3月1日から3月31日
3月1日
こどもアトリエ。子どもが作るものは全部いいなと思える。通ってもらわんでもつくっているのに、何か提供できてるんだろうか。とか無用かもしれない悩みに苛まれたりもする。今日はMちゃんがこころオープンな日だった。Mちゃんは、自分のために何かするのがあまり得意でないのかもしれない。作りたいけど欲しいわけじゃない。なるほど。彼女は赤ちゃんがいるとじっと見つめる。この優しい目よ。Mちゃんが、指で編んだストールをIちゃん、Aちゃんにあげる。AちゃんがMちゃんに、これくれてありがとうと言う。
なにやってんのと聞かないで、一緒に作っている方がいいよな。わたしも何やってんのと聞かれると大人だけど(大人だからこそ、?)げんなりする。「なんだと思う?むしろ教えてください。」そういう感じ。
カメラのレンズを買った。膨大すぎて選べないので、マイクロフォーサーズの狭い選択肢がむしろよい。ビデオ用のレンズと、マクロレンズ、2つも買ってしまって、焦りがみえる。マクロレンズでみる世界はとてもエロくていい。
3月4日
飴屋法水さんとか吉増剛造さんとか、石川真生さんとか石内都さんとか山川冬樹さん、、の、講座があったらいいのにな、美学校で。いつか提案しよう。そういう後回しは大体忘れてしまうが、それならばそれでもいい。とにかく、今日不意にそう思った。だけれど、吉増剛造さんは、他の方だって、いつまでも生きていそうでいて、しかし、たぶん生き物でもある。
きょうはPARADISE AIRの日。パラダイスの仕事は目の洗い櫛でカールした髪を少しずつ梳かす的なところがある。遅くまでかかって腹ペコになった。帰り、雪の中チャリに乗りながらこどもアトリエのミーティングに参加。おでこが冷えすぎてやばい。
寝る前インスタの投稿を眺めていると、梅津さんの投稿がめにとまった。彼の文は結構読んでるけどことごとく好かない(そのつもりで書いているのを織り込んでなお有り余るうざさ)。うぜーという感覚を言葉ごとセルフミュートというか、ほぼ切っていたが、不意に情報が入ってきて、じんわり通電再開。ったくよぉ。なんだかなぁ。寝る。
3月5日
自分の作品の研究会に、ありえん大遅刻をかます。楽しみだけど自信が出なくてできれば行きたくないという気持ちがある。ふだん、ただの怠惰で遅刻することは多いのだが、本当に大事な時に限って朝早いわけでもないのに起きれないということが何度もある。病気かなあ?プレッシャーに強いと思っていたが、そうではないのかもしれない。
ほんとうにつかれた。脳が焼き切れてしまって大事なことを、思い出すことはできるけど言葉に起こすパワーがない。記憶って不思議なものだ。とりあえずやったことを書く。いろんなパフォーマンスや映像作品やインタビューを保存したYouTubeのオリジナルプレイリスト「アートん」(デザインあ、でなく)をみんなに見せる。パフォーマンスの練習をする。絵しりとりみたいなのを身体でする。
そしてそのあと野瀬さんと残務処理。宮田さんがカーテンを可愛くしてくれることになってうれしい。どんぶらこっこと桃色の展覧会が近づいてくる。
二木さんがsacaiのシャツワンピを買ったらしい。高い買い物する時は頭の中で浮いた金を作るよなという話をしていた。頑張った代、とか、これ買わないと頑張れない、とかもある。二木さんは京都は一緒にリサーチトリップ行った時に資料(というか趣味というか)を爆買いしていた。私も何か買いたい。
3月6日
言いたいこと言うのはむずいな。身近な人が実は靖国神社界隈の人だということが会話の中で明らかになり、どう反応するか迷ってとりあえず「珍し!」と言った。間違えたかもしれない。喧嘩にはならなかったからよかった。個人レベルで仲良くやれるならいいし。右翼思想のアーティストだって、そりゃいるよね。でもこんな近くにいると思わなかった。イデオロギーは実際の行動とどの程度関係あるのだろう?家父長制超支持しながらフェミニズムの話するって可能なのか?ノンポリと右翼、どっちがマシ?いろいろとぐるぐるする。
昨日みたブルース・ナウマン「No No New Museum」のソリッドさをそのまま受け継いで(眞島竜男さんの「踊ります」も少し入っているかも)BankARTの展覧会でやるパフォーマンスを考えついた。やればいいだけのシンプルなパフォーマンスははじめてだ。うれしい。ただヤダヤダをするというだけ。BUGの展示とは関係ない作品の方ばかりできあがる。得てしてそういうものかもしれない。搬入日まであと17日。
3月7日
動けなくなってずっと床で腹筋しながらメール返したり請求書つくったりして、テレビではドクターストーンをつけている。明日のこどもワークショップイベントが朝早い。先日の大遅刻が心に刺さっていて、ずうっと緊張してしまう。
3月8日
南君の外イベ完了。午前に完了、気持ちいい。こどもアトリエやってるおかげでこどもとの話し方がわかるようになっている気がする。最近思うのは、子どもになんか自主的な活動を促すにはなにかすぐ壊せる型を与えるのがいいのではないかということ。手本では無く。なんと言えばいいのか。自分が大人やるのを恐れないというか。なんかもうちょい難しくてもいんじゃないとか、そういう批評を臆せず子供に言うこと。レベルアップとかそういう語彙で。
敷地さんの展示をTOKASへ見に行った。私の作品にも他人の身体を着て転ぶというタイトルの作品があり、それをやると筋肉痛として他人の身体が身体の内側に入ってくる。パフォーマンスの話を敷地さんとしてみたい(リサーチを手伝ったけど自分の話しそびれたので、またいつか)。そのメッセージを即送った。
帰りは雪が降っていた。傘を買うかタクシーに乗るか迷って、タクシーに乗った。
3月9日
疲れ果てて動けず。動かず。ピンクの布がなんか違うので、もういっこ買う。スーパーで調理済みの魚を買う。「ドクターストーン」をひとさらいしたのでこんどはHey!Say!JUMPの動画を見続けている。「忍たま乱太郎」をみていたら薮君のことを思い出して、その流れで。ジャニーズはステージの外の飾らなさが異常に出てしまうようにされているし、幼少期からの記録が残っている。当時小学生の自分が3つだか4つだか年上のカリスマみたいな子どもを好きだった思い出のまま、今、昔の映像を見るというのは、それも加担になるのかと思う。インライのアーカイブで、そうした古参のファンから子どもの頃の歌歌って、とのコメントに、「小学生の頃なんでねw」と返しているのを見て、ああ本当にごめんなさいとおもった。おばさんたちがキャーキャーやっているのは怖いなとおばさんになりつつある中で私もおもうのだけど、小学生とか中学生がおばさんからキャーキャーやられるのは、写真を買われたりするのは、性被害的なトラウマのうちに入らないのだろうか?小中学生を踊らせて写真を売ったりするのは異常な商売だし無くなって欲しい。タイムレスが新メンバーを公開審査で募り、10ヶ月ほど経った。22歳の大学生が急にトップアイドルになるという異様なプロジェクトだが、「22歳が最年少」という旧ジャニーズの体制からはありえないストーリーをファンを巻き込みながら作ることで実行していく。追いきれないし、どちらにせよグロいんだけど、エンタメのグロいところを保ちつつギリを攻めて、クリエイティブだなと思う。
3月11日
できることをがんばる(できないことはやらなくてok)!他人を安心させるための間違ったtodoリストをつくらない!todoの抽出を間違えるべからず!と言い聞かせながら過ごす3.11。考えすぎるという点を見誤りつづけている。考えるべきはそこではないはずのところにばかり手をつけてしまうけれど、エラーをあらかじめ飛ばすようなフォーマットはない。他の道が無い。非常に地道で、作品を作るのは大変だ。
調べないといけんこと多すぎて逆にYouTube見まくってしまう。ほんとだめだ、ほんとうにだめなんだ。水は低きに流れる。山田涼介のゲーム配信見ないようにだれか見張っててほしい。涼介ゲーム上手い。ボドカが負けていた。ああ、Hey!Say!JUMPの新しい9人目のメンバーになる夢小説が読みたい。英語学習のAIにその妄想をなんとか話す。
『でんぢゃらすじーさん』の作者・曽山一寿さんが、3.11の夜のことを思い出したコミックエッセイをTwitterにあげていた。私も少し思い出してみる。
3/11は予備校で卒業パーティーがあり、みんなでパーティーのための買い出しをしていた。半地下になっているピロティの水道で、いちごを冷やしている。そのあとのことはちょっと忘れていて、揺れたとおもったら急に大きく揺れた。窓から人が飛び出してくる。電信柱が揺れる。どこからなのか、街全体からミシミシとかズッズッという音がする。動けず、人がどんどん飛び出てくるのを見ながら、Iと、Nさんと、私が手を繋いでいる。Iが叫びながら泣いている。その横で私はなんでか爆笑している。揺れがおさまり、みんなが道に集まる。デザイン科のひとのワンセグで地震のことを知る。地震だというのは、別に、わかっていたけども。上階では石工像が倒れないように、先生が押さえていたらしい。若い女性の先生が、リーダーシップをとってみんなを地上へ避難させた。そういった数分間の話が交わされた。パーティーのために準備していたお菓子やジュースがそのまま夕飯になった。先生が一発芸みたいなのをやり、トランプをやり、普通にパーティーみたいな感じでもある。電車は止まり続け、自宅が予備校から遠い人は帰らずに泊まることになった。mixiに友達と撮った自撮りをアップした。夜遊びが解禁になったようで、友達と夜を過ごすことに浮かれていた。深夜(と記憶しているが、何時頃だったのか思い出せない)毛布が消防署から配給された。毛布にみんながくるまって座っているのがかわいいので写真を撮ったのだが、みんな本当に暗い顔をしていた。その途端に申し訳なく思った。謝ることもできず。トランプをして遊び、余震が来るたびにみんな毛布をかぶったまま外へ出た。翌朝小田急が復旧し、家にやっと帰る。テレビで津波の映像を観る。信じられない。服、寝具、ボール、絵本、家にあるものを寄付した。高校卒業と受験の終わり、初めてのアルバイト、当時の彼氏の急病、2011年3月はそういった様々な転調が、津波の泥水の動画と計画停電の暗闇のなかに漂っていた。津波の被害に遭ったわけではない私ですら、今も津波の映像に恐怖する。放射線を含んだ雨を浴びないようにと、スピってる友達の親が言った。正誤不明の、フェイクニュースじみたものとの出会いだった。そんなことはどっちだっていいよと思っていた。テレビで死者の数がカウントされ、どんどん増える。行方不明というのが、どういう意味なのか、想像して恐ろしくなった。体育館にものと人が並んでいるのを見る。避難所での性被害とかプライバシー問題を、後になって知る。雪が降る。物資が届かないということが起きる。電気が通らないとか。節電で街は暗く、店も家も暗い。ロウソクを買う。小さな火をつけるのは誕生日のようで楽しかった。4月になり、大学に入学すると、仙台から上京してきたSと仲良くなった。
こないだの、能登の地震のとき、おばあちゃんの家でパニックになった。
3月12日
音楽は感じ取りやすい。パフォーマンスアートのおもしろいところもそれと同じ。なぜか。随意から弾かれ個別さがありありとするような身体感覚がある。Geodie Greepの例のアルバムを聴きながら。
パフォーマンス研究会。楽しかった疲れた。みんな絶好調だったな。自分も。できるだろうかと困っていたのだが、それも含めて全然大丈夫だった。みんなありがとう。
今日のことを思い出していたら、視覚的な記憶の端にひっかかる。赤いチェックの上下のセットアップ(?)………というか、やっぱ絶対にパジャマ。明日聞いてみよう。考えたことが多すぎて言葉が追いつかない。この記憶の塊。時間の圧縮。このなんか、どうしたら、うわーん!
3月13日
美学校で仕事。休んだらシフト交代になるので(普通はそうだ)2月も4月も休むわけにいかないのでやはり3月はなるべくそのまま働く。ヒルマ・アフ・クリントの作品について、長谷川繁さんが「100年以上も前の作品なのに、まるで昨日描いたみたいじゃない」といって、それにハッとした。アーティストとして確保しておかないといけない心の隙間が、フリーランサーとしての生活に圧迫されている。働きすぎということなのかもしれない。制作からだけ出てくる言葉というのがどうにも少ない。日記がアウトプットをまぜこぜにする。
ダンスはいい。普通に多動なのをそのまま世界に送信しながら話せばいいことで、踊りながら話す方が多分ちゃんとできることはあるとおもう。はやく展示始まらないかなあ。展示の期間が2週間だけならば、もう少し楽なんだけど。
3月14日
何もできず。料理して連絡返して腹筋して。自炊をしているだけで痩せていく。そういえば、松井えり菜さんの作品がアクチュアルに感じられるようになった。自画像を見るのは、自意識の感じが強くこちらへ伝わりすぎるので苦手だ。全身が描かれている絵があるのを知って、色々見た。画像だけど。他人が色々感じながら生きていることがよくわかる。座った時に太ももがものすごくデカくて笑えるみたいな、自分の体の外と中だけで起きているオモシロ、あるね。松井さんって思ってたよりずっと若いんだというのも知った。絵描きには、松井さんや水戸部さんのように若いころからキャリアがものすごい人がいる。バイトの影も見えないような。同級生の町田さんが日動画廊に所属したが、彼女はどうしているんだろう。同じ学年の一番星みたいな感じだった。大学には、町田さん、黒田さん、国川君、岩ちゃん、脇田さん、クラリスさん、石川君や、他にも何人か思い出す作品と顔があるが、そういうべらぼうに絵がうまい人がわんさかいた。ダンスでいえば、岡田君もべらぼうな人だった。私の制作は、岡田君の居場所を作り続けているということにもなるのかもしれない。死んでも一緒に遊ぼう。岡田君は若くてもおじいさんみたいだった。
もっと子どもの頃の話をたくさんしたい。ヴィトアコンチがインタビューで子どもへの美術教育について、美術がそもそも子どもの頃のことを思い出すことを源泉にしているのであって、大人が子どもに教えるべきことなど何もないというようなことを言っていた。
3月15日
『「安楽死先進国」のオランダで、「死の日取り決め」に急ぐ認知症患者たち』という見出しで、クーリエから朝刊が届く。イヤーああああ。でも死にたいなーというカジュアルでナイーブな気持ち。そういうのがありますね。
インタビュー。インタビューなのか?聞き取られにおもむいた。やっと、展覧会の組み立てだけでなく自分の作品について具体的な話をすることができたのが嬉しい。はじめて会う人なので、なるべく平易な言葉で語る。ややこしかったり、かなりのディテールは、自分の作品で。
会いたい人に会ってひと息つく。多忙の中でささやかな休息すら怖いが、致し方無し。
3月16日
大槻さんのトークイベントに行った。疲れて書くことができないので、トークイベントの時にとったメモを載せる。
3月17日
確定申告だん。これでいいのか。間違っていたら指摘してくれるのか。指摘されたら怖い。
英語の勉強。AIとの自由話題で現代美術について話す。好きな作品はあるか、ときかれて、タイトルがわかんないんだけど、フランシス・アリスの氷を押すパフォーマンスが好きだと英語で伝える。AIチューターのCamilaがそれフランシスアリスの時には〜のやつやな!と言ってくる。伝わってるやん!嬉
3月18日
ツイッターがファンorワナビー学生との戯れに勤しむ場になっている。辛い場所だ。性被害あった人が訴え起こすと、加害者からストーカー認定されたり名誉毀損で訴え返されたり、まじでおかしいって。報復的な司法、いかに機能不全か。性加害、被害、同意、グルーミング、DV。悪いほうのフェミニズムの入り口に立っている風のバリキャリ組に進んだ大学の友達が「自分の機嫌は自分で取る」と言っている。電話かけて1時間お話ししたろうかな。
全体の調整をするだけで手いっぱいでまじで作品がぜんっっぜん進まない。つらい。つかれました。スプシとドキュメントとディスコードをずっと見ている。つかれました(2回目)。合理的な決断をAIがしてくれればいいんだけど、でも決定したからってそのあとそのままその決定通りになるわけじゃない。考えてくれて、やるのが人間なんて、本当にだるい。作品作るために小山君に蹴り出ししてもらって、やっと進んだ。こんなに言語が先行してていいのだろうか。これが伝わりやすいのなら、やはり、言語のひととしてやっていくのでいいのではないか(しかし、いったいどこで?)。
3月20日
Hがリクルート社員だということが判明。武蔵美からもいるんだね。美学校でポップイラストレーションの搬入。初めて展示をする人にインパクトの使い方や、額縁の掛け方を伝授。大量の作品を持ってきたひとが、トンボがついたままの資料の、真ん中の+のところに虫ピンをさして「これ早いっすね」と言っていてワロタ。効率的に作業するためのものが他の用途でも効率的に働いている。作品の並びどうですかと聞かれて、感覚的にはもっと近くしたらバランスいいと感じるが、それは私の感じ方だからそのまま採用しないでください、というのを伝えるのが難しい。そのまま採用されたりする。別にいいならいいけどさ。私の感覚を、却下や逡巡の時間を待たずに採用されると、脳みそごと持ち帰られるような感じがする。講師の小田島さんが3時間遅れてやってくる。私はひととして以上にどこかうっすらと小田島さんのことが好きだし、たぶん小田島さんもうっすらと私のことが好きだと思う。おなぺこなので、学生が買ってきた差し入れのチーズを勝手に食べる。めちゃくちゃ残業したから許されるなどと言い訳しながら。
3月21日
まだ金曜。よかった。洗濯物がやべー。
3月22日
お腹いてぇ。12月に指を挟んで爪が剥がれた怪我がほぼ治ったのでネイルした。ニキビできた。お風呂気持ちいい。怪我治ったので、展示始まったらまたバーベル持ち上げるトレーニング再開できるな。8月から12月までは週4くらいで頑張っていたが、今はダラダラと2キロ増えた。
3月23日
BankART Stationで10分間のパフォーマンス。ゴニョゴニョ言ってたのに全然聞こえなかったらしい、ショック!
みんな別にあんま来たことなかったんじゃないか自分だってたくさん来てたわけじゃないけどいまこんなたくさんの人いるけど毎日こうだったらどうだったんだやだよー他にもやってみたいアイデアいろいろあった友達の子どもがウワーだとやってんの見てそれがやってみたかったけどうまくいかんビーズ撒いたり綿棒撒いたりしたらどうかと思ってたしドラムもあったらいいのにと思っていたが間に合わなかったほかにもいろいろ解決したいことあるなんでこんな全部遅くなっちゃうんだヤダヤダ今こうしてやってんのになんで表現はいつも遅いって感じるんだ後からになっちゃうのが嫌だ準備もやだこれから場所が名前変わるのどう捉えたらいいんだやだよ気まずい明日から別の展示があるのに作品終わってないのにこれやってんのも焦る見られてたらできないけど見られてないとできない生理的な涙が悲しくはないのになんで恥ずかしい今何時ですかどうにもならんヤダーッてなもんだった
床寝そべりプレイすることで正面の観客だけにならないというのをやっと知った。正面が消えると写真撮られんのも大丈夫になる。なんかいつもの自分と全然違うから対象物になるのも受け入れやすくなる。パフォーマンスのあとは、なんも食べたくないけどお腹減ってるとか、そういうのも感じ取りやすくなる。ヘラヘラする。リラックスできる。他者空間に甘えてもいいという。ひとりでやって見せるパフォーマンスはこれまであまりやったことなかったけど変態っぽくてけっこういいかもしれん。ぴえん。じぶんの感じが素直に出る感じがしてネガティブでヘラヘラしたパフォーマンスはけっこうイケそうだ。やれてよかった。BankARTでやったパフォーマンスはどっちもうまくいった。晴夫さんがちょっと遠くでニヤニヤしてるのも安心できる。なんでだかなんだって試しちゃっていっか、ちゃんとみてる人がいるし、という気持ちになる。
つかれたからきょうはもう休む。
3月24日
搬入1日目。向井さんの展示搬出に時間がかかっていたのでほぼほぼ一日中ずっとタバコ吸ってトイレ行っての繰り返し。多分今日は私来なくてもよかったな、まだやらないといけないこともあるのに、となんだか思ったように進まなくて苛立ってしまった。
制作は楽しいな。コツコツ積み上げて作るというのと、日記が不意に作品のアイデアの伏線回収みたいに感じる(過去と文が完璧に他者になっている)という、他の人や時間の視点からすれば大差ないことの差異が自分にとっては驚くべきことだ。日記やウェブサイトのラボや展覧会の隙間で作品未満のアイデア出しをして、その中から記憶に耳垢みたいにへばりついたものをこそぎとって組み合わさって作品になる。本当に不思議だ。
22歳くらいの時に、CVにちょいっと添える用につくった「相反する物事を反転若しくは攪拌する装置としての作品を目指す。」というステートメント(というかキャッチコピー)。これのおかげで、一貫した主題としていろんなことに取り組んで自分にほどよい縛りをかけていたのは振り返ってみてよかったなとおもう。伏線回収みたいに感じるのはふつうにこのコピーによって自分の重心みたいなのが取りやすくなったからだ、、、最近アーティストステートメントをのせる場所がない(少ない字数の中で作品の記憶を思い起こしてほしいから、展覧会のタイトルを書いてしまう)のだが、また宣言文をCVに復活させてもいいかもしれないな。ふつうにそういう自分鬼語りするトークがやりたいな。
5月までは展示でできないが。小行為作品展(仮)(前に言ってた思いついたまま作ったものを展示のためでなくやる展示)in 夏ごろに自分でやって自分で話して、、なんかそういうのやろうかな でもなんかもうウェブサイトでやればよくないかという気持ちにもなってきた。
3月25日
宮田さん到着。宮田さんは顔文字みたいに気持ちを顔で表現するのが上手だ。場所が決まってから施工したいvs動かしてみないと場所が決まらないvsものの逃し場所が確保できない で数時間手詰まりになる。ハラハラする。
「停戦が終わる」二重否定で感覚的に理解がつかない文
人も虫も草木も花も爆破されて、その街に夜、そして朝がくる。破壊されて悲しみの中で夜が来て、真っ暗で瓦礫の下に家族や、猫がいる。朝になり、光が当たって塵や瓦礫が隅々まで見える。色がないという言葉がつぶやかれ、夜になり破壊された街に色なんてないと言う。と書きながら寝落ちしていた。
3月26日
展示の全体が一望できるまでになった。よかった。あとは文を書きまくるだけ。あまり寝れていない。
すっかり、西の山中スープレックス、東のカタルシスの岸辺というかんじだ。いかん、ひとの告知に気を取られている場合ではない。
ヤダヤダのパフォーマンスを三田君によかったと言ってもらい、(もう全然寝れてなくて昨日だったかその前だったかわかんないけど、)不意に嬉しくなる。彼がというか。やっぱあのパフォーマンスけっこうよかったよな。
3/27
スクエアフォーが付き添ってくれる最終日。照明がなんかうまくいかない。正直、決まってからも、ぜんぜん締まらない。どうしよう?地主さんの森美での個展の部屋は、明るいけど暗いというような、そういう照明設計がうまくいっていた。誰に頼んだんだろう?
3/28
微調整。ハンドアウト。テキスト。みんなの手伝い。展示の什器のデザインをして、square4が作って、みんなの作品がその上にのる。はー大変だった。今回は小山君の二重のモニターと、二木ちゃんのパネルスクリーンのデザイン、壁に突き出す絵の設置、長ーい棚、テーブルマットの採用。会場構成的な意味でも、そういう発明ができて嬉しいです。
3/29
ハンドアウト。もうここのところずっとずっとテキストを書き続けている。読んでもらえるのだろうか。こんなにも読み手を欲しているテキストを書くのははじめてなので、不思議な気持ち。
3/30
小休止。ちょっとお散歩し、パンを買って公園で食べる。この公園にはデートの思い出がある。鳩がこっちをみている。別の鳩が歩いて、公園の入り口の縁石の右側から登場し、左側へとデハケする。桜咲いている。夕方、三田君の展示に誘ってもらっていたのに行きそびれそうになり、ギリギリで辿り着く。そして、割とちゃんとみた。シールを貼るという行為の速度と、貼られたシールを見るという行為の速度感は体感的に近いなとおもった。貼られたシールについてのテキストを読むにあたって、目をシールごと剥がし、テキストの横へ貼り付けながら読む。そのような感じがあって、そういうの発見できたことが嬉しかった。帰り、厨二病みたいなチェーンベルトを買った。
3/31
スチル撮影。阪中君がスタートアップ助成をおすすめしてくれる。阪中君は本当にえらいとおもう。ちゃんと、粛々と、やらんといけんことに着手していっている。出力が安定している。みんなの作品が自分の作品と同じように好きだ。CSLABのバーンアウトから、この展覧会を作ったことでやっと脱することができたような気がする。