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絵を描く1

ある絵描きに対するリスペクトがやばい。絵を辞めた理由の一つは彼である。今やっていること、大真面目だけど、純粋な絵画でないという負い目がある。やめようかな

ツイッター・ブログの下書き、お詫び他

<お詫び> 死んだら軽くなるのは、0.2gではなく21gでした。あれ〜〜。。どちらでもいいっちゃいいけど、これからは確認しよう。。 ーーーーーーーーー 最近の中で良かったのはclose studioとmy body myth で、どっちも緊張感のある作品だった。 最近「試されている(汗)」とよく言われる。試しているつもりではなかったけど、結果試しているんだなあ。でも、絵にしたって彫刻にしたってコンセプチュアルアートにしたって、試しているでしょう、とおもう。好き・嫌いすらも考える前に作品の前を通り過ぎてゆく、、そこへ多少の暴力性を伴って介入する。目の前で無理やり言語に起させるということをしている。「感覚」を擬似的にことばとして作り出して、そこをまた評論的に再考するという仕組み?みたいな?ということは、つまり、わたしは作品でハッピーな皮を被って、そういうようなことをしているんだ、たぶん・・・ 「再演が現在」は、《多田佳那子さんの絵(たくさん)の前で、「女性の名前」を軸に女友達の紹介を淡々としまくる(自分の名前から始まり自分の名前に帰って来るタイミングで辞める)。」というパフォーマンス。前のことを常に思い出しながら更新しつつ再演した。タイトルミスったな〜。。練りに練ったつもりだったけど失敗した。 人の作品の前で好き勝手やって、申し訳ないながらすごくたのしかったなあ。

10/24のこと

【おしらせ】 10/24一日中、Art Center Ongoingでパフォーマンスをやります。 10/14-10/25 の多田佳那子さんと早川真奈さんの二人展「現実へようこそ」という振り切れてるかっこいいおふたりの展示でのイベントです。彼女たちの絵の前とかでしゃべります。 いろいろイベントがあるけど訪れてくれたら嬉しいです!宜しくお願いします。 下はそのパフォーマンスに向けて書いた文章です。手がかりになると思います。 ーーーーーー 《再演が現在》 わたしはーー。小説に出てくる彼から、電車にいた彼や、一昨日話した彼女や、いつか見た気がする彼や彼女からも、誰の話にでてきたのかも定かではない様な、彼、彼女、そういう手当たり次第の他人から、わたしはことばを借りて話す。そうして時に、そのようなわたしは、わたしを演じる。わたしは、「鼻息が荒いね。」と言われて、息を止めてしまったり。すてきなショートカットの女の人を見て髪を切りたくなったり。そういう人です。そういうひとなのだけど、そうではないところもあったりします。なんて、外から見たようなアーカイブをすることがあります。という、自分すらも。10月24日にやるのは、それより前にあったことが、多分、10月24日その時に起こってることやもしかしたらその後に起こるかもしれないことを、本当も嘘もなく、演技でも素顔でもない、明確なこれですという名前を持たない(アーカイブのような予言のような走馬灯のような感じかもしれない)ことばを、話すつもりでいます。 2015年10月4日 うらあやか ーーーーーー

キメ顔の自撮り

イメージ
自撮りしてみるとき、カメラの奥の空間、つまり目の前の三次元空間ではなくて、後の二次元で残る自分の姿を見ている。損得でいえば、後にデータや紙として残るものへの得が、今現在を俯瞰したときの損よりも重要視されるということだと思う。 写真の時間軸を少しだけ現在へ向かわせるとしたらそれはどんな写真になるのだろう。カメラへむけてでなく、未来へむけてピースしているわたし。写真がいつでも過去だという今を、どうにかできるとしたら。 いつだって目の前に無いものを見ている。後のピースが可愛いければ、その時なんかきっとどうでもいいんだと思う。アーカイブする、というのは割とそういうことなきがする。