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10月, 2021の投稿を表示しています

2021/10/28

パフォーマンスイベントのミーティングをしていたらややあって急に川上君と須田君とテツシンの セッションが始まり、それを追いかけるように記録を撮影した。記録しないともったいないので大急ぎでカメラとかマイクとかセッティングする。わたしにもそういう人が周りにいてくれたらな。  インプロのときどのくらいゾーンみたいなものにいれるか(集中力どのくらい続くか)。川上君が僕はわりとぼんやりやってますと言っていて、そうは見えないからまじで?と思ったが、「ぼんやり」がちがうんだろう。わたしにとってインプロにおける「ぼんやり」は、考えながら――なんならやりたくないなとすらおもいながら――その場に佇み次の行為を検討しても脳が状況に噛み合わなくてあまり動いていないような状態で、逆に過集中(ゾーン)はどんどん次次にその次の行為がが身体の周りに竜巻のようにぐるぐると集まってくるみたいに身体に起きて、そして気づいたらやっている。その連続によって時間が経過するみたいな状態。「ぼんやりってどんな状況」と聞くと「か〜〜〜〜〜ンガエル(早口)」と説明してくれて、わかるようなわからないような。「か〜ん〜が〜え〜るオモイツク(早口)」ではなくて?と質問し損ねた。考えることの中に行為があるのか、考え→思いついて→それが行為化するのか。わたしのばあいは考えを喋りながら整理するしそれをパフォーマンスの中でもやるから「かdo it、んdo it、がdo it、えdo it、るdo it」(←ワルツみたいな三拍子で読むと丁度いい)みたいな感じかもな。カモナウィーク(打ち合わせしていたパフォーマンスイベント)ではそういうパフォーマンスのメソッドを検討するみたいなパフォーマンスをやろうかなあ。

2021/10/27

ラボメロのジェンダーゼミ。様々なミーティングで、参加者の意見を出すのに、少し前までまず参加者の話が出てくるように場を温めるようにしていたがうまく行った試しがないので(ただただ進行役としての技術不足なのかもしれないが、)自分のアイディアを攻撃表示で召喚(そしてターンエンド)し、その後で、それに対して他の人の意見を聞くというスタイルに転換するようにしてみた。議題のようなものはあらかじめあるけども、自分の言葉で話しはじめる欲望のスイッチはどうやら議題そのものにだけ含まれているわけではないしやはり参加者と議題の間にスイッチがあって、参加者(一年生とかはなぜか特に)はそれを自分で押しにはなかなか行かない。ので、まずは欲望のある者が押すことにした。力強く押し進めると自分が思っている方向以外のところへ展開する可能性が閉じてしまうような気がしてこれまでできなかった。が、もういいや、とにかくどんどん意見を転がす時間を過ごしたいと思って試しにえいと「私はこれがしたい」という言い方で議論をディレクションして、とにかくその場を構成するメンバー全員に全体重をかけるがごとくやりたいことをバババーと話してみて、それから、「どうしていったらいいかね」と相談する形で議論を始めるようにした。こっくりさんみたいにみんなが誰かが喋るのを待つ譲り合いに耐えられないのでこういうことになったけど、このやり方ができるのは参加者の性質に依るところが大きい(そういう話し合いにだけ参加したい)。しかしなんとなく、このミーティング以外でも消極的だったように見えた人が欲望全開の人(私)が話して「はい次バトンタッチ」と冗談半分で紙とペンを渡しながらやりたいことを言うように仕向けたらえーーーじゃあホニャホニャ・・・と喋り始めたりして、結構効果があるような気がする。これは最近身についた技術ということができるかもしれない。コツは、欲望全開にしつつも、他の人がいいそうなことは言わないでとっておく奥ゆかしさだ。自分の欲望で土手を作り、広く場所を開けておいてほかの話してほしい人がそこで雪玉を転がすようにして(私は実際に雪玉を転がした経験はないが)深めていくことができるように環境を作るみたいな。もんじゃ焼き作戦。 ラボメロの後はいつもつがちと反省会というか小さな打ち上げというかを河原か公園でやっているがそろそろ本格的に寒いので、ためしに魚

2021/10/26

落ち込んでしまって何もできなくなった。ウーバーイーツを頼む――キリがなくなってしまうので、何もしたくない時だけ使うようにしているのだが月に2回くらいはそうなっている気がする――と、配達員がいっぱい連絡をしてくる変わった人で、顔文字を多用してくるひとだったのでわたしもかつて身につけた顔文字リテラシーで性別を伏せる選択をしながら-_-bとか返信した。掲示板に常に張り付いているアキバ系弟の真似かもしれない。弟はもちろんわたしよりも若いが、古風なヲタクだとおもう。ぽまいらって感じのデクくんだ。 Q「ぽきた」とか「ポタク」とか お→ぽ にするのはなぜなんですか?また語源のような何かがあるんですか? A 「お」が「ぽ」に変わることは「お前ら→おまいら→ぽまいら」と変化した昔のネットスラングからの流れもあり、QWERTYキーボードの、「O」の隣の「P」を誤って触った誤変換から生じたものと思われます。 初出・由来についてはこれ以外にも諸説ありますが、どれも曖昧なため、上記の理由から、自然発生的に生まれたものかと思います。 他に「ぽ」と言えば 2ch (現在の4ch)では「だめぽ」など終助詞として扱われていた時期もあり、「ぽ」が含まれているだけでネットスラングらしくなるという一面もあるかと思われます。(りあなさんの回答) (yahoo!知恵袋でのやりとりより) 私が小学生の頃リヴリーアイランドというゲームが流行っていた。ブラウザ上で小さなモンスターをペットみたいに飼い、育てつつ別の飼い主達と交流をしたり自分の島をデコったりする、ゲーム要素の強いSNSだった。「こん(こんにちは)」にはじまり「落ち(ログアウトします)」でおわる、2000年代初頭のリアタイチャットの電脳感が恋しい。リアルタイムという感性があったのは、パソコンの前に座り――大体同じ姿勢で座っているイメージが大事だと思う――このサイトにアクセスしているひとが自分以外にも大勢いるというような見知らぬ他者の存在がネットと結びついていたからのような気がするし、ページは増えてもアカウントが増えるようなことはあまりなかった。というか、インターネットでの生が、こうも個人情報と結びついて存在証明を細かに管理されたものになるとは思っていなかった。あの時とったフリーメールアドレスがこんなことになってしまうなんて―― 話を戻す。リヴリーアイラン

2021/10/25

  みんながいい人だと感じるようなひと。身近なたちは尊敬していて、わたしも尊敬しているひと。 * ここまでの登場人物に数えるほとんどが男の人たち(少なくとも思い浮かべる顔は)。そんななかでのモヤつきはどこへも行けない。嫌だと思うこの心を見直すべきで、 思い過ごしだと言われてもおかしくない環境だし。その話聞きたくないと言われそう。聞かせたくないなとも思うし。だからあまり人に話せない。そして日記やSNSにそういうことを書くと面倒なひとからだけLINEが来る。そんなひとのことも、面倒なひとだからといって大嫌いだというわけではない。ただやめてほしいだけで嫌ってるわけじゃない。と本人には言うだろうけど、はっきり言って、ほんとうは全部嫌いだし嫌だ。 ZINEをやっても、female artists meetingをやっても、ゼミをやっても、結局周りの人は自身のことをフェミニストだと思って弱者や正義の側だと思って――それはそんな活動をしているわたしと親しい(と錯覚している)からだったりもするんじゃないか――いる。 そういう感じだから集まりを作るならちゃんとまわりの面倒なひとが入ってこないようにガードしないといけない(それが一番大変)。本当のことを書き出すノートも作っておいて、ローカルな告発をしていくのがいいかもしれないな。ああ嫌だ。こんなことがずっと続いてきていて(もちろん年長者からだけじゃなく年下からも)ほんとに男が嫌いになりそう。勘弁してほしい。

2021/10/24

すごく大事にしている要素が伝わらないとか、これまで学んで来たことが反映されていない作品を見てコメントするとき、そんなに重要だと考えて作品まで作っているのに目の前に現れていないで作品からのレスポンスがない状態でい続けるなんて寂しくないんかみたいな感情移入しすぎ系コメントといまこの作品はこう見えるということをどちらもいうようにしている。というのを休日なのに思い出した。なんでだ・・?まあいいや。 今日は休日なのに早起き(と言っても9時だけど)して、早起きついでに時計を見ながら行動するようにしてみた。即興状態で過ごす休日はたえず混乱して自分のムードにやられてしまうが、今日はリズムがあってやりやすかった。案外こういう風にしたほうがいいのかもしれない(本当に意外だけどそうなのかもしれない)。掃除とかをたくさんして制作環境を整えて服を買ったりスピーカーを買ったりした。スタジオを持とうかな、何処かへ行かないと頭が切り替わらなくて困る・・・といううだうだいうのがかなり現実的になってきた。個展が落ち着いたら物件を探そうかなあ。なんか自立とか自律とかそういう要素のある日だったかもしれない。 9時起きる、10時着替える、11時ご飯食べる、12時掃除する、15時出かける、16時縄文の村、18時帰宅する、19時夜ご飯、20時制作する、24時今。 縄文の村へ(入り口にeMacというめちゃ古いPCモニターが置いてあり、それに勾玉のこととかが上映されている。オールドデバイスたち。。。)。土器や土偶を見る間、ずっと糖分が足りていないのを感じていた。土偶の腕の短さや模様のつき具合を見て当時の粘土の水分量を想像して粘土の仕方をトレースするのを気づいたらやっていて日々の粘土効果?とにかく驚いた。(石に言葉を一字ずつ書いて積み、骨と一緒に埋葬すると徳を来世に持ち越すことができる(?)システム!参考にしよ)。竪穴式住居のレプリカの中で火が焚かれていて、死産した赤ん坊の遺骨とかは住居の入り口のところに埋めていたと解説に書いてあった。夕方の林の薄暗さに小さな火があり、そんな昔の死産した赤ちゃんの遺骨と魂の気配がレプリカの住居の入り口の踏み固められたささやかな土の凹凸に捏造される。駅の地図に鳩が止まっていて、その向こうに時計が見えた。視線の角度を鳩から時計へと少しだけずらし時間を確認する。鳩が急に首だけ振り返ってどこ

2021/10/23

学生の作った授業の中でプロフ帳に答える機会があり、「タイムマシンが使えたらどうする?」という項目に未来の展覧会を見てくると回答した。もし先生になったら「10年(もしくは30年)先の未来の美術作品」という課題をやろうと思った。攻殻機動隊のTVアニメを見返しているからかもしれない。物語の中で未来をシミュレーションするのを拾いながら拡張するのが楽しい。ボクシングのチャンピオンの話では、メダルにパラリンピックと書いてあり、2002年当時のことは調べていないが今年のパラリンピックで少しだけ見たパラ競技はスポーツ概念とルールの入れ替えが起こっていたように思う(eスポーツがオリンピック競技になるか?!というのは茶番ではないか?eスポーツはeスポーツでeんじゃないのか)。パフォーマンスをやる人を集めて身体ベースに未来をシミュレーションしたい。そういう遊びに付き合ってくれる人が何人もいるといい。しかしとにかく今は個展のこと…個展では「パフォーマンスの化石」というアイデアを金沢に持っていこうと思っているけどうまくいくのだろうか。これも未来のことを考える中で、今がどんどんと遠くなってゆくことへの焦りと憧れから出てきたアイデアだが、そんなことを考えていても締め切りには追われるし、時間とか約束というのが本当にぐちゃぐちゃになって迫ってきて困る。そういう絡まった紐みたいなエントロピーみたいなのはいいかげん、アプリでどうにか整理できるといいんだけど。

2021/10/20

 日記をしばらく書かないでいるあいだ、川上君が図書館から貰ってきたヴァージニア・ウルフ『ある作家の日記』を読んだ。読むたびに驚いたが内容を何も覚えていない。誰と会ってこう感じたとか本を読んでここがこうだとか書いてある日報に近いような日記だが緻密。 ラボメロ。ラボメロのメモを日記がわりに3回分書いていたのでのせてみよう。このブログの使い方はもはや日記じゃなく考え事の整理みたいなかんじだ… -- 9/22 うらより大学内の喫煙所で遭遇した配慮のなさから生じる差別的発言の数々への苛立ちが相談され、それに応答するような作品や展覧会のやり方(ポスターを貼るとか、喫煙所でレクチャーをするとか、パフォーマンスをするとか・・・)のアイデアが提案され交換された。休憩を挟んで、まろんさんとつがさんが『雑誌・現代思想2021年9月号特集:〈恋愛〉の現在』をめくりながら「ポリアモリー」の話をしているところから、集団的な恋愛の形がなぜないことになっているのかとか、恋という現象のどうしようもなさとか、関係性の変化とかについてそれぞれがわからないことへ言葉を投げ込んで緩やかに議論がされた。「わからなさ」に向かいながら経験を言葉にするやりとりが豊かだなと感じた。 -- 10/6 オンラインから参加するまろんさんより「ある状況の中にいるときに、実際に行動をするって難しいよ」という切り口から、例えば家族の結婚式に参加してジェンダーロールに違和感を覚えてもそれを表明するのも憚られたり、戦いたいわけじゃないという思いもあったりで難しさの具体例が提示される。池上ちゃん、がたちゃんの家族や親戚に関する経験が共有され、ディスカッションが深まる。「面倒くさい家族付き合いに反対」という共通の意見を持った上で、それぞれがどんな家族なのか話すことで違う話や経験を持っていることがはっきりと現れる。また似ている境遇もある。家族付き合いという現象(?)がどうして続いているのかとかの流れで「クレヨンしんちゃん」がずっと変わらない家族(およそ30年も!)の形を示し続けることとか話す。伝統を守る=根拠がないから続けて実践で示す「いいことは続く→続くということはいいこと」の膠着状態。めっちゃ大和魂やんけ、と思った。 -- 10/20 ある学生劇の批判から始まる。全くジェンダーロールへの違和感や視点が抜け落ちている他人の作品に対して、

2021/09/28

パーティーだけは 欲望がない限りできないことだ。ほかのことはできてもパーティーだけは。。。 大学の外には、生活と暇と制作の間にある時間がこんなに多方向的に豊かなことはない。というかそういう時間を作らないと存在しない。今までいた場所の中でラボが一番面白い(もっとみんな来た方がいい)。 課題だけやっても作品はできなくて、大学出たらどうなるとか、大体何もやってない人ばかりが気にするやつだなといつも思う。どうにでもなるし、どうもならないから大丈夫と 今何してるか聞くとそれが就活の準備とかいう答えだと悲しい。。。そろそろ日記を再開しよう。。 2021/9/28のメモより