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10月

  10月1日(水) 言って欲しい言葉を返すことはできない。話を聞いてる途中までは傾聴するけど、そのあとがまずいのだと思う。つい、それは違うんじゃないの、とか言ってしまって、時折相手がブチ切れてしまう。向こうからしたら、優しくしておきながら突然突き放されたように感じているのかもしれないけど、期待されても困る。優しい人像を勝手に押し付けてんじゃねえ、わたしはエビみたいにプリプリのピンクの鬼なんだからよ(謎) 10月2日(木) 文句止まらん。仕事で初対面の相手に画材の集金をしているときに、お金を渡したとか立て替えるとかの話で「おつりは授業の後で計算して渡しますね」と言った後、「おつりはいらないので打ち上げのビール代に足しといてください」と言われて「わかりました」と言ったら「ウソウソ、間に受けないでよ」と言われた。ん?今のやり取りって私の受け取りが変だったのかな?と3秒くらいフリーズしてから「あとで渡しに行きますね」と言いなおした。このことが気になって、今日はずっと思い出してしまった。いや、なんか、あれ?おかしい。やり取りの途中がすり替わったのかな?なんか手品みたいにあべこべになっていたみたい。嫌だなあと思ったけど、変だからまあいいや。 10月4日(土) 高市政権になり…。threadsでフェミ叩きのばかが沸いてる。Hey!Say!JUMPのことしかでてこないようにアルゴリズムを教育し続けて来たのだが、、。とりあえず目についたやつ全員ブロックしてゆく。防犯。冷笑もうええて。「バカにバカということもバンド活動」って言ってた人のことを思い出す。ブロックは教育。 10月5日(日) 家族で韓国へ行こうぞという話が、パスポート取得のめんどくささに追い込まれ結局母とサシになってしまった。うーん。母と二人きりで過ごす時間は記憶の中にないくらい昔しかなく、私にとっては実質初めてだ。緊張。もっと中学のころとかに無理矢理にでも私にとっては必要だったような気がする。気恥ずかしく、悩み相談とかもたぶんしたことないんじゃないか。あまり真っ直ぐコミュニケーションする仕方がわからないまま大人になった。母の前でたくさんお金使うのも憚られるが、オリーブヤングは行ってみたい。肌課金もしてみたい。 10月11日(土) 意地悪いっぱい思いつく夜。こうなったら笑えるなというところへ向けて準備し、晒し回るこ...

9月

  9月3日(水) ちいかわみたいな誤配が周りで起きすぎる。誤配というべきか、たとえば技法を書くべきところに取ってつけたグループ名やアーティストネームのようなものや考えを書いて提出されたりとか。照れ隠しのような名付けが選択される場で事務を行うことが多いのだ。疲れる、てかうんざりする。みんなの自意識の強さに辟易としてしまう。今日もそうだった。再提出をお願いするのもおかしいので、そのまま通す。未来のその人の黒歴史に華を添えたかもしれない、が、まあ、知らん。尊重とめんどくさいの合間で揺れて、そのままにする。なんか、名前を誤魔化すということは(個々人の思惑は誤魔化すとは違うだろうが)申告をキャンセルする動きだな。役所でもやったらいいのに。バンド名みたいなの書いて、社会を実際に混乱させてよ。 誰かになんか教えるなかでも「やってもらう」のは最も難しい。やってもらいながら、ゼミ的なものの研究テーマからはみ出すぎないように、二十歳くらいの人のことを巻き込み直し続けるというのは本当にどんな声で語りかけていいかわからない。相手あってこそ。だから私のやる気が空回らないように、なるべく手ぶらでいようって感じ。でも、やればやるほどに嫌な気持ちになる可能性もあがるな。無理にやらせることと、一緒に考えることの違いがわからない人もいる。抑圧とか感じたことないんだろうな。幸せなことだ。本当ならお金をもらわないといけないものも、まあバランスでなんとかやれるので、その分の贈与。 9月8日(月) インスタのおすすめにかなり前の元彼のアカウントが出てきた。パートナーとかみたいに思えたことはない。恋して、そのあと時間をかけて嫌いになっただけの一時的な相手。あまり更新してないプライベートなアカウントなのに鍵かけてなく、出会い厨で草と心の中で冷笑してしまう。誤いいねを絶対にしないよう、外科医がメスで皮膚を切るみたいに(ていね・ていね・ていねいに…)スクロールした。 9月11日(木) 仕事終わり、すごい雨。傘買う代わりに雨宿りのためにカラオケに行ってYUIを熱唱。ストーリーズにカラオケ画面をあげる。平成に青春を過ごした者ら歓喜。 9月13日(土) つがちがこっちに来ているので大手町で待ち合わせして、art center NEWへ一緒に行った。私は橋本聡さんの作品が見たくて。小山君、阪口君がパフォーマーとして...

8月

  8月3日(日) 私となんかすると最終的に手柄が全部私のものになってしまうといわれた。咄嗟に言い返せない。本人に言えばいいのだけど日記に書く。そう言われてしまっては、これまでやってきたこと全てが根本的に意味ないと言われているのと同じだし、私がいろんな仕事に対して感じていたモヤりを再生産していることになる。なによりも、全部私の手柄になってるんだとしたら、活動が持っている元のポテンシャルよりも随分減ってるということになる。こんな少ない?嘘だろ?辛すぎる。ていうか自分で結実させろよ。腹立ってきた。勘弁してほしい。 8月5日(火) 「何人にひとり」というあるまとまりのうちの割合を思い浮かべるとき、きまって中学のクラスを思い出す。あのクラスの女子全員が今年一気に厄年なのだ。あんなに大勢が一年間ずっと不幸(ということになっている)なのはなんだか気分いい。あのクラスの中で、何人が美術っぽいものに興味を持っていたか。ファッションにも音楽にも興味持つ人が少なかった。どういうことなのか。それでもみんな、課外授業で何か選ぶ時があったり趣味を聞かれて「読書」とか「音楽鑑賞」とか書いていたりした。職業体験の場所に私は図書館をえらんだら、名前を忘れてしまった一緒のクラスになったことのない小柄な男の子と一緒になった。それ以降、彼のなんか楽そうだという理由と、私の楽しそうだという理由で、選ぶものが合致することがよくあった。修学旅行のオプションで琵琶湖を選んだり。でももう名前も覚えていない。彼の情報が少なすぎて、思い出そうとすると脳の右側の前頭葉あたりにさざなみが立つ感じがする。それ以上なにも思い出すことがない。記憶の終点は浅い浜辺なのかもしれない。というか彼のことに関しては、終点が琵琶湖の景色というだけかも。全然何も思い出せないし、関わりもなかった。そういう人がわんさかいたのが学校という場所だった。 8月6日(水) チケット先払い制は長く続けるならいいけど、続けられないなってなった時にちょっと面倒だな。振り込みで返金?まあまだ事業畳む予定はないけど・・・。 8月7日(木) 絵、彫刻、映画、写真、詩、工事、プロジェクト、身体、音、メロディ、リズム、布、柄、手触り、物語 8月10日(日) (hey say jumpの)中島裕翔君の新しい写真集はイベント応募券付きのくせに本の中身が評価されて重...

7月

  7月5日(土) 総合文化センター大和田にて 子供向けの低く丸い机の周りを、ベビーカーが丸く移動する。真っ直ぐの棚が並ぶ。人は真っ直ぐに移動して、壁に向いて立ち止まる。全てが丸いのではない。 厚い絨毯が敷いてあるので足音がしない。子どもが小さな声でしゃべっている。子どものする遠慮、配慮。こういうの、なんと形容したらいいだろう。その奥で、別のこどもは足組んで図書検索をしている。低い棚から向こうが見えるのは、子どもが迷子にならないようにするためでもある。大石さんと篠田さんがすれ違う。 絵本は判型もまちまちで、実にいろいろな形がある。細長いもの。分厚いもの。大きなもの。そのすべての表紙は板のように硬い。 全部の情報を、見つけたいと思っている人が見つけられるようになっているのが図書館だ。その点で偶然の出会いに期待する店とは異なる、とおもった。 司書さんが確実な場所へと本を戻す。その合間に利用者の質問に答えている。図書館を維持する仕事。そういえば、中学の職業体験では図書館に行った。本を戻す作業は「配架」というのだそうだった。 teens' cornerは経済新聞などのアーカイブの棚よりもさらに隅にある。美術館にも、図書館にも、中高生はあまりこない。部活があるから。部活とはすべての悪しき習慣の元凶ではないか。空いているところに地図が貼ってある。 大人だけど背の低い人がいる。というか、ここにいるおばあさんたちは(私の母もおばあさんに片足を突っ込んでいる)みんなちいちゃい。大人だけど勉強してる人、いる。図書館でデートするひとたち。奥の組は二人で一冊の本をいちゃつきながら読み、手前の方の二人は各人が膝の上に二十冊もの絵本を山積みにしている。カバンを背負ったまま座る人、カバンを置いて座る人のどちらもがいる。二人席が縦に並んでいる。 新聞を読むための台はなぜ傾斜がついているのか?この傾斜のついた読む台(この什器をなんと呼べばいいのか)を使ってみたくて、東京新聞を手にとってみる。新聞の見出しは10字に収められている。新聞はけっこうカラー印刷のページも多い。でかでかと広告された夕張メロンが美味しそうだ。 曲がり角を曲がると大澤くんが私と同じようにテキストを書きながらキョロキョロと歩いている。棚の隙間を全ての人が歩く。ひとりずつ。 7月6日(日) 最近書いてる日記はなんていうか手抜き...

6月

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  6月3日(火) 多摩美でゲストレクチャーした。緊張した…。わしなんぞの話を出て行かずに授業だからと無条件に聞いてくれて、こんな従順な学生たちにどうしようもないようなことを話すわけには行かないとおもった。 恋バナみたいなすごく個人的な経験を、どのように作品反映させるのかという質問をアトリエ回ってる時にこっそりしてもらった。 6月8日(日) 鷹野さんの個展を写美で観た。目の端に映るような親密で見切れた風景、身体、(決してそれを周縁というふうには言わない)をそのように映すのってどうやるんだろうなって気になる。普通のことをエロっぽくなく、臭そうな感じでもなく、ふつうにニュートラルに。試しに自分の足をただただ見るままとして撮ろうと試みるも、難しい。なぜ難しいのかもよくわからないほどにむず。 6月9日(月) なぞの持論を展開しては取り下げ畳むようなガチ不毛でしょうもない恋バナがしてえ。悩み相談のように建設的なものではなく、自意識をしばきあうみたいな、ほんとうに不毛なんだけど少しだけ発見があるような、そんな会話がしたい。なにものにも変え難い、ただの間抜けタイムがほしい。ほんとただただどうでもいい話がしたい。もう全部疲れた。毎日創造的で疲れた。もはや美しくもない。もうちょい非生産的に汚くありたい。雑然としたい。 6月10日(火) パラダイスエアのワークショップ。パブロ。粘土と3Dスキャニング。ミハイルが来た。私もゲームは好きだし、作ってみたい気持ちもある。(認知症となって冒険するゲーム) ミハイルと粘土世界の様子に名前をつけるグループが一緒になる。私たちは4番のグループだった。紙粘土の触り心地が餅みたいなのと形がうんちみたいだったので、私たちはその様子についてmochi poopsと言うふうに名付けた。他にもpoop's tentとかHorny Wells(ムラムラ井戸と頭の中で訳しながら)などと名付ける。さっきHorny Wellsってググったらアメリカ人のエロおばさんの画像がたくさん表示されて焦った。ところでこの日記は音声入力で下書きしている。音声入力で書くと自動生生感が強い。知らないところから湧き出るような。言ったことがすぐ文字になるのでなんだか緊張感もある。AIと付き合い、AIを制御するために自身を抑制しながら喋る。 帰りにみんなでご飯を食べた。私はオタクが好き...

5月

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  5/1(木) SNSは空を模しているのかもしれない。投稿した美学校の「建築大爆発」のリール動画がプチバズしたので、建築学生らしきフォロワーが爆増してる。役に立ちたい気持ちでそうした仕事を頑張るが、基本的にやらなくてもいいこと(クオリティも含め)をやっているので質が世界に溶けてゆく心地がする。基本なんも起きないのだが、こうしてたまにバズったりするのを見ると、なんだか、天気みたいな現象だとおもったんだ。みる人にとって都合のいいものだったということが明らかになったり、ほんの一部の人にとってのみありがたがられるようなものになったり、本当誰にとっても(私にとっても)どうでもいいものにしかならないこともある。天気をみるのも疲れる。あー本当に疲れた。 5/2(金) 「あたたかい家」展に出すための作品をパッケージするのにえらい時間がかかってしまって、眠らずに今日が始まった。どこから今日ということにすればいいのか、よくわからないので、気持ち的に昨日ではないところを書く。 なんだか気まずいのは何に対してなのか。少し雨が降っている。「パレスチナあたたかい 家」には去年、参加表明だけして作品を出すのをやめてしまった。不特定多数との集団行動がしんどくなってしまったのだった。今回は(季節行事みたいに、少しも捉えないようにしないといけない)作品を出すだけということでギリギリ参加できた。りべかさんに久しぶりに会う。記憶の中の彼女よりも半分くらいの質量に痩せていた。陸さんがインストールを取り仕切っていた。陸さんとは仕事場でよく会うが、まさかここで会うとは思わなかった。そういうかかわりしろが作られているというだけでも、この展覧会の存在意義みたいなのが感じられるかも。ヤダヤダの作品をインストール完了。でもなんだかあまりにもアーティストとしての知名度が中途半端なので、この時期のこの作品をこの展示企画に出すということに耐えられないっておもった。私自身が1人でできる連帯を、わたしは考えていこう 午後はBUGへ。もう慣れた道。展示が終わるのが寂しくて、インスタに「もうおしまい」と書いたのを見て、二木ちゃんが「おしまい」という言葉が寂しいと言った。そう、さびしいね。言葉で気持ちが状況がディファインされる。土砂降りで、展示室に人が逃げ込んでくる。 5/3(土) 朝、日記のワークショップ。何十年も日記やっ...

4/9〜4/29

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  4/9 お金のワークショップした。詳しくは会場のノートに書いていく。水曜日のWSシリーズはなかなか楽しい。自由で。告知をしなくて半分ゲリラにはじめると予期せぬ他者に会えるのがいい。非常に特権的だ。特権的というと悪いみたいなかんじだが、いいも悪いもなくただただ立場として特別だ。自分がただやってみたくてやっていることに他人が付き合ってくれたり、広報してもらったり、ふしぎだ。「ワークショップを始めるんでよければ」と言うと、知り合いも知らない人もなんかわかんないけどというかんじでその場にとどまる。半分聞き耳を立てる。展示室の中で一時間程度の参加型の時間芸術につきあう。今日は「お金」について。参加者はみんな友達だった。 4/10 美学校で修了展搬入。20時までの搬入に19時に来るひと、そういう人結構いるが、周りの人もまあ呆れつつ、受け入れつつ、手伝っている。順調だよーとなかばヤケクソみたいな励ましを撒き散らしながら、的確に指示できた。偉い。クマのインストールで折原さんのインストール技を盗んで美学校で伝授。前に「キュレーターではなくて、サーキュレーターやね」というギャグを言ったことがあった。。今回の展覧会、コ・キュレーション担当でなくサーキュレーターとして名乗ったらよかったかも、家電みたいで笑える。場所とかの風通しをよくすること。自称するにしては尊大だ(なのに家電)。 設営作業でO JUNさんとはじめて話した。なんていい人なんだろう。描き逃げ!と言いながら1分くらいでインストールしていた。作品の形態こそ違えど、自分の制作態度と重なる部分がある。その場に起きていることをキャッチし(O JUNさんの場合は場所の色形、かな)空間ごと自分の造形あそびにまきこんで、そのまま嵐のように帰って行った。 4/11 BUGで小山さんにパフォーマンス練習に付き合ってもらう。「世界をよくする動き100選」というスキームを開発。よくする、は無限に増殖する。悪くする、の方が難しく、あらゆる動きを適当にやるという態度が「悪くする」につながる。その遍在性は詩のようだとおもった。何かを見るときに詩がくっついて、あるいは発生して、何かいいものになる。作品や思い出、とっておきたいもの、覚えておきたいもの。そういった遍在性の、逆。「悪い」の正体なのだという特定に至った。 4/15 パラダイスエア。おもち...

4/1〜4/8

 4/1 髪の毛を黄緑にした。どのくらい色を入れるかという話で、「原宿系ではない感じ」と言ったんだけど、せいこさんは00年代の原宿の景色を作ってきた人でもあるので、具体的なさまざまな人たちの話をしてくれるのを通して間接的に諌めてくれた(諌めるとは目下のものが目上のものにする意味を含んでるそうなんだが、その関係にはあたらないので、じゃあなんと言ったらいいんだろうか)。「いろんな人がいるのに「系」とか言ってごめんなさい、本当に恥ずかしい。」と髪を切ってもらいながら謝る。本当に恥ずかしい。実のところ、中高生のころzipperやcutieを読んで、きゃりーちゃんや奇ゃさりんなどの読モのブログを読み漁って憧れていた自分を、なんとなくいまの自分から見えないようにしたいという気持ちがあったのだ(見えていると思うけど)。なんだか、そういう気持ちを思春期のように隠したくなって、押し出されるように変なことを言ってしまった。せいこさんその場で諌めてくれて本当にありがとうだし、まじでごめんなさい。その場で自分も謝れてよかった。なんとか間に合った感。 きれいにしてもらって、レセプションの準備に向かう。二次会で花見をしたかったのに雨だからできない。残念です。ついて、ギリまでハンドアウトの校正。英訳の確認。鈴木さんによる英訳がひかりのはやさで上がってくる。すごいな。 パーティーには45名の方が参加したらしい。もっと少なく見えた。空間が結構広いんだな。いろんな人がそれぞれ展示室のいろんなところで座ったり、読んだり、見たりしている。伴走者なんだねと葵さんが言ってくれる。言い切らないで言葉で考えることについて「努力」という言葉で葉さんが感想を伝えてくれる。コンセプチュアルなものと生活的なものを同伴という言葉を解くことで結びつけることが成功していると能勢さんが褒めてくれる。日記が作品に昇華していること、考えることと実行することの思考と表現と空間的な設えが洗練されていると末永さんが言葉にしてくれる。うらさんは、グループ展で見せていくタイプの作家なのかもしれないね、と。ありがたい。野瀬さんと二人でマイクを持って立っている写真を二木ちゃんが送ってくれた。バディ感ある。なかなかいい展示になったと思う。アーティストキュレーションの、ひとつの限界みたいなところをやり切ったか。まだまだ足りないことだってあるけ...

3月1日から3月31日

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3月1日 こどもアトリエ。子どもが作るものは全部いいなと思える。通ってもらわんでもつくっているのに、何か提供できてるんだろうか。とか無用かもしれない悩みに苛まれたりもする。今日はMちゃんがこころオープンな日だった。Mちゃんは、自分のために何かするのがあまり得意でないのかもしれない。作りたいけど欲しいわけじゃない。なるほど。彼女は赤ちゃんがいるとじっと見つめる。この優しい目よ。Mちゃんが、指で編んだストールをIちゃん、Aちゃんにあげる。AちゃんがMちゃんに、これくれてありがとうと言う。 なにやってんのと聞かないで、一緒に作っている方がいいよな。わたしも何やってんのと聞かれると大人だけど(大人だからこそ、?)げんなりする。「なんだと思う?むしろ教えてください。」そういう感じ。 カメラのレンズを買った。膨大すぎて選べないので、マイクロフォーサーズの狭い選択肢がむしろよい。ビデオ用のレンズと、マクロレンズ、2つも買ってしまって、焦りがみえる。マクロレンズでみる世界はとてもエロくていい。 3月4日 飴屋法水さんとか吉増剛造さんとか、石川真生さんとか石内都さんとか山川冬樹さん、、の、講座があったらいいのにな、美学校で。いつか提案しよう。そういう後回しは大体忘れてしまうが、それならばそれでもいい。とにかく、今日不意にそう思った。だけれど、吉増剛造さんは、他の方だって、いつまでも生きていそうでいて、しかし、たぶん生き物でもある。 きょうはPARADISE AIRの日。パラダイスの仕事は目の洗い櫛でカールした髪を少しずつ梳かす的なところがある。遅くまでかかって腹ペコになった。帰り、雪の中チャリに乗りながらこどもアトリエのミーティングに参加。おでこが冷えすぎてやばい。 寝る前インスタの投稿を眺めていると、梅津さんの投稿がめにとまった。彼の文は結構読んでるけどことごとく好かない(そのつもりで書いているのを織り込んでなお有り余るうざさ)。うぜーという感覚を言葉ごとセルフミュートというか、ほぼ切っていたが、不意に情報が入ってきて、じんわり通電再開。ったくよぉ。なんだかなぁ。寝る。 3月5日 自分の作品の研究会に、ありえん大遅刻をかます。楽しみだけど自信が出なくてできれば行きたくないという気持ちがある。ふだん、ただの怠惰で遅刻することは多いのだが、本当に大事な時に限って朝早いわけでもないのに起...

2024/4/7の日記の要約*chatGPT

  展示室にいる人を連れてデモへ行った日の日記chatGPTに要約してもらいました。すごく綺麗にわかりやすくしてくれてなんか立派なことをした気になった。 要約 この日記は、2024年4月7日に東京藝術大学陳列館で開催されたワークショップ(WS)「みんなで何か思いつき、実行する」に関する記録です。ワークショップの目的は、「デモに参加しない人をどのように巻き込むことができるか」というテーマについて議論し、その後実際にデモへ行きました。 ワークショップの内容 このワークショップは二部構成で行われました。 14:00〜15:00:デモについての意見交換 15:00〜16:00:デモに参加しにいく ワークショップで出た素朴な疑問と意見 ワークショップでは「作者の悩み相談」という形をとり、参加者の意見を仮のアウトプットとして気軽に話せる場を作りました。 -デモはどのような人が企画し、どこで開催されるのか、それをどう知ることができるのか? -多くの社会問題がある中で、なぜパレスチナ問題に関心を持つのか? -共感と証拠、どちらがより多くの人々に伝わるのか? -「歴史の中にいる」という当事者意識はどこから生まれるのか? これらの疑問は、SNSなどの場では批判的に受け止められやすいものかもしれません。 ただし、このワークショップは実験的な議論の場であるために、素朴な疑問を話すことが許されました。 ワークショップという形態についての考察 作者は、ワークショップを「実験室」のような場ととらえています。実験室では、火や薬品など危険なものを扱うことができるように、安全を確保しながら進むことが可能です。 同様に、ワークショップに関しても「間違っても良いが、それが間違いであることがわかる」ような環境を重視していました。 また、このワークショップを振り返った日記では、セーファースペースという概念は一元的ではなく、状況に応じた「タイミング・スペシフィック」なものであると考えられています。 また、作者のワークショップのモットーは「多少気まずくてもOK」というもの。1年ほどの挑戦を経て、ワークショップの雰囲気はよりゆっくりで実践的なものとなり、参加者に依拠する形へと変化してきました。 デモ参加後の通知 ワークショップの参加者とともに官邸前へ移動し、実際にデモに参加しました。その場での参加は慎重で面...

1月と2月

  1月2日 何かについて、自分より知っている人との話し方を知らないというのはそれだけでよくないことだな。「それもっと教えて」を言うチョイスによって論破ブームで傷ついた世界はパッチする。ひとはもっとヘラヘラするほうがかわいい。 小競り合いを超えて今日ばかりは家族と話がうまくできなくて怒ってしまった、もうだめだ、最悪だ。妹が私のせいで先に帰った。ああほんとうにごめん。妹不在で父母私弟という組み合わせで一日を過ごすのは多分妹が生まれてから初めてのことだった。(追記: 1月6日にやっと謝った) 1月6日 仕事始めした ガザのインスタグラマーの子のアカウントみた。生理しんどすぎてなんだかわからないけど何やるにも力湧かないな。 1月7日 展示している作品は動物が多い。ということにあまり気づいていなかった。アリウェンがうらさんは異種との関わりを扱うアーティストだよね!と教えてくれて、確かにな、と思った。動物と何かをするのにはストレスがない。言語的に関わりを持つというのは私にとって結構ストレスなのかもしれない。正しさへのコンプレックスがある。強い社会的なショックがあるたび、作品未満のことを作品の中に入れてやろうと試みてきた。 別の何かと関わりを持って共に考えるだけでなく共に生きるということはフェミニズムだとおもう。みんなと仲良くやろうと試みるような"あばすれ仕草"(そんなふうに露悪的に語る必要もないか)も、まあビッチのフェミニズムといえるかもしれないが、それを続けたいのかどうか、という分岐が目の前にある。他人に期待することに限界がきている。北千住駅の乗り換えはいつもいつも迷子になるが、日比谷線から千代田線に乗り換える間のマツキヨあたりで精神的に追い詰められてしまう。今日もそうだった。 1月9日 (二木さんに送った文の下書き) 二木ちゃんの日記読んでて、外から見て面白がることについての10/28の日記読んで、語りかたのこととか私も知りたいなーと思った・・・というなんともぼんやりした反応なのですが。どうでしょうか。外部からの視線と利用者さんとの間に立って介在する、時に発生する小さなモヤりのディテールも興味深いです。そういった感情は外に出てこないよなと思って読んでいました。 ポーランドのアルトゥル・ジミェフスキの映像作品《Blindly》(2010)は、眼の見えない...

12月

  12月3日 おやまちゃんがインスタに書いていたエッセイをよんだ。勝手なアンサー書いた。キッチンでタバコバカスカ吸って立ち尽くしたまま書いた… 12月7日 寝起きからメールを返す。最近一日に書いてるメッセージやメールの量えぐい。なんかほんとこんなんあんま意味ない気がする。適当でいいよーまじで。チャットGPTのおかげで意見の取りまとめとか、報告書とか、どうでもいいところに労力割かないでいいので、一日のうちに使えるクリエイティブパワーを温存することができて大変便利。 役割が定まらない仕事は全然やり方わからない、し、やらなくても良いことなんだろうなと判断してやりたいことや誰もやっていないところから手をつけている。いいのか?これで… 12月8日 阿佐ヶ谷mogmogでパフォーマンス 知らない歌パレスチナのポップス(演歌みたいな)を聴きながら、それにあわせて歌ったりコーラスしてみたりした。何かに沿ってゆく。みる人によっては失礼だとおもわれるかもしれない。でも私のパレスチナの文化への関わりはこのようなかんじなんだ。Just Listen to the Music, but Sometimes Sing Along。いつ思いついたのと聞かれて2.3日前と言ったけど実際には前日。その前は普通にDJの準備してた。久しぶりに人前でパフォーマンス。パフォーマンス作品は1ヶ月くらい緊張し続けて、始まってしまえばそこから終わりまでで作品が完成する。人前で本番中に実験できる(つか本番を実験の機会としてつかう)のは天性の肝っ玉なのかもしれないけどめっちゃ緊張するしおわってからも辛い。だが後腐れない。行動だけがライブアートだ。 12月13日 1ヶ月のうち、どうやら4日間くらい鬱になるな。人と話すのは大丈夫だが、自分のために何もかもやる気すら起きない。そのあと元気が湧いてきて大掃除する羽目になる。模様替え。引越しで開けてない箱をやっと全部(本当に全部)あけた。 12月14日 わい、ちゃんと仕事回せるように絶対になるからみんなのびのびと抗議活動や抵抗運動やって大丈夫。抗議活動して仕事が来なくなったなんてことには絶対にさせない 。がんばってこう、いい作品作ろう、いい世界にしよう!そういう気分。。 駒場にて、生活工房の「対話の効能――〈わたし〉と〈あなた〉のあわい」Vol.2に参加。キャンパスの...

11月

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  11月8日 目的をともにせず、一緒に/何かをする。何も解決はしない。でも抵抗しようとしている。その逡巡をする空間を私たちの間に持たせておく。その現在進行形の現状報告。 (生存していることのみに意義を見出すのではなく、)(死はその人の本質ではないにしても、)←その後に続く言葉は何にするか。。 死者への敬意。怠惰な生とオプションとしての死。お金がマイナスの状況でも生きることはできる。ただ生きているということ自体は、私という生の本質ではない。「主体」という言葉がわざわざ必要になる、という状況をもう少しまなざすべきと思う。 尊厳は売ることができるのか?奪われるようなものなのか?貶めることはあっても、奪うことはできないのではないか?など考えるとき思い浮かべるのは、固くトロフィーのような形をしたカチカチでピカピカの気高さの象徴みたいなものだ。自発的に生成されたピッカピカのもの。 11月13日 六本木で仕事。明らかな金持ちとすれ違う。一言も交わさずともわかるこのすごく嫌い感。 11月14日 KUMAの搬入立ち会い二日目。在不在という(ありきたりなテーマ設定で最大公約数をとりつつオバケ方面にディレクションを振っているのが巧み。てかみんな性格良いなー。ほっこり。 ・feral text garden ・インターフェースのデザインが定まらず。日記のプラットフォームとしてこっちに移植したい。 ・抵抗の布びっちり石・Oちゃんお金済み発送まだ制作まだ紫カクカクの小石/Yさん本と交換する(イマイチにて作りなおす、紫鍵モチーフ)アーユールヴェーダ会する。/MSさんオンラインショップ待機中。 11月15日 遅い時間からはじまる仕事の前にジムへ行くのがここ数ヶ月の日課。今日はついに補助付き懸垂をやった。すでに筋肉痛で腕がだるい。トレーナーさんが「腹筋が引き締まっていない」というので、そのからだの使い方がいまいちわからないんだがと言ったら軽く鳩尾を突かれ「オウフ!」と内臓を筋肉で守る腹の動かし方が起きて身体の方で合点がいった。このトレーナーさん周りにあまりいない野蛮さでウケる。 夕方に成瀬巳喜男『放浪記』見た。面白すぎる。 夜はKUMAの学生のプレゼンの聞き役。私も自分のプレゼンしたーい。。 11月16日 こどもアトリエ。受講生のT君が、黄色のことを光色と呼んでいた。ピンクも桃色と。それを...

10月24日から27日と30日

  10月24日 土葬ができるように土地を作る活動をしている人のドキュメンタリーを、美学校の受講生の卒制で今年の初めに観たのを思い出す。その人はいたって真面目にやっているようだったが周りにいる人はなんかスピった印象を受けた。そしてよういちのことを思い出す(なんかごめん)。対馬の海で遊んでいるときによういちからメッセージが来て、そばでも食べに行こうか〜そうね〜と適当に会話して、そのまま、実際に会って話したりすることなくもう2024年になった。7年か。長い。それで神保町で立ち食いそばを食べて帰った。今日は行く先々のコンビニの曲でちっちゃく踊り続けた日だった。何もしなくたって生きていけるなと感じる日の、どれだけ健やかなことか。 10月25日 アーティストトークをする自分のロング寝言で起きた。寝言で起きるのは久しぶり。そういえば、隔日で朝10時にジムに行くしジムに行かない日は仕事に出かけるので生活習慣が整い、睡眠の質がめちゃくちゃ上がった。言わないといけないことも言って、ストレスも少ない。素晴らしい日々。寝言では、パフォーマンスの再制作は無理だという話をしていた。制作時点と今とでは身体が違うし、身体同様に過去の自分と今の自分とは人間として別だという。トレーニングとNARUTO視聴550話突破の成果を感じる。 SOUDANのイベントもそろそろなんかやりたいな。A.I.Rへ行ったり賞に出してみたりしたいなあ。とおもっているけど、今年度は忙しくて無理だな(今忙しいからと来年度の申請を諦めるとまた来年も同じようになってしまうのだが…)。住友問題の件を中断してるのもよくない。また芸大に問い合わせするか?それも正直めんどうくさい。暇じゃないし。間接的に芸大と仕事しているのだから、気持ちよくやれるように継続的にご連絡するのがいいか。そんな誰もやりたがらないこと、別にわしもやりたくはないけど。誰かやってくんないかなあ。卑近な、まじで自分(たち)の手で変えないといけないこと。周りの人に相談しながらでないと、実際に手を動かすということには繋がらない。展覧会を作ることも、抗議活動をすることも基本的には同じだ。同じくらいの仕事(とリサーチ)が必要で、到底手が回らないからやれることをやるしかない、となると結局具体的に今やらないとならないことに着手することを優先するか、しないか、どうするんだ、...

10月23日

  10月23日 低気圧でずっと頭痛いし寝てしまう。水曜日は基本オフ。夜になると気圧が安定して楽になる。 UAE、サウジアラビア、イスラエルを経由してヨーロッパ、アジアを結ぶ経済回廊を築く「新しい中東」構想および、中国の「一帯一路」に対抗するためにアメリカからサウジに提案されたインドとヨーロッパを結ぶ経済回廊構想、1960年代より存在した「ヨルダン川と地中海を結ぶ大運河計画」。これを実現するにはイスラエルが世界貿易の中心になる。当然この運河計画はパレスチナ自体の消滅を意味する(と書きながら地図を見ていて、シリアとかヨルダンとかも危機の中にあるのだなと感じる。シリア発のレシピなどの発明はイスラエルに奪われてしまうのだと教えてもらった。ヨルダン、レバノンの人口の多くはパレスチナ人の難民である)。宗教や民族間の領土に対して石油の利権が絡む。市民のことを考えると本当に苦しくなる。だから一度大局的なところをちゃんと知りたいと思って色々読むけど連関が膨大で少しずつやな、って感じ。大局的になると「中東はずっと紛争内乱戦争が絶えず油田で貧富の差がやばい」と、感じ方がすごく遠くなる。市井の人々の暮らしを見るには、やはり映画とか文学で。いい世界ってまじでどういうものなんだろう。

10月22日

  10月22日 先週、会計士のAさんにお金への苦手克服大勉強宣言したら「いいすね!お金はどこにあるかで意味が全然変わるから面白いよ!」と言われてめちゃかっこよかったナ。火曜に定期的に会う仕事仲間たち。みんなそれぞれで面白い。今日はみんなからめちゃ痩せたとかトレーニングのこととか聞いてもらって鼻高々、YouTubeで得た知識を披露することになった。顔がシュッとしたのでインパクトあるけど、実は腰回りはまだそんなに絞れているわけではない、というのは言わずに、どんだけ頑張ってんのかを得意になって話す。あと今行ってるジム(まだ2回しかいってないくせに、)が最高であることも爆喋りして気分よかった。 BUGの打ち合わせ。みんなとやろうとしてることをやっとわかりよく言語化。協働相手にはうまく説明できないけど、第三者にはプレゼンができる。パレスチナの料理のことをHAGISOのひとに話し、リサーチしてもらえそう。ナイスすぎる。こうして仕事の場から自分の活動を話しながらリーチさせていくことができるのはすごく嬉しい。 帰宅して勉強。「イスラエルでは戦死した兵士の精子の保存が「死後生殖」を目的に軍事作戦に組み込まれている」という内容の記事に辿り着く。フランス語読めないので(英語だって別に読もうと思わないのだ)翻訳機使って読むしかないが。生殖・出生ー死、人口をめぐるリプロダクション・ポリティクスの様相からもイスラエルという国の目指す形を見ることができる。死後生殖。ここで代理母出産というテクノロジーが出てくるのか。怖すぎ。 https://aoc.media/opinion/2023/12/20/accoucher-a-gaza/ 勉強していると、パレスチナに対して何もできないという気持ちが薄くなるので心が落ち着く。イスラエルという国の今後を考える。どうあの国政を辞めさせることができるのか。なんという言葉で意見を言うのが適切なのか……

10月21日

  パレスチナのことまだ全然知らない人とか、普通にスルーしてる人とかいるんじゃないか。朝起きて、腕を切り落とされたハマースの指揮者がドローンに殺された録画のビデオを見る。それにはネタニヤフから「これで終わりではないが、終わりの始まりではある」とガチの悪の権化の文言が付されている。チャーチルの引用か。歴史の教科書に出てきた数々の侵略のように、人類史としてパレスチナがなくなっていくのをリアルタイムで眺めているしかできないのか。パレスチナに旅行に行くにはどうしたらと思っていったんググってみると、AIサジェストの欄に「パレスチナはイスラエルですか?」と出てきた。その回答にはBBCの記事をソースとした「イスラエルはその土地で1948年、建国を宣言した。 しかし、イスラエルの生存権を認めない勢力は、その土地を今もパレスチナと呼ぶ。 パレスチナ人はまた、ヨルダン川西岸、ガザ地区、東エルサレムを総称してパレスチナと呼んでいる。2023/10/11」というくそみたいな文がソース元のURLとともに表示される。第一報からハマスがイスラエルにテロと報道した。間違ってる。イスラエルが不法に占領、抑圧。それへの抵抗運動が激化。そう書くべきだ。だからBBCのクレーム連絡先にメッセージを送ってみた。書いた人はシオニストかそれに近しい人だろうし、そもそもUKの会社だし、何にもべつにならないけど。一年以上も前の記事だし。でも送る、間違っているから。 もっと深く考えたいけど。 Title  The article by Zionist is very wrong. シオニストによるこの記事はすごく間違っています There are serious ethical issues with writing an article that forgets Palestinian history.The premise, Palestine is illegally occupied by Israel.The country of Israel is a distorted state created by the illegal settlement of European Jews in Palestine.This article is incorrect.Correct it. パレ...

10月11日、12日、13日、15日、16日、19日、20日

  10月11日 ホグレガのVR出ないかな。VRゴーグルのゲームやりて。てかNARUTOおもしろすぎる、終盤の4年間、大学で全然流行ってなかったよな。なんで。長門編から先ギャグパートで嬉しい。我愛羅よすぎ。全部の登場シーン愛しい。クェッと声出る。好き〜。。イタチは完全なる義兄だし。さいこ〜。なんなの、どうかしてるんですけど。少年時代のネジが怪我してるとこってまじ性的にクる。なんでなの。怖いよ。うーちゃん。あざす。 10月12日 あるメッセージの下書き────たしかに。ただのattitudeか。今読んでいる本に、「2011年にアメリカの小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業時に現在存在していない職業に就くだろう」ということが書いてあった。アーティストとは、本来的には存在していない物事を取り扱う職業であり、霧のように消えては現れ続ける不安定なattitudeを示すことだけが仕事なのかもしれないね。多くのアーティストがそうであるように、私は初対面のアーティストではない人に自分のやっていることを説明するのがすごく苦手なのだけど、それはartistの意味がmaker的なところではなくattitudeによっているからなのかもってあなたと話してて思った。 10月13日 地域を活動体として見たときアーティストのイニシアチブが強くなってほしい。アーティストじゃなくてもいいか。コミュニティとして。友達付き合いを堂々とやる。共有していることが多い友達で集まってなんかをやる。個人の拡大としてのグループではなく。。単位の話か? 10月15日 Aさんに影響を受けて――と書きかけて寝落ちし、その後何も覚えていない。Aさんが誰だったかも忘れた。 10月16日 パレスチナの子供たちがローラーブレードで遊んでいる動画とか、ローラーブレードを履いたまま殺されている写真とか、よくみる。私も子供の頃ローラーブレードで遊んでいたことを思い出す。うちの周りでも流行っていた。うちから友達の家の間にある短い坂をガリガリと音を立てて滑った。家から離れない危なくない場所でという決まりがあったのだが。インスタでみた、gaza skate teamの人たちの競技場でのワークショップや彼らがスケボーで瓦礫となった街を走りトリックをしているのをみると、ローラーブレードが靴であることや小さな移動を伴う遊びであること...

10月10日

  10月10日 午後から仕事。早起きできたのでゆっくり朝ごはん食べながら連絡を返したりする。今日も寒い。靴下を履くと安心する。 松澤宥の資料展示のサポートの仕事をした。他人のこととなると異常に手際がよくなる。早く終わらせたいから。松澤宥、感性が早すぎる。未来から来たみたいじゃないか。大きく一周している、世界がそして私が。70歳上のひとが50年前に言ったことに共感する(引き算できるか?彼が52歳のころに考えたことだよ)。この引き算に、自分がかつて52歳だったかのように錯覚する。未来なのだけど過去のようだし、他人なのに自分のように感じられるので不思議だ。びっしりとくっついて学ぶ時、そういうことが起きるな。研究者とかはそうなんじゃないか、自分の影が研究対象になるみたいな。あるいは幽波紋というか。オラァ。 夜にまた別の仕事のミーティング。その30分後にまた別のミーティング。なんか今日は異常に忙しい。詰め込んでしまった。疲れ果てて帰る。なんだかんだやることが多くて、火曜と木曜は本当に本当に疲れる。場所にいる時間の負担を分散したいけどそれは他の人のスケジュールもあって無理なんだよな。楽な仕事なんて一個もないのか。。 変な服を着たときに発生する「かわいさ」は、ぬいぐるみに近くなると思っているところがある。おしゃれとか奇をてらうとかでなく、なんというか命の要素がぬいぐるみに近づく。今日かぶってる帽子は、もう着ないようにしよう。もっといいぬいぐるみ帽子を探すんや。

10月9日

  10月9日 Twitterで、山本浩貴さんがこれをツイートにしてくれていたやつをコピペしとく。ほんmoney(けみおのやつ、言ってみたかった)至言だ。 《「それでは保坂さんは文学賞も反対ですか?」  反対です、夏目漱石は賞をとりたくて文学をはじめたわけではない、芥川龍之介が芥川賞とってないのはわざわざ言うまでもない、 「賞がないとどれがいい小説か、わからなくなりませんか?」  賞によって良くもない小説がいい小説だと思われる、フェミニズムの説明の抜き書きの最後のブロックの二段落目、 「能力や価値といった観念は相手のことを十全に知ることを節約するための道具であり、それゆえ今日の資本主義社会のようなせわしない条件においてこそ重宝される」  能力や価値を文学賞に読み換えればいい、 「それとは逆の、重厚な情報循環があらかじめ存在し………後ろに〈隠しもった〉ものも十分に推察できる共同体社会なら、それらの抽象的価値(文学賞)は衰退させることが可能になる。」  文学賞とか他の芸術全般に関わる賞とかそのジャンルの隆盛のためにあると誤解されているが「重厚な情報循環」のある環境をつくることが大事で、賞によってそれが省略されたり、情報のやりとりなど必要ないと思われたりするとそのジャンルは意退する、衰退するというのは、本が売れなくなる、観客が減る、美術市場が縮むということではまったくない、そのジャンルにおいてすごい作品がつくられなくなることだ、》保坂和志「鉄の胡蝶は記憶を夢は歳月は彫るか」75回『群像』2024年11月号