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2月, 2024の投稿を表示しています

2024/02/27

緩和ケアのドクターの話を聞いた。そうなんですか、なんでそう思うんだろうね、というふうに患者さんの話を聞くということを言っていた。入院患者を診療しに行く方が合う先生もいれば、お家へ訪問する方が合う先生もいるそう。お家は情報に満ちているのでケアのルールが変わる感覚があると言ってたのが印象深かった。病院に来てもらう方がその先生はいいそう。ホスピスにいそうな患者を求めるという問題があるとも言っていた。美術館に来てもらう。平均的な鑑賞者をやはり求めてしまう問題はある。はみだすものなのだけど。参加型の作品、対話を含む作品。パフォーマンスが出てゆく。建物を作り替える。(同じ話ではないにしても、似た悩みがあるとおもった)。死の瞬間がそのひとの本質でないにしても。生をどう考えることができるのか。日にちが続くということ…続かないということがネガティヴだというのは、違うとも思うし、そうだとも思う。この重ね合わせの状態。パレスチナのひとたち。弔うってどうしたらいいのか。なんでも、生きてる人のためにやるものだという感じはしないのだけど。展覧会。

2024/02/18

 デモに行ったらみりちゃんとかつなっちとかに会えた。遠くにすみれさんもいた。銀色に光るプラカを持っていった。症状経過5日目で体調もよいので来てみたが、来てよかった。もっと街へ出よう。散歩とかでもなく、ただぶらぶらとリサーチしよう。座ったり立ったり、目立ったりしよう。働いてばかりいたらだめだ、あと店に入ったりそういうのばかりじゃだめだ。もっと直接的なアウトプットをしないと。 展覧会に向けたプロジェクトの構成を前後半に分けて、より多くの人の実践が残る感じに作れるかな、でもそろそろタイムアップ。東京駅のあたりに、どうやって立てるだろうか座れるだろうか。 畑のような食堂のような学校のような場所として、アートセンターを使うという比喩で何ができるんだろう。意味あるか無いか?

2024/01/26-2024/01/31

 展覧会の打ち合わせ。今日に向けて映像編集を少ししてきた。小山君の華麗なカメラワーク。ありがたい。アーティストとしての自分の姿は、起伏なくだらっとしていて平凡な気が利く感じかと思っていたが、全くそんなことはないな。思ったよりもふんわりとした泡のように穴だらけで魅力があるし、出来事を引き起こしていくような吸引力があり、なかなか見どころがある存在感を映像の中にいる自分に感じる。 *** 田舎と言われるところに住むと、商業的な規模の小ささが目についてなんか足りないというような寂しい感じがするけど、厳しい気候や地形の影響が大きいところに住むとその圧迫感がすごいのだなあと札幌と小樽の間にある丁寧というところの道を雪の壁に阻まれながら歩いて考えていた。雪を避けるためなのか北海道の道路はばかでかく、つるつるすべるのもあって信号のない道を横断するのはかなり怖い。そのような運命共同体をつくる(真っ直ぐに体の危機を感じる)。有を重ねていくしかない厳しいところに住んでみたい。過疎とか問題になるのは何故なんだろうか。活気というのを別の独自な評価基準で測るなら、何がいいんだろ。 北海道の滞在は3泊4日、移動→観光→イベント仕事→帰 *** 一年間の実績をカウントする仕事に取り掛かり、関係をどれだけ作ったかとか、出入りの人数とかを見る。独自指標についての行政の人たちとのやりとりが面白い。