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10月24日から27日と30日

  10月24日 土葬ができるように土地を作る活動をしている人のドキュメンタリーを、美学校の受講生の卒制で今年の初めに観たのを思い出す。その人はいたって真面目にやっているようだったが周りにいる人はなんかスピった印象を受けた。そしてよういちのことを思い出す(なんかごめん)。対馬の海で遊んでいるときによういちからメッセージが来て、そばでも食べに行こうか〜そうね〜と適当に会話して、そのまま、実際に会って話したりすることなくもう2024年になった。7年か。長い。それで神保町で立ち食いそばを食べて帰った。今日は行く先々のコンビニの曲でちっちゃく踊り続けた日だった。何もしなくたって生きていけるなと感じる日の、どれだけ健やかなことか。 10月25日 アーティストトークをする自分のロング寝言で起きた。寝言で起きるのは久しぶり。そういえば、隔日で朝10時にジムに行くしジムに行かない日は仕事に出かけるので生活習慣が整い、睡眠の質がめちゃくちゃ上がった。言わないといけないことも言って、ストレスも少ない。素晴らしい日々。寝言では、パフォーマンスの再制作は無理だという話をしていた。制作時点と今とでは身体が違うし、身体同様に過去の自分と今の自分とは人間として別だという。トレーニングとNARUTO視聴550話突破の成果を感じる。 SOUDANのイベントもそろそろなんかやりたいな。A.I.Rへ行ったり賞に出してみたりしたいなあ。とおもっているけど、今年度は忙しくて無理だな(今忙しいからと来年度の申請を諦めるとまた来年も同じようになってしまうのだが…)。住友問題の件を中断してるのもよくない。また芸大に問い合わせするか?それも正直めんどうくさい。暇じゃないし。間接的に芸大と仕事しているのだから、気持ちよくやれるように継続的にご連絡するのがいいか。そんな誰もやりたがらないこと、別にわしもやりたくはないけど。誰かやってくんないかなあ。卑近な、まじで自分(たち)の手で変えないといけないこと。周りの人に相談しながらでないと、実際に手を動かすということには繋がらない。展覧会を作ることも、抗議活動をすることも基本的には同じだ。同じくらいの仕事(とリサーチ)が必要で、到底手が回らないからやれることをやるしかない、となると結局具体的に今やらないとならないことに着手することを優先するか、しないか、どうするんだ、...

10月23日

  10月23日 低気圧でずっと頭痛いし寝てしまう。水曜日は基本オフ。夜になると気圧が安定して楽になる。 UAE、サウジアラビア、イスラエルを経由してヨーロッパ、アジアを結ぶ経済回廊を築く「新しい中東」構想および、中国の「一帯一路」に対抗するためにアメリカからサウジに提案されたインドとヨーロッパを結ぶ経済回廊構想、1960年代より存在した「ヨルダン川と地中海を結ぶ大運河計画」。これを実現するにはイスラエルが世界貿易の中心になる。当然この運河計画はパレスチナ自体の消滅を意味する(と書きながら地図を見ていて、シリアとかヨルダンとかも危機の中にあるのだなと感じる。シリア発のレシピなどの発明はイスラエルに奪われてしまうのだと教えてもらった。ヨルダン、レバノンの人口の多くはパレスチナ人の難民である)。宗教や民族間の領土に対して石油の利権が絡む。市民のことを考えると本当に苦しくなる。だから一度大局的なところをちゃんと知りたいと思って色々読むけど連関が膨大で少しずつやな、って感じ。大局的になると「中東はずっと紛争内乱戦争が絶えず油田で貧富の差がやばい」と、感じ方がすごく遠くなる。市井の人々の暮らしを見るには、やはり映画とか文学で。いい世界ってまじでどういうものなんだろう。

10月22日

  10月22日 先週、会計士のAさんにお金への苦手克服大勉強宣言したら「いいすね!お金はどこにあるかで意味が全然変わるから面白いよ!」と言われてめちゃかっこよかったナ。火曜に定期的に会う仕事仲間たち。みんなそれぞれで面白い。今日はみんなからめちゃ痩せたとかトレーニングのこととか聞いてもらって鼻高々、YouTubeで得た知識を披露することになった。顔がシュッとしたのでインパクトあるけど、実は腰回りはまだそんなに絞れているわけではない、というのは言わずに、どんだけ頑張ってんのかを得意になって話す。あと今行ってるジム(まだ2回しかいってないくせに、)が最高であることも爆喋りして気分よかった。 BUGの打ち合わせ。みんなとやろうとしてることをやっとわかりよく言語化。協働相手にはうまく説明できないけど、第三者にはプレゼンができる。パレスチナの料理のことをHAGISOのひとに話し、リサーチしてもらえそう。ナイスすぎる。こうして仕事の場から自分の活動を話しながらリーチさせていくことができるのはすごく嬉しい。 帰宅して勉強。「イスラエルでは戦死した兵士の精子の保存が「死後生殖」を目的に軍事作戦に組み込まれている」という内容の記事に辿り着く。フランス語読めないので(英語だって別に読もうと思わないのだ)翻訳機使って読むしかないが。生殖・出生ー死、人口をめぐるリプロダクション・ポリティクスの様相からもイスラエルという国の目指す形を見ることができる。死後生殖。ここで代理母出産というテクノロジーが出てくるのか。怖すぎ。 https://aoc.media/opinion/2023/12/20/accoucher-a-gaza/ 勉強していると、パレスチナに対して何もできないという気持ちが薄くなるので心が落ち着く。イスラエルという国の今後を考える。どうあの国政を辞めさせることができるのか。なんという言葉で意見を言うのが適切なのか……

10月21日

  パレスチナのことまだ全然知らない人とか、普通にスルーしてる人とかいるんじゃないか。朝起きて、腕を切り落とされたハマースの指揮者がドローンに殺された録画のビデオを見る。それにはネタニヤフから「これで終わりではないが、終わりの始まりではある」とガチの悪の権化の文言が付されている。チャーチルの引用か。歴史の教科書に出てきた数々の侵略のように、人類史としてパレスチナがなくなっていくのをリアルタイムで眺めているしかできないのか。パレスチナに旅行に行くにはどうしたらと思っていったんググってみると、AIサジェストの欄に「パレスチナはイスラエルですか?」と出てきた。その回答にはBBCの記事をソースとした「イスラエルはその土地で1948年、建国を宣言した。 しかし、イスラエルの生存権を認めない勢力は、その土地を今もパレスチナと呼ぶ。 パレスチナ人はまた、ヨルダン川西岸、ガザ地区、東エルサレムを総称してパレスチナと呼んでいる。2023/10/11」というくそみたいな文がソース元のURLとともに表示される。第一報からハマスがイスラエルにテロと報道した。間違ってる。イスラエルが不法に占領、抑圧。それへの抵抗運動が激化。そう書くべきだ。だからBBCのクレーム連絡先にメッセージを送ってみた。書いた人はシオニストかそれに近しい人だろうし、そもそもUKの会社だし、何にもべつにならないけど。一年以上も前の記事だし。でも送る、間違っているから。 もっと深く考えたいけど。 Title  The article by Zionist is very wrong. シオニストによるこの記事はすごく間違っています There are serious ethical issues with writing an article that forgets Palestinian history.The premise, Palestine is illegally occupied by Israel.The country of Israel is a distorted state created by the illegal settlement of European Jews in Palestine.This article is incorrect.Correct it. パレ...

10月11日、12日、13日、15日、16日、19日、20日

  10月11日 ホグレガのVR出ないかな。VRゴーグルのゲームやりて。てかNARUTOおもしろすぎる、終盤の4年間、大学で全然流行ってなかったよな。なんで。長門編から先ギャグパートで嬉しい。我愛羅よすぎ。全部の登場シーン愛しい。クェッと声出る。好き〜。。イタチは完全なる義兄だし。さいこ〜。なんなの、どうかしてるんですけど。少年時代のネジが怪我してるとこってまじ性的にクる。なんでなの。怖いよ。うーちゃん。あざす。 10月12日 あるメッセージの下書き────たしかに。ただのattitudeか。今読んでいる本に、「2011年にアメリカの小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業時に現在存在していない職業に就くだろう」ということが書いてあった。アーティストとは、本来的には存在していない物事を取り扱う職業であり、霧のように消えては現れ続ける不安定なattitudeを示すことだけが仕事なのかもしれないね。多くのアーティストがそうであるように、私は初対面のアーティストではない人に自分のやっていることを説明するのがすごく苦手なのだけど、それはartistの意味がmaker的なところではなくattitudeによっているからなのかもってあなたと話してて思った。 10月13日 地域を活動体として見たときアーティストのイニシアチブが強くなってほしい。アーティストじゃなくてもいいか。コミュニティとして。友達付き合いを堂々とやる。共有していることが多い友達で集まってなんかをやる。個人の拡大としてのグループではなく。。単位の話か? 10月15日 Aさんに影響を受けて――と書きかけて寝落ちし、その後何も覚えていない。Aさんが誰だったかも忘れた。 10月16日 パレスチナの子供たちがローラーブレードで遊んでいる動画とか、ローラーブレードを履いたまま殺されている写真とか、よくみる。私も子供の頃ローラーブレードで遊んでいたことを思い出す。うちの周りでも流行っていた。うちから友達の家の間にある短い坂をガリガリと音を立てて滑った。家から離れない危なくない場所でという決まりがあったのだが。インスタでみた、gaza skate teamの人たちの競技場でのワークショップや彼らがスケボーで瓦礫となった街を走りトリックをしているのをみると、ローラーブレードが靴であることや小さな移動を伴う遊びであること...

10月10日

  10月10日 午後から仕事。早起きできたのでゆっくり朝ごはん食べながら連絡を返したりする。今日も寒い。靴下を履くと安心する。 松澤宥の資料展示のサポートの仕事をした。他人のこととなると異常に手際がよくなる。早く終わらせたいから。松澤宥、感性が早すぎる。未来から来たみたいじゃないか。大きく一周している、世界がそして私が。70歳上のひとが50年前に言ったことに共感する(引き算できるか?彼が52歳のころに考えたことだよ)。この引き算に、自分がかつて52歳だったかのように錯覚する。未来なのだけど過去のようだし、他人なのに自分のように感じられるので不思議だ。びっしりとくっついて学ぶ時、そういうことが起きるな。研究者とかはそうなんじゃないか、自分の影が研究対象になるみたいな。あるいは幽波紋というか。オラァ。 夜にまた別の仕事のミーティング。その30分後にまた別のミーティング。なんか今日は異常に忙しい。詰め込んでしまった。疲れ果てて帰る。なんだかんだやることが多くて、火曜と木曜は本当に本当に疲れる。場所にいる時間の負担を分散したいけどそれは他の人のスケジュールもあって無理なんだよな。楽な仕事なんて一個もないのか。。 変な服を着たときに発生する「かわいさ」は、ぬいぐるみに近くなると思っているところがある。おしゃれとか奇をてらうとかでなく、なんというか命の要素がぬいぐるみに近づく。今日かぶってる帽子は、もう着ないようにしよう。もっといいぬいぐるみ帽子を探すんや。

10月9日

  10月9日 Twitterで、山本浩貴さんがこれをツイートにしてくれていたやつをコピペしとく。ほんmoney(けみおのやつ、言ってみたかった)至言だ。 《「それでは保坂さんは文学賞も反対ですか?」  反対です、夏目漱石は賞をとりたくて文学をはじめたわけではない、芥川龍之介が芥川賞とってないのはわざわざ言うまでもない、 「賞がないとどれがいい小説か、わからなくなりませんか?」  賞によって良くもない小説がいい小説だと思われる、フェミニズムの説明の抜き書きの最後のブロックの二段落目、 「能力や価値といった観念は相手のことを十全に知ることを節約するための道具であり、それゆえ今日の資本主義社会のようなせわしない条件においてこそ重宝される」  能力や価値を文学賞に読み換えればいい、 「それとは逆の、重厚な情報循環があらかじめ存在し………後ろに〈隠しもった〉ものも十分に推察できる共同体社会なら、それらの抽象的価値(文学賞)は衰退させることが可能になる。」  文学賞とか他の芸術全般に関わる賞とかそのジャンルの隆盛のためにあると誤解されているが「重厚な情報循環」のある環境をつくることが大事で、賞によってそれが省略されたり、情報のやりとりなど必要ないと思われたりするとそのジャンルは意退する、衰退するというのは、本が売れなくなる、観客が減る、美術市場が縮むということではまったくない、そのジャンルにおいてすごい作品がつくられなくなることだ、》保坂和志「鉄の胡蝶は記憶を夢は歳月は彫るか」75回『群像』2024年11月号

9月29日、30日、10月1日、3日、4日、5日、7日、8日

  9月29日 風邪引いたので、マスクして仕事へ。路面店でのイベントは急に絡まれるので楽しい。店やりたいなあ。リサイクルショップ。 9月30日 感情を見せないことが良いという価値観がありますね。不安であるとか、怒っているとか、嬉しいとか、感情があり心が露出しているということが恥のような文化がありますね。人が泣いていたり怒っていたりするのを目にする時、またたとえば怒っている人に影響されて自分の感情が乱され不安になるということが、迷惑だと感じる時がありますね。感情が無いような時が心地よく、何も考えなくてよく、普通でいられる。そういうことがありますね。毎日降りかかることによって引き起こされる小さな怒りを抑えないといけないというプレッシャーがありますね。怒っている自分になりたくないという思いがありますね。それは優しい自分でいたいという思いですね。 様々な無関心について考えていたら、「無情」として振る舞うこと、シンプルな趣味、そういう無機的な物への憧れやSNSの運用が関係しているとおもった。 10月1日 グローバルストライキに合わせたかのように発熱。仕事を半分休む形でオンライン参加。PJ終了のお知らせ?先方がやる気無い予算ないということならなにも憚らず、やりたいように… 10月3日 Mちゃん、Hちゃん、あいち2022のメンバーと美学校で会う。不思議。あのプログラム面白かったな。集団行動というほどには集団感がなかったのはなんでだったのか。私たちが自由に話しているところを録画するというのは(あるいは、録画しながら自由に話すというのは)とても大変な事だった。なにかを言ってやろうとはしないで、ある種受動的に話すような。 10月4日 TERFなローリングのことで、ハリーポッターのファンであることに折り合いがつかないつかないと言いながらも任天堂のセールでまんまと購入したホグワーツレガシーの性別選択はかなり配慮されてるとおもった。性愛/友愛もかなり複雑に緻密に(それは原作でもそうだったか)扱われている。私はパートナーを選ぶタイミングではいつもナティではなくセバスチャン・サロウを選択する。セバスチャンはいい奴だし美声のスリザリン生だ。わたしのシスヘテロ性がゲームの中まで持ち込まれるのは、子どもの頃ホグワーツに行きたいと心から夢見ていたからだろうか。ゲームの中で、ヴォルデモート以前のボ...

9月19日から28日

  9月19日  折り畳まれきった世界の矛盾がわたしの通知をパンパンにする。つらい。いろいろミュートする。あまりインスタやらんようにしよ。中川ホメオパシーさん、斎藤潤一郎さん、風間サチコさん等々の面々が投稿やらストーリーズやらに♡までつけてくれる。SNSの気まぐれなマジックにより、なんてことだと普通に汗出る。 9月20日 防火管理者になるべく講習をうける。1限から4限までずっと座学で300Pの資料を読んで、災害時の行動や、死の予感を回避する日常業務を学ぶ。この資格を取ると避難訓練のシナリオを書くことができる。会場は県立公園の中の公民館で、野球場とか素敵な木立なんかもある。いい公園。遠すぎるけど。ここがどういう立地にあるのか、地元と照らし合わせて測ろうとする。まあ多分あのあたりかな。めちゃでっかい椰子の葉の枯れたやつが集積しているところがあり、ずっと見た。デカさ憧れる。 9月21日 講義の休憩時間になると外の空気を吸いに喫煙者たちがアゴラに集う。みな一様に日光の方を向いて立つ。 安全対策とオルタナティブなアートスペースの折り合いの悪さ、ずっと感じている。というのが「死の予感」。自由でありながら安全であるというのは、自由の感触次第で共存できるはずだが。インスタレーションやパフォーマンスのアーティストは安全講習的なの受けるべきかも。今どき教えてるんだろうか。安心安全系の資格とったの嬉しいな。 仕事の過去の記録を覗きみると、イス大使館でのパーティーに上川陽子外相が登場し、それに同席している知り合いの投稿があり、やはりセレブじゃないのにセレブ扱いされる面白さってなんか裏があるよね。とおもった。 9月22日 ここ10年くらいで野村さんのボタン投げる作品に何度も何度も何度も参加してる。この感じの作品でそういうこともあるのか。重要なアーティストとして多くの人が位置付けようとしてるということだろうか。同じ作品を見てもらうというのは大事だと思う。新作だからいいとかではなく、どういう作品なのかを見てもらって時代ごと(?)記録するみたいな… あと今日見たP.F.チェルナ「マロシュと一緒に」が最高すぎてずっといい気分だ。いい作品みれると本当に嬉しい。元気出る。がんばろ。もうほんと仕事したくないなー。 自分の作品とか行動の振れ幅がでかくて、もろもろが説明するの難しいの色んな人に話聞いて...

9月14日と15日と16日と17日と18日

  9月14日 久しぶりにアトリエオンゴーイングの講師。はじめましての子が来る。その準備のために粘土を実に9ヶ月ぶりに触る。アーティストとしてまずいでしょ。久しぶりにやった粘土はまじで楽しすぎる。形を作ることで誰にでもなれる。つくる時、私らしさなんて二の次で、この何にでもなれるというのが面白いんだよな。模刻。 9月15日 なんかのパビリオンでAさんの作品を見る、という夢を見た。起きてからぼーっとして、腹ペコなのでお粥と梅干しをちょっと食べる。食べるたびに眠くなって家にいると何度も寝てしまう。次の夢ではRさんとMさんが交互にすっっっっごい優しくしてくれる不思議なおもてなしを受けた。起きてからしばらくの間、なんだこれはとうっとりした。 小学生のころ、特定の友達から束縛されるのが嫌で、オソロも全然好きじゃなかった。二人とも良いと思って同じ物を一緒に選ぶのは楽しい。真似されるのが嫌だった。世話をするみたいで子どもの頃はそれも嫌だった。それでやっとできた友達に、新しい友達ができるのは嫌だった。嫉妬の感触。 中学の友達は、3人いて、K,A,Nはそれぞれ序列なく、別々に大好きだった。彼女たちはそれぞれ違うタイプだった。今はインスタでフォローしてるだけ。みんな別の友達もいて、私もそうだった。それで成り立っていた。Kはオソロが大好きで私はそれが嫌だったが、彼女の「無理なもんは無理」みたいなところが好きだった。そして彼女はオソロを受け入れまくる友達(お小遣いを友情のために使うというのもすごい)とギャル道を突き進んでいった。Aと私は何かを実行する時の速度が近く、一緒にいてとにかく楽しかった。Nと私は校則よりも自分の意思を優先する悪友のような感じだった。今会っても仲良くなれるのかな。子どもの頃の友達との関係を思い返してみると、毎日会って増やしていった共通のものが二人の間にだけある関係を友情と感じていたような気がする。友人関係にもポリガミー、モノガミー、的な部分がある。個別に大切に思っているということは、それぞれと伝わりあっていたと思う。友達。 今日高校時代の友達に会った。Hとはここ半年でなぜかよく会うようになった。恋愛相談を受ける。雑談だと言って色々話してくれるのだけど、私はなんでかそれに少し怒ってしまう。「みんなにしている話を私にも暇つぶしに話すのはやめて欲しい」といってみる。こ...

8月28日から9月11日

  8月28日 フィリップパレーノ展みた。働いた。つかれた。自他は分離するのが大事だとおもう。それは話し合うために。自分の意見をいうことはすごく大事だ。自分の意見がないように振る舞うというのは、何を目指してとられる態度なのだろうか。 なんか上手く行くとか、滞りなく行くとか。そういうのは私はあまり優先できないな。逡巡がありながら滞りながら何かが経過し続けていくのが大事だ。 8月29日 山本篤+和田昌宏展。普通の悲しみというか。ユーモラスさが渋い。山本篤さんの作品好き。おかげで疲れが回復した。胃腸炎気味。土砂降り。帰宅して座りたいところにあったクッションを15cm蹴飛ばす。えーん。つかれたー。明日も仕事。やべー。来週も出張。飛行機乗り逃しがこわい。 8月30日 仕事。仕事の時間の間の記憶ほぼ無し。早よ帰る。 ナルト疾風伝304話のアニメーションすごい。クナイで弾き合っているのなんて、ナルトでしか見たことないのに、こんなにも重さが伝わると感じる。デカさを感じる。下がりながら少し上昇したりの立体的な戦い…止めながら萌語りしたい。 8月31日 めっちゃ寝て昼寝もしたら浮腫が抜けてそれだけで体すっきりした。むくみってどこいくのだ。 9月1日 疲れが抜けないぬー。短い出張から帰ってきて、数日経ったがなぜか疲れが抜けない。休んでいるんだけどね。なんだか家が狭く感じる。片付けたいが、片付ける場所を作るのが難しい。 気分を上げるためにるーるるが言ってたメイクをしたが、顔面のギラめきにいろいろと追いつかない。元気でないね。マグダレーナベイのアルバムいい。h.e.l.l.o.とかのエモいタイトルの作品?もやってみたい。 ラメを纏いたいっつうかラメそのものになりたいんだよ。そんでぼーっとして轢かれそうになる。信号守ってたけどなとプンスカするのも死んだら意味ないから気をつけないと。ナルト、自来也死んじゃったな。寂しい。。もうどうしたらいい。。 9月2日 自分の意見がうっすら却下されるばかりの日々。1%のアイデアを1000個出せるひと、50%のアイデアを20個出せる人。ひとりで50%まで行くというのがそもそもだめって話なんだけど… 鬼トレーニングによってお尻めちゃ小さくなった。洗濯が間に合わなくて泣く泣くちっちゃくて嫌な感じのパンツはいたら、他人のパンツかと思って何度も確認したが、身体の...

8月23日から8月27日

  8月23日 欲しいのはスタジオというよりも準備室というよりも実験室。私案外言葉の中に囚われてそこから出るためにめっちゃ時間かかるな。 8月24日 腹筋辛すぎる。ブレワイついに本丸到着。きんぴらごぼう美味し。広告で「ズボラ下着界隈のひとちょっと待って!」という文言を見る。人をコケにする文言制定会議あったのだななどと思い、ここに書いてと、至極無駄な3行程を踏む。 8月25日 阪中君のパフォーマンスみた。阪中君の作品て、思いついてから展示室で実施するまで心を折らず引っ込めず、どうなるかわからん状態でアイデアをアイデアのままキープしながら準備するというところによくよく隅々まで神経が通っている気がする。中距離中規模のパフォーマンス+インスタレーションを着想し準備し手配して実施までできるというの普通にまじすごい。建物とかの構造物に対して小さな身体を挟み込み置き場を設けるみたいに部屋の中に持ち込んだ装置で、居ることをパフォーマンスにし、パフォーマンスと労働の境を危うくし、てか労働性を帯させることで生活がパフォーマンスとして成り立つ。別にそれ自体は作品じゃないっすみたいな感じでありつつ。でもまさに作品の中心に身体があり、生存し、生活している。そっけない普通に/変に生きてるひととして、インスタレーションの見た目とはかなり違うところへしれっと鑑賞を運んでしまう。展示をするということの「こんなことがこの建物でできちゃうかもよ!」みたいな感じ(←この言い方は失礼かもしれないが)で、フィクショナルや鑑賞者の想像力に任せる的なことやあるいはいい話系の形に落とさずに、めっちゃちゃんと準備して実際にやらかして冗談が冗談じゃなくなる。それは本当にすごいことだ。 8月26日 目的を共にしない集団的なひらめき(満員電車の中で全員にいいことが起きる)。 wifiや携帯の契約時に取り付けたままにしていたいらん契約全部解除した。はー。やだねー。 ひとつも面白くない好奇心の持てない行為をする人がいるのは別にいいけどそれを本人が「ナンセンス」と呼んでるのはセンスレスの間違いじゃないですか、、。自分の作品に自ら既存の新規形容詞つけてしまったら、なにやってもそれにしかならなくなってしまうし、やめたほうがええて。 バルニーちゃんのordinary特にOGが良すぎる。。寄ってくる猫、リスや小鳥〜かわい〜。 リ...

8月21日

  森へ行って「ジブリみたいな景色...」と言う馬鹿を馬鹿にして生きてきたがもう馬鹿にできない。隠れた場所の真ん中あたりに石が置いてあればもちろん「ここコログいるとこだ...」など言わずにはいられん。 敷地さんのリサーチに参加。なんか役立てたのだろうか。リサーチとほとんど関係のない細部だが、気怠げな(宇多田ヒカルっぽい)動きに総じて2000年頃の雰囲気を感じるとめっちゃアホな語彙で伝えると、ヒップホップダンスっぽさということだと共通理解の床を敷いて指し示し、そのあとはその要素がインプロから摘出された。すっご。囁いたり動いたりして遊ぶのも楽しかったな。本番も見に行きたいが。本番とかは無いのか。

8月20日

  最近遊びすぎてかなり疲れた。眠い。遊ぶの好き。前はもっとワーカホリックのような感じだった。ラボでみんながめちゃ遊んでるの見てたからな。それで齋藤君が色々遊びに連れ出してくれたりして、できるようになったことだ。関係の中に位置を持っているわけではない操作不能な時間をそのまま享受するのをできるようになった。人生のある部分が助かってる。 ほんで、今日も仕事の後に遊んだ。Nakibembe Embaire Groupのライブを観た。何人か心当たりのある人をお誘いしたけど結局ひとりで行くことになった。気楽。一番奥の演奏者が、どでかい木琴の(エンベールという。模様が彫ってあってかっこいい)一番端の幅の広い木を腕でぶっ叩く。地面ぐらい低い音が鳴る。リズムと大きな音のトランス感。コールアンドレスポンスがありえんくらい難しかった。入るリズムがわかるとなんか経験した、という感じがした。ハッピーミュージック。

8月18日

  関さんの展示へ。「最近の範囲」か、とおもってカメラロールを見返しながら帰る。ほっこり。6月あたりの写真を見ると、最近かと思ってたら案外前だなというのと、案外前かと思ったら割と最近だなっていうのとが入れ替わったりしている。メモリー的/目盛的(ダジャレだが、ピンとくる)に整理しようとすると6月はあんまし最近じゃないかとまとめてしまいそうになるけど、そういうふうにはしない方がいいかな。4月くらいまでを最近、ということもできるし。3年ぶりに会う知り合いには2021年くらいのことも環境として話したりすることもある。本当にここ最近については、買ってからまだ使ってない物の写真とか、7月に初めて今も継続していることとかは最近のうちに入るか。やめそうにないことは、未来であっても最近という言葉に圧縮して話すことができる。面白い。 それでも最近どうかねと聞かれて今の話をすることはあまりない。少し広い時間のことを話す。それと日記書いてるからこそ、「最近の出来事」をひとに話す時は(日記に書いたことを話してる)(これは日記に書かずにひとに口頭で話すこと)という意識が、出来事が私を通過して言葉に変わる過程に差される。(私が、とも、文が、でも、出来事が、でもなく、主語が私であるままそうでもないような感じで複数になる感覚がある。中動態ってことなのかな、なんかすぐそう既存のってか他の人が見つけた概念に自分の感覚を置き換えてしまうのは、日記という場においては勿体無いという気持ちになる) 日記をもうこうして3年くらい書いていると文書く私の方が全体的に日記化していってるところもある。日々を過ごしながら(これは日記に書こう)と思うことはたくさんある。でも大体覚えてられない。どうでもいいわけじゃないのに忘れちゃう。いろんなこと。作品について、ひととの間にある大事なことも。全部忘れてしまう。でも完全に忘れてるわけではない。それで思い出す。時間をとって書くことは私には結構大事だ。自分に話し直す時間?。出来事に埋もれていく感性を言葉で掘って出してやる。私を毎日の中から出してやる。私が日記化するというのはそういうことでもあるか(書きすぎることで怒りや悲しさが加速することもあり、そういう時は大変。そもそもそうなりたくはないから、人との間にある事は頑張って向き合う、宿題にしないで。ひととの間にあるものは私の中に...

8月17日

  オンゴーイングコレクティブの子ども教室のイベント日。子どもが画材を弓の形に自らオリジナル造形し、それをその画材で繰り返し自ら描いてるのをみて、シリーズ作品ってこうやってできるのだ(たしかに)とおもった。 筋トレを勉強し取り組み直して、今日で3週目に入った。食べるものの選択、歩き方、毎日の筋肉痛など何もかもが違う。筋肉量が上がったのか負荷が物足りないのでウェイトをひとつ重くする。途中でへばる。へばるのも面白いし、数字が上がるのがなぜか楽しい。もっとやりてえという謎の人格が同居しており、家用にケトルベルを買いそうになったが、少し様子を見ることにする。

8月16日

  やる気出なくても仕事できるようにならないと仕事自体にやる気がないみたいに思われてしまうんじゃないか。。気持ちだけあっても仕方ないので、やるぞ。できる人がなんの努力もしてないなんて思ってないけど、あまりにも何にもできない自分のダメさが蓄光シールみたいに暗闇にぼうっと光っている(ちょっっとだけロマンチックな感じに自分の不甲斐なさを書き出すのも情けねーっ) 虐殺って文字だけで、もう知らない人の、パレスチナ人の、死んだり怪我したりの姿が目に浮かんで・・・いつまでこんな更新が続くの。戦時下での表現、生活、そう思った方がまともでいられるって感じする。その意識がないと、きっと根本から間違った発言になる。

8月15日

  チャットの流れで人形浄瑠璃の話になる。語りたさすぎて長文になるので送りかけてやめた心の声→ ワーーー。。NARUTO疾風伝の敵のサソリっていうキャラの話とかめっちゃしたいわ。。私的にはサソリの回で語られるチャクラ解釈が、物語全体の人間とは何かチャクラとは何かキャラとは何かなどのわかりにくい世界観のルールと本質を突いてると思ってんだよね。それ以外はなんでもアリになりすぎててあんま面白くないというところもあり。。てかNARUTOは精神的な傷つきやトラウマを全体として軽くなって扱う傾向にあるんだけど、サソリだけは語り尽くされない深みがあって、私はそこが好きなんだけどね。やっぱ身体と精神をエネルギー換算して戦う世界で「何かを操る」というとき、それをちゃんと操っているのか・それでいてそれが強いというのはどういう状況なのか・人間と非人間の境は何か・魂は死んだらどういう扱いになるかというのはかなり問題になっててそこが熱いんだよね。あ、サソリは天才人形遣いなんだけどね。。。。だから思い出したんだが。。。。 てかね、NARUTOは分身の序列とか身体の乗っ取りのルールとか死者の呼び出しとかいろいろあってまじ面白いよ(長々とオタク失礼)。攻殻機動隊の人体-魂-行為と社会構造を巡るSF表現とは全然違って、肩から人が生えてきてオマエ俺に何したっ!?とかなっちゃうのもおもろいよ笑 無から有を創出できるあらゆる理由がチャクラってことになってるんだけど、そこにも一応のルールがあって。 チャクラ=精神エネルギー チャクラ量=術によって消費する。潜在的なもの。多分絶対量は変化しない。戦いの中での扱われ方は体力とか気力と近い。 チャクラコントロール技術=ほぼ集中力。頭の良さ、センス、繊細さとも近似。 とか。忍術、魔法、呪い(悪魔の実は呪いの類いだと思う)…など異能力が単に世界観によって定義づけられるジャンプ作品の中で、能力の個別性でなく質と量のバランスで能力を語ることができるのは特殊だと思うんだよね、、それは登場人物全員が忍者だからっていうことにも関わっていて。。ああ。。ナルトがみんなを口説いて回っているのもやばい。ネジにさとの因習を自分が里長になって断ち切ってやるってばよというのも、サスケはなるとのこと唯一の友達(もはや生涯のパートナーというか)と思っているのも、我愛羅もナルトと出会ってメ...

8月14日

  ダブルスタンダードは大事だという話を友達としたのを、長い電車に乗りながら思い出す。最近、スパイグッズとかにあるような「二重底」に関心がある。デュアル。異なる二つが重なる(ダブル)ことで、別のになる(デュアル)。二つであるという前提を保ったまま一つと数える。ダブルであることとデュアルであることとは大きく違い、二つで新たな一つを作るというアイデアはたぶんダブルスタンダードという時に浮かび上がる気まずさから抜け出す手がかりになる。複数性でなく複層性として。 三浦半島の地層が隆起した崖を見に行った。夕方からにして良かった。関東大震災で隆起したらしく、それ以前は全く違う地形だったよう。どのくらいのスピードで変わるのだろう。私がその地面の上に乗っかっていたら、倒れたりボイーンと飛んだりするほどに急激に動くのか、それとも。はー楽しかった。 昨日焦って近所に髪切りいって、そんで正直なところなりたかった髪型にならなかったのが、ちょいちょい心を削ってくる。早く伸びないかな。それで髪型ショップ行きたい。

8月13日雑記

  昼 四つの虫の死骸を通り階段を登って家に着く。昨日から今朝にかけて吹いたいずれかの風に、服が攫われた。それを探しに外へ出るために、また四つの虫の死骸を数える。それらはひっくり返っている。 SNSを遅いツールとして 販促でなく 使わなければならない 明日が楽しみなので髪を切った。いつものとこでなく近所で。ほんで髪型ショップのすごさがよくわかった。自分の見た目を任せるのは知らない人にやってもらうのは無理だなとおもった。骨格診断とか似合わせとかイデオロギーに反することされたくないし、私はもう「ウルフっつーかオオカミに近い古い種の犬のバセンジーで、3歳でも16歳でも30歳でも髪型ねオッケー」というお願いをやってくれる美容師がいるまじ奇跡みたいな世界に生きているので。朋。 夜 一坪ほどの小さな貸しギャラリーで展示をしてみようかな。貸しギャラリーって使ったことがない。小さなスペースでの展示なら、なんか新作作るというのもできそうな気がしてくる。街の中の場所に作品を「置かせてもらう」という態度が、自分の作品にはこれまで発生したことがないな。いろんな勘違いの治療や市民としてのリハビリになりそうかも。いつもなんかやらねば😾👊と緊張してしまうので、カジュアルにやってみたい。 ところで…Y2Kっぽいデザインとして、結構長いことメタルのロゴレタリングと車のエンブレムのハイブリッドみたいな左右対称の炎や翼の切れたクローム調で動的な形態をしているロゴを見ない日は無いんだけど、あれの起源ってなんなんだろう。aespaっぽいデザインのあれ。ロゴ自体が流行ってるのも何?なぜ?ファッションに疎い。 ロイホでビーガンカレーを食べた。めっちゃ美味しい。トレーニングの時間を取るために、夜はあまり遅くならないように遊ぶのがよい。風呂入った後家でもやる。汗だくすぎる。クロスしたりひねったりするプランクが異常にできない。2回もできない。高校生の頃もできなかった。腹筋がない+体幹が弱いのかな。電車で揺れてもすぐ転びそうになるし。 制作はやるぞという時に集中してやればよし。こないだ見た橋本聡さんの展覧会がすごかったのを、ずっと忘れたくない。

8月13日

  今日以降の日記には実際の人間関係のことを書かない。アートをちゃんとやるんや。人間の間に割って入るような用事でなく。SNS極力見ない。成長しない。消費的なシェアをしない。トレーニングをがんばり自分を丁寧に扱い、それから大切な相手や物事を大事にする。とにかくどうでもいいことに時間をさかない。心をさかない。アートをちゃんとやるんや。どうでもいいことやらない。買った本を読んでください。 == 引き裂かれるような、気恥ずかしさ、自分がこういうひとなのだとバレたくない、許容されたくもない、そういう気持ちになることもアートやるには大事。今はなんか、誰々と友達?インスタやってる?という感じで、作品の話よりも友だちの話になるのだが、正直言ってそういうのはまじでどうでもいい。誰も彼もが関係性によって遠慮してそれでどんどん変でいることができなくなっている。なのに社会を良くしようとかの話はほとんどされない。 媚びない、媚びられないように相手を教育し、相手から教育してもらう、そうした媚びを弾くような学習のネットワーキングを武術の組み手のようにして行う。そのネットワークを構成するには内部にある自分も媚びない人間であることを実践し発していないといけない。その構造は媚びる社会へのウィルスみたいな(ワクチンというよりは、ウィルスかな)。媚びとは機嫌をとってへつらいしなめくことであり、なまかしく誘うこと。どこをとっても最悪な行為、きもい。それを取り出して言葉にしたのすごい。それを破壊するウィルス、生物と非生物の間、個と多の性質を併せ持つ、中間的な存在。

8月3日続きから8日、8月12日

  8月3日 追記。賑わう午後の駅の外で人が倒れていた。医療NGOのビラ配りの横で倒れてる人が無視される世界。。道に迷って電話をかけながらうろうろしているときに見つけたので「ウワッすんませんっ」とその電話を急に切った。パニくりながら119に電話をかけ、倒れてる人の口元に持っていた水をちょろちょろとかけた(顔の向きは横向き、、上向だと溺れるから)。思い返すと謎行動だが。植物に水やりするのに似ていた。水やりしたら男は生き返った。 8月4日 実家へ。実家がabemaに汚染されていた。最悪。自分の考えを生活圏にアウトプットしたいし、そうしないとという気持ちが最近は強い。生活圏というのは自分が巻き込まれながら何かアプローチしうる範囲のこと。外部ではなく内部から。挟まりながら。ひとりデモってパフォーマンス表現の問題だよな。表現をいかに生活圏レベルで実践するか。 8月5日 公共的に自由になんかをするというとき、誰でもなくみんなに許可取る。街でもそう。正直ガチでめんどくさい。。でもそうやって可動域を広げてく。私有地を増やし全員にフリーで使わせるVS公共空間をアクティベートする。都市においては後者のほうがクリティカルなようにも思えるし、空家問題を抱える地域や観光資源が多いところはデベロッパーに持ってかれないよう陣地争いのように先行投資して確保みたいなこともあると聞く。世界をどれだけ豊かな場所にしておけるのか。空き地。土地、領土の話。 自由に表現できる空間を増やしていくというのは大事なことだ。誰かが作った自由な場所。それまでの途方もない工程。それからそこをうまく機能させて、根付かせてく。それで実績を作る。それをモデルに増やす。仕事ってなんて大変なんだろう。。 豊かな世界ってどんなものなのかな。「フュリオサ」の冒頭に「豊かって何?」「いっぱいあるってことだ」というやりとりがあった。ささやかだけどすごく残っている。いっぱいあるってことだ。 8月6日 何かしながら仕事の話が立ち上がる。コミュニティの形成。仕事の話をしながら仲良くなる。コミュニティの仲が深まる。仕事って一体なんなんだろう。本当に人間に必要なのかな。庭いじりで生きてく人の本があるって聞いたことあった気がする。読みたい。 湯船に湯を張った。自分のことでいっぱいいっぱいなのに仕事もしないといけないしアートもやらないといけない...

7月31日から8月3日

  7月31日 自分のことをやる日。自分のことの中には、音楽を聴いたり調べたり本を読んだりも含まれる。自分のことって膨大にある。昨日の日記はさすがにブチギレすぎていたので見えなくした。 ついに観念して日記本作業。流し込みながら読み返す。結構おもしろくて嬉しいし、自分がちゃんと確かにその日生きていたってことがわかって、なんか急に今日が来ているわけじゃないということに安心する。毎日15日間分流し込みできれば、8月中には入稿できるだろうか。 8月1日 例の返答が公開されて少し調子が狂っていたのだが(7/26にGAのが届き、7/30に住友氏のが届いた)、今日は調子が戻って11時に起きた。だらだらと見続けているNARUTOも疾風伝に突入し、ここから先は物語をほとんど知らない。戦闘でダメダメだったサクラが3年間修行頑張って医療でも戦闘でも活躍しているのがすごく嬉しい。 幼稚園の横をチャリで通り過ぎる時、子どもの頃がフラッシュバックした気がしたけれど、幼い記憶は留まらずに強い風が吹くように後ろの方へ抜けていった。 夜、美学校で首太郎氏と話す。互いに互いの作品を一ミリも知らないけど構わず話す。作ることが抽象化される。動詞としてのアートを語る時、まるで自分と話しているみたいだ。互いにほとんどひとりごと。壁打ち。その心地よいこと。 8月2日 疲れが。。身体がボロボロ。温泉行きたい。サイアノタイプの感光液をずっと使わずに持ってる。それからシルクスクリーンの製版のやり方も、週一でYouTubeで見て勉強だけしている。太陽光活用したい。乳剤は面倒くさそうなのでとりあえずTシャツくんの感光液塗布ずみ120メッシュを買ってしまうのが便利そうだった。自分のために使いたいお金時間気力、寄付などするお金時間気力。300日間もイスラエルによる虐殺行軍を止めることができない世界。はー。そんな世界でやる制作。 8月3日 はあ、はあ、はあ、はあ、流石に体力のなさがやばいので逆にトレーニングに行き、体脂肪率を(ずっと疑問だった。髪の長さも体重に含まれるのか?便秘のうんちの分も体重なのか?と)始めて認識。そしてかなり落ち込んだ。体重は減ったり食べる量もそう多くはないけどなんか上手くいかないなと思っていたら筋肉がなかったようだった。生きるとは代謝することであり、代謝を作っているのは筋肉なんだな。めちゃくちゃ...

7月21日から29日(22日を除く)

  7月21日 仕事は楽しく上々。子どもと話す時、すごく丁寧でやさしい感じの自分。つか会えて嬉しいとかのチャラい言葉をすぐ言ってしまう。タラシ。 7月23日 仕事でBabyプレゼンノートを作って見せ、褒められる。褒められつつ違う方向の事例を教えてもらった。その対応は私に対して適していたようで、すぐにブラッシュアップに向かえた。サクッとやったことが上手くいくのは手応えもあまりなくて爽やか。当然のことをただ言葉にするだけでそんな褒めてもらえるなんてラッキー。。仕事ってそのくらいでいいのかも。案外変な整えとか真面目さとかで動きにくくなってたのかもしれないな、時間かけなくてもクオリティある。ふーん。。自分の考えも他の人が解釈して使うアイテムになってゆくのは気楽だ。 その後会場のすみで会社員の男にレズセックスしたことあるかと聞かれて、普通に「はい?!」となる。「偏差値32の高校からここまで登り詰めた」、「スライディング土下座して金もらえるなら喜んで土下座する」など。10個違いだねと言って距離を詰めようとしてくる。これまで会ったことないレベルの大馬鹿者。。。まじでこいつ25年間くらいの間に嬉しいこと一個もなかったんだなと思った。そしてこの調子だとこれからもなさそう。ツイッターから飛び出してきたかのような大馬鹿野郎。チームのメンバーには共有し、出禁にしてもらった。 7月24日 ●mtgおもしろかったことメモ Mさん農地拡大(農地=豊かなところという解釈、それを獲得してゆく)。Fさん仕事中の手放しの時間、海外の事業所。Kさん組み手、作品が復讐してくる。Uちゃん他罰感情。コンパニオンプランツに感銘を受けた(何かが関係しながら二つ並んでいるのがたぶん好きなんだと思う)。Nさんの透明に徹するありがたい。 7月25日 7時に起きて朝30分くらい散歩。洗濯。サラダ、鶏肉、ヨーグルト、アイスラテ。部屋を片付けてから生活がしやすい。自分が生きるための準備が施されていて無理がない。荷物を2つ受け取り、シャワーを浴びる。かなり普通な感じの人たちが古着屋で服を買うというだけのYouTubeを観る。 ①広告ネイティブというほうが近いバイブスのインスタと、②日記のようにほとんど自分のための記録に使うインスタと、③画像をあげたり文を書いたりして人と間接的な交流を楽しむのがただただ好きなひとがやるイン...

7月20日

  渋谷方面で用事があるので、ついでにイメージフォーラムでヤスミン・アフマド「タレンタイム」か「細い目」のどっちか時間の合う方を見ようと思っていたのだけど、そのどちらにも時間が合わなかったのでまた今度にした。今日は朝から時間とのすれ違いで始まる。 青山を抜けて表参道、から原宿へと歩き、原宿から渋谷方面に向かって神南のゆるーい坂を歩く。かなり遠回りだが、渋谷の駅前を歩くよりはマシ。イチョウの木が生えちゃいるが枝葉がなく木陰も貧相だ。13時過ぎの待ち合わせに向かうこのまっすぐの道は、生身の人間にはちと酷である。日傘でも買おうかと思いつくが、傘とは悪い一期一会を繰り返して流れ着いた物を使うようにしてるので2000円、、と思い結局それもやめた。 カフェに入ろうと何度もいろんなところを覗いたが、全部満席であり、かつ並んでおり、ここに並ぶが早いか私がカフェを開くが早いかというほど。渋谷と表参道のあたりではいつもこういうことになる。青学の前のルノアールはたばこ吸えなくなってた。こういうときいつでも店をやって儲けたいと思う。というか一杯700円のアイスコーヒーを売りエアコンをガンガンにした店で人々を休ませてやりたい。完全に熱中症になり、頭痛で死ぬかと思った。水は飲んでいたし適当なビルとか涼しいところに入るようにもしていたが、いやあ、やっぱ無理だったね。 目的地の桑沢学園新校舎。生嶋さんから空いている空間の活用に何か思いつくことはないかと誘ってもらったので、少し暇になったらCSLABに案件として持っていく。きっとそういうこと(色んな人に場所の活用を相談して、それを企画化する)をして欲しいから声をかけてきたのだ。それが嫌でないから受ける。大学の仕事の嫌なところは、学生に謝金を払うシステムがないところだよな。そのシステムから提案して、使いやすい一等地のスペースを造形大の卒業生が得るということになったら最高。とりあえず寝泊まり、飲酒、喫煙はNGだそう。オワタ。 家に帰って腹痛と頭痛に苛まれながらNARUTO中忍試験を見る。サスケの頭のバランス取るのが難しくて、子供の頃いつまでも描けなかったなあ。でも今なら描けそう。長い髪を上げてる感じ、子供の頃はそうとは想像できなく、ただトゲトゲの髪が顔の後ろについてるんだと思っていた。人体のデフォルメの程度が想像つくようになったのだな。首元の立っ...

ちょっと前から7月18日と19日

  神戸の日記を書きかけて下書きに放り込んだままにしてある。忙しなさすぎて日記どころではないが、帰りの新幹線でほとんど眠りながら書いた。公開するのはなんとなく憚られるなあ。 一昨日と昨日の混じった日記は、疲れからか自分へのサゲとアゲが強いエモーショナルな書き味なので公開をやめておくことにする。無理な日に無理を重ねて生きてきたアッパー者だったけど、もうそれをやめて休んだりセルフケアをしようと思っても自分の心の重たさが思ってた以上に重たくて辛い。遅すぎる思春期のような。 7月18日 で、今日は少し元気。 9月にパラダイスエアのイベントで台湾に行くので、大きなリュックを探している。これまで使っていたアークテリクスの黒いやつはFJさんからのおさがりだった。FJさんもかなり使って、そこから私もおよそ8年使い倒した。ついに買う。また中古で探す。「7回使いました」と書いてあるリュックの出品者のコメントに「縦走に最適です」とある。縦走とは、稜線を繋ぎながらいくつもの山を歩き通すことを指すらしい。なんだか勉強になる。あんまり大きいと持ち上げられなくなっちゃうから、そこそこの大きさにしておく。 7月19日 やっぱめちゃ無理で超仕事して超ゲームやって出前で寿司とった。

7月4日から11日

7月4日 洗濯、皿洗い、美学校で不用品整理と雑務などやった。自分ちは押入れとかどう扱っていいのかわからずほぼデッドスペースのまま床に段ボールが直に置いてある。押入れのものを全部出して奥にしまうべきものからしまってしまうべきか否か。いずれにしてもめんどくせー。 昔の作品、再制作をした方がええかも。なんか作品として形をなしていない。新しいものも、かなり形がないものが多い。 7月5日 「9魔エレメンツ」Tシャツ着てチャリかっ飛ばし一番近い映画館に行った。斎藤潤一郎さんの作品つうか特にTシャツは、フェミニズム的であるとの私の独自解釈がある。そのつもりで着ることでそうなっているところもある。今日も当然そのつもりで。 7月6日 初めてひとから「ナイーブ」だと言われて、え、まじ?とおもってスラング的に使われてるほうの意味を調べてみると「言われたことを必要以上に重く受け止めてしまったり、過剰に反応してしまったりする人」とあり、過剰とは?とおもった。これが後にそれなんだっつーの、、、という落語のような状況に。 「一日を素直に頑張る」というのは本当に難しい。よーく吟味してるうちにMADな心に。いいライブみて最高な気持ちになり、しかしご飯食べたら切り替わってしまってまた最悪な気持ち戻ってきちゃって、かなり不健全な生き方をしてしまってるなあと思った。 「ストレス解消」という言葉がすごい嫌い。バイオレンスなことが肯定される響きを持っている。そういう悪さと、わたしの不健全さには近いところがある気がする。 それとは全然関係ないけど『パンダコパンダ』ってきしょすぎ。 7月7日 8:00から16:00までずっと酷暑の中外に居たら流石に体調やばくなり、主催の人に「病人とかいなかったんでしたらよかったです」とはんなり意見伝えるも、来年も同じ時期に開催する感じかもな。それなら参加は厳しいかな。熱中症辛い。 asamicroさんのワークショップは素晴らしかったし、みんなのアイデアが盛り込まれて場に最適化されてゆく。パラダイスエアのみなさんの良さが、きらめいていた。 その様子に参加しながら、アイデアを子どもが追加してアレンジしていくローカルゲーム。その交通整理者をやるような仕事を、そう遠くないうちに一個やりたいなと思った。 帰って鬼太郎の映画観る。沢城みゆきの鬼太郎は流石にやばくて、鼻血とか熱とか出るかと思っ...

7月2日と3日

  7月2日 夢にガザが出てきた。その風景は香港の古いビルみたいだったが。意外と来れるんだーと驚き、歩いて知らない人とすれ違ったり、建物の中に入って雑貨を眺めたりした。あんましものが売ってなかった。爆撃の前にも後にも暮らしはある。 起き上がり歯を磨きながら体重計に乗ると4キロ痩せてた。うひょー。 昼にパラダイスの裏手で大量の服を運ぶ陸さんにすれ違う。打ち合わせはどれも面白く、打ち合わせだけしてても仕方ないんよなと思いつつ、腰が重くなりつつあるのでほんと早くなんかやらないと。。と妙な焦りを覚える日だった。焦るだけでなにもできず、ぼーっとして碌なことは今日一個もしなかった。ポンコツポイント(pp)+12 帰りに雨粒がプツンと一滴目に入ってきて、それきりあとは晴れのままだったので、地球に今ただひと雫の雨が降ったのを知るのは私だけなんだって思って心が金色になった。 7月3日 昼、うねとひさしぶりに会ってドライブに連れて行ってもらった。デッケボーのこともミンティアのことも二人とも覚えていて嬉しかった。美味しいもの食べて「うまっ」というのを瑛太(俳優の)は嫌うらしく、まあたしかに瑛太にはどちらかといえば好かれたいうちらなので「うま…おいし〜」「うっま……おいし〜」と言いながらテラス席でパンを食べてアイスラテを飲んだ。 夜は「饗宴/SYMPOSION」を観た。唐澤さんが「theyの発声でコールをする」ということを前に話していたのを思い出しながら、舞台に起きていることは現実の一端だな、と思った。バトラーのいうパフォーマティブという観念のこともとても思い出した。 持ち寄り的な協働のプロセスがダンスなどになっているということは、この表現を作るために行われた色々がそのまま現実を作るのだなあと、役者たちが動いたりしているのを観ながら考えていた。役者たちがどのように舞台の上に居ることができるのかという(というか自分だったらどのように居るのだろうという方が近いか、)ことを問いとして持ち込むだけで、ジェンダー二元論を抜け出して現実に即した表現の話をすることになり、それが稽古になる。稽古は劇を作り、劇は現実を作る。 …と書いてて、わたしは「作る」という言葉を使う時、「影響」のニュアンスを強くしエコーするようにして主語に広がりを持たせようとするところがあることに気づいた。その一連やまとまりが...

7月1日

  7月1日 いくつもを一度にやるのは無理。一日一個を色々やる、それか全部をひとつにしてしまう。仕事はAIのおかげでだいぶ楽になった。 私もそうだし何人もの友達も、いろいろと嫌な目にあっている。許せない。なんでそんなことが起きるんだろう。性被害だけはやはり本当に無理、絶対に無理、全然死んでいい。全然死んでいい。死刑に反対している私が、憎いというシンプルな理由で性犯罪者のことをころしにいく。 (以下性被害のことを書くのでフラッシュバックなど怖い人は読まないようにしてください) なんかもう性被害のこと一度考え始めると抜け出せないので書いてしまうけれど、一番危なかったのは、高校生の頃にあった知らない人からのレイプ未遂であり、私はドレッドヘアをした男が今でも怖い。呼び止められ道を聞かれたので自転車を止めて話を聞いてあげようとしたら倒されて掴まれた。叫びながらめちゃくちゃ一生懸命に逃げた。さらにそれをmixiで(今思えば頭悪すぎだけど)報告したら同級生男からセカンドレイプ的な発言をされ、それもそのときは加害行為だというのはわかっていなかったけど忘れることができないし、今からDMでもしてあの時のあれを今すぐ謝れと連絡したって構わないが、誰から言われたのか忘れてしまった。 電車で盗撮されたり触られたり押し付けられたりストーカーされたりキモいポエム送られたり路地でオナニー見せられながらついてこられたり隣の中学の男から性器の写真を送りつけられたり通り過ぎたランナーが引き返して追いかけてきたり、大学生の頃には歩いていたら夕方ランニングしてる高校生が後ろから抱きついてきて呆気に取られているうちにそいつが走り去って行ったこともあった(最近はチャリに体液付きパンツ被せられたな、関節的ではあるので少し被害として別だけど)。そういうクソな記憶が夏になると蘇るのは、それらは大体初夏から夏の、夕方から夜という過ごしやすい気候の中でされた暴行だからだ。冬の間は犯罪者も外でパンツ脱ぐことはしないだろうし、雨の日にも犯罪者がパンツ脱ぐことはないだろうというので、悪天候の日には怖がりが少なくなる。 沖縄で起きた、米軍兵から少女が性暴行をうけたという新たな性被害を先週ニュースで知った。その性被害も含め、これまで米軍だからという理由で裁かれないできた数々の性暴力も、安保条約が作った暴行だ。本当に他人事と...

6月20日から6月30日

  6月20日 朝美学校で展示搬入に付き合い、昼過ぎにパラダイスエアに戻ってアレルギー症状に対応し、夕方はまた例のことを少し考えながらタリーズで爆睡。モヤモヤする状況をどうにかしたいというギャルい気持ちがもしかしてマッチするかもと思い、齋藤君のヲタ活に乗っかる形でブラックメタルのライブへ。ヲタ君が言うに今日のヘッドライナーはアンチレイシズムを明確に示すバンドであるらしかった。デモに行かない休日も、パレスチナの連帯パッチを付けてでかけるのだけはやる。 サウンドチェックでデスボイスで「チェーック」といってた。そりゃそうかと思いつつ新鮮。すごい良かった。ストロボの効果で記憶までストロボ的に細切れなっていて何も書けない。このように即座に過ぎ去るのは健全な気がする。引っ掛からずに去る。心の中にあるちっちぇーお手手でヘルピースをピッと上げた。ということだけ。 日記本はかなりプライベートすぎて、なんか今後何かが起きた時にどうするのかなどを色々考えるのもめんどくさくなってしまい、もう本にするのはやめようかなーとおもってる。それかなんらか絞った形で、作るのはできるかなぁ。ここのところ何もかもうまく行かなくて、うまく行かせようという努力も別にしていないんだけどね。 6月21日 自分の気持ちを綴った文を送ろうと思ってLINEで書きあれもこれもと盛り込むうちにどんどん長くなってきてしまってメッセージ欄で扱いきれなくなりググドキュ(キモい略し方)に移植して文字数数えたら2644字で思ったより長くなかったなと少し安堵したので自分だけしかいない全ドラフトぶん投げ用LINEグループに送ってみたらやっぱりスクロールの長さにドン引きしてしまって結局連絡すること自体やめた。 6月22日 昨日の文、読み返した。送らなくてよかった。素直に話すと心が破綻しそうになり、素直に話さなければ心に負荷がかかる。それ以外のことを誰とどれだけ話そうとも、辛さはまったく軽減されない。もうなにか強制的な欲望や状況で、事が流されて欲しい。ずっと理性的であることが辛い。関係と約束は違う。約束とか合議によって関係が作られるということではない。心は急にフ、といなくなる。あるいは、コンクリの壁にずっと貼り付けられ続けていたガムテープの溶けたベタベタみたいだったりもする。あーヤダヤダ。 朝、オンゴーイングコレクティブのプロジェク...

6月18日と19日

  6月18日 そういえば、結局コロナのワクチン2回しか打たなかったな。5回くらいやってる人もいた。コロナには2回かかった。今月ももう半ばだが、パラダイスエアに新しく3人のアーティストがきたのと、陸さんも一時帰宅したのと、午前中話していたまちづくり事業のひともいるのとで合わせて12人くらいだろうか、昼に中華料理を食べに行った。夜ご飯によく行く店なので、もう終業の気持ちに持っていかれそうになる。ハイボール飲みたいなーなど。わいわい。Ivannaは2週間ひとりぼっちだったのでわいわいしてるのがちょっと嬉しそうに見える。わたしもレジデンスいきたいな。去年パラダイスで働き始めてからずっとそう思っている。でも目の前の問題に取り組むのに精一杯でU35のファストパスみたいなのを掴みそこねている。忙しすぎる。それな。 大学で働いている人などはずっと同じところにいるせいか、私の方にもやりたいことや人生があるというのを忘れちゃってるんじゃないかなぁ。私の32才が芸大に吸われて行くのだけは避けないと、と思って「労力をGAに割かない!」と書いた注意喚起の貼り紙をキッチンに掲示した。てかさ、ずっと気まずいまま、4年間も過ごしてるなんておかしくない。はっきりさせた方がいいのではないの、人生として、どう考えても。なるべく早く。それとも、あんま気にしてないのかな。まあ権力持った人の考えてることなんて私にはわかんないな。あーあ。腹筋しよ。アンチエイジングっていうか、まあそういうのも、していかないとね。 自分個人の益を追求するなら無視できないことではあるけれど、本当は35歳以上だ以下だと年齢で焦らせてくる企業や行政の恣意的な圧などは気にするだけ無駄なわけ。クソなわけ。そのせいで惨めな思いをしている全ての30代にハグ。同じ時、同じ体で、パラダイスエアでアーティストが楽しそうにやってるの見るとレジデンスの楽しかった日々を思い出してコロナ以前の(そしてCSLAB以前の)輝かしい自由な日々を懐かしんでしまうので、そろそろトゥエニートゥエニーフォーを進めないとねとは思う。U35がどーのといってるようなものとも、アプライするとかの手続きは同じ。あーあ。はーきょうもよく働いたなー。ちかれたびー。 派遣会社からしか連絡の来ないyahoo.ne.jpのアドレスに届く999+の未開封から、神保町視聴室の当落メール...

6月17日

ビワめっちゃ食べ食べバードは「この喫茶店席で喫煙できてゆったりしててクラブハウスサンドまであるなんて強すぎ…オラもうここに住む…」というのと大体同じじゃね。わかんねーやつは置いてく。 今日はまじでよく働いたあ。1日が長かった。昨晩床で寝落ちして5時に電気全部ついた部屋で目覚めてスープ飲みながらテキストチェック、8時に洗濯、メイク。玄関に香水を置く事にしたので出掛けにサッと選んでシュッとする。あータイトルどうすっかな〜(自分の・他人の・社会の、という仮置いた主語から連想ゲーム的に広げていくしかないかな)と思いつつ電車で現代思想のパレスチナ特集号をgoogle map開きつつ読んでると隣に座った人が民主主義のなんちゃらという本を読んでおりなんとなく負けじとページを捲り、電車降りた瞬間脇目も振らず爆早歩きで闊歩。で今日6つもミーティングしたすご。 てかめちゃくちゃやばい事に気がついてしまった。複数の男性たちの顔をモンタージュするとそこに荻上チキが現れるのではないか?!なんか知ってる人全員(※全員ではない)にどこかうっすら似てる気がする。いつかの時期の荻上チキにもれなく似てる。これは本質情報だと思う。

6月12日と13日と14日と15日と

  6月12日 起きてご飯食べて仕事しながら『ダンジョン飯』をみる。食べ消化することで所有の呪縛を解くというのが面白い。どんどん面白くなる。案の定床で昼寝。むくりと起き外がちょっと暗くなってきてるのであーあと思いつつカーテンを閉める。肉と野菜を炒めたものを食べながら、もう提出した芸大への意見書を読み直す。発熱。久々に開くツイッターでは同時にMVやらCMやらいくつかが常に炎上している。イカれた状況。 6月13日 なんか変な虫に刺されて腫れとる。なんだろ。かいー。全く関係のない話がしたいが頭の中が意見書にまつわる不安でいっぱい。強制的に出勤し美学校でステファンさんの展示準備。違うサイズの絵画作品を真ん中揃えにピシッと並べるのを素早くできるようになった。でーっかい絵を真っ直ぐにかけるのは思ってたよりも難しくて、6回くらいやり直した。 割り算とか引き算とかを式を書いて自力で解くのにハマってる。考えなくても答えが出る。爽快。もしも子供の頃からやり直すことができるのなら数理を勉強してみたい。どんな分野があるのかもよく知らないけれど。数学苦手キャラつうか、おらは圧倒的文系(文書くの好きだし)(てか美大行こうとしてるし)(受験に必要な分だけの学力でokっしょ)というような平々凡々なダメさで数学や物理を早々に選択しないことにしたのは高等教育の放棄の入り口であった。郡司ペギオ幸夫さんの脳みそをかっぴらいて見てみたい。大学生の頃だったか、卒業してすぐの頃だったか、一度GPYさんの講義を聞きに行ったことがある。何言ってんだかわかるようなわかんないようなそれでいてわかるようでもありつつしかしやはりわからないながらもわかりかけたか!?と欲求が刺激され、こういうふうに話したいと思った。 疲れ果てて泥のようになりまた発熱。 6月14日 キッチンで読んでる本にひやむぎを束ねる細い紙を栞の代わりに挟み、たばこの箱には計算のメモを書く。たばこの箱に数字がいっぱい書いてあるのはなんかかっこいいので、一応とっておく。2日間ほど英語の勉強をサボっている。 6月15日 夏服から去年の匂いがする。悩みには明確な恐れが絡まりとどまっている。家や道や駅やそこらじゅうで、愛情が座り込み悩んでいる。隙間を振りむいて泣いたりする。 夕方おやまちゃんとジェットコースター乗った。横から「こわいよー!!わーーん!!」と聞...

6月9日と10日と11日

  6月9日 この部屋は3階だというのにたまに小さな蟻を見かける。朝になると蜘蛛がいる。毎朝同じ階段に甲虫も見かける。全部放っておく。生き物を殺すのは怖い。一人きりでいる時は特に。殺意を持って虫を追い回す自分の体のデカさが恐ろしくなる。少し前、青山では心と挙動がゴキになるのだという話を聞いた日、広々としたティーラウンジでスリの話をしたのは世界への小さな悪戯だった。他の人たちと私たちとがまるで違っていることがなんだか嬉しくて、だからもっと悪ぶりたいみたいな気持ちが楽しかった。そう脈絡もなく思い出すのも仕方ない。 悩みは何度も何度も振り出しに戻る。戻っては翌日になり、それが昨日であり今日である。悩んでいるうちは留まり続ける。悩まなくなった時、私は何を選んでいるのだろう。 6月10日 近所に喫煙のできる蕎麦屋がある。嬉しい。アイスコーヒーには曲がるタイプのストローをさしてくれる。ストロー大好き。 家と蕎麦屋の間にはペンキをベタベタに塗った家がある。ピンクや黄色に塗った上から白いペンキを刷毛でこすり、柵はペンキの厚みで丸っこい。それを一緒に眺めていたもりもっちゃんが思い出したようにぽつりと、昔住んでいた地域ではこどもの誕生日に家を好きな色に塗る慣習(?)があったと言った。しかも塗るのは子どもたちが自分でやるのだという。なんだかまるで宮崎夏次系の漫画に出てくるみたいな話だ。概念としての色を家のスケールの分だけ思い浮かべようとすると、たっぷりのペンキが満ちるように脳が色でいっぱいになる。そこに住む子どもは誕生日にそうして大量の色のことを考えるのだ。 6月11日 asamicroさん、Ivannaさん。現場主義でさくさくと行う。爽快。 家。そしてついにあれを出す。あー絶対炎上しそう。明日出す。その最後の相談電話してたのに気付いたらめっちゃ恋バナしてたが気が紛れた。てか今日めっちゃ快便。身体の淀みが全部出ていくかのようなマインドフルネス・スピうんこ。毎日の勉強の成果が出て、早口で言いたいことを英語で話せる。語彙がなさすぎていろいろ追いつかないけど。出すや、出るや。

6月8日

  ヨコトリに行ったら友達がいて嬉しかった。なんかまたハイになってる日だったかも。だってもっちゃんのトークの連打についていけた気がするから。あべちゃんもいた。遠くから「おーいあべちゃーん」と呼びかけたら私とあべちゃんの間にいた別の「あべちゃん」がこっちをバッと振り向いて(俺?!)みたいな素振り。ちゃうねん。 身支度をしながら今日めっちゃかわいいかもしれんと思った姿でウキウキ出かけたが、あべちゃんがおめ今日ビジュ優勝してんよ(実際にはこういうふうには言ってない)とたくさん言ってくれて本当に嬉しかった。天気もいいし最高。 一緒に映像作品みてたら静かな映像にBGMがドンツクドンツクとフェードインし始めたから「盛り上がってきたぜ…」と耳打ちしたら「その実況やめてw」といわれた。ごめん笑 これも楽しかった。 炭鉱労働者の抗議を再現するプロジェクトの映像はすごかったな。国際芸術祭って、大事なことは海外の作家が言ってくれる的な感じがしていたんだけど、日本のアーティストがあまりリサーチベイストかつ政治的な取り組みをするひとが少ないってだけなのかな。たしかにな。あいちのときみんな巻き込みつつもっと攻めたらよかったのかなあ。たしかにな。やるかー。最近暇だしな。ストライキと経済活動についてのリサーチ。いいじゃん。BDSもずっとやっててボイコットも気になるんだよな。経済制裁がなんなのか、正直いまいちわかってない。原発で働いてるひとの生活とか、関西生コンのストライキとかもある。 アートがまるですごく安全な物みたいにプレゼンテーションされる制度の強さもめっちゃ感じた。たぶんなにかが完璧だったのだ。ヨコトリは2011のときからたぶん毎年見てる。いつも展示がすごくうまい。とくに前回のは本当にすごかったと思う。音の干渉とか長い映像はみんな全部見ないみたいなのとかの先読みを踏まえて大事な作品を守りながら見せる。誰のアイデアだったのだろう。そういう「技」があるんだろうか。すごかった。 だからきっと今回のも随一の仕事のはずで、何を言っているのか以上に何を言わないようにしているのかが気になるほどなにかが完璧だったんだと思う。結局のところ国際芸術祭のメイン会場のキュレーションてすいを集め中途半端さがないから勉強になる。その上で、それでどうしてそういうふうになったのかきになる。 木刻に関わる運動が紹介さ...

6月7日

  やらんといけないことをまたひとつできた。むかーしのレシート数えながら寂しくなる。一人暮らしにも慣れたけど同居生活楽しかったな。あーあ。はー。で役所と散歩へ行く。役所の人優しい。おもちゃ屋さんに寄り、優しいかおのニョロゾのちっこいぬいぐるみ買った。全部愛おしい。無の顔をしている。後ろ姿かわいー手かわーあしかわー目かわー。キャラクターのぬいぐるみ買うのは避けていたがその割にジャムおじのぬいぐるみのことも気になる。欲を出さずに一個ずつにしないと結局存在が希薄になってしまう気がする。だから見つめるだけにする。充電の切れた機械って、少し軽いような気がする。そんなことないんだけど、息を潜めるというか。単に重要さが減り心の中での存在が希薄になる。 はー。SNSで言うのが効果的だろうけど正直ハードだなあ。でもまあやるか…。バズるんだろうなぁ。はー。応援するよって言ってくれた人全員ちゃんとSNSでリポストしてくれるのかな。見ないふりとかするんじゃないのかな…別にいいけど、ちょっとだけひとに期待してる部分もある(だって応援してるとかいってくるんだもん)。冷たさにがっかりしてるから本当嫌なんだよー。なのに私にはなんもできないとか言うし。ばかやろう。。もう3日間くらいはこの件で頭いっぱいなんだろう。

6月6日

どの仕事も決して楽ではないな。概要を説明されるとめっちゃ大変そうなのに、実際にやると超簡単みたいなこともある。今日打ち合わせた仕事はどっちかな。楽だといいなー。 施設管理の一環で生理用品のゴミ箱を掃除する。臭!オエー。生理がない人に生理用品のゴミを処理されるのが嫌だという利用者の気持ちはわかるが、生理経験があるということでちょっとした罰ゲームみたいな仕事までついてくるのは、なんか追加で損してるんじゃね?との若干こじつけにも思える反骨精神で煙草休憩を長め多めにとった。通常運転。 展覧会を通して起きた被害状況、自分の意見、要望をまとめた。えらい。えらすぎる。なんでわしがこんなことを。迷惑千万。しかし論点がクリアになった。事実を確認しながら問題追求を最新にすることが叶う結構いい観点だと思う。公開したいなー。自分で書いた文だし、いいかな??いいよな!?(若者の全て)誰にも私を止めることはできないぞ。ワハハ。てめーっちにあたまをさげるようなおあにいさんとおあにいさんの出来がすこーしばかりちがうんだい。 でも公開するなら弁護士とか相談したほうがいいのかな。弁護士って誰よ?必要なことするだけでなんでリスクを負わないといけないわけ。まあ訴えられたらその時考えればいっか。そんなことまで想像しないといけないことがモーーめんどくさい。アーティスト労組の存在ありがたいな。それだけで勇気湧くってもんだよな。てか研究者とか記者とかがやれよな、専門家だろー。てか3年前にやれー。大学が主体的に動けー。普通におかしいだろー。まじで全部不安だよー。これで減る友達がいたとて、それらはもとより友達ではない、さらばだ、ガハハ。とりあえず返事まつ。なんとかなるといいけど。ここまでなんとかしたのだからあとは自動的にことが起きてくれー。とりあえず明日はケーキ食べてよし。パフェもよし。なんなら服も買ってよし。全部よし。

6月1日から5日

  6月1日 ノイズのライブへ。全部で三組。最初の二組を聴いている間は余裕があった。空間とか時間に要素を足す、あるいはそれを掘り起こすようだな、とか余裕を持て余しつつオー、と思っていた。音の組み立てを見出すようにして能動的に聴く。それで、その動きが踊りになったりする。 三組目は完全にキャパオーバーした(バンドの名前はその逆の表みたいな感じ)。何も知らないまま手ぶらで聴きに行った。何だかよくわかんない。何だかよくわかんないがハッピー、連打される弾けるような音が耳の中でバサバサと咲く。なんらかのゲージが満タンになった時、今すぐ全部終われ!とおもった(全部とは…)。気絶してみたい。 6月2日 福尾さんの日記更新が終わった。映画を見る夢ってあるけど、今朝はiPhoneでツイートを見る夢を見た。なんかしょぼい。今日は嵐で引きこもり。どこにも出かけず家を満喫する。頭痛いし寒い。 『ダーマー』見た。ジェフリー・ダーマー役の人がすごい。殺人常習者として澱みなく存在している。一体画面のどこにそれがそう現れてんのか不思議だ。物語。セクシーな男がめちゃくちゃたくさん登場し、もれなく全員裸になり、当然みーんなひどい死に方をした。人間の体の中で一番肩が好き。骨が丸くてしかも位置がいい。それにセクシーなのにエロさがない。 『Baby reindeer』も見た。働かなければと思いつつネトフリが止まらん。マーサ役の人がすごかった。キャラクターが揺らぐシーンでの解説じみた主人公の独白がなければ。 6月3日 AIの英語の勉強するアプリに課金して(年間13,000円)英語の授業。やっとレッスン1がおわった。12回ごとに次のステップへ。レッスン1のラスボスはフリートークだった。自分の設定した話題について話しまくる。最初は「slowness 遅さ」について。あまり盛り上がらず。そこから一昨日のライブの話をして、次にめっちゃ赤裸々に「how can I be open and honest 」について。コミュニケーションは取らないと始まらないよと言われる。私は十分にオープンにつとめているとおもうし、もうこれ以上正直にはなれないほど正直なのに、同時にそうじゃないみたいに感じるんだよん、、と英語のレッスンで人生相談をした。合格した。 『ハンニバル』そういえば見たことない。で、見た。あまりにも2001年製作...

2024/05/28から5/31

  5/28 遊具や公園のデザインをするという子どもの頃の夢が、ある種の結実を見せようとしている。子どもが子どもの空間を夢見たのは、近所の公園の遊具の劣化によって入れ替えに作り直された公園のレイアウトと、トイザらスのプラスティックハウスの屋根や壁を爪でなでていたことと無関係ではないだろう。シムシティをパクったようなゲームで遊んでいたことも、知らずのうちにされた高度な情操教育であったかもしれない。子どもの頃を延長したような仕事。しかし子どもの頃のようにはいかない。天命反転地のプロジェクトブックが読みたい。巨大で素晴らしいものができてゆく過程。 夜、もりもっちゃんが泊まり、ぬいぐるみジャズプレイヤーとして切磋琢磨。本日の寝言「…ぜんぜんいいじゃんねえ!………オッケー………」。 5/29 髪型ショップの新居へ。広い、赤い。新しい髪型の方向性として豆にもなりたいし星も捨てがたいと話していたらあっという間に薄黄緑に光る発根し発光した豆になっていた。「目をつぶって目以外の表情を解除し、ゆっくりと目をひらく」という指示によってポートレートを撮ってもらう。初めて観る自分の記号の外れたヒトっぽい顔(ただ起きてる人、何にもしてない人)。二時間半も遊んでいた。 蔵前という街がとても好きになった。ここに住みたいかも。便利だし。歩いていると気になっていた「うそのたばこ店」が現れる。あーここにあったんだ、曳舟かと思っていました。デモまでに時間があるので少し立ち寄る。バリスタのお客さんが急にキッチンに立ってコーヒーを淹れはじめる。40種はあろう中から15種ほどのカードの絵柄を見比べ、きのこなどの絵が描いてあるトランプを選び購入した。客が淹れたコーヒーをいただき、13歳のマジシャンにマジックを見せてもらった。そんな人がいるんだ、すげー。トランプをデザインするのが流行っているらしい。あぁわしも大ボン民のトランプを早く作らなければな。企画を立ててからなんやかんやで一年が経った。スリの逸話が書かれた本を手に取ると所有という概念を認めないと窃盗は成り立たないと尤もらしいことが書かれていた。面白いのでオンライン古書店で買った。そしてデモのために秋葉原駅へ向かう。 ところが秋葉原でのデモが今日だというのは私の勘違いであった(明日だった)。心ばかりの抗議行動として「現代思想2024.02パレスチナから問...

2024/05/24から5/26

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  5/24 前に遠野遥がツイッターかなんかで「物語に詰まって登場人物増やしたら面白くなってきた人数こそパワー」というようなことを言っていたのを今週何度も思い出している。今日は夕方山本さんのインストールを覗きに行き少し手伝った。ひとの展示の手伝いは仕事でよくやってるけど、このキャリアの展示を手伝うこともあまりない。ちょっと引っ張ろうとかの微調整はたしかに一人でもできるけど二人いると捗る。暇の直喩として「何個漫画アプリ入ってると思ってんの」というのと、「ファブルはコロナの友」と言ってたのにワロタ。てかコロナの時に漫画村があったら漫画業界終わってたかもだな。あぶー。アプリで読む漫画の話はそのシチュエーションも共有している感じがしてニクい。 夜、AIとの英会話レッスンで植民地主義についていい面と悪い面をスピーチしてくださいなとの課題が出て、私はいい面は無く、悪い面はたくさんある、労働者の搾取、文化の消滅、言語の押し付けから国がなくなり、インフラ整備で元の生活の否定をしてくことなど調べながらゴニョゴニョ。AIは私の答えなかった項目を補足するようにいい面の例として文明化を説いた。その顔してやってる全部が悪いことだろうが。。セッションの相手がAIでよかった。人間だったら怒っちゃうだろう。英語で怒れたら合格か。ブルシットとかワタファとかそういうのは禁止で…煽り怒り恋などの刺激の強い英会話レッスンでメキメキ上達!なんて。 そういやポーポポをGoogleスライドで作ってるけどwordpressで作りなおさないと。AIは情報をウェブサイトからテキストデータ拾ってるので…これは急務。 全部ハート地獄(好きな人のことばかり考えて働けなくなってしまった人が行く地獄)… 子どもにこれ作らせちゃうんだからすごい。 5/25 new jeans聴きながらメイクするとまじ可愛くなる。メイクしててオ!ええやん!?って時、誰かのためじゃない自分自身の祈りのために…(ほむら)というのを思い出す。それはそうと、にゅじの新曲まじ最高。 PARADISE AIRのパーティーでみんなが歌った曲をApple Musicに追加し、たまに聴いてる。今日は時間ができたので音楽をかけつつパラダイスエアで一時間本を読んで過ごしてみた。人が居ないとこんな感じなのね。人が集まるための場所に一人きりでいる時間が好き。そこで...

2024/05/22から5/23

  5/22 一日中ぼーっとしてた。少しだけ仕事もした。ぼーっとしてるくらいの方が怒ったりしないで済むということもあるのかもしれない。頭の中で無音が響いている。台風の日の窓の外に感ずる諦念にも似たこの感じは、何かの在りようを受け入れるのに適している。反発する気が一個も起きないで受け入れる(作ることは反発することなのかも)。寝転がりながらウンベラータを見、どこか共感する。こんなにも何も無い。これがリラックスということなのかもしれない。積極的な私が息を潜めて静かにしている。それも生物活動のうち。 5/23 電車に乗っている人、みんなあまり幸せに見えない。そう思いながら神保町へ向かう。今日はよく働いた。ウェブサイトを更新するというのは、無限の場所にひとつ星を増やす感じ。 うちで一番活躍している食器はガラスの耐熱ボウル。サラダも麺もご飯もスープも全てこれで食べる。綺麗なやつ買ってよかった。料理好きかと言うと別に好きではないし全然しないけど、やり始めたら楽しい。今日のご飯は名前のないさっぱりしたやつ。鶏胸肉を一口よりも少し大きめに切り、酢と醤油に30分つけ、セロリと共に蒸し焼きにする。葉は分けておく。梅干しの種とって潰し、それと葉っぱとを加えてあえたら完成。というもの。おいしい。

2024/05/20

 パラダイスエアでmariekeのお化け屋敷インストール。mariekeはマリカでいいと言ったが私は彼女を呼ぶ時にはマリェケと口の中でほとんど誰にも伝わらぬ頑張りを継続する。したいからするだけである。チャールとマリェケが書類申請の話でめちゃくちゃ盛り上がっている。この小さな展示をして試し遊ぶことでまちの文化度が100%から1000%になる感じ。いるだけで100%という考え方に基づく。その担保が私の仕事になる。すごー。 もりもっちゃんが名古屋から毎週通ってくることになった。これもすごいことだ。それで嬉しくて家がいい感じになった。自分でやったんだけど、まるで自分の力じゃないみたいに思えるのはなぜなのか。

この家・この誕生日会の詩

  かわいいもの見せてあげる。あなたはおいしいジュースを持ってきて、ドリンクバーだよと机に並べたあと、煙草を吸いながらぬいぐるみを動かしダンスする。死んだふりやどうぶつの森の声真似をし、知らない言葉のクイズを出す。知っている限りのフルーツの種類を数え、アニメのいいシーンを止めながら観よう。無言で本を読むあなたの傍で、粘土で変な腕輪を作ってあげる。手癖でなにかの楽器を弾き、小さい声で適当な歌詞をつけて歌うとかっこいい空気が流れ、そこにトラウマじみた恥ずかしさやってくる。しかし誰に咎められることもない私たちには、それがそのまま普通になる。 この家・この誕生日会の詩

2024/05/18から5/19

  しかし生活は続く。 5/18 あべちとエトゥと焼肉。なんの話したかほぼ覚えていないがとにかくすごく楽しかった。私たちはもう9年くらい友達だ。オンゴーイングで友達になった「同世代」の全員がなぜか3つ上。年下のわしが言うのもなんだかアレだけど、年齢全然関係ない。そういう場で出会ったわけでもないしな。いやぁ、しかし、当時23歳だっただなんて本当に信じられないな。自分が32歳であることよりも、23歳であったことの方が不思議だ。最近はあまりオンゴーイングにも行かなくなってしまったな。 5/19 もう世の中の誰よりも打算的な部分がある気がする。私が変わったんだ、誰よりも。あべちと江藤先生と話した帰り、23歳の時の写真をみながら電車に乗った帰り道にすごくそう思った。なんていうかマジ調子に乗ってるっつうか。なのにそれを変に隠してる。気をつけなければ。ダサい。。アーティストとして底なしの自信があるが、場当たり的とか中途半端とかいう言葉を見るたびに(自分に向けられていなくても)心臓が押しつぶされる。いい感じのストレスでやっていきたし。自分の弱さをどう話していけるか。生きていくってこれでしかないぜって最近思う。いちいち大袈裟である。 Take my Revolutionを私訳するなら「私は私の革命を引き受ける」と宣言調、もしくは「私よ私の革命を引き受けて」と願いのような命令形。ウテナのopまじ刺さるんだよ。大人たちより友達のこと大事にしてるっていう厳かな2番の歌詞もいい。ここ聴くと心が完全にティーン側になる。 酒飲んで寝っ転がったら色々と思い出して心が昂る。ハッとして、スキンシップをカジュアルにしてokな関係を作らないと絶対に生きていけない!と思った。20:04の時計を見た記憶を最後に、目を開けたら4時だった。で、日記を再開することにした。

2024/05/10

日記のタイトルの日付を入れる時、「きょう」と打って予測変換に出る今日の日付を選ぶ。年始に引いた「凶」のおみくじには、待ち人来ず、と書かれていた。待ち人って何なのだろう。自分のことだったらどうしよう。自分がどこかへ行ってしまって、待っているのに現れないというのを日記で少し感じる。日記の本のタイトルも決まらない。 黒いワンピースの上に、誕生日に買ったピンクのシャツを羽織って出かけた。広くて明るいところで立っていると、連れ合いが待ち合わせに現れた。 マティス展。絵の具で塗った紙を切っていたんだ。知らなかった。色紙を切ってるんだとばかり思っていた。みながら、これまでに書いた日記を切って作品を作ることを想像した。絵の具が文になる。古筆切にも関心がある。どうやって日記を扱っていこうか、やめようか、と、最近ずっと考えていた。 ケーキ屋へ入りココナッツのフレーバーティーとチェリーのチーズスフレを頼んだが、ケーキがデカすぎて三口分ほど残した。連れ合いは苦労して完食した。ケーキを残すのは初めてかも。贅沢な。 シアスターゲイツもみた。入り口の文によって眼のムードがしっかりゲイツに同調したようで、その文のあとすぐ最初のとこにあった木喰上人仏は、ブラック仏彫刻に見えた。掛け軸に詩(いや、なんだっけ、和歌かも)が、細い筆でするするクルクルとなんとも気持ちのいい運びの字で(読めないけど、)書いて/描いてある作品。でかい壺に日付と場所が書かれている作品。そういうアーカイブと関係する作品のコレクションが続く。ああ日記。手書きか。掛け軸。壺。ああ。都市と人種と時代の膨大なアーカイブ。ああ日記。私は自分のことばかり書いて、それでいいのだろうか。もっとなにか、自分のことを書くにしたって、こんなしみったれて拗ねたようなもんじゃなくて……。 膨大な蔵書のライブラリー空間にはファイルの本もあった。ノート状のを見つけては開いて手書きのものを渇望し探したが、そういうのはなかった。印刷された本。ファイルされた資料。手書きの本。雑誌。参考になる。レセプションでDJもあったのだろうな。いいなあ。展覧会的な催しとプロジェクトは合わない。アーカイブにする以外に方法はないし、美術館に来るだけの人はなんか知りたいだけで実際に何かしたいから来ているんじゃない。美術館が現場である必要はない。整えてシェア☆て感じだ。あいトリの時の常滑...

2024/05/09

少し前、来客が私の本棚からスッと取って読み始めた本を見た時、「その本を取るなんて、さすがだよ(CV種崎敦美)」と内心思い、その迷いなき選びようにうっとりしたものであったが、自分の本棚には大体面白い本のみが収蔵されているに違いなく、どの本を取ったとしてもうっとりしていたであろうよ。 テレビにはあまり出ない芸人がやってるYouTubeチャンネルで優しくされるの気まずい、やめろ!と言ってるのをみて、うわー、となるほどねーのデュアルな思いが立つ。コミュニケーションの雑さ厳しさズレをボケに変換したいコミュニケーションね。ツッコまれる空間を作ることがそのひとの周りにあるものなのだ。傾きを作り、複数人の中で中心になる話術。職人。芸人ってそういうことをしてるんだね。ふーん。 関係ないけど、4月にやった展覧会のアーティストトークで、展示室で作品見ながら笑っていいのかという話題の中で、笑うとそれまでの継続が途切れるし身体が震えると感性が変質するって言った。

2024/05/07

「現代アートの勝手口」の搬出して、BUGのスピルオーバー展のオープニングに行った。低気圧と人疲れであたまいたい。明日は多分疲れてだめだ。みんなおしゃれしてていい感じだったな。体育みたいな格好で行ってしまったことが悔やまれる。 昨日の住友さんについてのツイートを見たよと、パーティーで宮崎さんが話しかけてくれた。展覧会の建て付けはアラーそういうことねー、恐ろしいよねー、ということでしたけど、作品はめちゃ良かったよって言ってもらった。2時間弱の尺ないとうらさんの身体が街に対して変わっていく様が見えるようにならないですよね、やーほんとまじ良かったす!と言ってくれてめっちゃほんとうに宮崎さんまじでありがとう。すごい大事な作品をすごいちゃんとみてもらって本当に嬉しい、何よりも嬉しい。至高の気分。 BUGの展覧会は、物と音と光で空間を拡張することが示されてた。明日は良いスピーカーを繋げてシンセで遊ぼうと思った。 長谷川白紙がアー写更新。顔出しすることについて嫌悪と恐怖があること、この写真は安心する状況で成立したものであること、そしてこれまでどっかで写真を撮っていたとしても気にしないで、写真撮られることを嫌悪してると言ったのはこれが初めてのことだからと長めの文を投稿していた。今からはこのことを知っておいてほしいということでもあるのだろう。開示してこなかった肝要なことを、こういうふうに話すことができるんだ、とおもった。手紙のような宣言文だった。

2024/05/06

父方は7人だか8人だか9人だかの多兄弟で、父は双子の末っ子である。祖母の身体を想像する。父の生家は火事で焼けてしまい、祖母はその火事とは別の時に死んで久しい。母方の曾祖母も同じく多産家族の母親であり、7人産んでいる。末っ子が七郎という名なので明快である。曾祖母、彼女は98歳で20年前に死んだ。この2人の女だけでおよそ15人もの子を産んでる記録があることがなんだか恐ろしい。その孫、ひ孫として私が生きてるのだと思うと途方もない気分になる。 == 何にもならなさすぎる時間を過ごし、失敗とかもしよう。失敗できる関係も場所もそう多くはないし、信用して甘えていこう。大体うまくいかないのは、スケジュールのプレッシャーだし。とりあえずなんかして、あきて、やってみたけど何にもならないかー、別のことしよーでも今日は寝よーとかっていうのが、ちゃんと過ごすということだ。それをなんかもうちょい取り回しのきく言葉に置き直して、展覧会のタイトルをつけたい。 日記がよくないんじゃないかというの、最近2人から言われた。そうなのかもしれない。書くことでちっさい穴をほじくり回して穴を広げてるんじゃないかというのと、フィードバックが強すぎてその中で完結するので作品にならないという2つの言い方によって。ぐうの音も出ない。 言葉が言葉をつれてくる何か書く魔力みたいなものに取り憑かれてしまって、言葉が私を作り替えている(漢字は、替えて変えて、どっちだ。まあどちらでも構わない。convertの感じ。差し込んで別のものが出てくる。私が文自体になっていく。日記はそういうものか。怖いな)。日記を毒牙で刺し殺す、ハリーポッターの個人的な名シーン。 ああソンタグと友達になりたかった。ソンタグと恋バナしたいわ。いや、しているか、すでに。

2024/05/04

家族に会いになぜか埼玉の辺鄙なところへ行く。小川町というところだ。こないだ都営線の小川町駅を調べてたら小山君がぽつりと埼玉の同じ名前の駅のことを言っていたが、まさかこんなすぐにその駅の名前をナビタイムで調べることになるとは。行きの電車で植本さんと滝口さんの往復書簡を納めた「さびしさについて」を読む。だれかと手紙のやり取りがしたくなる。植本さんが中3の時に受験について考えていたことと、その子どもが中3になり受験のことで悩んで色々決めようとしていることなどが少し書かれているところを読んで、「わたしは何か分岐に立ちどちらかを選んだりあまりしてこなかったな。諦めたり、なにかものすごい挫折をしてそこから立ち直ったりをしないできたな。」と、ひとの話を読んで、自分のことを思い返した。 正直なところ、家族に会うのにわざわざ遠くへ行ってそこで家族のもろもろをするのって変だとおもう。だから苦手だった。昔大学生のころにも、うねとそういう話をしたことがあった。 これまで仲良くなった友達の何人かは、親のことを下の名前で呼んでいた。そういうのがあるんだ、と小学生のころ転校してきたナナの家に遊びに行った時おもった。そういえば中学のころ帰宅した時に、私がナナの母氏から借りた「ホットロード」を誰かが(たぶん母だ)読んだ形跡があったのを、そういうのいいねーとおもったっけ。ものすごくちっちゃな記憶の類だ。「崖の上のポニョ」をみた時に映画の中の親子関係が名前呼びだったので、ナナんちのやつじゃん、と思ったこともあった。うねんちもそうで、そのときにはポニョんちのやつ、とおもった。わたしは高校生以降父母のことをなんて呼んだらいいかわからなくなってしまって、なるべく呼ばないで済む文法を採用しつつ呼ばざるを得ない時にはトチャン(父ちゃん)、ママ、と短く、口をほとんど開けずに言うようにしており、いまだにそうだ。恥ずかしいのだ。なんとなく妹と父、弟と母がわりと仲良く、わたしはなんかちょっと浮いてるっていうか。いまいちずっとうまくやれないままでいる。 家族のLINEグループへ、なんか「向かってます!」というのをスタンプで送ろうとして、何なら変じゃないかな?と少し悩み、忍たまを父は知らないかもしれないのでドラえもんを送る、ということを繰り返しているけれど、忍たまのことを教えてあげたっていいよなあと思ったりしたんだよね、とい...

2024/05/03

なんか「あだ名で呼んでもいい?」とか「そろそろ敬語やめていい?」とか「一緒にzineつくらん?」とか。そういう感じになること多いな、人と。友だちってこと? 2年ほどかけて界隈?の若年化をすすめていきたいかもしれない、活性すれば仕事は増える…そのインフラ仕事なら頑張れるかも。つうかアーティストとしての仕事の横でやりたかったのはそのような仕事なんだった。学びに行かなければ。。 昨日した展示設営の手伝いの仕方について、ちゃんと失敗できる余地を残しながら、しかし初めての展示がうまくできたその嬉しさだけで作って発表するのを続けていくかもしれないというようなことを思うとどう手を貸したものか悩ましくおもった。 なんかもっと全体的に引いた目線で見て生きたい。。。。水槽の大きさの分だけでかくなる魚みたいに自分のこと感じる時があるけど、そんなこと思う程度には一生懸命やっちゃってる。素直すぎる。そんな全部必死になってやらなくていいんだよ、うーちゃん。

2024/04/30

文が長すぎてすごいパニック状態だだもれだよなという話をした。放っておけばいい事実に近いことの確認へとかなり確実な足取りでひたすすんでいて本当に大変そうだという。嵐のような心の動きを全部キャッチしようと頑張ってる。自分に興味ありすぎだろ!擦り切れるように悩んだら物心もあらたについた。自分のユニークネスが見えた。 BOATが前に、この作品はいいけどうらぽくない、良いけど誰でもできる、考え込んでイメージが変化するのが挟まってないよ。というような感じのことをアイス屋さんの作品に対して、作った瞬間いってくれた。それをようやく挟み込む季節到来したかもしれんな。具に言葉にしていこう。 平易な言い方で伝わることを第一に言葉選んで話したら、めっちゃ気が楽で中学生に戻ったみたいだった。こんなふうに自分の気持ちを話せるんだーと思って驚いた。言葉のプロダクトな側面。気楽さ。 「地元の友達」のストーリーズに子ども連れで知ってる人たちが次々登場する。てかそのジモ同士が結婚して子どもまでいるようで、みんなで厄落とし行ったみたいなことが書かれていた。同じクラスの女全員が厄年だ。なんだかおかしいな。やっほーわたしはエンジェルブルーの靴下履いてポケモンやってるよー。

2024/04/29

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育ててる葉っぱに新しい芽がたくさん出てきた。味噌汁を飲むためのお椀が欲しいなーと思いながら葉っぱに水をやる。 誕生日のメッセージをfbにもらったので返信した。眞島さんから眞島竜男アバターのバースデースタンプをもらった。眞島さんがやることにいつも驚き、何をやっても(さすがトゥルーアーティスト…)と憧れてしまう。そういうわけで、眞島さんに倣って返信した。自分のアバター的なものは、現在の髪型がどうあれ、選べる時には茶髪のおかっぱor二つ結びのお団子ヘアにする。平均的な自分自身の印象。パフォーマンスをする身体として、自分のキャラクリを考えるべしかもしれない。眞島さんや橋本さんや泉さんはただ立ってるだけで何者かわからないような佇まい。怪しい。なんだかわからない凄みを醸し出してる女性、、オノヨーコ、中島みゆき、、身近な人だと、、、、、。怪しさは毛に宿るのかもしれない。。。

2024/04/28

 誕生日。お買い物してケーキ食べてゲームした。ゲームやってるのを隣で見るのも楽しい。気に入ってるものを教えてもらって嬉しい。私も最近気に入ってるものを教えた。ひとから教えてもらって、そこから調べて新しく好きになったもののこと。読んだ本の面白かったところ。これからやろうとしていること。最近見た映画。急に思い出した子どもの頃のこと。前に来た時にはあった店が無くなったこと。 いつもならもう二回しくらい行くところだが、なんだか今日は文を書くのが少しも面白くないので今日の日記はこれまで。

2024/04/27

  朝急に素直さの開示が必要だと思って即会いたいし話したいしというの電話したら開口一番おはよー…ウッ……てなぞにボロ泣きする人になっちゃった。やば。。メンタル終わってる自分をオープンにしたら大丈夫だった。勝手に絶望してたものは私の閉じた感じだったのかもしれない。ガッチリ閉じてたドアを開けたら、全然ずっとドアの前で待っててくれてたみたいな感じだった。

2024/04/26

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ラボにずっと置いていた荷物をとりに行った。学生たちとつなち、大澤君がいた。ギャルたちがなんかでかい布に刺繍したりしていた。めちゃいい感じだったな。留年、院進が多いのか知った顔ばかりだった。しばらくすると小山君が来て、そして池上ちゃんがきた。喫煙所にはシモケンもいた。 荷物の配送手配。伝票を3枚書く。品名の欄に「粘土」と書くのが面倒で、皿を自宅へ大量に送る人になってしまった。ヤマトの人も「皿?全部ですか?」と怪しんでいたが、「ええ、はい、皿が3箱、精密機器が1箱、本が2箱の6件です。着日明日AM、支払いPayPayでお願いします」とやたら澱みなく堂々と受け答えた。はい、の意味で「ええ」と言うの、初めてやった。また段ボールが届く。 思ったより早く用事が済んだので、ラボで久しぶりに、というかほとんどはじめてあらゆる予定から手を離した状態で過ごした。誰でもない人として。立場を持たない人として。おしゃべりもそこそこにして、ちょっと飛び跳ねてみたり、落ちてるもの凝視したり、ウロウロしたり、しゃがみ込んでみたりした。天井を仰ぎながら適当にピアノ弾いて遊びながら、おやこの挙動って川上君じゃねと思った。 自由で誰のコントロールも感じさせない空間でありながら、運動体的な側面も説明していくのって大変やなと半ば他人事として思ったりもした。今日のラボはかなり雑然としていて、私のいた時のそれとも当然違う具合だった。本当にとにかく暇なので目に映るものをずっと記憶してみた。誰かの作業中のものがどの机にも折重なり合ってて、その上で作業をくりひろげている人がいて、それが床に侵食していて、誰かが何かを探しながら床や机を見ている横で新しいカメラで遊んでいるひと、その隙間を人が機材を持って通り抜けていく。 おー。「、」で繋いだ長回しの文で切り出すだけでけっこう面白い。そういうテキスト形式のオンラインのイベント何か催したいかも。なんかリフレッシュしたな。アイス屋作品のディスクライブもやるぞ! そうこうしていると重音部のライブとサークル勧誘会が同時に始まって、そのあと助手展のトークショーが始まった。映画専攻の助手の作品解説の時間、あらすじの話をなんとなく隠れながら聴く。「こんなことが起きてねえ、まあ誰でも狂っちゃいますよね」と話者。(そうですねえ…)とうーちゃん。 犬とか蜂とかとやった自分と双方の行動を分析する...

2024/04/25

CSLABの冊子の川上君が描いた漫画読んで、空間全体ごとを愛していたこと思い出した。泣いちゃった、普通に。ラボの素晴らしい瞬間が抽出され思い出される。なんかした気でいたけど、思い返してみると私は大して何もしていなかったな。ただ一緒に遊んでただけだった、まじで。仕事なんだかなんなんだかよくわかんない感じのことをばらばらとやってると誰かしらが訪れて、そんな感じで毎日約束しなくても会って(私は仕事で居たわけだけど)、毎日楽しかったね、素晴らしい日々だったね。 今日はなぜかラボづいていて、仕事終わりにスヒョン、つなちと新宿で会った。スヒョンとは一年ぶりくらい。Red Stockingの新刊のことを話し合った。手作りのzineに立ち返って、その企画について固めるために最近のことをちょこちょこと話した。 ラボで友達になったみんなのこと、ずっとずっと大事にしたい。いつまで遊び続けるのかわからないけど、いつか会わなくなってもずっと大好き。

2024/04/24

今日はいろいろと暇のなかで考えが揺蕩う。将来の見通しへの拒絶感から始まり、そう思うのなら、子どもを育てるという選択肢は取らぬべきではないか(別にそんな予定もないのだけど)って方に今日またより少し傾きを増す。たまにそれを考えてはどちらかに投票をしている。自分だけの話として。 そこでは現在の自分への信頼が判断材料となる。現在をokにするにはどうしたらいいのかな。今がとにかくokでなさすぎてな。。全ての根本的な問題は生活習慣にある。寝不足、栄養不足、運動不足。仕事は頑張ってやってるつもりだけど、その頑張りの反面単価が低く、生活とキャリアをキープするには異常な努力が必要になる。いまはなんとかなっているとはいえ、搬出の翌日に搬入するのを繰り返していてはとてもじゃないけど暮らしどころではない。かなり前の花見で山本さんが言ってた「家族やめますか?アートやめますか?」っていうパンチラインもたびたびに思い出す。アーティスト友達と会いたい。孤独な気分になっているが、忙しさのタスク処理と恋関連のことに全部動員してる場合ではない。ガチで頭おかしくなってた。あぶー。ここのところの自分、まるで自分ではないみたいだ。ありえない、どうした?!怖い怖い。 仕事の話に戻せば、ほとんど無料の奉仕も多すぎるな。個人的な関係性の他にも、それを巻き込んであまりある生活維持の土台の問題が大きい。いくつもを掛け持つというのは、それだけでカレンダー人間になってしまうとあっては、もはや七曜制にまで不便を感じる始末。それで家にある橋本聡さんの「二曜制カレンダー」を観る。これはこれで厳しい気持ちになる。  展覧会もないし、すぐにやらないといけないこともないし、19:00に仕事を終えた瞬間夕飯を食べて20:00に風呂に入って、だけどそれが一番難しいのよ話のきっかけとかどーしよ全然自然じゃないよね?!(まだ言ってんのかよということでもあるが、それはそれで重要なことだ)で、22:00に布団に入った。健康へ真っ直ぐ歩みを進めるの嬉しい。展覧会が遠くで開催中なのもいい。実に健康的。昨日全部考えがまとまってよかった、まとめるのは大事!

2024/04/23

  したくないダンスを振り付けられおどりながら、探究心でそのダンスを見出そうと努力する。それはダンスでなくて劇だよ。ダンサーでないひとがダンサーになってゆく劇。…と、こうして状況把握としてカメラを引いていくと劇がうつるが、どのようにその運動が「したくないダンスである」というのを表現するのかって、そういう話。 私の元に起きるある種の揉め事の調停の場は、どれも解を出さずに「そういうわけで引き続き…」という物に落ち着く。細かに話してるうちに問題部位の腫れが引いて、問題が問題とも思えないくらいのところまで行く。ここでそうしているように宿題として分解していく(もはや趣味である)と、結局は問題そのものを介して作られたそれぞれの心持ちの不自由さが摩擦点であることに辿り着く。そうなれば結局摩擦し削れ果てた部分はそれぞれに違うので異なる処方が必要になるはずだが、処方はより具体的な必要性を示した方に寄り添った一つしか作られない。なぜなのか。今日はずっとそれを考えていた。仕事の間も電車に乗っている間も自転車に乗っている時にも(なんかおかしいな…)と考えていた。 「なんで私に悪いところがあるわけでもないのにこんな思いをしないといけないんだ」という平凡すぎる気持ちの在りかは、問題存在として自分を指されるという認識に端を発しているものだ。まず私は処方者としての立場に立ち、悩みごとをなんとかしてやりたいという利他感情が働く(そもそもの場におけるロールも関係するのかもしれない)。今回の問題対象は自分自身の存在についてなので、それを見た目の上で変形させることは難しいことではない。事実を作ることは簡単なことだ。そうして相談に最大限に寄り添うため、自身には症状とは異なる処方を適用し、その隠蔽のために行動を変形させるにあたって心まで変形させていたことによる負荷が「なんで私がこんな思いを」ということだったのだ。と解がでた。スッキリした。自分を理解できた。そして二粒だけ涙が出た。 やはり昨日の自分が積極的に見せかけ取った選択は少し違ったということだけれど今更かな。どうしよう。どうしようもないか。別になんか言うようなものでもない。なんか実行していくことで後からわかっていくようなものだ。それでいいか。本質的に、私は問題存在ではない。 私には未来のイメージが無いから相談の形にするのが難しいのかもしれない。つ...

2024/04/22

昔のカレンダー無いかなとおもって神保町の古書店街の、すごい古い本や記帳や手書きの本や、おそらく日記的なもの、それから版画とかを扱ってる店に入ってみた。版画は本よりも適当に置かれているように見えた。そんな置き方したら曲がってまうど。まあいいのか。本の値札はピンキリで、4000円とかもあれば13万円のも40万円のもある。多分しまってあるもっとすごいやつとかもあるのだろう。店の中の物量と一つ一つの本が持つ圧がすごくて何か恐れ多く、資料が何かないかと見たくて入ったのに、こう、どうにも中を開いて見る気になれない。それは自分のものではないことによる触れ難さではきっと無くて、美術館とかにある安全な距離が設定された鑑賞の対象に慣れすぎていて、どの距離感でこれとどう付き合えばいいのかわからないというようなものだ。読まれることを拒否する本だ。コレクションのための本に対峙するにはちょっとこちらの全てが足りていない。ダメージの少ない和紙の触り方も知らないし。静かにじっとして背表紙をウォッチするので精一杯であった。 電車の中にオフショルのレベルがカンストした服を着たひとがいた。人魚姫みたいな服で電車に乗るなんてすごい。知らない人に背中とかくっつく可能性もあるのに。すごいよ、あんたがクイーンや。好きな服を着るというのは接触可能性からなんらかの態度を持って自分を守り、見られる恐怖を弾き返す表現である。だのに彼女、よりにもよって寝ている。大丈夫か?とりあえず彼女が無事に帰れますようにとおまじないをかけた。 件の問題についての合議を執り行い調停。問題を変形させることで次の問題を作ってそれを落着とするも、問題を変形させたと見せて実際には自分の方を変形させている。問題自体は変形しないので仕方なし。と、まあ大体こういう感じだ。やむなしである。アーなぜショックなのかもよくわからない。変に狡猾なズルさが消えて素晴らしい嬉しさが帰ってきた感じもするから。しかも何かが増えて。

2024/04/21

朝風呂に入って支度をする。この6日間なにかひどく飢えたような気持ちになって毎晩毎朝ベソをかきベランダで縮こまっていたとはいえ、ギャラリーへ向かう道に生える草を観るのは楽しかったし、ひどい駄作であるにしてもよくぞ3日足らずで仕上げたとの満足と疲れと安心の余韻の湯に浸かる。今回の過集中した努力をうーちゃんはリハビリになったように感じてそれに満足をしていた。 連日の人疲れで一刻も早く家に帰りたいうーちゃんは、空港に出発の3時間前に到着した。しかしせっかく早く着いても特にすることがない。巨大な銀色のキャリーケースを転がし全ての店を回り、全ての練り香水の蓋を開けて嗅いだのち隅にある本屋にて不意に西村賢太「雨滴は続く」を購入することになった。この作は後に読むのがいいよとある筋より教えてもらっていたけれども胸の内では知ったことか次に読むのはきっとこれにするのだと決めていたのだった。とはいえ、この機会が来なければ律儀に勧めに沿った順番で読んでいたのであろうが、都合積読のウェイティングリストに500ページを差し込むこととなった。 悪天候で見通しが立たないために出発が遅れるという放送が入る。窓の外を見やると確かに真っ白に霧が空気一体全てにこもっている。玉突きした遅延の混雑で椅子はほぼ全て埋まっていたので、窓のところの浅い出っ張りがうーちゃんの暫くの拠点となった。 そこへ座り込んで60ページほど読み進めた時、ふと(クソでかい画面でキスでもセックスでもいいから他人同士の粘膜接触の様をみたい…)との慾に心が駆り出されることとなった。うーちゃんはこれまでエロでポルノな描写をとある理由にて映画であれ漫画であれなるべくなら直視することを避けてきた。それどころかゴアも胸糞も怖いのもびっくりもくすぐりも辛いのも、そういったあらゆるテイストのようなものをなるべくなら避けて、たまに見ては焦るようにして心を転がしていた。産毛の生えた桃のような心を垂らして生きていた(それは少し金玉に似ているとおもう)。とにかく速度と傾きの強い娯楽に興じること自体が嫌だった。遅ければ遅いほど捉えやすく、ささやかであればささやかであるほど自分の身体に巻き込みやすかった。それで特大のバジャイナをのぞいて、他人同士のセックスをすごくじっくり見たいとおもったのはよくよく結びつけてみれば頷けるけれども、単に汚い性欲の描写に引っ張られて心...

2024/04/19

 平岡手帖への寄稿文をここで書く。このブログエントリは私にとって文を書くための机になっている。Googleドキュメントで書くのすら最近は少しよそよそしい。このbloggerの不便利なUI、ずっとこのままでいてほしい。 さてなんて書こうか。 == 鑑賞ってどうやってするのかと聞かれて、とにかく見るのだということをどのようにして話せばいいか…という時に平岡手帖をレコメンドするシーンを思い描いた。 平岡手帖では、複数の展覧会をひとりの人が鑑賞してまわることについて目の当たりにできる。異なる展覧会での鑑賞体験が引き続き折り重なり混ざり途切れながら隣り合って経験されて、そこへは展覧会とは別の経験や記憶なんかも当然のように入り込んでいる。鑑賞という行為が存在していることを記録した文だ。この生(活)のアーカイブは作品だけでなく鑑賞があるということを示す。作品はそれぞれ孤独に浮いているのではなく観る人の内でなにか別の物事とくっついたりして変形しているということ。それで世界がひそかに芳醇になっていること。 == どうだね。支離滅裂にも思えるけどまあいいか。 夜、知らない人と映画の話をしてすこぶる楽しかった。素人の言葉を尽くす。そういう会話があればいい。

2024/04/17

宿泊施設にはパジャマの用意がありませんのでと言われて、パジャマをたくさんパッキングしてきた。しかしそれとオープニングパーティーできるためのワンピース以外の普段着的な服を持ってき忘れたので制作中ずっとパジャマを着る羽目になってしまった。パジャマはただの二軍の服。制作中はみんな汚れてもいい格好をしているのでパッと見同じようなテンションの服を着ているふうに見えるが私のとはコンセプトが違う。そんなそぐうようなそぐわないような場に、だらだらとした私が入り込んでいる。中学生が手紙に書くような癖のある手書き文字やひらがなの名前のインフォーマルさで、さらにパジャマで。

2024/04/16

  また飛行機乗れなかった。ダメ人間すぎる。幸いちゃんとしたチケットだったので時間変更してもらえた。契約とか約束とかって双方のやりとりが取り交わされればなんとかなるものだな。権利を買っている。安堵。 今いるところは廿日市市で、これまでのやり取りで文字は目にしていたけども電車で降りるときに音で把握できないと困るんでようやっと読み方を調べ、「はつかいち-し」と読むのを知った。しかしまたなんでだか間違えて「五日市(いつかいち-し)」で降り立つ。もと来たのの次の電車に乗る至極無駄なスクラッチ運動を行った。ぼけなす。いつかつかつはつかいちしつはつかついつつはつかつ。 24:00就寝のサイクルを広島にいる間やってみて調子良さそうなら続けてみよう。

2024/04/15

誰にも話してないから誰にも伝わるはずないのだけど、なんで誰もわかってくれないのと心の中だけでオギャって体はめちゃじっとしてる。6日間の出張、鍋洗わず行ってもいいか?いやさすがにまずいよ。 ネトフリの三体S1全部見終えた。忙しいとか言いながらそういうのはみてしまう。セックスエデュケーションの指揮者の先生の役者が一瞬出てきて嬉しくなった。しかしグズな映像化だった。ゲボのシーンが2回あり、ひとつはヒスパニック系博士が非人道的な研究に加担して呵責し部屋のいろんなとこでゲボ。もう一つはコールドスリープの実験台になったチンパンジーが副作用で弱ってゲボ。 あーほんとにほんとに疲れた。all power goneしぬー ウ〜