2026年7月
7月3日(金)
10年使い続けてるG8、まだまだ活躍しそうで嬉しい。ボケの強いレンズ持ってくればよかったな。軽いのでつい薄いレンズつけてきてしまう。
ばーちゃんちの近くで仕事があったので、仕事の帰りにばーちゃんと散歩するチャンスがあった。
7月4日(土)
嫌なことに嫌ということと、献身的になることを交換にすることが、寛容さだと思ったこともあったが、全然違うな。その人と関わっていることの一番甘美な部分が自分にだけ向けられて返ってくる感じ。本人が得るべき成功体験が転移して付き添った人の評価になる。他人のやりたいことに自分の時間とかをフルベッドするの嫌じゃなかったけど、自己評価に他人の成長みたいなものが軸の方にまで入りこむことは病だと思う。そことどう別れることができるか。親切でも熱心でもなく、面白いからやってきたことが、親切や熱心として受け取られてきたことの違和感。
7月7日(火)
やっと(ほんと今更)わかってきたことだが、興味があっても自分にはできないことを、やろうとしてはいけない。やってもいいけど、なんかやろうと息巻いてはいけない。学びたいというのは自分で話すためではなく、聴けるようになりたいからだ。分かりたいというか、どれだけ知らないか。めちゃ減速させることは大事だなぁとすごく思った。ただ「関係があると思う」のはどういうことなんだろう。
「これはできないなあ」と判断してそこから作り直す時、そのできないところが核になる。そういうふうに考えることが好きだし、得意だとおもう。
ピアノで「熊蜂の飛行」という曲を連弾で弾きまくっているひとの動画がリールで流れてきた。高1か高2のころまで結局ピアノを習っていたけど、譜読みから難しすぎて、その頃には美術予備校にも通っていたし、部活もやっていた。大学で美術やるって決めてたから、音楽はこれ以上続けてもなと譜読みのめんどくささに見切りつけてしまって、そのまま教室は辞めてしまった。今思えば、そのことを先生に伝えて、緩やかに続けられる方針に切り替えるのもありだったのかも。高校生の頃、極めるか辞めるかみたいな選択しかなかったな。行ける大学はひとつ、みたいにリニアなイメージしかなかった。行為と時間が一つに束ねてあった。実は当然のようにいくつも並行していたのに(同時には無理でも)。結果を出すには一つに絞るということだったのだけど、頭が固かったな。子どもの頃の方が、頭が固いということもある。徒歩2分の公民館のピアノをホールごとレンタルしてたまに弾きに行くこともできそう。
7月8日(水)
ゆうてぃの投稿見て、こういう性格の人のこと、いい感じになったりするけど付き合うまでは行かないよなとおもったりした。なんかいつも一生懸命で、嘘がつけなくて、そんなところが好きだし、苦手でもあるなあと思ったりする。
7月10日(金)
7月26日(日)
生理のことで嘆こうとすると、インナーアンフェが二十何年も生理やってるくせに狼狽えてて草wwみんなそれなりに上手く折り合いつけてやってるんだから黙っとれwwwと言ってくる。
不快感と不安で細切れにしか眠れず、汚した布を洗っては干す自分のままならなさに付き合いながら、子どもの世話までしている友達のことを考えるとすごすぎて、私は自分のこともこんなにままならないと情けなくなって、つらくて泣けてくる。泣けてはくるが、こうして友達のことを考えるのは私の生理ライフハックであり、そうしなければ、私は視野と輪郭が溶けてすべてのことが憎くなってしまう。心の中に友達が現れると、勇気が出てくるし、そこは安全な領域となる。この怒りも安心も、バーチャルな空間での無人称的なできごとだ。
現実には、誰とも会わずに休んでいたいのに今日に限ってオープニングパーティーだし、しかも少し遅刻している。もうだめです。それはどうにもなりません。