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7月, 2023の投稿を表示しています

2023/07/27

 90歳の人が10歳の頃に戦争が終わり、110歳の人が30歳の頃に戦争が終わり、当時30歳だった人はどちらにせよ今生きている人は多くはないと思うけども。6年間と80年の間にかかった個人へのストレスの総量、社会的なトラウマ、歪み、申し訳なさ、悲しみ、すべて想像もつかない。今まさに起きる他の恐ろしいことで、そういうものが絶えず増えていっている。取り付く島のないそれらを放り出さずに想像するということが、現代を生きるアーティストの唯一の勤めなのだとしてみるのはどうか。その場では癒されない高度な操作を行うこと(もっとまともな言葉を見つけたい)を鑑賞とする。それをつくることが制作、とか。知らない人が知らないうちに死んだり生まれたりすることを、どうにかして考えるみたいな。蓄光塗料の黄緑色。 PARAの滞在に来ている野木さんと知り合った。練習場所がオープンなスペースなので、練習とはいえ発表というか居合わせる人とのインプロである。わたしが楽譜になり、それを野木さんが演奏している時間があった。read the room。マリンバは折りたたみ、タクシーで運べるほどに小さくできるそう。マレットは棒の先に糸が巻かれていて、その巻きが多い大きなマレットは低音のキーと合う。両方の手に2本ずつ持って鍵をたたく。気持ちいい。マリンバは広いので、教えてもらったことを右側で試していると左側でそれに応答した演奏がされたりする。すごくすてきな日になったと思った。

2023/07/24

珈琲館の喫煙室は3人ずつしか入ってはいけないことになっているが、そもそもここは3人もいたら喫煙どころではない。

2023/07/22

ケーキが食べたくなり出かけた。桃のショートケーキを食べた。桃って大好きだな。桃になりたい。幼稚園生が将来の夢に「新幹線になりたい」とか「かぶとむしになれますように」とか書くことがあるようだけど、あれはこの自分という存在の継続したうえでwanna be してるのだろうか(そうは思えない)。「桃になりたい」は、なんていうか絶頂の表現というかんじ。「新幹線になれますように」の飛躍の線をなぞって、叶えてみたい。どうしたら「新幹線になる」ができるのか。そういうワークショップと映像の作品。おもしろそー。いつかやりたい。 思いついたら先にやる癖があるけど、それは仕事においては普通よくないことなんだな。他の人の思ってたのと違うものでないことが多発してる気がする。まずいぞ。仕事ってどうやってやるんだ?言われたことを言われた通りにやるのが難しい。言われてないことを意図を汲んでやるのも難しい。これまでやってこれたのは周りがいつだって合わせてくれていたのだと何度も気づいたことがあるけどすぐに忘れてしまう。今日もまた気づいたと、一応書いておく。デザイナーがやるように、成果物とラフありきで、しかも時間をかけないで、そういうふうに働けるようになりたいが難しいのだろうな。 伝説級にめんどくさい人のことが密かに大好きで、その人を思えば自分のまずいところも「ま、あの人よりはマシだわな。自分もまだまだ。」と恥じる気持ちにデッドスペースを見つけることができる。その人とその作品のことを思い出すたび中途半端にいれば作品は作れないのは確かなことなんだと合点がいく。 まあ普通にやることやる働きができるようにしよう。 セブンイレブンに売ってる半熟卵の麦とろろ丼、かなり美味しい。 あ、2画面の映像インスタレーションの作品をまた作りたいんだった。どっか行くのちょっと面倒。RAUでついでに練習できるといいのかも。身体の上とか中とかだけでなんかできないかな。

2023/07/19

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昨日の夜、小山君が蒔いたワイルドフラワーのMIX種のエリアに小さなニゲラが咲いているのをみた。それから少し寝て、起きたらすぐになぜか青木陵子さんの作品が見たいって思った。作品はいつでも買えるわけじゃなく、展示もいつもあるわけではない。 この3,4,5日間はなぜか落ち込んでいた。もう無理やーなんも興味ないだれのSNSもいらん、完成された物だけ買って読みたい、プレイしたい、自分にも誰にも興味持たれたくないわー欲望もないわーご飯もいらんわーそういう3,4,5日間を過ごしていた。その反動の一番最初に、青木さんの作品が見たいと思った。朝起きてすぐ… そんな朝を過ごし、有楽町へ。乗り換えるたびでかい楽器を持った人たちが英語で会話していたので、今日も誰かが来日公演しているなと思った。amaro素晴らしかったなー。 SOUDAN。なんかの手応えが欲しいねとなっちゃんと話した。たまたま居合わせたビリーさんに演劇の稽古ってどんなことやるのかと聞くと色々の中で「短い繰り返しをする」と言いながら手をトムクルーズが走るときの形にして顔の前で小さく前へ回していた。なるほどSOUDANの手応えのことにも応用が効くかもしれないと思ったけど、なんでだったか忘れた。 相談員も慣れてきたかもしれない。さくらさんが振ってくれて自分の日記の話をしたりした。それで相談する人としていた人から「過程に興味があるんですね」と言ってもらったのだが、発表されている状態はむしろ作品にとってすごく短い時間であって、それがパフォーマンスならなおのこと、わたしがこの身体に生活も制作も引き摺りながらやっているのでむしろその時間が過程であるという観点すらなかったのだが、勢いで「そればかりしかないですー」と前から思ってたみたいな雰囲気醸して言ってしまった。恥ずかしい。鑑賞者の視点から言えば過程と翻訳されるかもしれないわたしの生活。その生活も、生活って言葉でいいのかよくわからないでいる。 誰の顔も思い浮かべずに全員大嫌いって思ってる時間は幸い今はすごい短いけど、確かにある。物が死んでく暑さも、今日はいくぶんマシだった。これも生活。

2023/07/13

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久しぶりに夢小説を書いて投稿した。他の人が書いたのを読むのも久しぶり。恋じゃない夢小説を次は書きたい。キャラの独り言みたいなもの、日記のような…水星の魔女のエランの独白小説が書けたらめちゃくちゃ萌えるだろうな。遊びでも仕事でも制作でも文を書きまくってる。 ドラマ。カメラ。台詞。台詞ってなんなんだろうな。話を進めるためには文全体の人称を固定する必要がある。台詞以外は一人称のカメラで時間と空間を移動させる。それが物語を運んでいく動力になる。映画とか、漫画とか絵がついているものはその分、カメラの人称がフリーになる。漫画からメディアミックスされたものは、ナレーター役がするナレーションとか、カメラがフォーカスしたキャラの心情とか。 夢小説の多くは説明描写はそこそこに、台詞のかけ合いで描かれる。確かにそうすることでカメラの人称が限りなくフリーになる。夢小説は名前を自分に入れ替えたりする。〈わたし〉の位置を乗り換えられるものとして、それでいて身勝手に作られる。めちゃ重要なアイデア。 美学校の仕事でそれぞれの授業の内容を知りたくてきいた、ある授業についての私のメモ: 現代美術に寄せない。とにかく作ってみることで何かを理解、確かめる。 悩み、関心を深掘りして形を与える。個人的な問題。「身近なところの建築」(自分の体のサイズを基準にした住宅。生活の中から使用者自身に響く、「身近な」形と作用を見出す。) 身近なというときのカメラの振り回しは、インカメなのか、外カメなのか、監視カメラ的なものなのか。先日のRAUで参加メンバーの方(名前忘れてしまった)は三脚を立てずに一眼レフを胸に構えてしゃがんでじっとしているスタイルで撮影していた。監視カメラではなく。なぜか透明なカメラみたいな感じだった。身体とカメラ、どこへ。高嶋さんと中川さんの映像作品も思い出すところ。 三宅さんは登場人物たちの温かな視線と同じように主人公を撮ることができたらというようなことを言っていた。 カメラ、事の次第(という訳し方天才)についてまわる人称の問題をわたしはどうにもせずにこれまでやってきて、パフォーマンスだって、なんで自分でやるんですかとか言われてもそんなこと知らんと正直思う。金沢の個展でやったことは、夢小説的なことだったのかもしれない。制作主体をフリーにする。 夢小説のほとんどは絵のない漫画みたいな感じで、台詞の応酬

2023/07/12

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個人であることを頑張って、訂正可能なものとして定義づけを行わないと、なんやかんや言いつつ八方美人しているうちに現状を再生産するのに加担することになる。 自分を石だと思うとして。この石をつかって投票する。動かさなければ石は動かない。自分が考え悩むことでなんかやった気になれてしまうし、優しく努めることができていると錯覚する。自分は石だから、動かさなければ動かない。石も考えてるし。わたしのこの生は、石を動かす生なのだ(石ハム太郎)。わかりやすい気がする。 暑かった。 FLUEの主催するライブへ行った。amaroとSam gendel。昔ピアノを習っていたが、右手で旋律を弾けるようにして、そのあとで左手、というように、練習?させられていた。なんのための練習なのか?発表とかないのに。amaroのピアノをライブで聴いて、時間芸術としての音楽に身体がなったというか。トラウマ克服。

2023/07/11

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 小学生と夏休みの宿題コラボして滞在制作とかしてみたい。←メモ 荒谷さんの美学校の講座が盛り上がってきた。これまでの何回かの講義+ディスカッションを通じて語句の意識すり合わせとそれぞれの視座の違いを確認できている気がする。参加者は講師の荒谷さん、TAの私を含め5名。「アートが世界にどのように作用するとよいのか」という命題と、資本主義をめぐる経済に異なる基軸を持ち込むプラクティス。パラフレーズする。ディスカッションによって世界のくくりを規定する視座が個と多に分割された。ある作品が本当に必要な人(自殺しようとしてる人とか)に届かないという見積もりによって。不可視のポテンシャルに絶望したり期待したりするのは良くも悪くもロマンチックな感じがする。統合された世界はないから、高度な操作を加えないとifは霧散してしまう。みんなで荒谷さんはなんで踊るのか質問したりもした。 パラダイスエアから神保町へ向かう千代田線の中で、ひっそりと、しかしかなり大胆に、タンゴみたいなのを踊りながら電車に乗る人がいた。私もよくやるが、あれめちゃバレてんだね。

2023/07/10

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 家で仕事、ゲーム、仕事、ゲーム、仕事、ゲーム、仕事のミルフィーユ。 ゼルダにちょこちょこアースワークの作品が出てくる。菅木志雄もDIYれたりする。美しい風景の中に馬が佇んでいると、絵画のようだなと思う。 操作できる複雑な3DCGは、このポリゴン、オブジェクト、テクスチャーの感じと付き合っていくことと理解。 ゲーム内で撮影された写真はゲーム内のデバイスの画質が再現?されている。ガラケーくらいに違和感を差し込むことで、スクショとは異なる撮影行為ということを示している。

2023/07/08

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 お菓子をばくばく食べるのを多方面から抑制するために、めちゃくちゃ高いお菓子を買うことにした。580円のかりんとう。今日は夜になるまで煙草を吸わなかった。 RAUの技の共有。困った時の布びっちり石。逃げの術というか、目眩し的な。布びっちり石自体すごいから、私が改めてすごくないことを持ち込まなくても大丈夫な。身体ありがたい。 寺平が野良でRAUみたいなことやってたから誘ったが、藤原さんにようこそRAUへって言われててなんか泣きそうになっちゃった。スタンド使いはひかれ合う…

2023/07/06

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美学校の出勤が夕方からなので、15:00まで近所のドトールでお茶してたらもう休日のモードになってしまい、遅番は性に合わないなと思った。眩しいからとサングラスしていたが、なんかこんな気楽でいていいものなのか?プレッシャーが欲しいかもしれない。あってもなくても、まあどうにかなるような有用なものは基本的には作りたくない。使われない道具で、自分が使うわけでもないもの。自分が使うために作りたいが、さて…

2023/07/05

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 学芸大学駅にある保護猫のカフェへ宮田さんの展示を観に。猫にも会えてラッキー。お腹の緩い気弱でクタクタの猫や、大きくてビビりな猫がいた。「もう一度猫と暮らしたい」という見汐麻衣のエッセイ集を買うか迷っていたけど、やっぱり買ってみようか。ジル(実家で飼っていた猫)が2年前に死んで、それから父親の元気、というか覇気のようなものが萎んでいる。前の怒りっぽいところはうざったいと思っていたがいいかげん心配だ。地元の保護猫のコミュニティを検索すると♪がたくさんついた文が書かれていた。 猫カフェギャラリーと駅の間には、ガーディアンの石像に守られしドトールがあった。

2023/07/04

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自分が担当してる時に限ってトラブルが多発しててめんぼくねー。なんでなんだー。あもうさんからもらったアイスをばくばく食べたら今日の残カロリー&糖質をかなり使ってしまったので夜ご飯は冷麺にした。 今日はブラみたいなビスチェを、アマゾネスが戦ってる絵が描いてあるTシャツに重ね、服装的な女像を表した服装的な女になって過ごした。ゲッあいつブラとTシャツの順番逆じゃね?と誰にもいわれていないけど思われていたかもしれない(ブラとTシャツの順番逆なのかっこいいな)。 肩紐が落ちるのを直すのはセクシー所作。肩と耳で電話を挟んでメモ取ったり、波止場で片足かけて水平線を見たり、風に導かれて振り向いたり、どこか過剰な所作をするとき、その作用に巻き込まれそれっぽさに高揚する。

2023/07/03

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あいちのラーニングプログラムのエクステンドな活動「 勝手にzine(仮)」のミーティング。当然のように集まりが継続している。あいちの展覧会からもう1年が経つなんて信じられない。プロフェッションが無くてもアートができるということの証明がわたしたちかもしれない。プロと素人とかじゃ、だんだん無くなっていく。わたしがいくつかの要点においてポンコツだから、ちょうどよく呆れられているということなのかもしれないのだけれど。とにかく、誰かが誰かをおだてあげる必要は全く無いのだ(←真面目すぎるハム太郎)。 参加メンバーのなるさんが「アートはアーティストが神業的に作り出したり行ったりするものだと思って私はそれを享楽していたけど、そういう側面も引き続き持ちつつ、しかし違う付き合い方もあるよな」的なことを言っていて、ほんと救われるよ…とおもった。測って挟まって抜け出してる!それにわたしまで連れ出してもらってありがたや、ありがたや。いいひとたちの集まりで、いつもみんなに助けられている…本ができたら名古屋でパーティーしたい!!! タレンティーに振る舞ったりプロデュースされたりすることで個人が神格化する流れ。資本主義×新自由主義の強火世界で、「勝手に」の活動のフォーカスであることのひとつ「挟まり」は癒しというか薬というか、そういう感じかもしれない。SFにはいつだって戦争、差別、飢餓、階級があり。そうじゃない世界を想像する必要があり、そのためのステップ。みたいな。 癒しといえば、「オナニー」が寂しさや情けなさや慰みを貶すニュアンスを含んだ罵倒の形容詞として使われている一方で、「セルフプレジャー」は自分を癒す特別な時間として(大体女性の)オナニーを呼び変えている。あなたの作品はオナニーだ、というのと、あなたの作品はセルフプレジャーだ、というのと。全く世界観が違う…フェミニズムは土を混ぜて豊かにする豆科の根っこ。。

2023/07/02

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みぽりんとこのちゃんと下北沢で遊んだ。このちゃんはみぽりんの子ども。このちゃんは全部をオモロくしようとする。見習いたい。オモロくしようとするのでそれに着いていくので必死だし、見失ったらすぐ何かあるんじゃないかと思って怖くなる。古着屋を見たりもしたのだが、みっしり服が列になっているのを活かしたプレイで早歩きで撒かれる。遊ぶのが上手い。遊んでもらうのも上手い(居なくなると探すというのがバレている)。違う人間が、違うモチベーションを持ったまま一緒に行動することの根源的な不可能さを思い知った。その不可能さがケアだ。みぽりんが買い物に集中できるよう、このちゃん追いかけ役をやるタームも楽しいものであったが、みぽりんが「このちゃん一緒に見てよー」と誘ったのをみて、みぽりんは継続的に――今日だけでなく――自分の時間を作る方法をこのちゃんごと探してるんだなと思った。それがみぽりんの子育てであるし、みぽりんが制作でしている「絵の中にある光のバランスを作るようなこと」を考えているのと同じ人のやり方なんだなあと勝手に納得する。この手の元で起きることの全部が、なるべく無理なく無駄なく素朴に楽しく不安定なままに保持され成り立つよう、反応を与え合うさまを作るような。労働や、あるいは趣味でもいいが、とにかく身を浸す時間の長い生活の中で身につけた語彙から実感は作られる。みぽりんの制作はきっとそういうものなんじゃないか。とか。 子育てをしている人を、大変かなとか思わずにどんどん誘ってしまいたい。このちゃんに、「たまにママお借りしますけど、このちゃんも来たかったら来てもいいよ」というと、やったーと言ってた。みぽりんもやったーと言っててかわいかった。 私が思うアーティストのサバイブというのは、儲かる儲からないはさておき、自分が作品を作っているひとなんだと周りの人が認識しているとか、作品を発表したり、制作をしたりすることができるとか、作品の話ができるとか、そういうのが続くことだ。female artists meetingはそういうことのためにある。なんかしたいよー。つがちに連絡しよう。 服屋もういいさすがに公園に行きたいよ〜となり、Googleマップに従って最寄りの「どんぐり公園広場」にいくと遊具がこのふたつしかなく、「遊具がないじゃん」とこのちゃんが号泣して申し訳ないがめちゃ面白かった。みぽりんが「都会

2023/07/01

 今日知った英単語 wonky (不安定)。言葉の聞き取れなさ。耳と脳が切断されているよう。 夕方に、PARADISE AIRの廊下でジェシーに声をかけて少し話したあと――自分が言いたいことは、頑張れば少しは言えるのだ、時間がかかるにせよ。相手が聞いてくれるからだが、――なんか色々と今日この後どうのこうの………というようなこと、多分素敵なことをジェシーが言ったが、彼女は彼女で癖のある喋り方をするのと、わたしの聴く力ではもう到底聞き取れない。 「ごめん、わたしまじで全く聞き取れなくて」 と申し訳ない気持ちで返事をすると、 「ごめんそんな、私が言いたかったのは、ただ、今日をいい気分で過ごしてねってことなんだ…」 とめちゃディテールを削いで、ゆっくりとジェシーが言った。 これはわたしがわたしのしかたで受け取った、彼女がわたしにくれたやりとりの一端であって、わたしは受け取ったままに日本語で書くしかない。一人称たる〈わたし〉という在り方は、言葉や世界の常に端にあり、そこはもう諦めるほかないけれど、それをこうして書き留める。実際に言ったのと異なるにせよ、言葉を挟んだあちらとこちらが分けられているのだから、わたしの聞いたのはこうなのだ。言葉(や作品)を介して一度まとまり(H2Oの分子のように)、そのあとで裂した一端、〈わたし〉の元で再現されるもの。表現するよりも見る方が大変、話すよりも聞く方がしんどい、聞いてるふりはできても。その場にいることが何かであることもある。応答。

2023/06/30

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switchとゼルダを買った。盾で弾き1.2.3回切って振りかぶって4コンボ、的な頭で考える。ゲームに身を浸してる人たちの言語感覚が面白いから、わたしもそういうふうに考えてみたい。 インプットとアウトプットの短さ、もっと反射的に手がカチャカチャやるくらいになりたい。最近の身体操作の中で一番面白い。時間を無駄にしてる感じもいい。なんかを投じてる。 小山君にmii作ってもらった。小山君がひとの顔描くと全部ミステリー顔になる。これが私の印象ってこと?と聞くと、アクティブ要素は消えてるけど、とのこと。

2023/06/29

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猛暑木工。心頭滅却という想いを掴みやすい熟語にしてくれてありがとう。むかしのひとも暑い寒いは辛かった。 足首を蚊に刺された。冷凍庫の匂いがする固いソフトクリームを食べた。まずかった。テイクアウトできるいいアイス屋さんが帰り道にあればな。こうして身体が夏になった。 5割くらいのお腹のすき具合がいい気がする。胃の空いてる部分に、自分の意見が反映されている感じする。排泄欲なのか性欲なのか判断がつかない。ものすごい明らかに性が滲んでくるときもある。何が食べたいのか。コンビニに売ってる物の中から選ぶのは困難に思う。だからって一日に何回も料理するのは考え難い。臓器の気持ち、自分のしたいこと、全てよくわからないでも生きていけるんだよな。