投稿

2月, 2025の投稿を表示しています

1月と2月

  1月2日 何かについて、自分より知っている人との話し方を知らないというのはそれだけでよくないことだな。「それもっと教えて」を言うチョイスによって論破ブームで傷ついた世界はパッチする。ひとはもっとヘラヘラするほうがかわいい。 小競り合いを超えて今日ばかりは家族と話がうまくできなくて怒ってしまった、もうだめだ、最悪だ。妹が私のせいで先に帰った。ああほんとうにごめん。妹不在で父母私弟という組み合わせで一日を過ごすのは多分妹が生まれてから初めてのことだった。(追記: 1月6日にやっと謝った) 1月6日 仕事始めした ガザのインスタグラマーの子のアカウントみた。生理しんどすぎてなんだかわからないけど何やるにも力湧かないな。 1月7日 展示している作品は動物が多い。ということにあまり気づいていなかった。アリウェンがうらさんは異種との関わりを扱うアーティストだよね!と教えてくれて、確かにな、と思った。動物と何かをするのにはストレスがない。言語的に関わりを持つというのは私にとって結構ストレスなのかもしれない。正しさへのコンプレックスがある。強い社会的なショックがあるたび、作品未満のことを作品の中に入れてやろうと試みてきた。 別の何かと関わりを持って共に考えるだけでなく共に生きるということはフェミニズムだとおもう。みんなと仲良くやろうと試みるような"あばすれ仕草"(そんなふうに露悪的に語る必要もないか)も、まあビッチのフェミニズムといえるかもしれないが、それを続けたいのかどうか、という分岐が目の前にある。他人に期待することに限界がきている。北千住駅の乗り換えはいつもいつも迷子になるが、日比谷線から千代田線に乗り換える間のマツキヨあたりで精神的に追い詰められてしまう。今日もそうだった。 1月9日 (二木さんに送った文の下書き) 二木ちゃんの日記読んでて、外から見て面白がることについての10/28の日記読んで、語りかたのこととか私も知りたいなーと思った・・・というなんともぼんやりした反応なのですが。どうでしょうか。外部からの視線と利用者さんとの間に立って介在する、時に発生する小さなモヤりのディテールも興味深いです。そういった感情は外に出てこないよなと思って読んでいました。 ポーランドのアルトゥル・ジミェフスキの映像作品《Blindly》(2010)は、眼の見えない...