2024/04/23

 


したくないダンスを振り付けられおどりながら、探究心でそのダンスを見出そうと努力する。それはダンスでなくて劇だよ。ダンサーでないひとがダンサーになってゆく劇。…と、こうして状況把握としてカメラを引いていくと劇がうつるが、どのようにその運動が「したくないダンスである」というのを表現するのかって、そういう話。

私の元に起きるある種の揉め事の調停の場は、どれも解を出さずに「そういうわけで引き続き…」という物に落ち着く。細かに話してるうちに問題部位の腫れが引いて、問題が問題とも思えないくらいのところまで行く。ここでそうしているように宿題として分解していく(もはや趣味である)と、結局は問題そのものを介して作られたそれぞれの心持ちの不自由さが摩擦点であることに辿り着く。そうなれば結局摩擦し削れ果てた部分はそれぞれに違うので異なる処方が必要になるはずだが、処方はより具体的な必要性を示した方に寄り添った一つしか作られない。なぜなのか。今日はずっとそれを考えていた。仕事の間も電車に乗っている間も自転車に乗っている時にも(なんかおかしいな…)と考えていた。

「なんで私に悪いところがあるわけでもないのにこんな思いをしないといけないんだ」という平凡すぎる気持ちの在りかは、問題存在として自分を指されるという認識に端を発しているものだ。まず私は処方者としての立場に立ち、悩みごとをなんとかしてやりたいという利他感情が働く(そもそもの場におけるロールも関係するのかもしれない)。今回の問題対象は自分自身の存在についてなので、それを見た目の上で変形させることは難しいことではない。事実を作ることは簡単なことだ。そうして相談に最大限に寄り添うため、自身には症状とは異なる処方を適用し、その隠蔽のために行動を変形させるにあたって心まで変形させていたことによる負荷が「なんで私がこんな思いを」ということだったのだ。と解がでた。スッキリした。自分を理解できた。そして二粒だけ涙が出た。

やはり昨日の自分が積極的に見せかけ取った選択は少し違ったということだけれど今更かな。どうしよう。どうしようもないか。別になんか言うようなものでもない。なんか実行していくことで後からわかっていくようなものだ。それでいいか。本質的に、私は問題存在ではない。

私には未来のイメージが無いから相談の形にするのが難しいのかもしれない。つか未来ってそもそも概念として好きじゃないし。フィクションならいいけど、多くの人は未来を現実のように取り扱っていて、それが嫌だな。しかもその現実感の元手は現在を縛ることで、その先に今後も約束事を結びつけていく共通の棒を持ちましょうという契約みたいだ。ひとつも承諾できない。死後の世界というアイデアも同様にして無理。現在を制御するための安定志向のプログラムは不要で、制御下にない状態で自由にすることができる枠組みの敷き直しが問題なのだ。私のこの考えというのは、もしかしたら反社会的な思想かもしれないけど、つまりそこにイデオロギーにも似た葛藤があったというわけだ。自分自身を承知できない約束事にあわせて変形させるって、このような苦しさだった。絶対に嫌だ。気付けてよかった。あぶー。なるほどな、私は未来というものを結構な圧をかけて嫌っているんだ。やっとわかった。無未来主義者なのだ。それは厭世観とは違う。刹那的であるというのとも少し違う。過去主義だ。過去には優しくも厳しくもあれる。それを繰り返すことが生であってほしい。懐古趣味とも違う。それで成り立つ今。そのような生き方であるのだ。

(未来を上手くコントロールしてそれを継続させていくスキルが資本主義をサバイブするための計算能力であり、でもそれではどうにもならない実際の閉塞感を抜け出そうとして動員される無責任な未来志向こそが、私の敵の正体なのではないか)

しかしながら、事実を大切にしながら今の私の嬉しさを叶えていくのはそんなに難しいことじゃなさそうなのに、どうしてこんな難しく感じるのだろう。

そこに過去の私を今大切にするというアイデアがある(これは今日の重大な成果ではないか)。全部間に合うってことだ。(スケジュールを埋めたいわけじゃない。だから昔のカレンダーを集めるのだ。日記を書くのだ。結局他人からはあまり理解されないのだろうか。話も聞いてるんだか聞いてないんだかわかんないし、あんま他人に期待とかできない。私だってされても困る。でも話はちゃんと聞いてもらいたい)。

やっと段ボールも全部捨ててすっきりした。4ヶ月も段ボールと暮らしていた。そう書くとイカれてるということが自分でもわかる。とにかく私は私のことがわかるまでに時間がかかるし、時間かけたいってことだ、そこにストレスが介在するにしても。啓発が私に役立たないのは影響されにくい質だからだ(だけどすぐ寝るのはいいということはよくわかった。9時間寝るとめっちゃいい!めっちゃいいぞー。うーちゃん、9時間寝たらそれだけで幸せだと覚えておいて、うーちゃん。頼むから覚えておいてください。お願い。覚えておくだけでいいから。。)

約束はある関係を結ぶための中間言語で、約束を結ぶことでそれを守ったり守らなかったりするポテンシャルにひらく契機みたいな感じに捉えてみる。贈与可能関係においての約束とは、棒を持ち合って関係を固定するものでなく単にリズムを与えるものだ。リズムとは止まったり始まったりの連続である。つまり適当でいいや…別に約束破っても嫌じゃなきゃいいし、嫌なことが嫌なだけなんだからってことなんだけど。。宣告じみた物として(そうでないと言いつつも、結局のところそうじゃんと思って)受け取って、くそな抑圧を感じていたが、その矛盾を丸呑みした怪奇な姿をした獣の自分が帰ってくる。まあこれも自分の中だけの話でしかないのだけど。