2024/04/05

うーちゃんは 予定してたことに赴くつもりで朝の支度をしていたが、そのうちだんだんと気落ちしたためにやっぱり今日はずっと家にいることに決めた。

予定とはデモのイベントに参加することと演劇の公演を見に行くことであった。今日の分の体力まで使って昨日をやってしまったのか、全く家から一歩も外に出る気が起きなくなってしまったのだ。


それで、チャン・ウーはこの日、本を読み、メールを返し、家事をして過ごした。朝集荷で鳴ったインターフォンへの「はい」が信じられないくらい低い。これはいけるぞと思い立ち、朗読を録画してみる。それが単なる自撮りであっても、撮影されていると気が張ってかえって身体が動きやすくなった。プレッシャーで自分を固定して、格好つけたりつけなかったりをする。部屋に声が響いて気持ちいい。なんのためにやっているんだか正直さっぱりわからないが、自分が楽しそうに本を読んでる様が記録に残っているのは社会貢献のうちに入るんじゃないかと考える始末である。

チャン・ウーの魂は過剰なまでに気高く、かつかなり多くの割合が怠惰に構成されて、それでいてシャイのかけらもない。

しかしウーは、美大芸大制度の一歩外へと自分の作品を持ち出してしまえば、自分のやっていることはなんの価値も持続しないのではないかとの焦りも感じていた。どこに出しても渡り合えるような作品もいくつかはあるのもたしかだが、しかしまあ、作品を見てもらう環境を整えるためには制度の外へ持ち出すというのがそもそも難しい。制度空間へ入ってきてもらうか、それかこちらが出向いてやって、見れるように準備して制度空間を展開するか。鑑賞のためにインストールが先に立つというわけだから、いかんせん、取り回しが効かないのだ。

来週にでも、作品の実況プレイをやってみようか。はたと思いつく。作者がその特権を駆使して、作品をカジュアルにしてやるのだ。動画の形でなく、文としてできごと全てを書き出してみるのでもいい。

平倉圭「ゴダール的方法」の狂気を目の当たりにして以降、克明さの基準がまるまる変わってしまったけれど、それでもなんとか頑張ってみる価値はあるようにも感じる。だらっとした雰囲気のものを、超密度へと変換するのだ。