2024/04/13

 美学校の展覧会が始まった。毎週展覧会で何かしら作品を介して他人とコミュニケーション取っている。

帰り際を逃した受講生たちがダラダラしてる間に別の鑑賞者が入ってくる。その人から「時代」の関連で知ってもらっていたようであった。そんなこともあるのか。あるか。たしかに、「時代」のインディペンデントな空気感は、美学校と通ずるところがあるかもしれない。


帰り、亀有駅で電車のドアが開き、目の前に金庫の広告に描かれた亀と少女の萌絵が現れた。小学校の卒業文集の表紙に微エロ獣人萌イラストを花びらや「思い出」などの作字と共に描き大人と同級生から囁かれるようにして顰蹙を買った記憶が突如として立ち現れ、ウーはおよそ20年間のうちに知らぬ間に膨れ上がることとなったトラウマティックな1分間にも満たぬ停車時間を耐えた。





(メモ)

他人の制作をサポートするTAや助手のような仕事は、作ることに心と手とが同じ速度で向かなくなった制作者がごく短期間の間着くべき仕事ではないか。手を動かすことにまず癒され、それは自分がどうするのかを考える契機にもなる。そのようにして、何かのついでに脳を身体をスプリットしそれぞれの部分へと繋がりつつも異なる仕方で分散させ、そしてそのスプリット倍分のことを考えるというのが他人を経由し補助しながら学ぶということの本質的な職務内容であるとウーは結論づけた。それがタコの自画像のモデルにおけるマルチタスキングのベースとなるアイデアであった。