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今元気だからスパークリングメモ

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一人称視点と複数の身体だ。そとからもうちからも全て見通せない/把握したコースを脳内で操作する。プレーヤーのエンゲージメントの制限が強い。リージュの選手のVR、また操作の視点の持ち方。捉えきれない自分の身体の乗りこなし、俯瞰と内在化、認識のスイッチの切り替え すごくざっくりと、でもだれかに教えるのが嫌だなと思うくらいボブスレーに魅了されている。 わたしはボブスレーに出会うために美術を始めたのかもしれないと思っちゃうくらい。 ボブスレーが面白すぎて、美術作品が霞む。というよりも、ボブスレーを論じるほうが美術的だよなあ。 彼氏の影響で教えあうことに興味があるんだけど(過去の記事、「公開し合ってみたい」もそういえばそうですね)、なかなか作品未満の興味の部分を教えあうのってこの面白さを盗まれやしないだろうかとヒヤヒヤしてしまうよ、わたはいまだに。しかしながら、シンクタンク的アプローチ、著作権死後50年、自分の財産。何も持たなくてもいいと思うことや、防災のリュックにクレヨンを入れておく選択。好きな人たちに持ち物をあげちゃいたくなる衝動、本を読み切るのが苦手であること、、、。 いつ使えるかわからないからとりあえずここへ書き記しておいて、いつか作品ができたら構想はこの時から始めたんだと思ってください。

2017/11/8

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いろいろ無駄なことをした方が気が楽で、音読をしたり、しょーもない読み物を読んだり髪型を変えようと考えたりとか、ゲームしてみたりとかして、思考を止めている。考え事をする気に全くならない。そうやってぐずぐずしていたいけど、次のパフォーマンスがほんとうに数日後へ迫ってきているから考えないではいられない。とうとう詰めて考えることにしようと思い考え始めると、友達のことと接続してしまって、彼のことを考えているのか作品のことを考えているのかよくわからなくなってくる。うまくバランスをつけて、そしてあらわすことができたらきっといいんだけど、どうにもバランスをとるのが難しい。 田村さんのグローリアをみて、少し回復したような感じがしていたのに。また無駄なことをして熱の冷めるのをじっと待ってしまう。そんな状態にもういたたまれなくなってしまったから、こうして文章をぽちぽち打っている。 少し前に親しい友人が亡くなって、葬式で彼の顔を見れると思ったら紙粘土だった。さまざまな道具が少し怖い。でも、楽しいことは相変わらず楽しいから大切にしたい。 なにかを否定したり、なにかに抗う形で作ってきたけれど、そういうのもなんとなくもういいかなという気持ちになっている。 ナイーブな作品だ、と呆れられるかもしれないね。でも、そういうふうにこき下ろされたりすることも、もうなんだかどうでもいいや。 

おそらく具体的なのだろう

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薄く平たい一枚の岩の東側が欠けた。一枚の岩と思えたそれは、青や、黄色や茶色の岩が重なってできたミルフィーユのような、陸の端、海との境、柔らかな泥になろうとしている砕けやすい、岸辺、空き地、或いは閉じられた本の小口に過ぎないものだった。 あの日私と彼らは背と背を合わせて手をだらりと落として歩き、座り、寝転び、それをおどりと呼んであれはもう四年も前のことだ。 毛糸の、端を、鋏で切るように、もういいか、などと、想像すればおかしくて、なぜか笑いそうになる。前に何かで読んだり見たりしたようなふうだとは到底思えないから、わたしはそう思ったんだけど、それで、どうかんじたの、と、言えたらどんなにいいだろう。 それでも、彼は毛糸はおろか布もほとんど切らないで服を仕立てていた。わたしはね、裁縫をするたびに糸を針の穴へ通すとき、あなたたちとおどったときの背中や割ってしまった電球と暗くなった青い床の部屋、右腕を耳の後ろの方へ伸ばしてはじめてみた目の内側を、鮮烈に思い出すんだよ。 何かを選ぶ基準が変わっていくようだった。わたしは小さな動物で、だから鼓動が早いんだと思う。色々なものが通り抜けていってその度に彫刻されている。例えるとしたら筒のような感覚だとわたしが言うと続くようにして、ああ、そうだ、筒だね、透明で、筒だ、と言いました。 ススキはじっとしていた。弱い風に吹かれ、気にならない程度に肌寒い。空気は置かれた石のように暗く、団地の光は緑色だった。 時間 耳の奥に入り込んだ海水が鼻へ抜けるのに似ている気がする。ぬるくなった黒いお茶を少し口に含むと、なんて柔らかい液体だろう。気持ちが悪かった。喉の暗いところへ落ちていって、音も香りもやわらかさも忘れてしまった。とはいえ、気持ち悪さややわらかさを雑な文章にしてこうして記述することで喉の奥へ再び呼び戻すことができることは確かだ。今は、またすっかり冷めてしまったコーヒーを飲んでいる。 眠ろう。身体を布団へ落とそう。腹をへこませばわたしは匙のようだろう。へそが窪んでいることなどなかったことのようだった。そんなことをしたからか、今朝からお腹の調子が悪いよ。 あるひとは、いけないことだといったけど、わたしはそうあって欲しくないだけだと思う。制度とは無関係な懇願だ。その方が聞き入れてくれそうだから、そういう言葉を使ったのかもしれない。 裸足で踏んだ砂利の痛さ