えた。自分が自分の話する時はとにかくペラペラペラペラずっとハイテンションでジョークまでいいながら話していた。私って一体どんなひとなんだろう。よくわからなくなる。透明な筒を通るみたいに、なにかが私を通り抜けてゆく。

2024/03/24

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三角コーンの上についてるビカビカのやつを外して別の現場へ歩いて動かしてる話とか、花を摘むみたいに取って誕生日プレゼントに友達にあげた話をすると、ボケと解釈されてツッコまれることもある。街の中に自分ごと埋まっている美しいなにかを起こすみたいなかんじ。まあ悪いことだとはわかってるし、それに刺激された特別な気持ちもある。 ユニちゃんが来てくれて、お茶飲んだり寿司食べたり河原を歩いたりした。花がたくさん咲いてて、曇った空がスクリーンみたいにぺったりしていた。命と生きるプライドに関わる系の話をユニちゃんとできることが本当に助かってる。

2024/03/23

 搬入したりインタビューしたりしてるうちに数日が過ぎて、洗わないといけない食器や洗濯物が増えている。あまり長い時間家にいるわけでないのにどうしてこんなことになるんだろう。 トークショーの後、GAの助手の部屋でかなり酒を飲んで、庄子さんが急にピアノすごい弾きはじめて最高だった。あーほんとうに酒を飲むのって好きだなー。カラオケにも行きたいし酔っ払ったままピアノ弾きたいしめちゃくちゃ踊りたい。いいねえ!最高だねえ!楽しいねえ!と、誰も聞いてないような(てか何の話?みたいな)話を延々と、かわるがわるしたいかのような、大学生の気分になってしまうけどあまり羽目をはずさないうちに帰る。帰りの電車で偶然柴田さんに会った。オンゴーイングで会う時よりも二人で話してる時のほうがなんだか話しやすい。頑張らなくていい。あれだ、奥多摩かなんかの帰りにも、柴田さんと二人でずっと電車に乗って帰ったことがあった気がする。働けども働けども楽にはならず。ねぇ。。

2024/03/21

悲しすぎて眠れないから日記を書く。そういう日もたまにはある。朝地震で目が覚める。ものすごく揺れた。シャワー浴びて自転車を運び下ろし駅へ向かう。新しくつけた指輪みたいなライトが盗まれないといいのだけど。薄着で出てきてしまってうっすらと寒い。 どんなに困ったとしても、老いることとジェンダーの狭間に謎に足場をかけた馬鹿な評価制度に惑わされないでいてほしい。そういう暗くて重たい気持ちが、三角コーンの上についてるやつみたいにビカビカ光ってる。警告をするためにする表情がある。 仕事で旧住居方面へ赴く。仕事の話と誰かの子どもがすごいかわいいとかの話題。そういうことを話しながらスープと魚を食べる。優しさは虹とかお天気雨と同じで条件が揃わないとうまくいかない。心が遠くへ転がっていってしまうのをただ眺めているような悲しい気持ちのままずっと起きて、そのまま朝になる(と書いてくすぶらせ、やっと公開するのは2.5日後になった。ライトは盗まれなかった)。

2024/03/19

  搬入3日目。大体終わったと思ったけど粘ることにした。追加のご迷惑をおかけする。でも展示はよくなるから。。映像編集してたら小山君がカメラ持ちながら車に気を取られてる挙動がカメラの動きに混ざり込んでいた。こんなにカメラがそのまま心の人いる?と思ってすごく愛おしくなった。とにかくめちゃ車をカメラのまま視線で追いかけててワロタ。ワロタけど全部カットした。撮影者の身体が強すぎて。私だけのフッテージに保存する。今回の展覧会には犬とアイスのホイアンセットを出す。キュレーターのベンのパートナーにアイスも犬も大好きだから最高って言われて、exactly~と言った。 蜂、アイス、犬、石、墓。八朔、ミミズ。 わたしの作品のモチーフってかわいい烈伝じゃんか。 フルーツ、魔法、歌、待ち合わせ、根っこ、毛、鳥、海、砂、種子、島、模様、夢、靴、酒、涙、生殖、老い、変身。これらをいつか扱いたい。 化石、貝、タコ、やることリスト、自殺このあたりはもう少しやらないと。扱ってみたいものと、実際に扱うものの間には大きな溝があって、趣味性だけで選択できないから何かしらキャッチできるようにひたすら感度を磨くしかない。。人生が足りない。ちょっと焦ろう。

2024/03/18

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  今日もやはり寝不足で記憶は夜から始まる。辺見さんと遊んだ後帰ってそのまま原っぱへ散歩しに歩きにいったが寒くて一瞬で帰った。キラキラとした寒さではなくビュウビュウの過酷な寒さ。散歩好きすぎる。早くもっともっと暖かくなってほしい。少しだけ寝て起きる。すごくきれいな朝だ。歩いて駅へ。草や木がほんとうに輝いて見える。世界がきれいすぎる。この精神状態なんかやばいかもとおもう。でも本当にきれいで。木に絡んだツタだけが白く焼けて、こんなきれいなものってあるんだなとおもった、生命の在り方として。陽に照らされて反射して目に飛び込んでくる全部がほんとうにきれいだった。かなり感激してしまう。嬉しすぎの気持ちになってワーと走り出す。ロイホへ行ってパンケーキ食べた。別のテーブルにはドリンクバーのいくつものいろんなジュースが入ったコップが置かれている。 電車に乗って上野に行き、遅刻してるにも関わらず動物スーパーボールのガチャガチャを2回やったら2回ともチーターが当たってああこれは遊んでる場合ではない急げよっていう幽霊みたいな者からのメッセージであると理解してスーパーボールを左右のポッケに一個ずつ突っ込んで陳列館へ向かった。 ほかのアーティストたちも少しずつ集まってきた。キュレーターのみんなへの多大なる負担。展示を作るだけじゃなくアーティストのケアまでキュレーターがやる感じになってる時ってあるよな。。なるべく分業の意識で一緒に働けるといいんだけれど。でもまずは私のやることを先に終わらせよう。本当にサポートしてもらいぱなしで。ほんまにほんまにな。 いろいろと少し話を聞いてた友達からツイッターブロックされてた。私のことも敵だと思ってしまったんだろうか。幸せであってほしい。負った傷のことを少しも疑ってはないし、私は彼女の友人のままのつもりだ。まじで幸あれ。辛い時間はだれにも訪れないでほしい。優しい時間だけがあってほしい。無料だし、辛さも優しさも、どちらも無料!抗議するのだって無料。お得!

2024/03/17

搬入1日目。過去作が展示の形になるために他の人の手が入って私の手を離れてゆく。展示室の外へエミリさんたちと出ていってちょっとプロテスト。こんな環境を探してた。今が一番まともに人間できてるような気がする。多くの判断に対して自分で責任を持つことができてるような気がするのだ。 映像編集をしていると、いい状況の自分を見ることができる。自分の周りでかつて起きた様々なこと。単純に自分を愛しく感じることができるから最高。私の能力は、きっと他の人をサポートしたりすることに長けているのだろうけれど、本当にそれがしたいのかというとそうではない、この能力はあくまでオプショナルなものである気がしている。そんなことより作品作りたい。他の人が嫌な思いしてるなら作品ばかりではいられないけど。たくさんのでも・けどを挟みながら巻き込みながらそれでもこうして制作を続けていくのだ。少し前に知り合った同世代のデザイナーの性暴力加害が告発された。新しく知り合う人が隠れて悪いことをしている。怖すぎる。性暴力だけはほんとうに無理。去勢しなよ自分の身体を凶器のように使えてしまうのなら。エクスペリアームス・武器よ去れ(ハリーポッターに出てくる去勢の呪文)。 展示の準備はいつだって楽しい。プロジェクターを上から吊り下げてもらい、私の展示はほとんど出来上がり。あと3日でデータを修正したりしてゆくのみ。がんばるぞ。 上野から御茶ノ水まで歩く。40分くらい。暖かくて、風が吹いていて、このままどこまでも歩いていける気分だった。すごく独立した気持ち。自分への自信がすごくある。誰のことの心配も頭の中になくて、大きな嬉しさだけがある。この清々しくてまっすぐな感じを少しも損なわないまま、ずっとずっと生きていたい。この自分がいるということを忘れないようにしたい。

2024/03/16

今日は何も嫌なことされなかった。自転車はしばらくの間はとりあえず使わないようにする。バーテープ巻き直したい。サドルも変えたい。気味の悪いもの全部見たくない。暖かい日だった。めちゃくちゃ洗濯した。靴も洗った。なんと昼と夜ご飯、二度も料理した。昼ごはんはフェットチーネを茹でてソースと合わせる。夜ごはんは鶏胸肉と小松菜と舞茸を蒸して、味噌を牛乳で伸ばしたソースをかけて食べた。美味い…。デザートにはいちごを3つ食べた。買い物へ行って、映像編集して、ミーティングして、煙草吸った。最近信じられないくらい喫煙してしまう。ポテチとかチョコとか食べなくなった。いつかまた食べるんだろうか。 色々と考えたくないけど不意に時折悲しみに支配される。他罰感情が顔を出すのを、モグラ叩き(ものすごくバイオレンスなゲーム)のように叩いて引っ込める。 クーフィーヤを買ってみた。knogのライトも買った。でかい草が欲しい。ぬいぐるみが欲しい。録音機材が欲しい。スチル用のカメラが欲しい。靴が欲しい。押入れを整頓する気力が欲しい。しなやかな身体が欲しい。味噌汁を飲む用のカップや、かわいい皿が欲しい。なんかよくわかんない古いものが欲しい。西荻窪に行きたい。ワンピースが欲しい。ウクレレを弾いたら普通に心地よい気分になった。やっぱ元気出てきた気がする。よかった。本当によかった、、明日は掃除機をかける。葉っぱに水やりする。

2024/03/15

今日も嫌がらせされてた。しかもなんかパンツにキモい体液がついてた。本当に気持ち悪い。自転車家の中にしまった。怖すぎる。もう気持ち悪いし本当に嫌だ。お気に入りのビアンキ。。ハンドルのパーツも無くなってた。また警察に来てもらい、今日は生活安全課の人まで現れた。大家さんにも電話したし、不審者警戒ポスターやポスティングの手配も済ませた。素早い。そういう社会的な権利行使のための手配は容易。自分でできない自分のことがある。自律を促されず、なにか疑われたりせず、本当に全て安心した状況で泣いたり怒ったりしたい。頼るのが忍びなくて、せっかく来てくれてもなんか申し訳なくなってしまって帰ってもらったりして、来ていいよって言ってくれたり、できることあればと言ってもらっても明日から搬入があって身動きがとれない。自分のスケジュールのコーディネートができない。だれも暇じゃない。できることあったら言ってねというのはありがたいのだけどDIYの要素がある。DIYは日曜にやるもので、今私に日曜は無い。みんなも日曜な訳ではないし。ほんと全てが月曜日だ。でも本当にありがとう。本当にありがとう。役に立とうとしなくても心配してくれるだけで嬉しい。役立とうとすることは選択肢を増やして、それは時には困りを増やすことでもある気がした。Be with youを示すだけでいい。学びました。 映像編集してる時が一番気が楽だし、こんな状態の時にすら、他の人を思い遣ってないと生きられない自分もいる。少し話せば大丈夫になるのも本当だし、そもそも一個も大丈夫じゃないのだって本当のことだ。怖い思いや不安って不意に現れるものだ。朝から怖い気分で、昨日怒っちゃったことに反省して、そんなことしなくていいと言ってくれても急な坂道を転がり落ちることが止まらないみたいにもうどんどんダメになってしまう。連絡もらっても返せないし。最悪。最悪だよ。洗濯するぞ、とにかく洗濯をする。移民労働者の奴隷的法制度についてのステートメントみたいなものを直接的にテキストで作品に追加するか迷う。

2024/03/14

 チャリに乗ろうとしたらサドルに誰かの(女物の)パンツが穿かされていた。意味がわからないけど気持ち悪いので一旦逃げる。今井さんと会った。もうすでに今日の予定が全部狂ってる。恐怖だし、なんで今?という感じ。今、本当にいろいろなことが重なってかなりキツい。ここ3日間で、カフェでオンラインミーティングしてたら爺にキレられ、新幹線でオンラインミーティングしてたら婆にキレられ、自宅前で嫌がらせにあった。 今井さんに助けてもらって警察に行った。友達からのDMにもめちゃくちゃ心救われた。小山君がきてくれて嬉しかった。ありもので料理作ったけどあまり上手くできなかった。

2024/03/13

昼に起きる。何度も寝たり起きたりする。身体に「わかり」が発生した。起きた時に元気が出る感じがするなんて最高。夜はその日のストレスがのしかかってそれを取り除くのに必死になってしまう。今日はすごく風が強かった。あすから春になるのかもしれない。河原を散歩。まだ背の低い菜の花が咲いている。追い風に乗せられて少し走ってみる。いつか日の入りをずっと眺める遊びがしたい。仕事のメール返してない。全部ごめんなさい。 髪を切ってから、ネックレスやハイネックが似合う自分のハンサム性が嬉しい。ここでもわかりが発生している。外務省の前の毎日デモは、外務省の建物にむかって、警察の人とか警備員の人とかにもむけて「また明日ねー」と言ってサクッと帰るのがいい感じ。なるべく行ける時は参加したい。 ツイッターを見まわっていたらまじかと思うことがたくさんあって怒りの湧き上がりが捗った。久しぶりにいい悪口を思いついた:「さすがアート界のひろゆき・ホリエモン・西野(&成田←new)」。それぞれが誰なのかは人によって異なる楽しみを持てるところも気に入ってる。この悪口もツイッター的思考回路すぎるきらいがあるけれど。ツイ廃の魂百まで。〈メモ・「14歳の栞」。〉パッチ作りたいという話に作ればとぶっきらぼうに言ってしまってやらかした。そんな呑気な…とか思って焦ってしまう。わたしも作りたい、必要としてる、映像編集とかもやらないと。金銭的な余裕がほしい。引越しから4ヶ月経って、だんだん引越し時に負った経済打撃が回復の気配がする。いろいろな清算作業。

2024/03/12

完全に寝不足だけど今日は三重県まで 宮田さんのスタジオへ行って対談の収録。色々ギリギリすぎて全然指示できてなかったのに、阪中君の撮影機材のチョイスは隙がなく完璧だった。ありがとう。スタジオはめちゃくちゃ素敵だった。スタジオの作り物(天井とか)を見せてもらう。宮田さんと宮路さんが繋がりあるのめちゃ最高。薄いピンクの長い布で仕切られた部屋。すごい。ねこのタネちゃんもかわいい。最高。本日のクルーとのおしゃべり時間:阪中君1時間くらい、野瀬さん4時間くらい、宮田さん3時間くらい、熊原さん15分くらい。ずっと喋り倒しで疲れた。そんな遠征。赤福をお土産に買った。帰ったら食べよう。パレスチナのこと話せる人とじゃないと仕事しても意味ない。これまでずっとパレスチナについての活動を続けてきた人たち、ありがとう。帰宅して茗荷とか大葉の入った夏みたいなご飯を食べた。ホットアイマスクしてヘッドホンで耳覆って腕も脚も放り出してベッドに寝転がった。眠さをなんだか耐えて夜更かししてたが、電気消したら秒で眠った。怒り悲しみ焦り戸惑いの中にあるたまの幸福な日、それが今日だった。

2024/03/11

 西美での抗議。つかれた。ツイッターで議論が起きてるのをウォッチ。それもつかれる。が、ついつい見てしまう。こんな虐殺が起きている中でなぜこの抗議活動がアートかどうかとか新しいか古いかとかそんなしょうもないことを議論する人たちがいるのだろう。アーティストである市民有志による抗議活動だと言ってるだろ…作品を重要な活動だと位置付けてるのであれば、なぜその発表の機会を取り巻いているものを指して政治的な活動に「巻き込まれた」とか言えるのか(メッセージの強い作品作れというわけではないが、戦時下でアートやるって自覚してんのかな)まあもう仕方ない、大学生たちがちゃんとしてくれたらそれでいいや。抑圧を制作し続けないで。ていうかこの虐殺についてもっと広く問題にして。取り扱って。炎上でもなんでもいいからいろんな人の注目を集めてほしい。できることをできる範囲でやる、を少し乗り越えないといけない時はある。今は本当にその時だとおもう。 仕事のためにプロテストを16時に抜ける。美術館の門の前で、公園に住んでるおじさんと少し話した。彼は酔っており、なんで今日なんだよと言った。今日は3.11ですよね。そうだよ、それはもうどうでもいいってのかよ。そんなことないです。俺は東北からきた生き残りだよ、おまえの持ってるその「殺すな」は、「助けよう」じゃだめなのかよ。――と、トモトシとおっちゃんとした。その方向性のプラカードは考えてなかったな。その場で一緒に作ってもよかった。警察の人はそんなに嫌な感じの人でもなく、無理矢理止めるっていう感じでもなくて日本はもっと無理しても大丈夫なんだろうなとおもった。滝さんが「うらさんこんなにデモしちゃって大丈夫?(キャリア的に)」と言ってくれた。全然OK。むしろ自分の映えパフォーマンスの力量不足が申し訳ない。普通に知らん人とだらだら議論するとかはできる。パフォーマティブな時間の連続。警察の人と話すのも全然大丈夫だった。アーティストである市民有志と説明して企画者や中心人物はいない、誰に聞いても全員がそれぞれ違うことを自分の言葉で語ると警察のひとに話した。もっと個人で同じ場で、時間かけてパブリックに話していけるパートを持ってもいい。 自分がつけてたパッチを悠さん(革ジャンに穴あけていいよと言った)に託し、滝さんから預かったドローンの模型&百瀬さんから借りた「殺すな」のプラカをトモ

2024/03/10

maria yamamotoの「お散歩ハウス」最高すぎ。聴きながらずっとにっこりしてるしたまに爆笑する。 アーティストによるパレスチナの連帯アクションのためのミーティングに2つ参加した。りべかさんが、自分がやってる作品のことを「絵とかじゃなくて行動するみたいな感じのことを作品としてやってます」と言っててかっこいいなと思った。最近は付き合う友達も変化してる。大事なことをちゃんと話し合えないひとと過ごす時間は無駄、帰って本読みたい。大事なことを話すのなら友達とでなくても大丈夫。贈与の可能な関係をひらく。

2024/03/09

朝からミーティングのイベントがあり参加。他の人となんかするみたいなのが好きで自分の作品でもやってるけどなんでなんだろ、色んな人と話そうとするとその分やることが増えてそれがいいんだわ、みたいなことを自己紹介で口走ったけど、ほんとその通りだわ。喋り方にコンプレックスある。結構早口だけどアハハみたいなのとか変な冗談とか入れてヘラヘラしてしまったり、謙りながら偉そうだったり、なんかチューニングがいつもバカ。ほどよくいい感じで喋れるようになりたい。キャラクターのように一定の感じで話せるようになりたい。 商品化、アーカイブ、展示の可能な形態での作品制作にしばられなくてもいい。キュレーターがきっとどうにか展示を作るから、だから安心してもっと変なことして、うーちゃん…

2024/03/08

 死者が多すぎて街が壊れてて虐殺も災害も、気持ちがおさまらない。今日はいくつかのデモとマーチに参加しようとしてたけど、NASのプロテストだけで疲れて帰ってきてしまった。参加者のスピーチがよかった。歴史の尺度の中で、これまでをみても今後今のことを振り返ってみても、本当に酷い悪いことをしているのだと、それが今まさに刻まれているのだ、それについてどう考えているのかここへ出てきて説明しなさいというような感じのことだったと思う。そう会社の建物へ向かって話していた。中に座っているであろう人へ向けてする、その話し方がよかった。通りがかりのスーツのおじさんが遠くで振り返って聞いていた。UDトークの職人業を手伝った。UDトークすごい。沖さんのダチが開発したらしい。感謝。公共の場所を取り戻すようなアクションであるとか、UDトークもそうだが、そういう社会に必要な物事のつくりみ(「作る」の形容詞化)。贈与。 デモから帰ってきて、昨日作った大量の味噌汁をたいらげた。文を書きながら食べるのですぐ冷める。冷めてはチンする。全く落ち着かない。アマプラをサーチしながらそんな時にこそ見てみるのがいいのではと思い立って、目に止まった「ドラえもん宇宙小戦争2021」をみてみるも、最初の爆撃のシーンで一時停止した。最近爆発と人が光に溶けていく描写が怖い時がある。スネ夫………。 自分の混乱に、他人を巻き込んでる気がする。頭の中のキャッシュを吐き出さないと。それが乱気流のような感じの時がある。脳が無駄に熱いような。パレスチナ連帯について、もう「まずは」みたいな態度を取るような状況じゃない。会社に対して圧力をかけて状況を変えていくこと/より多くの人が考えたり話したりするようになるための場を設けること/情報を仕入れてくる人/整理して広報係として伝える人など色々分業というか同時に動けたらいいんだけど。明日こそは大根と手羽元を煮よう。

2024/03/06

スピーカーのbluetoothを繋ぎなおした。私の持ってるちっちゃいスピーカーは音を大きくしないと全部の音が聴こえない。ストーブは寒がってあたったままの場所に。微妙に邪魔。食器も洗わずに重ねる。雨で洗濯を放棄してる。いいかげんにしないとな。明日こそやろう。昨日すごく寒かった。今日も何にも手につかない。なにかできごとに対して、3日くらいの間のこととして考えるのがいい気がする。前日当日翌日、でワンセット。今日は3日前の3日後。明日はその翌日。そうしてるうちに一週間が経つ。 朝、神さんの石拾いについてのテキストを読む。布びっちり石の制作、悩んでる。こんなことしていいのだろうか。捨てられたらどうしようとか心配なんだ。やっぱもっと高く売った方がいいかもしれない。1万とか。10万とか。雑貨のままでいくなら、好きな石のレプリカを作って、それをびっちりするようにしようかなあ。布びっちり石のおばけ。 昼。奥君とアクションのアイデアについて相談した。声が疲れてるように思った。雨の中ジェノサイド清人(このネーミング最高)の抗議に参加してたのだからそれは消耗しているだろうけども…奥君がインスタにあげてた抗議活動のある街のスナップ、すごく素晴らしいなと思った。 夜。阪中君へ仕事の詳細を少し話す。打ち合わせを重ねると自分の来週の行動が明確になる。それが続いて、振り返ると1ヶ月が作られている。もうずいぶん長いこと小山君に会っていないなあ。そのことだって、私にとってはずっと気にかかっている。

2024/03/05

感覚がひらけたような不思議な感じ。そして少しだけ寝る。陽の光の差し込んだ明るさを感じて起きる。眠りが浅いためにここのところ記憶が夜から引き続いて始まる。よって日記も夜から始まる。 何かを深く愛するということ。資本主義経済は人がなにか特定のものに過大な愛を注ぐことを禁じ、次から次へ異なるものへ興味が移るように設計される。立ち止まり、考え、こだわりを持つこと。愛することそれ自体の反資本主義性(生活がクレカに支配されていようとも)。ただ資本主義をボイコットするとかではなくもうひとつ軸を作る。ふたつの軸からなる楕円のような世界。 美学校の講座「アートに何ができるのか」に参加したことをきっかけに、資本主義経済と贈与についてをキーにして、いろいろ勉強する一年間を過ごしている。もう3月になってしまった。はやい。 「色んな(社会的な)問題」に次から次へ関心を持つことを強制させていくことは(ツイッターは社会的イシューを消費対象物化した。ゆるせん)本当に重要な問題を見えなくさせる何か陰謀のようなものを感じる。愛を注ぐこと。私はよいマルチタスクをしたい。序列なく。たくさんの問題は、私の元でマッシュアップされる。それぞれは個別でありながら、同じ世界にあって、それでその世界を存在させる理由として、私の感性へかえる。聞いてもよくわからないような大きな音。聞くということの態度を変えていくこと。 なくなってはいけないものをそのまま作品にする。 あるいは覚えておく。わたしができる、世界への贈与だ。贈与のことを学んで本当によかった。 天皇のいない日本は、どのような国だろうか(ほんと早くなくなれ)とかみたいな問いを(まあそういう社会的な問題に根差したものでなくてもいいのだけど)世界の中に立てる。これも贈与。世界がベースになる。好きでやってるっていうか、そうでないと生きていけないっていうか。そういう人がいるということを記録し証明するもの(絵の内容の「クオリティ」みたいなのは問われない)。そういうもの全てをアートとよぶ。としてみる。 白川さんが美学校の授業にゲストで来てくれていろいろ聞くなかで、作品を何個も作るということはそのたびに世界を作り直すことだとはっきりと言っていて、まじで尊敬した。たとえば何度も同じ名前の展覧会を続けることは、その度に世界を作り直すことだ。それは過去の否定ということではなく。異なる

2024/03/03

昼にプレゼンをし、質疑応答で出た参加と命(死者の存在)の関連性についての質問に答える場面で、感情そのものになっちゃって心が顔に飛び出た。ひとりひとりの死。広範的な死。悲しいけどわたしが悲しいんじゃない。わたしも悲しい。広範的な悲しさ。わたしが怒ってるんじゃない。わたしも怒ってる。広範的な怒り。形容詞が反響してわたしがわたしの範囲を超える。  全部の会話が大切だ。録音機材がほしい。妹とも話した。「すごいじゃん」は便利な言葉だという。ドン引きしたときも病めるときも健やかなるときも使えるって。すごいじゃ〜ん。すっごいじゃんね〜。

2024/03/02

昼まで寝たり起きたり。煙草を吸ったら咳がでて、お湯を飲んだら治った。朝からずっとお腹が空いてたけど結局ちゃんとご飯を食べたのは17:00になった。そのあともなんだかお腹が空かなくて夜ご飯を食べなかった。シネードと会って一緒にパレスチナのプロテストに参加した。デモってなんか気持ちいい。道の使い方としてまじで正しい。シネードと話してると積極的に英語のギャグを思いつき次第言えるから楽しい。シネード大好き。 *** 所有者の管理なく、物が移動し続けるシェアリングってなにがあったっけ? 車が運転できたら行きたいところはたくさんある(そういえばドライブマイカーが観たいんだった)。散歩が好きだからドライブも好きになれると思うの。不意に思い出したことなんだけど、卒制のアイデアの先頭にあったのは、みんなで楽しく話しているけど頭の中ではひとりぼっちの景色を思い浮かべている様子だった。それが起きてる状態を作りたかった。なんかボヤッとした写真に映らない鑑賞のできない詩として参加型の作品を位置付けていた。詩って便利ワードにしちゃいけないよね、だけど詩としか言いようがない。高速道路の渋滞でずっとこの車の中にいないといけないのってほとんど遭難だっておもってた。車が運転できたら、作品を作る身体のボキャブラリーがひとつ増える(たとえば怪我をしたら減るのかといえばそうでなく、その身体でのボキャブラリーが作られるというだけ。身体は面白い。身体は手続きを実行する。理念が先立つようなものよりも急にそこにあることができるみたいな方が好ましいことばかりだ、ねんど大好き)。 小さな電気だけつけてるようなさびしさ、と思いつけて今日は満足。 寝ちゃお寝ちゃお

2024/03/01

なぜデモに行くのか話、自分の意見を道路で声に出すのがただ気持ちいいというだけかも。言いたいこと言える親密さを公共空間と結び直すことができる。激しくシャウトして怒ったってokだし。叫びには寄り添う。無知すぎて寄り添いがうまくいかないこともある。まあ日々積み重ね。。わたしもパレスチナのバッヂを何かつけてみようかな。 今日はなんだか存在が全面的に肯定された感じがして、あまり見えないようにしているクレイジーさに光をあてても全然okなのかもしれないという気が起きた。だから楽しいんじゃないか。そのようないたずら心が発生した。光当たってない自分のいろんなところ。

2024/02/29

「 国境の中の人々を尊重しない入植植民地国家で、抑圧の中で育つということがどんなものか、アメリカで育った黒人の私はよく知っている。」今朝見た動画。 わたしが灰色の海しか知らないのは悲しいことなのだろうか。それとも海が灰色であることが悲しいのか。観光で行った沖縄の海。 誰かに何か意見する時、いつも原稿を書き言う前に40回くらい読み直し、言った後に60回くらい読み直す。小さなことでもそうしてる。読むことで文の確信が強まる感じ。

2024/02/27

緩和ケアのドクターの話を聞いた。そうなんですか、なんでそう思うんだろうね、というふうに患者さんの話を聞くということを言っていた。入院患者を診療しに行く方が合う先生もいれば、お家へ訪問する方が合う先生もいるそう。お家は情報に満ちているのでケアのルールが変わる感覚があると言ってたのが印象深かった。病院に来てもらう方がその先生はいいそう。ホスピスにいそうな患者を求めるという問題があるとも言っていた。美術館に来てもらう。平均的な鑑賞者をやはり求めてしまう問題はある。はみだすものなのだけど。参加型の作品、対話を含む作品。パフォーマンスが出てゆく。建物を作り替える。(同じ話ではないにしても、似た悩みがあるとおもった)。死の瞬間がそのひとの本質でないにしても。生をどう考えることができるのか。日にちが続くということ…続かないということがネガティヴだというのは、違うとも思うし、そうだとも思う。この重ね合わせの状態。パレスチナのひとたち。弔うってどうしたらいいのか。なんでも、生きてる人のためにやるものだという感じはしないのだけど。展覧会。

2024/02/18

 デモに行ったらみりちゃんとかつなっちとかに会えた。遠くにすみれさんもいた。銀色に光るプラカを持っていった。症状経過5日目で体調もよいので来てみたが、来てよかった。もっと街へ出よう。散歩とかでもなく、ただぶらぶらとリサーチしよう。座ったり立ったり、目立ったりしよう。働いてばかりいたらだめだ、あと店に入ったりそういうのばかりじゃだめだ。もっと直接的なアウトプットをしないと。 展覧会に向けたプロジェクトの構成を前後半に分けて、より多くの人の実践が残る感じに作れるかな、でもそろそろタイムアップ。東京駅のあたりに、どうやって立てるだろうか座れるだろうか。 畑のような食堂のような学校のような場所として、アートセンターを使うという比喩で何ができるんだろう。意味あるか無いか?

2024/01/26-2024/01/31

 展覧会の打ち合わせ。今日に向けて映像編集を少ししてきた。小山君の華麗なカメラワーク。ありがたい。アーティストとしての自分の姿は、起伏なくだらっとしていて平凡な気が利く感じかと思っていたが、全くそんなことはないな。思ったよりもふんわりとした泡のように穴だらけで魅力があるし、出来事を引き起こしていくような吸引力があり、なかなか見どころがある存在感を映像の中にいる自分に感じる。 *** 田舎と言われるところに住むと、商業的な規模の小ささが目についてなんか足りないというような寂しい感じがするけど、厳しい気候や地形の影響が大きいところに住むとその圧迫感がすごいのだなあと札幌と小樽の間にある丁寧というところの道を雪の壁に阻まれながら歩いて考えていた。雪を避けるためなのか北海道の道路はばかでかく、つるつるすべるのもあって信号のない道を横断するのはかなり怖い。そのような運命共同体をつくる(真っ直ぐに体の危機を感じる)。有を重ねていくしかない厳しいところに住んでみたい。過疎とか問題になるのは何故なんだろうか。活気というのを別の独自な評価基準で測るなら、何がいいんだろ。 北海道の滞在は3泊4日、移動→観光→イベント仕事→帰 *** 一年間の実績をカウントする仕事に取り掛かり、関係をどれだけ作ったかとか、出入りの人数とかを見る。独自指標についての行政の人たちとのやりとりが面白い。

2024/01/19-01/25

 展覧会の打ち合わせ。物の大きさとか配置とかくらいの話なら英語で行けるかもと思いつつ脳のキャパを集中させるために日本語で推し進めた。それでいいのだろうか。わからない。 *** 某所にて自分と自分の性がなんだかうっすらばかにされる事案発生。男1が男2と私との間に挟まれて可哀想。軽口と下ネタで小さくパチパチしばきあって信頼関係を確かめる。そこにわたしの身体が卑しいギャグとして織り込まれる。わたしが女だってことをこの人は知っていたのかと思ってがっかりする感覚、だれがわかってくれるだろう。。 *** ジャンヌがここ最近のホット。申し訳ないが稚空アンチである。都と水無月君の守護聖人カップルはすごく好きだ。稚空はキャラとして嫌だけどまろんが自分自身を愛していく過程の当て馬みたいなところもある。花男における道明寺とかもだけど、入りが最低な男が恋によって許されてくのって本当に嫌。 社会的イシューがアプデ(2024/01現在)された神作品スキップとローファーは4周目。毎日漫画ばっか読んでいる。「そんなことも察せられないで よく劇作家とか言えましたね」という激強台詞に震える。いやなこと言う高校生だな… *** 仙台へはじめて行った。アーティストインレジデンスの勉強会。喫煙所で原理的AIR(アーティストのための)/プロレタリアAIR(地域のための)という話題になる。そのいい妥協点(というと消極的なようだが)を双方向的に見つけるためのコーディネートができたらいいよねとおもった。アーティストとして思うのはプロレタリア的でよい、ということであり、しかしコーディネーターとしておもうのは何より良いクリエーションが起きることを優先したい、ということだ。それらは別々の方を向いてるわけではないが、成果を先取りしようとすると途端に別れてしまう。(サクッとググってシルエットだけ美しく文脈を結ぶような悪しきリサーチの技術はAIRを含む助成金申請の勃興によって強化された。行政の監視の元での制作と、それがキャリアに直結してしまう世界観で。審査員への説明が先立つ企画書操作がいかに上手くても、本来ならばそれは重視されないはず…)話がそれた…。成果を先取りせずにしかしまっとうなクリエーションと地域とを並置しようというバランスゲームを楽しくやるためにキュレーターという職能が必要になる。AIRにおいて成果展の展覧会構成を行

2024/01/16

 萌え滾ることでセロトニンを作って幸せに生きていく女たち。植物が光合成するみたいにみずみずしいエナジーが閉じた身体の中で増える。一人きりの家の中で美しいことが起きて、そこには恋もある。光るガラスのビーズがざらざらと溢れる。小さい玉と雫が言葉の端から端へ転がり、ふちで一度留まってから遥か下まで真っ直ぐに落ちる。 歌いながら自転車漕ぐのが楽しいので家に着くまでの時間をゆっくりにする。自転車はいつも家の中に上げていたんだけど持ち上げる時にチェーンの油で服やカバンを汚してしまうので駐輪場を使うことにした。なにが影響してるのかわからない、けれどすごい不安がある。自転車が盗まれていたらどうしようというのもあるけどその分以上に不安だ。冷蔵庫に抱きついて移動させてみた。前に友達が子どもが動画を30分もみるとテンション上がりすぎる時があるといってiPhoneで画像をスライドのように見せていたのにびっくりしたことがある。わたしもその子みたいなところがあるかもしれない(無いかもしれない)。誰か教えて欲しい、座ってばかりだと気分が落ち込みやすいんじゃないの、とか。何にでも因果があるわけではない(あるかもしれない)。あったとして原因のほうを追求するのがいいのか、結果の方を変化させるのがいいのか。状況というのを、多くの人が難なく時間と環境に人間が入り込んでいるその全体的な関係を指すこととして受け取ることができる。受け取れすぎなのではないか?冷蔵庫に抱きついている状況。当事者たる私は受け取りきれないのだけど。

2024/01/14

 時間を正しく圧縮する技術が必要だ。編集ということかもしれない。ディレクションは鑑賞のためにある。日記本の編集を始めたものの、2021年4月からあるので困った。文の書き方がなんか気持ち悪いし、どうしよう…時間が経つとできなくなることも多いな。ブログに検索窓をつけたので例えば「ワークショップ」とか入れるとこのブログの中でワークショップという文字列を含んだ日記を表示することができる。 宇陀市のイケモト先生の話を聞く会に参加した。こんな先生に子供の頃出会っていたらと魂が癒される。 さいきんはよく子どもの頃を思い出す。りーちゃんとのバイオハザードごっこ、大城さんとのPCゲーム、わかなちゃんとのRPGツクール。間違えちゃったなあと思ったのはクラスの女の子みんなでやってたドラマの再現ごっこを放課後にもやりたくて演劇部を作ったら先生がガチの人で、みんなごめんと思いつつその先生も豊かな人ですごい好きだったので小説を書いて個人的に見せたりしてたらなんかほとんど誰もあまりやりたくないのにガチな感じになってしまって、稽古とか始まったりして、あれはまじで本当に最悪だったな。誰も覚えてないのだろうけど、わたしはあそこでいったんグレたのだと思う。誰も待ってくれなかったし、疑ってくれなかった(作り出すことを続けるはつらつとした子どもでもあったのだ)。やること全部を肯定され採用されて、友達との関係とか考えたりするバランスとる時間を少しももらえなかった(今思えば、あらかじめ友だちとの共作にすればよかったのだ。演劇をどこから始めるかという問いがすでにそこで立ち上がりかけていたのだけど、複数人のやる気とやる気のなさと複雑な関係性に揉まれる中に話す時間を持つというアイデアも無く、結果的に教本にある子ども演劇の台本の複写をくばられることとなった)。子ども一人一人として、先生はそれぞれを信頼してくれていたように思うけど、その集団としての側面をもつわたしたち同士のバランスは、先生の出る幕はひとつもなく、本当に自分たちでやるしかないということをほんとうの意味で理解してはいなかったとおもう。そういうなんとも言えない悔しさとか、過去のこととして整理された幼い自分の思いが、現在のワークショップ実践のための相談会という側面以上に内的に思い出されたのだ。 「美術の成績ずっと2だったから」と自虐する大人のワークショップ参加者

2024/01/12

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 いけがみちゃん、齋藤君と柴又を散歩。舟に乗りたかったんだけど休みだった。非常に残念だった。書いてたらまた舟に乗りたくなってきた。願いが叶わなかった残念な気持ちを埋めるべく、この間素晴らしかった水元公園へ二人を連れて行った。思ったよりも遠く、齋藤君は休みたがっているようだったし池上ちゃんもそれを気遣っていたのだが、暗くなると寒くて鳥とかも見えなくなって最終的にかなり辛い気持ちになるので早めに歩いてもらった。あまり自分以外の人をそういうふうに無理させることってしないけど、何か確信がある時は(制作追い込みの時とか)無理を押す。無理じゃなく、ただらだらする余白を切るだけとも言えるかも。あまり寄り道せずに動く…  日記本の話をした。私小説と日記は近しいけれど、実際のことを煙に巻く術が異なるのかもしれない。私小説は、おそらく日記の極大した姿を書けるのだろうと思うのは、それが物語だからだろうか。友達と無言で散歩する漫画を描いてみたい(はやく下校する小学生の漫画を完成させたい)。 ドラマのように自分が話したり振り向いたりする動きのひとつひとつに編集や構成が乗り移ってカメラを持った人から振り向かれるように喋るように感じる。シーンとして、場所と状況を言葉や挙動でなぞるというか。子どもの頃はずっとごっこ遊びを連続させていた気がする。 カラオケに行って、木村カエラをたくさん歌った。木村カエラはただの読者モデルと思われているけどいい曲が多い。みんなもっと知ってほしい。二人が帰ってからもひとりで朝まで歌い続けた。

2024/01/11

 近所に自転車が何台も朽ちてほっとかれている柵のない庭がある。猫の溜まり場らしい。トランプの裏面についてるみたいな柄の雨戸をしまうところがついてる

2024/01/09

 おやまちゃん、ゆにちゃん、内田さん、齋藤君がくれたお茶を飲む。黒豆茶、ルイボスティー、ミントティー、カモミールティー。早めに起きることができたので午前中に掃除機をかけた。 今日はパラダイスエアの仕事初め。いつもみんながくれるお菓子をもらってばかりなのでそのうち私も何か買っていきたいものだけど、遠出するといつも終電におわれたりトラブルにあったりしてお土産どころでない。4月に広島に行く時には買って行こう、作品がうまくいけば…。ミヤウチでのグループ展でやる作品はおしゃべりのトピックスが集団的に動いてゆく過程をそのまま詩のようなクイズのような作品を作ろう。2020年にワタリウムでやった紙粘土での記録をするパフォーマンスと、2023年のマルチタスクの個展の二つの要素の混じったもの。グループ展だと成果物を作りやすくていいね。個展は好き放題まだまだ意味わかんないことを試すことができる実験の場として使える。どちらかだけでもよくないし。作品の形ってなんなんだろうとはいつも思う。 セブンイレブンの4本入りのチーカマはめちゃ美味しいんだけど3本目を食べるころにはなぜか老後の心配をするみたいにつまらない気持ちになる。

2024/01/08

 昨日の夜中に叩いたメールを読み返したらめちゃくちゃな誤字で申し訳なかったが、まあ大体で伝わってりゃいいよね。エアコンから赤っぽい蚊に似た虫がふらふらと降ってきて、ティッシュでつまみながら夏になってもここで一人で暮らすのかと想像したらと気が遠くなった。一日一日は目まぐるしくて何も追いつかないくらいさっさとすぎてゆくのに、未来を思うと果てしなく遠い感じがする。明日だって、しないといけないことで満たされているのだがそれがなんなのか具体的に挙げることができず、雑務に手間取り足踏みするばかりで肝心なことは何一つ進まない。ビジネス書とかまた読んでみようか。10月くらいまではよくプレジデントの記事とか疑いながら読んでいたのだけど。夜の横にもう夜が並んでいる。今週はもうできればあまり出かけたくないなぁ。出かける準備と電車の中で過ごす時間に私の人生がガンガン注がれてゆく。生きるっていうか過ごすって感じだ。ベトナムで作った犬の作品のモニターのインスタレーションはすごく気に入っている。画面が行き止まりみたいにならないことが大事で、映像の中で時間と風景が犬の欲求の流れとともに過ぎていくことに驚く(他にも見所はたくさんある)。六本木での地下の展示は失敗しちゃったな。作品の意味とか示すこととかがひとつじゃないのは当たり前のことだ、これもおもしろいしここもいいところだけどどう思いますか?という謎多き話題としての作品、というか。2019年にベトナムで制作した2つの作品はいずれも評価が高い。不思議。お願いだから何事もうまく行って欲しい。今日はずっと何かに焦っている。なんだっけ、忘れてしまった。地元でひいたおみくじは吉で、昨日は凶をひいた。

2024/01/07

小山君と阪中家と深大寺へ行った!子どもたちすごいな。草太がいい双眼鏡を持っていたので羨ましくなった。ノートと鉛筆をいつでも持っていたり、作品の缶バッチを持ってきていたりした。普通に完敗。アーティストの鏡じゃん。缶バッチを売ってもらうことで、金数えデビューに立ち会った。あー、フリマやりたいね。いろいろと思いつきはするんだけど、なんか腰が重い。5月までは新しいこと何もしない、したくなるけど、捨てることも覚えよう。アイデアだけを書き留めておくノートを新たに作るべきか否か。日記の他の別の固定のノート。 ボルヘスの「詩という仕事について」を読んでいたら私自身が自分のやってることの幻想的な側面に対してあまりにも無関心であることに気づいた。飛躍やクリエイティビティを支えている幻のような部分についてもっと理解をしたい。急激に飛び上がることは前よりも難しい。

2023/12/31-2024/01/06

振り返って書く。。年始は人と話しすぎててほぼ日報。 31-1 小山君と共に伊勢丹でそこそこ高くて美味しいものを爆買いしてみた。なのに途中でお腹が減ってロッテリアに行った。本棚を作り、スイカゲームをやって高いかき揚げなどを食べた。 1-2 実家へ行った。一度も誰とも喧嘩しないで済んだのは奇跡。地震と飛行機の事故で喧嘩どころではなかったというのもたしかではある。ばーちゃんちでみんなで過ごした。怖い時どうしたらいいんだろう。ストレスに弱いのか、すぐパニックになって情報を入れないと気が済まなくなって、テレビを見ながらツイッターとニュースをずっと見た。地震が起きる前は、ばーちゃんや母たちの若い頃のアルバムを眺めて過ごした。ばーちゃんの時代の写真はスナップ的な写真と言えばいいのか、そういうものは無く、みんなこちらを向いて決めポーズをしていた。そういう写真ってすごく好きだな。 2-3 自宅に帰ろうとして、まなと一緒に小田急線になっていたら停電か何かで帰れなくなってしまった。小山君不在の小山ハウスを借りて泊まった。3日はなぜかそのままうちにまなが来て、ご飯作ったりゲームしたりおしゃべりして、またうちに泊まった。 3-4 昼ごろ起きて少し作業し、昨日の残りのポトフにパンを浸して食べた。うまい。使っていない野菜がたくさん残っている。夜はSOUDANのミーティング。仕事初めになった。無理せずなんかする。みんなに相談したいことを話しそびれたけど、まあ複雑だしうまく話すための準備をしたわけでもないのでまた今度でいいか。家に帰って、ドラマ「ブラッシュアップライフ」を見始める。かなり面白い。 5 内田さんが誘ってくれて、遠藤さんのおうちへ遊びに行った。変わった形の建物だった。人の家に行くのは楽しい。味方する方法、態度について考える。探偵みたいになる必要はなく、ただ幸せを願えるかどうかだな。 ブラッシュアップライフ本当に面白い。くどいセリフを役者がいいかんじに解釈入れてて素晴らしい。日中の情報交換で持ち帰った怒り、やるせなさ、妙な葛藤と共にこのドラマを見ていると、周りの信頼できるひと握りの友達をまじで大事にしよう、という思いにバフがかかった。変な人もそうそういないだろうとおもっていたけれども、みんなかなり怖い。性格悪い人いっぱいいるようだった。他者の実感をどの程度間に受けるべきか。 6 おやまちゃ

2023/12/31

 風が強い日は家全体がオーボエのような音で鳴るのでなかなか眠れない。

2023/12/30

 さくらちゃん&まこっちゃん&こまちハウスへ。恒例となりそうな年末料理バトル。桃鉄。こまちはもちふわさらさらで、優しくて、影のように静かな猫だった。ギリ帰れる時間まで桃鉄やり、少しタクシーに乗った。急行周遊カード。