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3月, 2024の投稿を表示しています

2024/03/28

仕事で疲れすぎて逆にカラオケに寄った。自分の声は思ってるよりも低いような気がする。声てどうやって変形させるんだ?粘土みたいにできる部分がある気がする。 インタビューの編集。緊張がすごい回があり、頭の中では構成をめっちゃ組み換えまくりながら話を理解しようと努力してたんだけど、、心配してた以上にまじで全然聞き手が務まってなくて落ち込んだ。編集でどうにか楽しそうな感じになるだろうか。本当に申し訳ない。司会上手くなりたい。もう東浩紀とかをまねぶしかない。 年度末だ。なぜか緊張する。CSLABではイケガミちゃんの任期が終わって、次の管理人はつなちが入る。いろんな考えや方法論がきっと手渡されて、どんどんどんどん良くなっていく。素晴らしいことだよ。それぞれの特性が活かされる。来年のラボもきっとすごいだろうな。ラボで毎日楽しく働けたのは、ひとえにガミちゃんのおかげだった。お掃除と、グラフィックデザインは素早く作ることがクリティカルさに直結するということを学んだ。幸あれ。(いいかげん荷物取りに行く。今度こそ行く。まじで一年経ってる。最低!だけど一年間ずっと忙しかった。よく頑張った、自分も。フリーランス2年目頑張れ…)

2024/03/27

 仕事して部屋の掃除して洗濯して変な時間に(16:00)風呂に入った。借りた服を畳む手が優しい。 ずっと、生きている間ずっと、日記を書き続けてみたいと思ったのは、「パレスチナのクィアたち」の日本語訳のnoteを読んだからだ。 https://note.com/bashir/n/naf300476df75 「ほんのちょっとしたなんてことのないやりとりの中で、私たちは意味深な視線を交わした。でもそれで、自分達が本当は何者なのか、私達は気付いた。たとえ数秒だったとしても、真の姿を見てもらえて、解放された気分だった。」ナーブルス(「パレスチナのクィアたち:Queering Map パレスチナ/イスラエル 抄訳」より) すごいよね。。解放という言葉の手触り。ありありとした感じ。 == 齋藤君に日記本のタイトルを相談した。好きなところ、覚えてるところの中から2023/08/02と2023/11/09と2023/06/11を取り出してくれた(多分)。ふーん。。気づくと「堂々巡りな暴虐さに支配された音楽祭」に参加する話になる。ステージというものの性質が「堂々巡り」という言葉に集約されてる気がした。 日記は巡らず絶え間なく(もしくは絶え絶えに)増える。或る時に止まる。そしてたまに思い出される。私がいつ死ぬのかはわからないけれど、そのなるべく直前まで日記を書いていられたらどんなふうだろう。それを読みたい(けれど死んでしまう)。墓は巨大な日記帳に。私の生はそのまま文に形を変えて生き続ける。質が量になり、それでまた質として再現される。なんてね。 人間は死ぬ、私は死なない。君も死なない。いつか私たちは人間じゃなくて、名前や文や作品や踊りや現象に存在を変えて、いつまでも生きてゆく。去った者の痕跡としてではない。私は墓ではない。霊でもない。 / 人間は死ぬ、僕は死なない。君も死なない。いつか僕たちは人間じゃなくて、名前や文や作品や踊りや現象に存在を変えて、いつまでも生きてゆく。去った者の痕跡としてではない。僕は墓ではない。霊でもない。 僕という人称は、ごく個人からの訴えかけるような感じがする。他でもないこの僕。なぜだろう。 僕、と自分のことを呼びたい時がある。 私という人称は、一般的な私性に及んで、この私個人をはみ出した範囲を指し示すような気がする。私という主語は異なる私へと移っていく。私。 そ

2024/03/25

ちょっと前のことなんだけど、私の話を聞いた辺見さんが「愛がなんだ」観なよというので、本当は人に言われて映画みるのって積読してしまうからあまり得意ではないんだけど(本は間に挟んで読んでも大丈夫なんだけども)岸井ゆきのが好きだしそれにまあ今のような状態じゃなきゃ見ないだろうとおもって観たの、家で一人で、それも今日じゃないんだけど。 それでその映画が、知ってる場所が出てくるのも関係してかなんだか既視感のある自分の嫌なモードを一個ずつ一人一人の俳優が担当してそれがピンボールしてるような感じだったんだよね。感情がぴったりと閉じたオブジェクトっぽい人物たちというか。事の運びもやはりなんか知ってる感じで、うわやだな、やだやだ、うわぁと3コマで連れて行かれる。人や出来事の間に擦れて起こる温度や形を見出す関係性ではなくて、なんか思い込みと片思い、いや完全に独立した愛情というのか、それがいっぱいに積み重なってるとおもったんだけど、もしかして私、辺見さんからそんなふうに見えたのだろうか。まあ確かに言わんとすることはわかるような気もするが。遠回しな警告と受け取っておこう。と、インタビューの映像編集をしながらその合間に思い出して書いてる。インタビューでは自分の話し方がすごく気になる。声も速さも話し方もそれぞれ相手に合わせてるからなのか、とにかく各回ごとに自分のキャラが定まらなく違って見えた。自分が自分の話する時はとにかくペラペラペラペラずっとハイテンションでジョークまでいいながら話していた。私って一体どんなひとなんだろう。よくわからなくなる。透明な筒を通るみたいに、なにかが私を通り抜けてゆく。

2024/03/24

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三角コーンの上についてるビカビカのやつを外して別の現場へ歩いて動かしてる話とか、花を摘むみたいに取って誕生日プレゼントに友達にあげた話をすると、ボケと解釈されてツッコまれることもある。街の中に自分ごと埋まっている美しいなにかを起こすみたいなかんじ。まあ悪いことだとはわかってるし、それに刺激された特別な気持ちもある。 ユニちゃんが来てくれて、お茶飲んだり寿司食べたり河原を歩いたりした。花がたくさん咲いてて、曇った空がスクリーンみたいにぺったりしていた。命と生きるプライドに関わる系の話をユニちゃんとできることが本当に助かってる。

2024/03/23

 搬入したりインタビューしたりしてるうちに数日が過ぎて、洗わないといけない食器や洗濯物が増えている。あまり長い時間家にいるわけでないのにどうしてこんなことになるんだろう。 トークショーの後、GAの助手の部屋でかなり酒を飲んで、庄子さんが急にピアノすごい弾きはじめて最高だった。あーほんとうに酒を飲むのって好きだなー。カラオケにも行きたいし酔っ払ったままピアノ弾きたいしめちゃくちゃ踊りたい。いいねえ!最高だねえ!楽しいねえ!と、誰も聞いてないような(てか何の話?みたいな)話を延々と、かわるがわるしたいかのような、大学生の気分になってしまうけどあまり羽目をはずさないうちに帰る。帰りの電車で偶然柴田さんに会った。オンゴーイングで会う時よりも二人で話してる時のほうがなんだか話しやすい。頑張らなくていい。あれだ、奥多摩かなんかの帰りにも、柴田さんと二人でずっと電車に乗って帰ったことがあった気がする。働けども働けども楽にはならず。ねぇ。。

2024/03/21

悲しすぎて眠れないから日記を書く。そういう日もたまにはある。朝地震で目が覚める。ものすごく揺れた。シャワー浴びて自転車を運び下ろし駅へ向かう。新しくつけた指輪みたいなライトが盗まれないといいのだけど。薄着で出てきてしまってうっすらと寒い。 どんなに困ったとしても、老いることとジェンダーの狭間に謎に足場をかけた馬鹿な評価制度に惑わされないでいてほしい。そういう暗くて重たい気持ちが、三角コーンの上についてるやつみたいにビカビカ光ってる。警告をするためにする表情がある。 仕事で旧住居方面へ赴く。仕事の話と誰かの子どもがすごいかわいいとかの話題。そういうことを話しながらスープと魚を食べる。優しさは虹とかお天気雨と同じで条件が揃わないとうまくいかない。心が遠くへ転がっていってしまうのをただ眺めているような悲しい気持ちのままずっと起きて、そのまま朝になる(と書いてくすぶらせ、やっと公開するのは2.5日後になった。ライトは盗まれなかった)。

2024/03/19

  搬入3日目。大体終わったと思ったけど粘ることにした。追加のご迷惑をおかけする。でも展示はよくなるから。。映像編集してたら小山君がカメラ持ちながら車に気を取られてる挙動がカメラの動きに混ざり込んでいた。こんなにカメラがそのまま心の人いる?と思ってすごく愛おしくなった。とにかくめちゃ車をカメラのまま視線で追いかけててワロタ。ワロタけど全部カットした。撮影者の身体が強すぎて。私だけのフッテージに保存する。今回の展覧会には犬とアイスのホイアンセットを出す。キュレーターのベンのパートナーにアイスも犬も大好きだから最高って言われて、exactly~と言った。 蜂、アイス、犬、石、墓。八朔、ミミズ。 わたしの作品のモチーフってかわいい烈伝じゃんか。 フルーツ、魔法、歌、待ち合わせ、根っこ、毛、鳥、海、砂、種子、島、模様、夢、靴、酒、涙、生殖、老い、変身。これらをいつか扱いたい。 化石、貝、タコ、やることリスト、自殺このあたりはもう少しやらないと。扱ってみたいものと、実際に扱うものの間には大きな溝があって、趣味性だけで選択できないから何かしらキャッチできるようにひたすら感度を磨くしかない。。人生が足りない。ちょっと焦ろう。

2024/03/18

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  今日もやはり寝不足で記憶は夜から始まる。辺見さんと遊んだ後帰ってそのまま原っぱへ散歩しに歩きにいったが寒くて一瞬で帰った。キラキラとした寒さではなくビュウビュウの過酷な寒さ。散歩好きすぎる。早くもっともっと暖かくなってほしい。少しだけ寝て起きる。すごくきれいな朝だ。歩いて駅へ。草や木がほんとうに輝いて見える。世界がきれいすぎる。この精神状態なんかやばいかもとおもう。でも本当にきれいで。木に絡んだツタだけが白く焼けて、こんなきれいなものってあるんだなとおもった、生命の在り方として。陽に照らされて反射して目に飛び込んでくる全部がほんとうにきれいだった。かなり感激してしまう。嬉しすぎの気持ちになってワーと走り出す。ロイホへ行ってパンケーキ食べた。別のテーブルにはドリンクバーのいくつものいろんなジュースが入ったコップが置かれている。 電車に乗って上野に行き、遅刻してるにも関わらず動物スーパーボールのガチャガチャを2回やったら2回ともチーターが当たってああこれは遊んでる場合ではない急げよっていう幽霊みたいな者からのメッセージであると理解してスーパーボールを左右のポッケに一個ずつ突っ込んで陳列館へ向かった。 ほかのアーティストたちも少しずつ集まってきた。キュレーターのみんなへの多大なる負担。展示を作るだけじゃなくアーティストのケアまでキュレーターがやる感じになってる時ってあるよな。。なるべく分業の意識で一緒に働けるといいんだけれど。でもまずは私のやることを先に終わらせよう。本当にサポートしてもらいぱなしで。ほんまにほんまにな。 いろいろと少し話を聞いてた友達からツイッターブロックされてた。私のことも敵だと思ってしまったんだろうか。幸せであってほしい。負った傷のことを少しも疑ってはないし、私は彼女の友人のままのつもりだ。まじで幸あれ。辛い時間はだれにも訪れないでほしい。優しい時間だけがあってほしい。無料だし、辛さも優しさも、どちらも無料!抗議するのだって無料。お得!

2024/03/17

搬入1日目。過去作が展示の形になるために他の人の手が入って私の手を離れてゆく。展示室の外へエミリさんたちと出ていってちょっとプロテスト。こんな環境を探してた。今が一番まともに人間できてるような気がする。多くの判断に対して自分で責任を持つことができてるような気がするのだ。 映像編集をしていると、いい状況の自分を見ることができる。自分の周りでかつて起きた様々なこと。単純に自分を愛しく感じることができるから最高。私の能力は、きっと他の人をサポートしたりすることに長けているのだろうけれど、本当にそれがしたいのかというとそうではない、この能力はあくまでオプショナルなものである気がしている。そんなことより作品作りたい。他の人が嫌な思いしてるなら作品ばかりではいられないけど。たくさんのでも・けどを挟みながら巻き込みながらそれでもこうして制作を続けていくのだ。少し前に知り合った同世代のデザイナーの性暴力加害が告発された。新しく知り合う人が隠れて悪いことをしている。怖すぎる。性暴力だけはほんとうに無理。去勢しなよ自分の身体を凶器のように使えてしまうのなら。エクスペリアームス・武器よ去れ(ハリーポッターに出てくる去勢の呪文)。 展示の準備はいつだって楽しい。プロジェクターを上から吊り下げてもらい、私の展示はほとんど出来上がり。あと3日でデータを修正したりしてゆくのみ。がんばるぞ。 上野から御茶ノ水まで歩く。40分くらい。暖かくて、風が吹いていて、このままどこまでも歩いていける気分だった。すごく独立した気持ち。自分への自信がすごくある。誰のことの心配も頭の中になくて、大きな嬉しさだけがある。この清々しくてまっすぐな感じを少しも損なわないまま、ずっとずっと生きていたい。この自分がいるということを忘れないようにしたい。

2024/03/16

今日は何も嫌なことされなかった。自転車はしばらくの間はとりあえず使わないようにする。バーテープ巻き直したい。サドルも変えたい。気味の悪いもの全部見たくない。暖かい日だった。めちゃくちゃ洗濯した。靴も洗った。なんと昼と夜ご飯、二度も料理した。昼ごはんはフェットチーネを茹でてソースと合わせる。夜ごはんは鶏胸肉と小松菜と舞茸を蒸して、味噌を牛乳で伸ばしたソースをかけて食べた。美味い…。デザートにはいちごを3つ食べた。買い物へ行って、映像編集して、ミーティングして、煙草吸った。最近信じられないくらい喫煙してしまう。ポテチとかチョコとか食べなくなった。いつかまた食べるんだろうか。 色々と考えたくないけど不意に時折悲しみに支配される。他罰感情が顔を出すのを、モグラ叩き(ものすごくバイオレンスなゲーム)のように叩いて引っ込める。 クーフィーヤを買ってみた。knogのライトも買った。でかい草が欲しい。ぬいぐるみが欲しい。録音機材が欲しい。スチル用のカメラが欲しい。靴が欲しい。押入れを整頓する気力が欲しい。しなやかな身体が欲しい。味噌汁を飲む用のカップや、かわいい皿が欲しい。なんかよくわかんない古いものが欲しい。西荻窪に行きたい。ワンピースが欲しい。ウクレレを弾いたら普通に心地よい気分になった。やっぱ元気出てきた気がする。よかった。本当によかった、、明日は掃除機をかける。葉っぱに水やりする。

2024/03/15

今日も嫌がらせされてた。しかもなんかパンツにキモい体液がついてた。本当に気持ち悪い。自転車家の中にしまった。怖すぎる。もう気持ち悪いし本当に嫌だ。お気に入りのビアンキ。。ハンドルのパーツも無くなってた。また警察に来てもらい、今日は生活安全課の人まで現れた。大家さんにも電話したし、不審者警戒ポスターやポスティングの手配も済ませた。素早い。そういう社会的な権利行使のための手配は容易。自分でできない自分のことがある。自律を促されず、なにか疑われたりせず、本当に全て安心した状況で泣いたり怒ったりしたい。頼るのが忍びなくて、せっかく来てくれてもなんか申し訳なくなってしまって帰ってもらったりして、来ていいよって言ってくれたり、できることあればと言ってもらっても明日から搬入があって身動きがとれない。自分のスケジュールのコーディネートができない。だれも暇じゃない。できることあったら言ってねというのはありがたいのだけどDIYの要素がある。DIYは日曜にやるもので、今私に日曜は無い。みんなも日曜な訳ではないし。ほんと全てが月曜日だ。でも本当にありがとう。本当にありがとう。役に立とうとしなくても心配してくれるだけで嬉しい。役立とうとすることは選択肢を増やして、それは時には困りを増やすことでもある気がした。Be with youを示すだけでいい。学びました。 映像編集してる時が一番気が楽だし、こんな状態の時にすら、他の人を思い遣ってないと生きられない自分もいる。少し話せば大丈夫になるのも本当だし、そもそも一個も大丈夫じゃないのだって本当のことだ。怖い思いや不安って不意に現れるものだ。朝から怖い気分で、昨日怒っちゃったことに反省して、そんなことしなくていいと言ってくれても急な坂道を転がり落ちることが止まらないみたいにもうどんどんダメになってしまう。連絡もらっても返せないし。最悪。最悪だよ。洗濯するぞ、とにかく洗濯をする。移民労働者の奴隷的法制度についてのステートメントみたいなものを直接的にテキストで作品に追加するか迷う。

2024/03/14

 チャリに乗ろうとしたらサドルに誰かの(女物の)パンツが穿かされていた。意味がわからないけど気持ち悪いので一旦逃げる。今井さんと会った。もうすでに今日の予定が全部狂ってる。恐怖だし、なんで今?という感じ。今、本当にいろいろなことが重なってかなりキツい。ここ3日間で、カフェでオンラインミーティングしてたら爺にキレられ、新幹線でオンラインミーティングしてたら婆にキレられ、自宅前で嫌がらせにあった。 今井さんに助けてもらって警察に行った。友達からのDMにもめちゃくちゃ心救われた。小山君がきてくれて嬉しかった。ありもので料理作ったけどあまり上手くできなかった。

2024/03/13

昼に起きる。何度も寝たり起きたりする。身体に「わかり」が発生した。起きた時に元気が出る感じがするなんて最高。夜はその日のストレスがのしかかってそれを取り除くのに必死になってしまう。今日はすごく風が強かった。あすから春になるのかもしれない。河原を散歩。まだ背の低い菜の花が咲いている。追い風に乗せられて少し走ってみる。いつか日の入りをずっと眺める遊びがしたい。仕事のメール返してない。全部ごめんなさい。 髪を切ってから、ネックレスやハイネックが似合う自分のハンサム性が嬉しい。ここでもわかりが発生している。外務省の前の毎日デモは、外務省の建物にむかって、警察の人とか警備員の人とかにもむけて「また明日ねー」と言ってサクッと帰るのがいい感じ。なるべく行ける時は参加したい。 ツイッターを見まわっていたらまじかと思うことがたくさんあって怒りの湧き上がりが捗った。久しぶりにいい悪口を思いついた:「さすがアート界のひろゆき・ホリエモン・西野(&成田←new)」。それぞれが誰なのかは人によって異なる楽しみを持てるところも気に入ってる。この悪口もツイッター的思考回路すぎるきらいがあるけれど。ツイ廃の魂百まで。〈メモ・「14歳の栞」。〉パッチ作りたいという話に作ればとぶっきらぼうに言ってしまってやらかした。そんな呑気な…とか思って焦ってしまう。わたしも作りたい、必要としてる、映像編集とかもやらないと。金銭的な余裕がほしい。引越しから4ヶ月経って、だんだん引越し時に負った経済打撃が回復の気配がする。いろいろな清算作業。

2024/03/12

完全に寝不足だけど今日は三重県まで 宮田さんのスタジオへ行って対談の収録。色々ギリギリすぎて全然指示できてなかったのに、阪中君の撮影機材のチョイスは隙がなく完璧だった。ありがとう。スタジオはめちゃくちゃ素敵だった。スタジオの作り物(天井とか)を見せてもらう。宮田さんと宮路さんが繋がりあるのめちゃ最高。薄いピンクの長い布で仕切られた部屋。すごい。ねこのタネちゃんもかわいい。最高。本日のクルーとのおしゃべり時間:阪中君1時間くらい、野瀬さん4時間くらい、宮田さん3時間くらい、熊原さん15分くらい。ずっと喋り倒しで疲れた。そんな遠征。赤福をお土産に買った。帰ったら食べよう。パレスチナのこと話せる人とじゃないと仕事しても意味ない。これまでずっとパレスチナについての活動を続けてきた人たち、ありがとう。帰宅して茗荷とか大葉の入った夏みたいなご飯を食べた。ホットアイマスクしてヘッドホンで耳覆って腕も脚も放り出してベッドに寝転がった。眠さをなんだか耐えて夜更かししてたが、電気消したら秒で眠った。怒り悲しみ焦り戸惑いの中にあるたまの幸福な日、それが今日だった。

2024/03/11

 西美での抗議。つかれた。ツイッターで議論が起きてるのをウォッチ。それもつかれる。が、ついつい見てしまう。こんな虐殺が起きている中でなぜこの抗議活動がアートかどうかとか新しいか古いかとかそんなしょうもないことを議論する人たちがいるのだろう。アーティストである市民有志による抗議活動だと言ってるだろ…作品を重要な活動だと位置付けてるのであれば、なぜその発表の機会を取り巻いているものを指して政治的な活動に「巻き込まれた」とか言えるのか(メッセージの強い作品作れというわけではないが、戦時下でアートやるって自覚してんのかな)まあもう仕方ない、大学生たちがちゃんとしてくれたらそれでいいや。抑圧を制作し続けないで。ていうかこの虐殺についてもっと広く問題にして。取り扱って。炎上でもなんでもいいからいろんな人の注目を集めてほしい。できることをできる範囲でやる、を少し乗り越えないといけない時はある。今は本当にその時だとおもう。 仕事のためにプロテストを16時に抜ける。美術館の門の前で、公園に住んでるおじさんと少し話した。彼は酔っており、なんで今日なんだよと言った。今日は3.11ですよね。そうだよ、それはもうどうでもいいってのかよ。そんなことないです。俺は東北からきた生き残りだよ、おまえの持ってるその「殺すな」は、「助けよう」じゃだめなのかよ。――と、トモトシとおっちゃんとした。その方向性のプラカードは考えてなかったな。その場で一緒に作ってもよかった。警察の人はそんなに嫌な感じの人でもなく、無理矢理止めるっていう感じでもなくて日本はもっと無理しても大丈夫なんだろうなとおもった。滝さんが「うらさんこんなにデモしちゃって大丈夫?(キャリア的に)」と言ってくれた。全然OK。むしろ自分の映えパフォーマンスの力量不足が申し訳ない。普通に知らん人とだらだら議論するとかはできる。パフォーマティブな時間の連続。警察の人と話すのも全然大丈夫だった。アーティストである市民有志と説明して企画者や中心人物はいない、誰に聞いても全員がそれぞれ違うことを自分の言葉で語ると警察のひとに話した。もっと個人で同じ場で、時間かけてパブリックに話していけるパートを持ってもいい。 自分がつけてたパッチを悠さん(革ジャンに穴あけていいよと言った)に託し、滝さんから預かったドローンの模型&百瀬さんから借りた「殺すな」のプラカをトモ

2024/03/10

maria yamamotoの「お散歩ハウス」最高すぎ。聴きながらずっとにっこりしてるしたまに爆笑する。 アーティストによるパレスチナの連帯アクションのためのミーティングに2つ参加した。りべかさんが、自分がやってる作品のことを「絵とかじゃなくて行動するみたいな感じのことを作品としてやってます」と言っててかっこいいなと思った。最近は付き合う友達も変化してる。大事なことをちゃんと話し合えないひとと過ごす時間は無駄、帰って本読みたい。大事なことを話すのなら友達とでなくても大丈夫。贈与の可能な関係をひらく。

2024/03/09

朝からミーティングのイベントがあり参加。他の人となんかするみたいなのが好きで自分の作品でもやってるけどなんでなんだろ、色んな人と話そうとするとその分やることが増えてそれがいいんだわ、みたいなことを自己紹介で口走ったけど、ほんとその通りだわ。喋り方にコンプレックスある。結構早口だけどアハハみたいなのとか変な冗談とか入れてヘラヘラしてしまったり、謙りながら偉そうだったり、なんかチューニングがいつもバカ。ほどよくいい感じで喋れるようになりたい。キャラクターのように一定の感じで話せるようになりたい。 商品化、アーカイブ、展示の可能な形態での作品制作にしばられなくてもいい。キュレーターがきっとどうにか展示を作るから、だから安心してもっと変なことして、うーちゃん…

2024/03/08

 死者が多すぎて街が壊れてて虐殺も災害も、気持ちがおさまらない。今日はいくつかのデモとマーチに参加しようとしてたけど、NASのプロテストだけで疲れて帰ってきてしまった。参加者のスピーチがよかった。歴史の尺度の中で、これまでをみても今後今のことを振り返ってみても、本当に酷い悪いことをしているのだと、それが今まさに刻まれているのだ、それについてどう考えているのかここへ出てきて説明しなさいというような感じのことだったと思う。そう会社の建物へ向かって話していた。中に座っているであろう人へ向けてする、その話し方がよかった。通りがかりのスーツのおじさんが遠くで振り返って聞いていた。UDトークの職人業を手伝った。UDトークすごい。沖さんのダチが開発したらしい。感謝。公共の場所を取り戻すようなアクションであるとか、UDトークもそうだが、そういう社会に必要な物事のつくりみ(「作る」の形容詞化)。贈与。 デモから帰ってきて、昨日作った大量の味噌汁をたいらげた。文を書きながら食べるのですぐ冷める。冷めてはチンする。全く落ち着かない。アマプラをサーチしながらそんな時にこそ見てみるのがいいのではと思い立って、目に止まった「ドラえもん宇宙小戦争2021」をみてみるも、最初の爆撃のシーンで一時停止した。最近爆発と人が光に溶けていく描写が怖い時がある。スネ夫………。 自分の混乱に、他人を巻き込んでる気がする。頭の中のキャッシュを吐き出さないと。それが乱気流のような感じの時がある。脳が無駄に熱いような。パレスチナ連帯について、もう「まずは」みたいな態度を取るような状況じゃない。会社に対して圧力をかけて状況を変えていくこと/より多くの人が考えたり話したりするようになるための場を設けること/情報を仕入れてくる人/整理して広報係として伝える人など色々分業というか同時に動けたらいいんだけど。明日こそは大根と手羽元を煮よう。

2024/03/06

スピーカーのbluetoothを繋ぎなおした。私の持ってるちっちゃいスピーカーは音を大きくしないと全部の音が聴こえない。ストーブは寒がってあたったままの場所に。微妙に邪魔。食器も洗わずに重ねる。雨で洗濯を放棄してる。いいかげんにしないとな。明日こそやろう。昨日すごく寒かった。今日も何にも手につかない。なにかできごとに対して、3日くらいの間のこととして考えるのがいい気がする。前日当日翌日、でワンセット。今日は3日前の3日後。明日はその翌日。そうしてるうちに一週間が経つ。 朝、神さんの石拾いについてのテキストを読む。布びっちり石の制作、悩んでる。こんなことしていいのだろうか。捨てられたらどうしようとか心配なんだ。やっぱもっと高く売った方がいいかもしれない。1万とか。10万とか。雑貨のままでいくなら、好きな石のレプリカを作って、それをびっちりするようにしようかなあ。布びっちり石のおばけ。 昼。奥君とアクションのアイデアについて相談した。声が疲れてるように思った。雨の中ジェノサイド清人(このネーミング最高)の抗議に参加してたのだからそれは消耗しているだろうけども…奥君がインスタにあげてた抗議活動のある街のスナップ、すごく素晴らしいなと思った。 夜。阪中君へ仕事の詳細を少し話す。打ち合わせを重ねると自分の来週の行動が明確になる。それが続いて、振り返ると1ヶ月が作られている。もうずいぶん長いこと小山君に会っていないなあ。そのことだって、私にとってはずっと気にかかっている。

2024/03/05

感覚がひらけたような不思議な感じ。そして少しだけ寝る。陽の光の差し込んだ明るさを感じて起きる。眠りが浅いためにここのところ記憶が夜から引き続いて始まる。よって日記も夜から始まる。 何かを深く愛するということ。資本主義経済は人がなにか特定のものに過大な愛を注ぐことを禁じ、次から次へ異なるものへ興味が移るように設計される。立ち止まり、考え、こだわりを持つこと。愛することそれ自体の反資本主義性(生活がクレカに支配されていようとも)。ただ資本主義をボイコットするとかではなくもうひとつ軸を作る。ふたつの軸からなる楕円のような世界。 美学校の講座「アートに何ができるのか」に参加したことをきっかけに、資本主義経済と贈与についてをキーにして、いろいろ勉強する一年間を過ごしている。もう3月になってしまった。はやい。 「色んな(社会的な)問題」に次から次へ関心を持つことを強制させていくことは(ツイッターは社会的イシューを消費対象物化した。ゆるせん)本当に重要な問題を見えなくさせる何か陰謀のようなものを感じる。愛を注ぐこと。私はよいマルチタスクをしたい。序列なく。たくさんの問題は、私の元でマッシュアップされる。それぞれは個別でありながら、同じ世界にあって、それでその世界を存在させる理由として、私の感性へかえる。聞いてもよくわからないような大きな音。聞くということの態度を変えていくこと。 なくなってはいけないものをそのまま作品にする。 あるいは覚えておく。わたしができる、世界への贈与だ。贈与のことを学んで本当によかった。 天皇のいない日本は、どのような国だろうか(ほんと早くなくなれ)とかみたいな問いを(まあそういう社会的な問題に根差したものでなくてもいいのだけど)世界の中に立てる。これも贈与。世界がベースになる。好きでやってるっていうか、そうでないと生きていけないっていうか。そういう人がいるということを記録し証明するもの(絵の内容の「クオリティ」みたいなのは問われない)。そういうもの全てをアートとよぶ。としてみる。 白川さんが美学校の授業にゲストで来てくれていろいろ聞くなかで、作品を何個も作るということはそのたびに世界を作り直すことだとはっきりと言っていて、まじで尊敬した。たとえば何度も同じ名前の展覧会を続けることは、その度に世界を作り直すことだ。それは過去の否定ということではなく。異なる

2024/03/03

昼にプレゼンをし、質疑応答で出た参加と命(死者の存在)の関連性についての質問に答える場面で、感情そのものになっちゃって心が顔に飛び出た。ひとりひとりの死。広範的な死。悲しいけどわたしが悲しいんじゃない。わたしも悲しい。広範的な悲しさ。わたしが怒ってるんじゃない。わたしも怒ってる。広範的な怒り。形容詞が反響してわたしがわたしの範囲を超える。  全部の会話が大切だ。録音機材がほしい。妹とも話した。「すごいじゃん」は便利な言葉だという。ドン引きしたときも病めるときも健やかなるときも使えるって。すごいじゃ〜ん。すっごいじゃんね〜。

2024/03/02

昼まで寝たり起きたり。煙草を吸ったら咳がでて、お湯を飲んだら治った。朝からずっとお腹が空いてたけど結局ちゃんとご飯を食べたのは17:00になった。そのあともなんだかお腹が空かなくて夜ご飯を食べなかった。シネードと会って一緒にパレスチナのプロテストに参加した。デモってなんか気持ちいい。道の使い方としてまじで正しい。シネードと話してると積極的に英語のギャグを思いつき次第言えるから楽しい。シネード大好き。 *** 所有者の管理なく、物が移動し続けるシェアリングってなにがあったっけ? 車が運転できたら行きたいところはたくさんある(そういえばドライブマイカーが観たいんだった)。散歩が好きだからドライブも好きになれると思うの。不意に思い出したことなんだけど、卒制のアイデアの先頭にあったのは、みんなで楽しく話しているけど頭の中ではひとりぼっちの景色を思い浮かべている様子だった。それが起きてる状態を作りたかった。なんかボヤッとした写真に映らない鑑賞のできない詩として参加型の作品を位置付けていた。詩って便利ワードにしちゃいけないよね、だけど詩としか言いようがない。高速道路の渋滞でずっとこの車の中にいないといけないのってほとんど遭難だっておもってた。車が運転できたら、作品を作る身体のボキャブラリーがひとつ増える(たとえば怪我をしたら減るのかといえばそうでなく、その身体でのボキャブラリーが作られるというだけ。身体は面白い。身体は手続きを実行する。理念が先立つようなものよりも急にそこにあることができるみたいな方が好ましいことばかりだ、ねんど大好き)。 小さな電気だけつけてるようなさびしさ、と思いつけて今日は満足。 寝ちゃお寝ちゃお

2024/03/01

なぜデモに行くのか話、自分の意見を道路で声に出すのがただ気持ちいいというだけかも。言いたいこと言える親密さを公共空間と結び直すことができる。激しくシャウトして怒ったってokだし。叫びには寄り添う。無知すぎて寄り添いがうまくいかないこともある。まあ日々積み重ね。。わたしもパレスチナのバッヂを何かつけてみようかな。 今日はなんだか存在が全面的に肯定された感じがして、あまり見えないようにしているクレイジーさに光をあてても全然okなのかもしれないという気が起きた。だから楽しいんじゃないか。そのようないたずら心が発生した。光当たってない自分のいろんなところ。

2024/02/29

「 国境の中の人々を尊重しない入植植民地国家で、抑圧の中で育つということがどんなものか、アメリカで育った黒人の私はよく知っている。」今朝見た動画。 わたしが灰色の海しか知らないのは悲しいことなのだろうか。それとも海が灰色であることが悲しいのか。観光で行った沖縄の海。 誰かに何か意見する時、いつも原稿を書き言う前に40回くらい読み直し、言った後に60回くらい読み直す。小さなことでもそうしてる。読むことで文の確信が強まる感じ。