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4月, 2024の投稿を表示しています

2024/04/29

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育ててる葉っぱに新しい芽がたくさん出てきた。味噌汁を飲むためのお椀が欲しいなーと思いながら葉っぱに水をやる。 誕生日のメッセージをfbにもらったので返信した。眞島さんから眞島竜男アバターのバースデースタンプをもらった。眞島さんがやることにいつも驚き、何をやっても(さすがトゥルーアーティスト…)と憧れてしまう。そういうわけで、眞島さんに倣って返信した。自分のアバター的なものは、現在の髪型がどうあれ、選べる時には茶髪のおかっぱor二つ結びのお団子ヘアにする。平均的な自分自身の印象。パフォーマンスをする身体として、自分のキャラクリを考えるべしかもしれない。眞島さんや橋本さんや泉さんはただ立ってるだけで何者かわからないような佇まい。怪しい。なんだかわからない凄みを醸し出してる女性、、オノヨーコ、中島みゆき、、身近な人だと、、、、、。怪しさは毛に宿るのかもしれない。。。

2024/04/28

 誕生日。お買い物してケーキ食べてゲームした。ゲームやってるのを隣で見るのも楽しい。気に入ってるものを教えてもらって嬉しい。私も最近気に入ってるものを教えた。ひとから教えてもらって、そこから調べて新しく好きになったもののこと。読んだ本の面白かったところ。これからやろうとしていること。最近見た映画。急に思い出した子どもの頃のこと。前に来た時にはあった店が無くなったこと。 いつもならもう二回しくらい行くところだが、なんだか今日は文を書くのが少しも面白くないので今日の日記はこれまで。

2024/04/27

  朝急に素直さの開示が必要だと思って即会いたいし話したいしというの電話したら開口一番おはよー…ウッ……てなぞにボロ泣きする人になっちゃった。やば。。メンタル終わってる自分をオープンにしたら大丈夫だった。勝手に絶望してたものは私の閉じた感じだったのかもしれない。ガッチリ閉じてたドアを開けたら、全然ずっとドアの前で待っててくれてたみたいな感じだった。

2024/04/26

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ラボにずっと置いていた荷物をとりに行った。学生たちとつなち、大澤君がいた。ギャルたちがなんかでかい布に刺繍したりしていた。めちゃいい感じだったな。留年、院進が多いのか知った顔ばかりだった。しばらくすると小山君が来て、そして池上ちゃんがきた。喫煙所にはシモケンもいた。 荷物の配送手配。伝票を3枚書く。品名の欄に「粘土」と書くのが面倒で、皿を自宅へ大量に送る人になってしまった。ヤマトの人も「皿?全部ですか?」と怪しんでいたが、「ええ、はい、皿が3箱、精密機器が1箱、本が2箱の6件です。着日明日AM、支払いPayPayでお願いします」とやたら澱みなく堂々と受け答えた。はい、の意味で「ええ」と言うの、初めてやった。また段ボールが届く。 思ったより早く用事が済んだので、ラボで久しぶりに、というかほとんどはじめてあらゆる予定から手を離した状態で過ごした。誰でもない人として。立場を持たない人として。おしゃべりもそこそこにして、ちょっと飛び跳ねてみたり、落ちてるもの凝視したり、ウロウロしたり、しゃがみ込んでみたりした。天井を仰ぎながら適当にピアノ弾いて遊びながら、おやこの挙動って川上君じゃねと思った。 自由で誰のコントロールも感じさせない空間でありながら、運動体的な側面も説明していくのって大変やなと半ば他人事として思ったりもした。今日のラボはかなり雑然としていて、私のいた時のそれとも当然違う具合だった。本当にとにかく暇なので目に映るものをずっと記憶してみた。誰かの作業中のものがどの机にも折重なり合ってて、その上で作業をくりひろげている人がいて、それが床に侵食していて、誰かが何かを探しながら床や机を見ている横で新しいカメラで遊んでいるひと、その隙間を人が機材を持って通り抜けていく。 おー。「、」で繋いだ長回しの文で切り出すだけでけっこう面白い。そういうテキスト形式のオンラインのイベント何か催したいかも。なんかリフレッシュしたな。アイス屋作品のディスクライブもやるぞ! そうこうしていると重音部のライブとサークル勧誘会が同時に始まって、そのあと助手展のトークショーが始まった。映画専攻の助手の作品解説の時間、あらすじの話をなんとなく隠れながら聴く。「こんなことが起きてねえ、まあ誰でも狂っちゃいますよね」と話者。(そうですねえ…)とうーちゃん。 犬とか蜂とかとやった自分と双方の行動を分析する

2024/04/25

CSLABの冊子の川上君が描いた漫画読んで、空間全体ごとを愛していたこと思い出した。泣いちゃった、普通に。ラボの素晴らしい瞬間が抽出され思い出される。なんかした気でいたけど、思い返してみると私は大して何もしていなかったな。ただ一緒に遊んでただけだった、まじで。仕事なんだかなんなんだかよくわかんない感じのことをばらばらとやってると誰かしらがが訪れて、そんな感じで毎日約束しなくても会って(私は仕事で居たわけだけど)、毎日楽しかったね、素晴らしい日々だったね。 今日はなぜかラボづいていて、仕事終わりにスヒョン、つなちと新宿で会った。スヒョンとは一年ぶりくらい。Red Stockingの新刊のことを話し合った。手作りのzineに立ち返って、その企画について固めるために最近のことをちょこちょこと話した。 ラボで友達になったみんなのこと、ずっとずっと大事にしたい。いつまで遊び続けるのかわからないけど、いつか会わなくなってもずっと大好き。

2024/04/24

今日はいろいろと暇のなかで考えが揺蕩う。将来の見通しへの拒絶感から始まり、そう思うのなら、子どもを育てるという選択肢は取らぬべきではないか(別にそんな予定もないのだけど)って方に今日またより少し傾きを増す。たまにそれを考えてはどちらかに投票をしている。自分だけの話として。 そこでは現在の自分への信頼が判断材料となる。現在をokにするにはどうしたらいいのかな。今がとにかくokでなさすぎてな。。全ての根本的な問題は生活習慣にある。寝不足、栄養不足、運動不足。仕事は頑張ってやってるつもりだけど、その頑張りの反面単価が低く、生活とキャリアをキープするには異常な努力が必要になる。いまはなんとかなっているとはいえ、搬出の翌日に搬入するのを繰り返していてはとてもじゃないけど暮らしどころではない。かなり前の花見で山本さんが言ってた「家族やめますか?アートやめますか?」っていうパンチラインもたびたびに思い出す。アーティスト友達と会いたい。孤独な気分になっているが、忙しさのタスク処理と恋関連のことに全部動員してる場合ではない。ガチで頭おかしくなってた。あぶー。ここのところの自分、まるで自分ではないみたいだ。ありえない、どうした?!怖い怖い。 仕事の話に戻せば、ほとんど無料の奉仕も多すぎるな。個人的な関係性の他にも、それを巻き込んであまりある生活維持の土台の問題が大きい。いくつもを掛け持つというのは、それだけでカレンダー人間になってしまうとあっては、もはや七曜制にまで不便を感じる始末。それで家にある橋本聡さんの「二曜制カレンダー」を観る。これはこれで厳しい気持ちになる。  展覧会もないし、すぐにやらないといけないこともないし、19:00に仕事を終えた瞬間夕飯を食べて20:00に風呂に入って、だけどそれが一番難しいのよ話のきっかけとかどーしよ全然自然じゃないよね?!(まだ言ってんのかよということでもあるが、それはそれで重要なことだ)で、22:00に布団に入った。健康へ真っ直ぐ歩みを進めるの嬉しい。展覧会が遠くで開催中なのもいい。実に健康的。昨日全部考えがまとまってよかった、まとめるのは大事!

2024/04/23

  したくないダンスを振り付けられおどりながら、探究心でそのダンスを見出そうと努力する。それはダンスでなくて劇だよ。ダンサーでないひとがダンサーになってゆく劇。…と、こうして状況把握としてカメラを引いていくと劇がうつるが、どのようにその運動が「したくないダンスである」というのを表現するのかって、そういう話。 私の元に起きるある種の揉め事の調停の場は、どれも解を出さずに「そういうわけで引き続き…」という物に落ち着く。細かに話してるうちに問題部位の腫れが引いて、問題が問題とも思えないくらいのところまで行く。ここでそうしているように宿題として分解していく(もはや趣味である)と、結局は問題そのものを介して作られたそれぞれの心持ちの不自由さが摩擦点であることに辿り着く。そうなれば結局摩擦し削れ果てた部分はそれぞれに違うので異なる処方が必要になるはずだが、処方はより具体的な必要性を示した方に寄り添った一つしか作られない。なぜなのか。今日はずっとそれを考えていた。仕事の間も電車に乗っている間も自転車に乗っている時にも(なんかおかしいな…)と考えていた。 「なんで私に悪いところがあるわけでもないのにこんな思いをしないといけないんだ」という平凡すぎる気持ちの在りかは、問題存在として自分を指されるという認識に端を発しているものだ。まず私は処方者としての立場に立ち、悩みごとをなんとかしてやりたいという利他感情が働く(そもそもの場におけるロールも関係するのかもしれない)。今回の問題対象は自分自身の存在についてなので、それを見た目の上で変形させることは難しいことではない。事実を作ることは簡単なことだ。そうして相談に最大限に寄り添うため、自身には症状とは異なる処方を適用し、その隠蔽のために行動を変形させるにあたって心まで変形させていたことによる負荷が「なんで私がこんな思いを」ということだったのだ。と解がでた。スッキリした。自分を理解できた。そして二粒だけ涙が出た。 やはり昨日の自分が積極的に見せかけ取った選択は少し違ったということだけれど今更かな。どうしよう。どうしようもないか。別になんか言うようなものでもない。なんか実行していくことで後からわかっていくようなものだ。それでいいか。本質的に、私は問題存在ではない。 私には未来のイメージが無いから相談の形にするのが難しいのかもしれない。つか未来っ

2024/04/22

昔のカレンダー無いかなとおもって神保町の古書店街の、すごい古い本や記帳や手書きの本や、おそらく日記的なもの、それから版画とかを扱ってる店に入ってみた。版画は本よりも適当に置かれているように見えた。そんな置き方したら曲がってまうど。まあいいのか。本の値札はピンキリで、4000円とかもあれば13万円のも40万円のもある。多分しまってあるもっとすごいやつとかもあるのだろう。店の中の物量と一つ一つの本が持つ圧がすごくて何か恐れ多く、資料が何かないかと見たくて入ったのに、こう、どうにも中を開いて見る気になれない。それは自分のものではないことによる触れ難さではきっと無くて、美術館とかにある安全な距離が設定された鑑賞の対象に慣れすぎていて、どの距離感でこれとどう付き合えばいいのかわからないというようなものだ。読まれることを拒否する本だ。コレクションのための本に対峙するにはちょっとこちらの全てが足りていない。ダメージの少ない和紙の触り方も知らないし。静かにじっとして背表紙をウォッチするので精一杯であった。 電車の中にオフショルのレベルがカンストした服を着たひとがいた。人魚姫みたいな服で電車に乗るなんてすごい。知らない人に背中とかくっつく可能性もあるのに。すごいよ、あんたがクイーンや。好きな服を着るというのは接触可能性からなんらかの態度を持って自分を守り、見られる恐怖を弾き返す表現である。だのに彼女、よりにもよって寝ている。大丈夫か?とりあえず彼女が無事に帰れますようにとおまじないをかけた。 件の問題についての合議を執り行い調停。問題を変形させることで次の問題を作ってそれを落着とするも、問題を変形させたと見せて実際には自分の方を変形させている。問題自体は変形しないので仕方なし。と、まあ大体こういう感じだ。やむなしである。アーなぜショックなのかもよくわからない。変に狡猾なズルさが消えて素晴らしい嬉しさが帰ってきた感じもするから。しかも何かが増えて。

2024/04/21

朝風呂に入って支度をする。この6日間なにかひどく飢えたような気持ちになって毎晩毎朝ベソをかきベランダで縮こまっていたとはいえ、ギャラリーへ向かう道に生える草を観るのは楽しかったし、ひどい駄作であるにしてもよくぞ3日足らずで仕上げたとの満足と疲れと安心の余韻の湯に浸かる。今回の過集中した努力をうーちゃんはリハビリになったように感じてそれに満足をしていた。 連日の人疲れで一刻も早く家に帰りたいうーちゃんは、空港に出発の3時間前に到着した。しかしせっかく早く着いても特にすることがない。巨大な銀色のキャリーケースを転がし全ての店を回り、全ての練り香水の蓋を開けて嗅いだのち隅にある本屋にて不意に西村賢太「雨滴は続く」を購入することになった。この作は後に読むのがいいよとある筋より教えてもらっていたけれども胸の内では知ったことか次に読むのはきっとこれにするのだと決めていたのだった。とはいえ、この機会が来なければ律儀に勧めに沿った順番で読んでいたのであろうが、都合積読のウェイティングリストに500ページを差し込むこととなった。 悪天候で見通しが立たないために出発が遅れるという放送が入る。窓の外を見やると確かに真っ白に霧が空気一体全てにこもっている。玉突きした遅延の混雑で椅子はほぼ全て埋まっていたので、窓のところの浅い出っ張りがうーちゃんの暫くの拠点となった。 そこへ座り込んで60ページほど読み進めた時、ふと(クソでかい画面でキスでもセックスでもいいから他人同士の粘膜接触の様をみたい…)との慾に心が駆り出されることとなった。うーちゃんはこれまでエロでポルノな描写をとある理由にて映画であれ漫画であれなるべくなら直視することを避けてきた。それどころかゴアも胸糞も怖いのもびっくりもくすぐりも辛いのも、そういったあらゆるテイストのようなものをなるべくなら避けて、たまに見ては焦るようにして心を転がしていた。産毛の生えた桃のような心を垂らして生きていた(それは少し金玉に似ているとおもう)。とにかく速度と傾きの強い娯楽に興じること自体が嫌だった。遅ければ遅いほど捉えやすく、ささやかであればささやかであるほど自分の身体に巻き込みやすかった。それで特大のバジャイナをのぞいて、他人同士のセックスをすごくじっくり見たいとおもったのはよくよく結びつけてみれば頷けるけれども、単に汚い性欲の描写に引っ張られて心

2024/04/19

 平岡手帖への寄稿文をここで書く。このブログエントリは私にとって文を書くための机になっている。Googleドキュメントで書くのすら最近は少しよそよそしい。このbloggerの不便利なUI、ずっとこのままでいてほしい。 さてなんて書こうか。 == 鑑賞ってどうやってするのかと聞かれて、とにかく見るのだということをどのようにして話せばいいか…という時に平岡手帖をレコメンドするシーンを思い描いた。 平岡手帖では、複数の展覧会をひとりの人が鑑賞してまわることについて目の当たりにできる。異なる展覧会での鑑賞体験が引き続き折り重なり混ざり途切れながら隣り合って経験されて、そこへは展覧会とは別の経験や記憶なんかも当然のように入り込んでいる。鑑賞という行為が存在していることを記録した文だ。この生(活)のアーカイブは作品だけでなく鑑賞があるということを示す。作品はそれぞれ孤独に浮いているのではなく観る人の内でなにか別の物事とくっついたりして変形しているということ。それで世界がひそかに芳醇になっていること。 == どうだね。支離滅裂にも思えるけどまあいいか。 夜、知らない人と映画の話をしてすこぶる楽しかった。素人の言葉を尽くす。そういう会話があればいい。

2024/04/17

宿泊施設にはパジャマの用意がありませんのでと言われて、パジャマをたくさんパッキングしてきた。しかしそれとオープニングパーティーできるためのワンピース以外の普段着的な服を持ってき忘れたので制作中ずっとパジャマを着る羽目になってしまった。パジャマはただの二軍の服。制作中はみんな汚れてもいい格好をしているのでパッと見同じようなテンションの服を着ているふうに見えるが私のとはコンセプトが違う。そんなそぐうようなそぐわないような場に、だらだらとした私が入り込んでいる。中学生が手紙に書くような癖のある手書き文字やひらがなの名前のインフォーマルさで、さらにパジャマで。

2024/04/16

  また飛行機乗れなかった。ダメ人間すぎる。幸いちゃんとしたチケットだったので時間変更してもらえた。契約とか約束とかって双方のやりとりが取り交わされればなんとかなるものだな。権利を買っている。安堵。 今いるところは廿日市市で、これまでのやり取りで文字は目にしていたけども電車で降りるときに音で把握できないと困るんでようやっと読み方を調べ、「はつかいち-し」と読むのを知った。しかしまたなんでだか間違えて「五日市(いつかいち-し)」で降り立つ。もと来たのの次の電車に乗る至極無駄なスクラッチ運動を行った。ぼけなす。いつかつかつはつかいちしつはつかついつつはつかつ。 24:00就寝のサイクルを広島にいる間やってみて調子良さそうなら続けてみよう。

2024/04/15

誰にも話してないから誰にも伝わるはずないのだけど、なんで誰もわかってくれないのと心の中だけでオギャって体はめちゃじっとしてる。6日間の出張、鍋洗わず行ってもいいか?いやさすがにまずいよ。 ネトフリの三体S1全部見終えた。忙しいとか言いながらそういうのはみてしまう。セックスエデュケーションの指揮者の先生の役者が一瞬出てきて嬉しくなった。しかしグズな映像化だった。ゲボのシーンが2回あり、ひとつはヒスパニック系博士が非人道的な研究に加担して呵責し部屋のいろんなとこでゲボ。もう一つはコールドスリープの実験台になったチンパンジーが副作用で弱ってゲボ。 あーほんとにほんとに疲れた。all power goneしぬー ウ〜 

2024/04/14

 カキヤさんの踊りの動画を撮って、このモーメントが良きでしたと4秒間のことを事細かに話して楽しかった。腰から上と下に分け、手の特権的な表現に拠って立つ踊りであることや頭の位置がほとんど変わらぬこと、ノールックで役割を与え続けることのできる足がする動きは手のする踊り的踊り性とはまるで違うこと。それらの扱いをどのように同等とすることがこの踊る為に作り上げているわけではない生活のためのいわば最低限の身体に可能かということ。頭から頭というのをどう解放するか。たとえば全身を星型に抽象化して時計回りにひとつずつずらし、右腕を右脚に、右脚を左脚に、左脚を左腕に、左手を頭として、その5つ+5つのずれて重なった10の部位に割り振られ+割り振り直したずれた身体によって、いかにして物を空間を触り歩き転びうるのかを踊りとするというようなこと。

2024/04/13

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 美学校の展覧会が始まった。毎週展覧会で何かしら作品を介して他人とコミュニケーション取っている。 帰り際を逃した受講生たちがダラダラしてる間に別の鑑賞者が入ってくる。その人から「時代」の関連で知ってもらっていたようであった。そんなこともあるのか。あるか。たしかに、「時代」のインディペンデントな空気感は、美学校と通ずるところがあるかもしれない。 帰り、亀有駅で電車のドアが開き、目の前に金庫の広告に描かれた亀と少女の萌絵が現れた。小学校の卒業文集の表紙に微エロ獣人萌イラストを花びらや「思い出」などの作字と共に描き大人と同級生から囁かれるようにして顰蹙を買った記憶が突如として立ち現れ、ウーはおよそ20年間のうちに知らぬ間に膨れ上がることとなったトラウマティックな1分間にも満たぬ停車時間を耐えた。 (メモ) 他人の制作をサポートするTAや助手のような仕事は、作ることに心と手とが同じ速度で向かなくなった制作者がごく短期間の間着くべき仕事ではないか。手を動かすことにまず癒され、それは自分がどうするのかを考える契機にもなる。そのようにして、何かのついでに脳を身体をスプリットしそれぞれの部分へと繋がりつつも異なる仕方で分散させ、そしてそのスプリット倍分のことを考えるというのが他人を経由し補助しながら学ぶということの本質的な職務内容であるとウーは結論づけた。それがタコの自画像のモデルにおけるマルチタスキングのベースとなるアイデアであった。

2024/04/11

切実な悩ましさについて話すのを先延ばし先延ばしして、そこからまたそれについてはさらにまた今度となってから、またもひと月ほどが経つのに気づくのは生理が来るからだった。不快さが何かリマインダー機能を果たす。カレンダーを考案したのは女であったに違いないと思って調べたらそうではないらしかった。そんなはずはないとおもうのだが。女の功績を男が奪っているのではないか。知りようもない。調べ物のおまけに古いカレンダーを色々と知ることができたので、できればコレクションしたいと思った。 もうしばらくずっと長いこと不眠症であり、毎日4時間くらいしか眠れない。加齢のせい?寝つきが悪く眠りも浅くて悪夢がやまない。それは見た目にも現れている。たまに連続で10時間眠れると再起動にかかる巨大なカロリーを感じる。たくさん寝て起きた朝の身体は重い。冬眠から醒めた熊の動画を何度も繰り返し見た。ぼさぼさの痩せた白い熊が辺りを見回しながら地面をふみふみ。空腹と長い眠りによって世界を確認するしかたが身体ごと新しくなったみたいに感じているように見える。 ここ最近では、眠りにつこうとするときには、この熊の世界へむける目を空想する。熊の中に入り込んで熊の目で世界を見、そこから夢に入ってゆく。前はカラスの巣のある場所をこれまた空想の中にある森の中に探し、その前は自分が鯨のアバターを操作する想像をしながら寝返りを打った。個人的な想像上の庭をどんどん具体的にしたこともある。小さな門がついていて、草は膝くらいまで茫茫であり小さな黄色い花が咲いて奥へと細長い。気に入ってる石を空想の中で3DCG化してゆっくりとグルグルまわしていたこともある。わたしはその時期、その石を全て知り尽くした気でいた。 美学校の展覧会はみんな、自分も含めて、文を書くのが止まらなくなってしまう質のひとが集まっているようであった。展示ではなく本を作る成果発表にしてもよかったのかもしれない。帰りにまた、神田川沿いの変な長屋を見に行った。川底へ向かって伸びる階段を降りる決心は今日もつかなく、憧れにも似た思いで細くてぼろっちい暗い階段を見つめる。きっと降りてしまえばなんてことはないだろうと予想はつくので、この美しさのまま階段を降りないでいい。 「根が警察嫌いにできているうーちゃんは、警察をみるたび何か邪魔をしてやりたいといつも考えていた。」曲がろうとするパトカーに

2024/04/10

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PARADISE AIRに開かないドアがあるとかお化けが出ただとかで探偵として夕方に緊急出動。どうやら原因不明の気圧差でドアが開かないだけのようだった。なぜ?〈探偵編・完〉 建物全体が歪んでる可能性もあるのだろうか。築年おそらく40年くらいか。自分ちも同じくらい。こわ。死の予感する。 この間、代々木のあたりをふらふら散歩してたとき、いわゆる(いわゆる)上弦の鬼ハウジング(上弦の鬼ハウジング)をみて、でかい家の全部の部屋の電気が付いてるのがすごい羨ましくなった瞬間があった。どうしたら上弦の鬼になれるんだろう。全く想像がつかない。悪いこととかしないと無理かな、詐欺とかそういう。いやそれでも上弦の鬼にはなれないだろう。私程度の考えつく悪事じゃ浅ましき守銭奴になるのが関の山。ああ毎月20万くらい貯金してみたい。こんなささやかな願いなのに。それに、ガッツリ仕事持ってきて友達にバッチリ仕事振ってモリモリご飯食べさせクリエイティビティを満足に発揮し満たされた気持ちでグースカピーと寝かせてやりたい。この一年間そうさせてもらったので、もうそろわしも頑張らねばとのおもい。私も少しはほんの近いところでしかないけど仕事を作っている。でもこれ以上に人の分まで頑張るの、いまは限界だ。ごめんね。 それはそうと香港の時の作品を見返している。これもずいぶん前だけれど。あんま話したくない人とそれでもどうやって話すのかについてのディスカッション。There in no political position with Tinder つってて爆笑した。これを参加してる美学校の哲学講座「アートに何ができるのか」成果展「ゼロ・ゼロ・プラクティス」に出すことにする。元言ってたのと違いすぎるけど仕方ない。またも過去作だが、これも日本で見せるのは初めてのことだ。 私は私が悲しいという状態についてをすっかり忘れがちになるので、ここで少し書いておこうと思う。 私という人物は、おそらくは大体いつも元気で、目がキラキラとして、にっこり(顔色は悪いかもしれないけれど)楽しげに見えるだろう(本当にそうか?)。 が、元気だった?と久しぶりに会った人に聞かれて、正直ちょっと前までまじ無理でしたーでも今はかなり元気です!テヘヘ!と言う時もある。ひとと会ってる時は、大体ハイになっている。 私が死にそうになることはきっとない(今のところな

2024/04/09

 夢に岡田君が出てきた。aokidや村上さんもいたし、ひょろっと背の高い髪の長い知らない女性と、昨日あたり引きこもりから帰還したというまた別の知らない女の人もいた。 そこは引きこもりから帰還した女性の実家らしく、部屋の途中に薄緑色の軽いカーテンが下がっていて、奥へと長い小上がりになった先には出窓がついている。その細長いステージのようなところにみんなで座ったり寝転んだりしてパフォーマンスリレーのようなことをして遊んでいた。夢にしてはやたらと明晰である。 村上さんが精神疾患についてのラップをして、それに参加者がアンサーのようにして聞きながら反省する気持ちになったなどと言っている。 かわるがわる自作の紙芝居を披露する。八切りの画用紙が絵の具を吸い込んで縮こまり固くなっている。私は持ってきたずいぶん昔に描いた紙芝居の読み上げをしてみるがうまくいかずに、即興的になにかいいポイントを作ろうとしてしどろもどろ。そして悩んだために長い時間注目のなかで黙り込み、紙芝居を捨てて自分の隠れた人見知り性について話すことにした。 明るく美しい空間で自己開示の会をしているみたいな夢。有り体に言えば悪夢の類であろうか。 岡田君がカーテンの下でヒューーーと言いながらじたばたして、 「うらぁ、時間はたくさんあるよぉ」 と言った。 ほかのみんなはにっこりしているが、私はムッとしていた。 ここ最近で岡田君が夢に出てくるのは二度目であった。その記憶は夢を跨いで引き続いてるようだったが、起きている間はなぜか忘れていた。 そして私は、みんなは知らないのかもしれないけど、岡田君は――そう言って泣き出した。それで、岡田君は存在が謎だったことがあるよね。存在が謎だった期間があるよね。とそう言ったのだった。 死と言わずに、存在が謎という言い方をしたのは、まず他の人が驚くであろうし、それにそのことが明らかになって電気がパッとつくみたいにこの今の世界のバランスが崩れてしまえば、また岡田君はどこかへ行ってしまうと思ったからだった。 だから、岡田君は存在が謎だったことがあるよね、とそう言った。 こうしてケロっと目の前にいると死とはなんなのかとの怒りに近い気持ちが湧いてもきたが、しかしそうおもいながらも、私は夢より半身ほど覚醒しているように感じていた。いやでもおかしいな、そんなことあるのかな、葬式にも出たし。身体の半分でそう考

2024/04/08

 窓を開けたら虫が飛び込んできたがうーちゃんは気にも留めない。小さな虫が部屋をぷんぷん飛び回っているのはむしろ愉快愉快との余裕を見せてかつてないほどバグズフレンドリーな朝。その理由はひとえに展覧会が終わったからである。 搬出へ出かけると、もう既にほとんどすべての撤収が終えられていた。印刷物在庫を持ち帰る手配だけして、すぐに帰宅。夕方のミーティングにあわせて家について、3月中にほとんどを終えたいくつかの仕事の事後的な細かい確認や納品作業を済ませて、久しぶりにまともな状況下で必要なだけの分量の仕事をしたなと思った。いつもおそらくは業務過多なのだ。それで、20時にはのんびりとした時間を家の中で過ごすことになった。本を読んだりSNSをのぞいたり音楽を聴いたり電話したりして過ごす。うーちゃんは長電話をするのが好きなのだ。 音楽を聴くのは気が楽であり、高純度で楽しい。興味を持つ先が増え、知っていくことは感性のスコップでどんどん掘り進んで行くようだった。鑑賞する主体として作品と対等に向き合う力がついているのを感じて、それも誇らしい気持ちになった。憧れでなく、知欲や焦りでなく、ただ余暇として無用に趣味として向き合うのだった。今一番楽しいのは日記を書くことで、その次が音楽を聴くことだ。現代アートは狂ってる。疲れた。どっか行ってリフレッシュしたい。1.5ヶ月くらいがいいがそれもすぐには叶わない。音楽をたくさん聴いたり好き勝手に好きなだけ調べたりすることはどこか違う場所や何か理想的な心のありかへ向かう心地である。 ウーはリベラルでフェミニストで女性でというキャラ付けされた範疇において友敵判定をかけられることも多いが、しかしその実ただ身勝手なだけなので、人としておわってるアーティストの作った作品をそれでも好きだと思えもする。が、逮捕されろとも思う。人を恨んで作品憎まずをゴニョゴニョ言いながら通用させるだけの自由主義者であった。 そういえば日本画家Uさんは共同研究者K氏の悪事の露呈に乗じてその共同研究の成果からK氏の名前を削除するよう各機関へと電話をかけて回っているそうだ。あまりにしつこいので、名前を消すことでUさんの鬼電が止むのならと削除してしまうことも起きているらしかったが、これは甚だ歴史修正行為であり、一度日本画界隈人、M美術館、戦後美術史の歴史家、各教育機関の妖怪たちで集い、どのよう

2024/04/07

 東京藝術大学陳列館で14-16時に行ったWS「みんなで何か思いつき、実行する」は2部構成で、①14-15時:うらの悩み〈デモに行かない人をどうやって巻き込むことができるか〉について参加者にアイデアをもらう。②15-16時:官邸前(会場より20分ほど)でのデモにそのメンバーで移動して参加し、感想を言い合う。という内容であった。 3/30、大規模なデモの傍で、ルミネから出てくるカップルへ向けて「デートでデモに立ち寄るというのも乙なものですよ」というクソみたいなアジテーションをちっさい声でウーは行っていた。しかしそんなクソアジであっても、デモ参加の経験が0から1になるというのはその人にとっても、社会にとっても大きな民主主義の一歩だ。そういう考えがうーちゃんの企みの根源にはあった。てかラブってる者同士で手繋いでデモ行くなんて最高にクールじゃん、かっこいい、流行れ。 WSの話に戻そう。「悩み相談」という形式をとることでそれぞれの意見が仮置きのアウトプットとして話されるテーブルを作れる。悩む主体に無遠慮にアイデアを投げ込む。悩む主体はオーガナイザーとしても機能して、焦点を絞り続ける。 負担なくアイデアを出してもらうには、悩み自体が素朴である必要もある。話されたこともなるほどとおもえることが多数あり、メモを展示室に置いてきてしまったので今はここに書けないものもあるが、いわゆる「無関心層」である参加者よりのコメントを並べてみる。 -デモはどのような人がいつどこで企てているものなのか、それをどうして知ることができるのか -あらゆる社会問題がある中でなぜパレスチナへの関心があるのか -共感とエビデンスはどちらがマスな感性へ有効であるのか -歴史の中にいるという当事者意識はどこからやってくるのか こういった素朴なコメントは、おそらくツイッターなどで文字で見たらムッとくるかしょんぼりしてしまうものであるけれど、このめちゃ素朴相談の場ではそれもokである。 若干話はそれて、WSという形式に関しての覚書を尊大不遜ながらしたためてみよう。 WSとはプラクティカルな場であること、そして安心して実験できることがウーにとって重要な場づくりの思想的下支えであった(実際にうまく行っているかはさておき)。火や塩酸のような危険な薬品を安全に扱うのが実験室であり、実験という言葉を使うのであればその実験室のイメ

2024/04/06

高田馬場へ到着すると、早稲田口から駅を出て脇にある喫煙所へ当然のように足を運んだ。人とぶつからないようにして半透明のパーテーションを背にして立ち止まり周りを見渡すと、他所の喫煙所と比べてこの高田馬場駅前喫煙所にはより多様な人がいるようにチャン・ウーには感じられた。 ウーの本日の召物は白いスプリングコートにクーフィーヤを巻いたスタイルである。3/30のデモでシオニストが突撃してきた現場に遭遇して以降、日々の抗議グッズを纏うことへの緊張感はピリピリとした刺激を増している(この感触こそが特権の表出なのであろう)。などと考えながら煙草を吸い込む。 ぼんやりとしていると、返信していない連絡のことが頭をよぎった。 これまで散々アート全体に対して貢献してきたという壮大(かつ尊大)な自負が、ウーにはなぜだかあった。特に、他人のチャレンジングな研究領域に協力する仕事は――そのほとんどは少しの予算もつかぬものであった――尋常ならざる積極性を持って引き受けてきたし、無茶振りのような新作制作の依頼にもかなり答えてきた。ウーは他の人よりもそのあたりの身のこなしが華麗であるかもしれないのだが、しかしこのウーは、そろそろこればかりではよくないのではないか、とここ三年くらいずっと感じていたのだった。そしてそれを何度もその都度忘れてしまうのだった。面白そうだと思うとつい引き受けるというのを、何度となく繰り返した。 それでもういよいよアイデア枯渇した、おしまいだ、とおもっても案外いつも何かしらやることができて、このスタイルはなんなのだとの疑問もあるが、とにかく意外となんとかなり続けているので、多少調子に乗っているのではとのコメントをうーちゃんは否めないでいた。 どうやらこれまでに声をかけてくれた何人かの企画者は、ウーの仕事(?)をネットで把握し、それでなんでか面白そうだと思うらしかった。展覧会にも(かつては間接的な関心の入り口にもなったことがあるCSLABにも)来ないままに、それでどこからどうしてそうなったのか不可思議ではあるが、とにかくポテンシャルを見出されて企画に誘ってもらうことが何度も何度もあった。 それはこちらは別にいいのだけど、でも、そちらは本当に大丈夫ですか?とウーは何度も確認した。口説かれるみたいに、どうぞ前向きに検討し、是非参加していただけないでしょうかという感じで(もっと流暢な敬語に

2024/04/05

うーちゃんは 予定してたことに赴くつもりで朝の支度をしていたが、そのうちだんだんと気落ちしたためにやっぱり今日はずっと家にいることに決めた。 予定とはデモのイベントに参加することと演劇の公演を見に行くことであった。今日の分の体力まで使って昨日をやってしまったのか、全く家から一歩も外に出る気が起きなくなってしまったのだ。 それで、チャン・ウーはこの日、本を読み、メールを返し、家事をして過ごした。朝集荷で鳴ったインターフォンへの「はい」が信じられないくらい低い。これはいけるぞと思い立ち、朗読を録画してみる。それが単なる自撮りであっても、撮影されていると気が張ってかえって身体が動きやすくなった。プレッシャーで自分を固定して、格好つけたりつけなかったりをする。部屋に声が響いて気持ちいい。なんのためにやっているんだか正直さっぱりわからないが、自分が楽しそうに本を読んでる様が記録に残っているのは社会貢献のうちに入るんじゃないかと考える始末である。 チャン・ウーの魂は過剰なまでに気高く、かつかなり多くの割合が怠惰に構成されて、それでいてシャイのかけらもない。 しかしウーは、美大芸大制度の一歩外へと自分の作品を持ち出してしまえば、自分のやっていることはなんの価値も持続しないのではないかとの焦りも感じていた。どこに出しても渡り合えるような作品もいくつかはあるのもたしかだが、しかしまあ、作品を見てもらう環境を整えるためには制度の外へ持ち出すというのがそもそも難しい。制度空間へ入ってきてもらうか、それかこちらが出向いてやって、見れるように準備して制度空間を展開するか。鑑賞のためにインストールが先に立つというわけだから、いかんせん、取り回しが効かないのだ。 来週にでも、作品の実況プレイをやってみようか。はたと思いつく。作者がその特権を駆使して、作品をカジュアルにしてやるのだ。動画の形でなく、文としてできごと全てを書き出してみるのでもいい。 平倉圭「ゴダール的方法」の狂気を目の当たりにして以降、克明さの基準がまるまる変わってしまったけれど、それでもなんとか頑張ってみる価値はあるようにも感じる。だらっとした雰囲気のものを、超密度へと変換するのだ。

2024/04/04

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朝起きたらなぜか全部の服が脱げててびっくりした。寝相が悪すぎる。暑くなると前からたびたびそういうことになる。風物詩である。 御茶ノ水から西日暮里まで、GPSを介して足元に千代田線を感じながら歩く。川底へ向かって階段が続く神田川沿いの長屋には、温めた海水で蒸したバスタオルで体を包む温浴サービスやらヘブンズアーティストの養成所やら、怪しげな商いが並ぶ。途中秋葉原の端に店内の装飾がモンハンみたいになってる美容室があった。ガラス張りのコンカフェでオレンジ色のメイド服を着た女の子が偉そうな感じで立って、お客さんと話していた。千駄木のあたりのレストランの外に置かれた植木に電飾が細くかけられているのをみていたら、お店のひとが明かりを消しに出てきた。なので去ることにした。 不忍池は賑わっていた。普段はピクニックや花にあまり興味のないひとたちがみんな花を見に出掛けていって写真を撮ったりする。その隙間を縫うようにして、ひたすらに歩いた。 音楽の過程を聴いていくのと最後の音を聴くのとで、モードのようなものをこちら(私)も変化させることができることにはたと気付いた。カーブした道に沿って歩行を変化させ実際に曲がっていくように、曲を私がこの身体をもって聴くのだという積極性があることに気付いたのだ。みんな知ってることなのだろうか。音楽を聴く人みんなに備わっている常識なのだろうか。ダンスするとかって意味ではなく、なにか働きかけるような、音を捕まえにいくような、そういう感じ。

2024/04/03

小雨。でも寒くない。ポンチョを被って自転車で某ご飯会へ。みんなのポンコツかまされエピが披露される時間のあいだ、わたしはポンコツ側の人に感情移入せざるを得なく、心の中だけで話される全員のダメエピ全てを一手に引き受けた。 雨が降ると花が散るのではと心配になる。花が知らないうちに一気に咲いて、知らないうちに散ってしまう。随分前に、茅場町で銀行事務の契約社員を2ヶ月間だけしていたことがある。2月から3月の間中、毎朝毎晩同じ時間に行き同じ時間に帰った。街路樹の様子を見ることだけが楽しく、3月末には空中を花びらが(おそらく花粉も…わたしは花粉症ではないのでわからない)舞っている中を歩いた。moe and ghost「幽霊たち」、空間現代「RAP phenomenon」、Jazz dommunisters「Cupid & Bataille, Dirty Microphone」、メラニーマルティネス、ダイアントワード、「ミニモニ。ひなまつり!」、キリンジ「エイリアンズ」、Grimes「Art Angels」、ちょびっツのop「Let me be with you」、などを狂った1時間の満員電車で毎日毎日、上を向いて息を吸い、目を閉じて聴いていた。 その後、4月から8月ごろまでは小学校の中にある学童で働いていたこともあった。3-5時の2時間しか働けないのと、服装や髪型の制限が厳しかったのと、掃除の質を何度も叱られてしまうのにへこんで続けられなくなってしまったのだが、楽しい仕事だった。校庭で遊ぶ子どもたちの安全を監督する仕事だった。あまり細かいことを言わないように「危ない」ということについてなにを基準にするかをよく考えていた。何度も起こりうる危険行為(クッソ高いところから飛び降りる、5年生が2年生にボールを全力投球する、すべり台を逆走してる人がいる時に砂利を流したり上から立ち滑りをする、などなど)は注意したが、あとは大体ただひとりで遊んでる子どもに構ってもらうか、ドッヂボールなどの欠員補給として混じるか、などをして過ごした。ハードな仕事だった。一輪車をする女の子たちに連れられて校庭の端へ行き、そこで手を広げて立ち止まるよう指示される。女の子たちは四方へ散り、それから「せーの」といって全員がこちらへ向かって一輪車を漕ぎ出す。私の手を取り、私を軸にして一輪車に乗った女の子たちが大き

2024/04/02

同居を解消してからというもの、この漠とした時間の膨大さに困っている。夢の中にいるみたいにうっとりしているのは寝不足でただ眠いだけなのか。アル-シファ病院での殺戮とその結果としての死体をみる。「身体をばらばらにして、」とは頭対体の関係から身体全体を解放しようとして、ダンスや舞踏に学びそれから何度となく使ってきた言葉だ。本当にばらばらな体を毎日目の当たりにする。死体が白いのは、砂にまかれているからだ。ビニールの中に体のパーツは放り込まれ、赤ちゃんの頭には穴が空いてる。比喩は機能不全を起こしている。(身体という時と体という時がある。体は物理的で死体も含めたbodyを指す記号的な語彙であり、身体はより概念に寄り添っていると考えて使い分けている) パラダイスエアのプレゼンを英語でやってみた。全くひどいもんだった。2年目だしそろそろお願いします!とコージ君に言われ、バレたとおもった。自分のプレゼンシートを作った方がいいな。私のプロフェッションはコーディネーターで合ってるのかな?アーティストたちの何をコーディネートできるのだろう。同時に滞在する人たちの自己紹介の時間を簡単にでも作れてよかった。いる人同士の交流を促したり、それが街にも接続できるといいのだが私がまだ街のことを知らない。パラダイスの帰り、ショッピングモールの上の方にある古本屋でない本屋に寄り、西村賢太「芝公園六角堂跡」を買った。 帰りに乗ったバスの運転手が女性だった。乗客も全員女のアマゾネス交通を利用し帰宅。8駅目で降車。男性社会でなくなるというときには、こうして女ばかりの公的な空間に入っていくこともあるだろう。武蔵美の近くには女性限定の賃貸物件の集まる袋小路があり、そこが「女村」と呼ばれていたことを思い出す。ただ思い出しただけなのだけど。思い出す瞬間と、思い出したこと自体の内容を紐付けて一行に収めるような文を書く様式は、日記から私小説へと横断する一歩だろうか。できごととおもったことを書くこの日記には、思い出したことを記述して膨らませる作業が入らない。その作業を入れる時、そこの箇所から、世界がめくれるようにして、できごとが物語に、日記が小説に変身するような気がする。柴崎友香「百年と一日」を読んでおもったこと。 そういえば昨日の夜、ドクターペッパーを初めてちゃんと飲んだ。20種類以上のフルーツフレーバーと書いてあり、近種