2023/12/20

 慶應のアーカイブの研究イベントに参加した。

メモ

市川團十郎、相撲の行司の襲名、二十年に一度伊勢神宮式年遷宮(次は2037年)、日光東照宮 三猿 「定期的に描き換えていること自体が表現されることが重要=差異の程度が発生する」、バッファゾーンの構造(二重の領域)、オーセンティック(ヨーロッパ的)な考え方では石づくりであれば過去の部材から変化がない、部材が木材で入れ替わり式であることが前提となる様式は無形となる。

古いものをありがたがる←新しい価値観、新しいものこそが最上、という世界であった

メディア(本)とシグナル(内容)。

復元、再現。基本的に、再解釈はタブー。だが、再解釈のたびに、作者が多重になってゆく。

音楽の、再現性、当時の楽器で演奏する云々のナレッジを活かせないものか。だが美術にも歴史はある(日本画、油絵、彫刻の修復理念が違う)。日本画の修復はレタッチではない。ナムジュンパイク修復問題と同じ、穴あきの美学?が適用されている。

鑑賞体験に近いものを手掛かりとして、作品と共に保存しようという動き。(ここにわたしの2021年個展の研究成果?が使えるような気がする。ライブ問題、コンディション問題。)。「私たちが異なるということを面白く感じられる装置」という手がかり?思いついた。2017年国立国際美術館に、「ライフスパン」第三者が行うパフォーマンスの作品が収蔵された。パフォーマーに教育するディレクターもアーティスト自身ではない。

茶器、庭などの視覚だけで感じられない作品(これも無形といえるか?)をどのようにパブリックに公開するか。

書道→運動がそのまま保存されているメディア

映像、写真は残すためのメディア

ミュージアム、分有する(共同保管する)。ミッキーマウスの登場ルールと同様にして、唯一性を担保する。

他人の鑑賞体験、ネタバレはノイズか?経験の潔癖症。

同一性どうするか?無限にフレームは広がる。


紹介だけじゃなくて研究成果の発表会や学会みたいなのにも参加してみたい。足並みの問題を飛ばして、もう少しレベル高くても大丈夫そうだと感じた。そういうことは結構あるんじゃないか。