2024/04/07

 東京藝術大学陳列館で14-16時に行ったWS「みんなで何か思いつき、実行する」は2部構成で、①14-15時:うらの悩み〈デモに行かない人をどうやって巻き込むことができるか〉について参加者にアイデアをもらう。②15-16時:官邸前(会場より20分ほど)でのデモにそのメンバーで移動して参加し、感想を言い合う。という内容であった。

3/30、大規模なデモの傍で、ルミネから出てくるカップルへ向けて「デートでデモに立ち寄るというのも乙なものですよ」というクソみたいなアジテーションをちっさい声でウーは行っていた。しかしそんなクソアジであっても、デモ参加の経験が0から1になるというのはその人にとっても、社会にとっても大きな民主主義の一歩だ。そういう考えがうーちゃんの企みの根源にはあった。てかラブってる者同士で手繋いでデモ行くなんて最高にクールじゃん、かっこいい、流行れ。

WSの話に戻そう。「悩み相談」という形式をとることでそれぞれの意見が仮置きのアウトプットとして話されるテーブルを作れる。悩む主体に無遠慮にアイデアを投げ込む。悩む主体はオーガナイザーとしても機能して、焦点を絞り続ける。

負担なくアイデアを出してもらうには、悩み自体が素朴である必要もある。話されたこともなるほどとおもえることが多数あり、メモを展示室に置いてきてしまったので今はここに書けないものもあるが、いわゆる「無関心層」である参加者よりのコメントを並べてみる。

-デモはどのような人がいつどこで企てているものなのか、それをどうして知ることができるのか

-あらゆる社会問題がある中でなぜパレスチナへの関心があるのか

-共感とエビデンスはどちらがマスな感性へ有効であるのか

-歴史の中にいるという当事者意識はどこからやってくるのか

こういった素朴なコメントは、おそらくツイッターなどで文字で見たらムッとくるかしょんぼりしてしまうものであるけれど、このめちゃ素朴相談の場ではそれもokである。



若干話はそれて、WSという形式に関しての覚書を尊大不遜ながらしたためてみよう。

WSとはプラクティカルな場であること、そして安心して実験できることがウーにとって重要な場づくりの思想的下支えであった(実際にうまく行っているかはさておき)。火や塩酸のような危険な薬品を安全に扱うのが実験室であり、実験という言葉を使うのであればその実験室のイメージを持って、たとえば間違えてもいいがそれが間違いであるということがわかるようになるということを重視するのだった。

だから間違いが起きるというのも大切であり、よってセーファースペースの考え方は一元的ではない、いうなれば、シチュエーションスペシフィック的なものだと考える。そのスペシフィシティ、固有性の根拠は集う各人によるものである。ガワの組み立てでなく、人が集まってるということ自体に重きをおくのである。

WSの実践の場において、ウーにはいつでも特権がある。キュレーター、展示室、大学と何重にも守られた上で、その場を動かすことができるパワーを与えてもらっているのだ。その代わりに、特権を活用しWSをする際に付与される企画者としての責任が、参加者の素朴なアウトプットをどのようにか可能にする程度を決定する。

そんな最中でのうーちゃんのモットーは多少気まずくてもokというものであった。ここ一年ほどのウーのWSのムードはよりスローでプラクティカルで参加者に依拠したものになっている。ウーがWSの中でガチで怒ったことは少ないが、その怒りは挑発や失言に対してではなく、他者を貶める内容に向けて、他者のために発動させることができるようウーは努めた。

ウーには、CSLABにてアンフェ気味な大学生たちとのジェンダーに関する粘り強いヒアリングと討論の経験があった。フェミニストのパイセンとして、ダチとして、主にガールズと共に「嫌なことに嫌だと言ってこう!騒いでok!」と言いながら、もちろんそれだって嘘ではないのだが、しかし実際にはネガティヴケイパビリティ的(といえば聞こえはいい)な教育実践に支えられた忍耐強さで(もちろん相手が大学生であるというのも折り込んでのことであるが)他者の真面目さを極大解釈して対話を放り出さないことを第一としていた。放り出さないどころか、絡まれたらかなりしつこく絡み返した。結果としてほんのりとした親密さも形成された。

うーちゃんはとかくフィードバック中毒者であり、しつこい割にスッパリして、ある点において冷たくひどく淡白であり、暇を感じやすい質であると自身を分析していた。そしてその性質によって、贈与可能空間をWSとしてひらいてきたのかもしれなかった。



話を戻そう。

ウーは、それらの素朴な意見の後にいちいち私見を述べても仕方がないとはいえ、抵抗や解放という概念に触れたことのない人にシェアすべき最低限の所感のようなものはあるだろうと考えた。

知った情報、おかしいと思ったこと、今まさに抗わなければそのままこの歴史に自分ごと固定されてしまうこと、そしてあの時なぜ行動しなかったのかと後悔することに必ずなること、抗議行動は明らかなる抗議の形を取ってしか抗議にはならないこと、など、どれも別段大したことはない普通のことであるけれど。ウーはそれをモゴモゴモゴと、えと、あの、なんか、と参加者たちの目を見ることなく床を凝視し吃りながら話した。


参加者のなかに、ベースにフェミニズムがあるとおかしいことをおかしいと言うことへの準備ができているんじゃないかと出してくれたひとがいた。その言葉は他の参加者の胸を打っているように感じた。

また別の素朴なる参加者は社会を個人が動かすことが難しいのではという類の諦念について「真面目に冷静になってしまう」という言い方で語り、イメージの中のデモというのはなるほど真面目で冷静には見えない印象があるのだな、とウーは受け取った。

で、その後にその場にいた全員と連れ立って、官邸前へ行った。

本日のスピーチはコンパクトに整理された内容で、初めてのデモ参加者にとっては取りかかりやすいスピーチだったのではとその後の振り返りの時間にまた別の参加者の方がコメントをしてくれた。

あのデモのあり方が真面目で冷静でなければ、この世のどこにも真面目で冷静なものなんてないだろう。それほどに整然とした規律正しいスタンディングだった。みんな疲れてるんだろう。もう半年も虐殺が続いているのだ。

そのまた別の参加者は、家で署名したりをしていたが、行ける時にはデモにも行こうというコメントを付した。free Palestineとコールに合わせてつぶやいたら涙出たとも言った。

そう!心の中でずっと言ってたやつを外で歩道で立ってやっと口に出していうときのこの気持ち!と、ウーは心中で頷いた。

そのことだけで、ひとつ「解放」という言葉の手触りが変化するのである。だから、いろんな人をデモに連れて行きたいのだが。

涙出たと言ったのは岩ちゃんであった。大学生の頃に作った「はじめてのデモ」の共作の相方である岩ちゃんの、はじめてのデモの伴走ができたことは、乱数的に発生して離ればなれになったそれぞれのできごとの契機が再集結してできた結び目のようだった。とにかくウーにとって、このことはなによりも喜ばしく感じられた。

帰りにフォレストリミットへ行って(元気だな)トラビサーノトリオのライブをみた。コルサーノのドラムがすさまじく、もうめちゃめちゃにかっこよかった。強い憧れのような心が働いた。


代々木上原まで身体全体を揺らしながら歩いた。疲れと余韻とが身体の中でマーブル模様になるようなイメージをして帰った。


メモ

-歴史修正主義に抗うための小学校教師向けの勉強会

-撤去される慰霊碑等は引き取ることはできるのか。できないのならその石はどこへ行くのか

-ひっそりとさせられている歴史をデコって目立たせる

-フリマやりたい