7月21日から29日(22日を除く)
7月21日
仕事は楽しく上々。子どもと話す時、すごく丁寧でやさしい感じの自分。つか会えて嬉しいとかのチャラい言葉をすぐ言ってしまう。タラシ。
7月23日
仕事でBabyプレゼンノートを作って見せ、褒められる。褒められつつ違う方向の事例を教えてもらった。その対応は私に対して適していたようで、すぐにブラッシュアップに向かえた。サクッとやったことが上手くいくのは手応えもあまりなくて爽やか。当然のことをただ言葉にするだけでそんな褒めてもらえるなんてラッキー。。仕事ってそのくらいでいいのかも。案外変な整えとか真面目さとかで動きにくくなってたのかもしれないな、時間かけなくてもクオリティある。ふーん。。自分の考えも他の人が解釈して使うアイテムになってゆくのは気楽だ。
その後会場のすみで会社員の男にレズセックスしたことあるかと聞かれて、普通に「はい?!」となる。「偏差値32の高校からここまで登り詰めた」、「スライディング土下座して金もらえるなら喜んで土下座する」など。10個違いだねと言って距離を詰めようとしてくる。これまで会ったことないレベルの大馬鹿者。。。まじでこいつ25年間くらいの間に嬉しいこと一個もなかったんだなと思った。そしてこの調子だとこれからもなさそう。ツイッターから飛び出してきたかのような大馬鹿野郎。チームのメンバーには共有し、出禁にしてもらった。
7月24日
●mtgおもしろかったことメモ Mさん農地拡大(農地=豊かなところという解釈、それを獲得してゆく)。Fさん仕事中の手放しの時間、海外の事業所。Kさん組み手、作品が復讐してくる。Uちゃん他罰感情。コンパニオンプランツに感銘を受けた(何かが関係しながら二つ並んでいるのがたぶん好きなんだと思う)。Nさんの透明に徹するありがたい。
7月25日
7時に起きて朝30分くらい散歩。洗濯。サラダ、鶏肉、ヨーグルト、アイスラテ。部屋を片付けてから生活がしやすい。自分が生きるための準備が施されていて無理がない。荷物を2つ受け取り、シャワーを浴びる。かなり普通な感じの人たちが古着屋で服を買うというだけのYouTubeを観る。
①広告ネイティブというほうが近いバイブスのインスタと、②日記のようにほとんど自分のための記録に使うインスタと、③画像をあげたり文を書いたりして人と間接的な交流を楽しむのがただただ好きなひとがやるインスタでは、それぞれ少しずつ違う。いつまでも昔のツイッターが恋しい。デジタルとローカルの親密圏が結びついたままに生きることもできるし、きっちりわけてインターネットをビジネス空間、ローカルをプライベート空間とする人もいる。
7月26日
関さん、サトシさん、小山さんと夕飯食べた。100均で涼んでいる間、ちいかわ概念カラーの鈴を小山さんにおすすめされ、ついにちいかわカラーリングで売る商法がとの意を込めてちいかわのパチモンじゃんとつぶやいたのだが当然うまく伝わらず。でもそのエッセンスを汲んで(あるいはサブリミナル的に?)おすすめしてくれたのだと思うんだけど…。とにかく、ちいかわ以前からその手の鈴はあるというレスが入る。その横でサトシさんはちいかわは今何してるんやろと言う。それに今も元気に漫画で活動してるよとレスを入れる。その背後で関さんがちいかわって何?と言っている。一筋縄では行かないメンバーであることを悟る。この感じもかなり久々で、それが嬉しい。襤褸という喫茶店に入ると卓球ができそうなくらい大きな机に通され、関さんがフランスで暮らしているうちに関西弁になった話を聞いて、サトシさんは西遊記に詳しく、小山さんは四次元を諦めていなかった。関さんの新しく買ったフィルムカメラで何枚も集合写真を撮った。フィルムカメラはシャッターの具合が不思議で、撮られている間にどうしても「うん?」という顔になってしまう。シャッターの音も、ン?という感じだった。
7月27日
アトリエオンゴーイング講師日。10時に吉祥寺にいないといけないのに9時半に起きてしまった。仕方ないので後半から参加。オンゴーイングって普通に店やってるのもすごいし、関わる人の多さでモチベーションのタイミングも内容も多様でそれもすごい。と陰ながら思ってる。向かう途中、なぜか小松菜々子氏のことを思い出す。神戸楽しかったな。もう少し長く、1ヶ月くらい逗留したい。1年のうちに10カ月間くらいいろんなところにいる旅の一年をやってみたい。インプットとカジュアルアウトプットorプレゼンor過去作見せ行脚の旅…。遅刻していても、そういうことを考えながら電車に乗る。
子ども造形教室で、一個のことに時間をかけすぎるのって正直どうなんかな(より道どの程度していくのがいいんかな、、)と思っていたのだけど、説明のための空間の図をパパッと描けるようになっているのをみて、そんな直接的に技術が身についちゃうんだとおもって驚いた。できるようになるってすごいことだな。1Fと2Fを繋ぐ階段の天井が吹き抜けているのを説明するために、オンゴーイングの階段を見せる。ほんとだーと言うのをきくと、なんだかこっちが満たされるみたいな想いが湧いてくる。世界は全部本物なんだね。
7月28日
髪型ショップでの催しに。みんないて架空の修学旅行みたいだ。ほとんど同じ大学の同期の人なのに、そのうちの半分の人は話したことがない人たちだった。べーやんにも久しぶりに会いたくなった。誘われて遊ぶ時は何が起きるかわからないまま行くのが楽しい。同じ部屋に友達がたくさんいるのって、夢のようだ。誰かの家でなく、みんな靴履いてるのもなぜだかよかった。髪洗う椅子の、晴子さん役の方に立ってなんだか嬉しかった。首のところのまくら、ムニムニしてて知らない素材(腐って完成する素材に似ている)。風子ちゃんの靴が壊れていて、ゴムで止められていた。イベントみたいなのをやるときに限ってそういうことが起きてしまうの、めちゃわかる。なんでなんだろうね。レジデンス初日に靴のソールが剥がれて一番最初の買い物が接着剤だったこともあるし、バンチも初めて日本に来たとき靴が壊れていた。なんかやるときに限って靴が壊れちゃったり、常日頃道に迷ったり、忘れ物してドタバタするバイト苦手人間たち。飛行機に乗り遅れたり。財布を無くしたり。ADHDというのであっているのかな?夏休みと年末は会いたい人がたくさん、やりたいこともたくさん。
7月29日
もりもっちゃんと爆喋り。ハロハロを二日連続で食べる。
月曜の定例会はなんかずっと苦手。なんか工夫したことを実装しようと思っても、自分が便利だと思う仕様と、目指されている仕様にギャップがあることが多くて、結局手直しが入る。うーん。どうしたらいいんだか全然わからん。自分の活動の本拠地がここであるわけではないので、他人の手が入るのは一向に構わないのだが、なんかそういうことがあるたび自分はめっちゃ変な人なのかもと思って焦る。忙しい時と暇な時の差がありすぎるのもまだまだ慣れない。暑いと木工とか片付けとか全然やる気にならないし、片付けるにしても15年前の物を何で今わしがかたづけなあかんねんとか思ってしまう。まあやるのだし、他にやることも特にないし。最低限のことしかやらずにあとは何か読んだりして座って考え事しているだけで本当にいいのだろうか。こういうのは雑務すぎて特別共有すべきことでもないので、今日は定例で話すことがほとんどなかった。
夜。浅田さんと爆喋り。いろんな質の悪い影響やクレームに怯えて日記本出すの躊躇してる(だって生活のことが普通に書いてあるし、作品でやってきたこととはかなり違う…)と話すと、表現を取り下げることができるという勘違い、悪いインターネットのコメント文化の弊害にやられてるよと苦言を呈されて元気づけられた。やるかー。犬古表が載る「時代」3號はいつもより4p増、スポンサー付きの豪華版である。
◉話したこと、思いついたことのメモ:
-関係付いてるものの組み順はランダムにできて、それは離れているからではない。
-「箱に見る霧の方法」のハウツー(方法)の側面。北京語ではハォツィーはおいちー。
-本に書き込んでいく脳の運動の「飛び交い(と、打ち合わせの時は話していたけれど、ナメクジが這うようなベトベト、とぼとぼ、ボタボタ、とする速度のものもあるやもしれん。とくに数往復するうちに情報が増えて、おでこのあたりが重たくなって、、)の跡。ひこうき雲。
-蝿。死体。九相図っつーのがあってな、それはなんか別の弔い、別の道を辿ることでもあり、土になる。
-迷路や模様のように、そこに目線を閉じ込めて少しの間出れなくする。何かを人に見せるというのは、少しの間そのひとをそのものの中に閉じ込めてしまうということだ。
-畑おもしろい。循環を作るというのがおもろい。いくつもが関係していて、予測がつく、つまり意味がある。
眠れん。
◉BUGタイトル案出し
共にいる場所からの問いかけ→色気なし。
同伴(ちょっとおもしろい。続く語による)
伴侶(なんか生涯の友という感じが強すぎると語弊)
なんとかフッドみたいなのはどうか
companion hoodをDeepLしたら友愛って出た。そういうことではないんだよ。友達でない人と一緒にいるのが世界だから、友達は特別なのだ…。
てか問いを立てるというよりは、問いから降っていく(階段をどんどん降りていくみたいに)の方がなんか近いんだよな。
あるいは、みんなで解決するために問いを立て、そして立てた問いに登り、そこからどうやって降りていくかを考える。それが問いを立てるということ…。その提案はおもしろいかも。ゼロ地点ルールにも近い。
んー自分の作品のタイトルなら簡単なのに。展覧会タイトルって難しいな。自分ぽすぎるとよくないし。新しい世界に名前をつけるみたいなものだ。