7月2日と3日

 


7月2日

夢にガザが出てきた。その風景は香港の古いビルみたいだったが。意外と来れるんだーと驚き、歩いて知らない人とすれ違ったり、建物の中に入って雑貨を眺めたりした。あんましものが売ってなかった。爆撃の前にも後にも暮らしはある。

起き上がり歯を磨きながら体重計に乗ると4キロ痩せてた。うひょー。

昼にパラダイスの裏手で大量の服を運ぶ陸さんにすれ違う。打ち合わせはどれも面白く、打ち合わせだけしてても仕方ないんよなと思いつつ、腰が重くなりつつあるのでほんと早くなんかやらないと。。と妙な焦りを覚える日だった。焦るだけでなにもできず、ぼーっとして碌なことは今日一個もしなかった。ポンコツポイント(pp)+12

帰りに雨粒がプツンと一滴目に入ってきて、それきりあとは晴れのままだったので、地球に今ただひと雫の雨が降ったのを知るのは私だけなんだって思って心が金色になった。



7月3日

昼、うねとひさしぶりに会ってドライブに連れて行ってもらった。デッケボーのこともミンティアのことも二人とも覚えていて嬉しかった。美味しいもの食べて「うまっ」というのを瑛太(俳優の)は嫌うらしく、まあたしかに瑛太にはどちらかといえば好かれたいうちらなので「うま…おいし〜」「うっま……おいし〜」と言いながらテラス席でパンを食べてアイスラテを飲んだ。

夜は「饗宴/SYMPOSION」を観た。唐澤さんが「theyの発声でコールをする」ということを前に話していたのを思い出しながら、舞台に起きていることは現実の一端だな、と思った。バトラーのいうパフォーマティブという観念のこともとても思い出した。

持ち寄り的な協働のプロセスがダンスなどになっているということは、この表現を作るために行われた色々がそのまま現実を作るのだなあと、役者たちが動いたりしているのを観ながら考えていた。役者たちがどのように舞台の上に居ることができるのかという(というか自分だったらどのように居るのだろうという方が近いか、)ことを問いとして持ち込むだけで、ジェンダー二元論を抜け出して現実に即した表現の話をすることになり、それが稽古になる。稽古は劇を作り、劇は現実を作る。


…と書いてて、わたしは「作る」という言葉を使う時、「影響」のニュアンスを強くしエコーするようにして主語に広がりを持たせようとするところがあることに気づいた。その一連やまとまりが「つくり」。