2024/04/04



朝起きたらなぜか全部の服が脱げててびっくりした。寝相が悪すぎる。暑くなると前からたびたびそういうことになる。風物詩である。

御茶ノ水から西日暮里まで、GPSを介して足元に千代田線を感じながら歩く。川底へ向かって階段が続く神田川沿いの長屋には、温めた海水で蒸したバスタオルで体を包む温浴サービスやらヘブンズアーティストの養成所やら、怪しげな商いが並ぶ。途中秋葉原の端に店内の装飾がモンハンみたいになってる美容室があった。ガラス張りのコンカフェでオレンジ色のメイド服を着た女の子が偉そうな感じで立って、お客さんと話していた。千駄木のあたりのレストランの外に置かれた植木に電飾が細くかけられているのをみていたら、お店のひとが明かりを消しに出てきた。なので去ることにした。

不忍池は賑わっていた。普段はピクニックや花にあまり興味のないひとたちがみんな花を見に出掛けていって写真を撮ったりする。その隙間を縫うようにして、ひたすらに歩いた。

音楽の過程を聴いていくのと最後の音を聴くのとで、モードのようなものをこちら(私)も変化させることができることにはたと気付いた。カーブした道に沿って歩行を変化させ実際に曲がっていくように、曲を私がこの身体をもって聴くのだという積極性があることに気付いたのだ。みんな知ってることなのだろうか。音楽を聴く人みんなに備わっている常識なのだろうか。ダンスするとかって意味ではなく、なにか働きかけるような、音を捕まえにいくような、そういう感じ。