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7月, 2025の投稿を表示しています

6月

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  6月3日(火) 多摩美でゲストレクチャーした。緊張した…。わしなんぞの話を出て行かずに授業だからと無条件に聞いてくれて、こんな従順な学生たちにどうしようもないようなことを話すわけには行かないとおもった。 恋バナみたいなすごく個人的な経験を、どのように作品反映させるのかという質問をアトリエ回ってる時にこっそりしてもらった。 6月8日(日) 鷹野さんの個展を写美で観た。目の端に映るような親密で見切れた風景、身体、(決してそれを周縁というふうには言わない)をそのように映すのってどうやるんだろうなって気になる。普通のことをエロっぽくなく、臭そうな感じでもなく、ふつうにニュートラルに。試しに自分の足をただただ見るままとして撮ろうと試みるも、難しい。なぜ難しいのかもよくわからないほどにむず。 6月9日(月) なぞの持論を展開しては取り下げ畳むようなガチ不毛でしょうもない恋バナがしてえ。悩み相談のように建設的なものではなく、自意識をしばきあうみたいな、ほんとうに不毛なんだけど少しだけ発見があるような、そんな会話がしたい。なにものにも変え難い、ただの間抜けタイムがほしい。ほんとただただどうでもいい話がしたい。もう全部疲れた。毎日創造的で疲れた。もはや美しくもない。もうちょい非生産的に汚くありたい。雑然としたい。 6月10日(火) パラダイスエアのワークショップ。パブロ。粘土と3Dスキャニング。ミハイルが来た。私もゲームは好きだし、作ってみたい気持ちもある。(認知症となって冒険するゲーム) ミハイルと粘土世界の様子に名前をつけるグループが一緒になる。私たちは4番のグループだった。紙粘土の触り心地が餅みたいなのと形がうんちみたいだったので、私たちはその様子についてmochi poopsと言うふうに名付けた。他にもpoop's tentとかHorny Wells(ムラムラ井戸と頭の中で訳しながら)などと名付ける。さっきHorny Wellsってググったらアメリカ人のエロおばさんの画像がたくさん表示されて焦った。ところでこの日記は音声入力で下書きしている。音声入力で書くと自動生生感が強い。知らないところから湧き出るような。言ったことがすぐ文字になるのでなんだか緊張感もある。AIと付き合い、AIを制御するために自身を抑制しながら喋る。 帰りにみんなでご飯を食べた。私はオタクが好き...

5月

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  5/1(木) SNSは空を模しているのかもしれない。投稿した美学校の「建築大爆発」のリール動画がプチバズしたので、建築学生らしきフォロワーが爆増してる。役に立ちたい気持ちでそうした仕事を頑張るが、基本的にやらなくてもいいこと(クオリティも含め)をやっているので質が世界に溶けてゆく心地がする。基本なんも起きないのだが、こうしてたまにバズったりするのを見ると、なんだか、天気みたいな現象だとおもったんだ。みる人にとって都合のいいものだったということが明らかになったり、ほんの一部の人にとってのみありがたがられるようなものになったり、本当誰にとっても(私にとっても)どうでもいいものにしかならないこともある。天気をみるのも疲れる。あー本当に疲れた。 5/2(金) 「あたたかい家」展に出すための作品をパッケージするのにえらい時間がかかってしまって、眠らずに今日が始まった。どこから今日ということにすればいいのか、よくわからないので、気持ち的に昨日ではないところを書く。 なんだか気まずいのは何に対してなのか。少し雨が降っている。「パレスチナあたたかい 家」には去年、参加表明だけして作品を出すのをやめてしまった。不特定多数との集団行動がしんどくなってしまったのだった。今回は(季節行事みたいに、少しも捉えないようにしないといけない)作品を出すだけということでギリギリ参加できた。りべかさんに久しぶりに会う。記憶の中の彼女よりも半分くらいの質量に痩せていた。陸さんがインストールを取り仕切っていた。陸さんとは仕事場でよく会うが、まさかここで会うとは思わなかった。そういうかかわりしろが作られているというだけでも、この展覧会の存在意義みたいなのが感じられるかも。ヤダヤダの作品をインストール完了。でもなんだかあまりにもアーティストとしての知名度が中途半端なので、この時期のこの作品をこの展示企画に出すということに耐えられないっておもった。私自身が1人でできる連帯を、わたしは考えていこう 午後はBUGへ。もう慣れた道。展示が終わるのが寂しくて、インスタに「もうおしまい」と書いたのを見て、二木ちゃんが「おしまい」という言葉が寂しいと言った。そう、さびしいね。言葉で気持ちが状況がディファインされる。土砂降りで、展示室に人が逃げ込んでくる。 5/3(土) 朝、日記のワークショップ。何十年も日記やっ...