2023/09/18



斎藤玲児さんの個展に恵比寿peopleへ。ギャラリーの床で何かを畳んだりしているひとがいる。あまり気にせず中へ。大らかでいい空間だと思った。タイトルのナンバリングはなんなのだろう。前に聞いた気もする。日にちが増えるごとに、つまり生き続けるにあたって、フッテージの可能性がざわざわと現れては消え続け、それをカメラで撮ってああいう現れが増えてこのナンバリングも増えていくのだと想像すると少しなぜか怖い。直線を素早く通り過ぎていくのに増殖的で、それでいて絶えず忽然と消えるようなのはどうしてなんだろう。齋藤匠君(サイの字は勘で)が前に、「酔った後に入る風呂」と形容した音楽の感じとその形容詞を思い出す。それは日記的な鈍さを引き摺り回すような音楽でもある。ずっと傍にあり、どうにもならないことを納得する心の傾き。曇った甘さがある不快。他のナンバリングの展示よりも音声が音楽的な気がする。というか強く惹かれる。ポップ音やマイクが通電したみたいな音が呟きのような、鼻を啜るような存在感に思える。そう感じるからいいのだというわけではないが。すごい作品だ。

日記から言葉をバラバラに外して自分の日記を引用することで構成した文の作成を目論んでいる。毎日何を考えているのか(結局なんも変わらずに同じことをずっと言ってるのかもしれない)自分でもよくわからない。鈍さを湛えた編集、理解、情報伝達。

 

goodルノアールの床。