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8月, 2021の投稿を表示しています

2021/08/31

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  小山さんに二枚貝の化石を握らせてもらった。ボツボツが手のひらに跡を残して( 1 億 5000 万年前の貝の形が!!!この身体!!!跡が!!!!)、身体があっつくなって、興奮して叫びそうになった。なにか別の生き物やできごとの痕跡が私の身体に跡を残す。そういう体験をたくさんしたい。それを記録したい。嬉しすぎて怖い。化石はやばい。

2021/08/30

  昨日まで金沢、その前は対馬にいたというのに、いま大学でなんなく働いてるのは本当に変な感じがする。夢の中の出来事みたいだ。 7 月の賢い自分が疲れを取るために 8/30 まで休みを取っていたのに、 8 月末の私は愚かしいことに、休日出勤をしてしまった。 めちゃくちゃ疲れて、でも幸福な気持ちでぼんやりした日を過ごした。家に帰ってきたということがこんなに楽しいとは。お土産に海で拾ったイノシシの奥歯をKにあげた。子供が一生懸命描いた歯の絵みたいな形だと言っていた。

2021/08/29

  長距離移動に加えて人に会うのが続くとヘトヘトになるので金沢へ行く前に新大阪に一泊( 8/28 )。駅直結だったので、落ち着いていて若い感じの洒落たコンセプトホテルに泊まることにした。寝れればいいのに少し高い気もするが、もう選ぶ気力もないのでゴロゴロとスーツケースを押す。小さな薄明かりの部屋にガラス張りのバスルームがついている。夜景も見えるが、夜の風景というだけで別に綺麗とかではない。綺麗である必要もないけれど、なんとなく、この雰囲気の高層ビルのホテルならば夜の景色ではなく夜景が見えてもいいじゃないかという気持ちになった。夜の景色。普通で安心した。チェーンロックみたいな鍵を扉につける。 (8/29) 朝。起きたはいいが完全に寝坊していた。長距離移動なので諦めもつく、しかたない。寝坊は仕方ない。ここのところ徹夜気味だったし。連絡を入れて歯を磨き、スーツケースを押してエレベーターにのる。特急電車で 3 時間。電車の中で対馬の作品のテキストを書く。どこへも行けないで椅子に張り付けになり、移動しながら過ごす 3 時間。すごく仕事がしやすい。 金沢。「ストレンジャーによろしく」という展覧会を宮崎さんにアテンドしてもらい、みんなの作品を一通り観た。アンザイさん、ホッタさん、タカハシセンさんの作品が気になった。漢字間違えるのもいい加減にしたいのでカタカナで書くこととする。アンザイさん、川上君、ホッタさん、綱川さんの四名での展覧会を企画したいと直感的に思った。企画書を書いて口説きに回ろう。しかしそのまえに、 11 月末にめっちゃ広いところで個展がある。その前まではなんか色々思いついても手を出さないように気をつけないとだ。

2021/08/28

今日オープニングの日のはずだったけどコロナで延期になった。作品もまだ遠隔で少し修正できる。バッファが不規則に出現することだけはボーナスみたいに感じるけど、スッと始まらない怠さとかはずっと修正したくなっちゃうからよくない。締め切り means 締め切りだ。「本当の締め切り」というのなんかはあてにしない方がいい。展覧会設営とかに区切りをつけて飛行機に乗った。服やポーチに入れてたライターが仇となって荷物検査でスーツケースをひっくり返す羽目になった。こういうあたふたとしたうまくいかなさにひっぱりまわされてばかりだ。自分の深層心理には、そういうのを望んでいる節さえある気がする。なんなんだもう。とにかく飛行機にのって、その中でこれを書いている。 四年前、バーベキューを韓国のアーティストたちとしているときに岡田君からメッセージがきた。コジコジ読んだこと、ジェットコースターみたいだったこと、ぼのぼのとも似ているけどそれならぼのぼののほうが好きだということ、蕎麦を一緒に食べに行こうねという約束をした。その次の年、そのまた次の年、次の年、今年と対馬の滞在と夏を数える。岡田くんと蕎麦食いたかったんだけどね。対馬と岡田くんとがわたしの目の中で交差していて、そういえばいつも対馬ではふとしたときにそっかあという感じで気づくと霧が立ちこんでそして通り過ぎていった。福岡に着いた。めっちゃ都会でなんかびっくりした。

2021/08/27

朝 買い出しのため厳原へ行き、その途中でボートの作品を見た。ボートの作品がよくなっていたのでがんばろ〜と思った。スプレーを吹いた。ビギナーズラックがあるかもしれないしいろいろやっちゃおう。ムードの破壊。をしながら、タイトルを考える。作品にタイトルつけるのは楽しいんだけど、作品を名指すためのタイトルにしては大体の場合長すぎるものになるのでわたしのはタイトルと呼ぶのは合わないような気もするな。じゃああのテキストは一体なんなんだろう。

2021/08/26

作品終わるだろうか。といいつつまた鍵本さんと探検に行く。石黒さんが鋳造をやるのでそれにかこつけてバーベキューをした。ブロワーのあるバーベキューをはじめてやった。ブロワーのスイッチを軽押しして火の調節をしている。なんか可笑しい。外にいるとよりよくわかるけれど、虫は光に狂っているんだな。光の方に生を掴んで、吉方!恵方!って感じに窓を体をぶつけているんだとしたら冷静じゃなくてほんとうにかわいそう。この先に進めるはずだと思っているんだろう。虫たちが夜眠るように進化する未来だといい。虫は怖いし。バーベキューのあとアルミ鋳造のショー(ではないけど、火花がヒラヒラ上がって美しかった)。アルミ缶を燃やす。頭がバカになるガスがでて、バカガス!バカガス!バカガスフィルター(マスク)つけな、といって黒田さんと三原さんと吉松さんとふざけていた。享楽と制作に戻るバラバラさが心地よい。 後藤さんと匡さんがきて、家に高貴さが香る。それは生ハムの差し入れが来たからと言う理由だけではない気がする。カップルの充実した旅行に居合わせて、これ食べる?とか二人の間で取り交わされる会話の聞こえる席に座る妙な居心地。親密さが食卓に広げられるようや豊かな感じがした。

2021/08/25

 粘土やりまくった。対馬で売っている紙粘土はもうありえないほどべちょべちょで、ちょっと無理だなって感じだったけれどやってみる。紙粘土。ここで手に入るものとこの素人的手つきと思考のこねくり回しとでギリギリ成り立つ作品空間になりそう(成り立たない場合においても、それでも展覧会は始まる。恐ろしい。)

2021/8/20_twitterより(集まるとか集めるとか)

 2021/8/20にツイートした、 荒木夏実さんが執筆した記事 についての意見をここにまとめておく。誤字脱字等について修正した部分もあるし、所々大幅な加筆をしています。 元ツイートのスレッドはこちら --  荒木夏実さんの記事読んだ。荒木さんが指摘していた、天皇制を掲げた男性ばかりのグループ展に紅一点的に配置した在日アイデンティティをもつ女性という構成は、椹木さんのジェンダーへの関心の無さなんかではなくむしろ計算し尽くされた(かなり嫌な感じの)キュレーションなのでは。と思った。  (2021年2月号の美術手帖の特集にあった当該展覧会の参加作家座談会の記事では、ほかの登壇者と比べ李晶玉さんばかりが(自身の危険を伴いながら)フェアでない役割を担わされているように私には思えた。 ほかの人が経歴を背負ってきていることに対して、わたしには李さんが「多様性枠」的なものをひとりで担わされているように思えて仕方なかった。アイデンティティばかりが目立つ構成になるのは、もちろん本人ではなく、構成する側の配慮の問題だ)   「集まると目立つ」とか、コレクティブを紹介する展覧会に女性が取り上げられないことを指摘するなかで、「グループとして活動する女性は少ない」と書くということに対して、キュレーターのリサーチが明らかに足りていないことに由来する問題を、アーティストになすりつけている?!と思った。 選ぶ選ばれる的な権力構造の強化ばかりがキュレーターの仕事でないにしても、 それでもキュレーターが選ぶ側をやるという役割を担っているのならば、アーティストが作品を作るように、美術史家が過去の時代を研究するように、 キュレーターは同時代における人事的リサーチをまじめにやるべきなんじゃないのかとつくづく思う。ていうか、美術とかムーブメントとかにたいして、キュレーターとははたしてそんな外野的な立場なんだろうか。(違うよね?!)   女性は集まっているし、リーダーシップを取ることや集まることと女性は親和性無くない。集まることにジェンダーは関係ない(全く関係ない)。 女性たちの集まりについては2021年美術手帖8月号の内海さんの論考を読むとよくわかると思う。 それぞれの活動をひとつひとつみれば「グループとして活動する女性は少ない」ということにはならないはずだ。わたしたちは集まっているから。  荒木さんのテクス

2021/08/24

   対馬に初めてきてから5年が経った。5年も経つと、最初の年に会った時小学生だった子が高校生になっていたりする。集落の外へ出る欲望と機会とに折り合いがつかないとか、なんかとにかく辛そうという噂が聞こえてくる。久しぶりに会うのでどう話し始めたらいいかなと伺っている感じがして、大人になったんだなと思ったとNさんが言っていた。 よそからひとが来て、映画とか音楽とか普通の絵画展みたいなものとかを選択して受け取ってゆく文化機会をすっ飛ばして現代美術(的なもの)に触れるってどんな感じなんだろうか。夏になると家の隣に美術家という人たちがやってくるのだ。うーん奇妙。  私の経験をもとにするならば、現代美術は意識してから触れることになるような、「知らないと見れないもの」として位置付けられる。もちろん知らないうちに受け取っている可能性もあるけれど、ばらばらのことがたくさん起きるような人生において発生した感性をすべて現代美術や作品の成果に結びつけるというのはおかしい(だから、 目[mé] のするような表現や主張は私にとって到底受け入れられるものでは無い)。パッケージングの範囲を見誤り、成果として手の及ぶ範囲を超えて責任の持てない「あるかもしれない(無いこともありうる)」に言及するのは、「無いことも含めて観察せよ」というときの「あるのに見えない自身のバイアスを取り払うためのイントロダクション」とは異なる。「あるかもね、でも無いかもね、あったらいいね(あったらいいね、にディレクションが切られていることが問題だ)、素敵だね、素敵な出来事はこの作品のおかげで起きたのよ」というようなことは、なんかすごい仕掛けのある作品というわけでもなく、範疇をただ単に見誤っているとしか思えない。  わたしの現代美術の原初体験は予備校に置いてあったシンディ・シャーマンの作品集であった。ふざけたひとだなあと思った。シンディ・シャーマンの作品を知れたことから私の人生はかなり変化してきたように思うけれど、素朴さや無知とアートの重なり合いが鍵となって人生の水路が開くような体験は、作品がきっかけになったとしても作品とわたしとの間に起きた私の変化であって、シンディ・シャーマンの作品の中に含まれているわけでは無い。私の人生をシンディの作品に明け渡す気は一ミリもない。私の人生におけるある部分を明け渡すということと、例えば作品を所

2021/08/23

 今日は買い出しの日。島中の紙粘土を買い占める。それぞれの店に夏休みの宿題にまだ手もつけていない子供(対馬の子供はめっちゃ少ない)のために2つほど残して、あとは全部買ってきた。28に出発しないといけないけれど、作品の完成度は50%くらいで、またやってみたいことも思いつき、ある集まりの逃れ方と集まりの作り方とかをここに住んでいる、もう来なくなってしまった5年前は小学生で今高校生の女の子が見るかもしれないというような、でもみたら何かになるかも、手助けになるかも、そんな内容の作品を後2日くらいでもし作ることができたらとてもいいなと思う。できるかな・・

2021/08/22

 少しだけ晴れて外を歩けそうな感じになったので作業場へ。会場へ行くと事前に考えていたことが考えからアプローチへと具体的に立ち上がってきて、素直にやる部分が見つかるおかげで飛躍のキャパを押し広げることができる。大学の同級生の長崎リサちゃんのバンド「このよのはる」のステイトメントに「空間が大好き!」と書いてあったのを昔読んで、その大好きの対象範囲のでかさに何をいっているか当時さっぱりわからなかったけれど、展覧会をやろうという時にそれぞれの固有の空間が与えるアイデアの急激な変化みたいなものの中毒性はまじでやばいと思う。場所に思考が巻き込まれて、場所が作品の形を決定するみたいなこのプロセスが私も大好き。部屋を決めて、やってみようと思案していたことを会場に照らしてみて組み替え作り直す。私の制作は大体そんなふうにしてやっているな。どこか後から追いかけるような感じ。

2021/08/21

かき混ざった家、台風。全然寝付けなくて結局朝6時くらいに就寝し、13時に目が覚めた。みんな仕事しに展示場所へ行っている。今日も泳ぎに行こうと思っていたけれど到底無理で、さあ今日はどうしようかなという感じ。頭痛い。作業したり寝たりしながら「山二つ」のオンラインライブを見る。プロジェクトで使っている住居スペースには廃墟を自力で改修した家と、空いている家を家具とか食器とか仏壇まで全部そのまま貸してもらっている家とがあって、私は後者に暮らしている。畳が所々沈む。水たまりを避けるようにして柔らかくなっているところを避けて歩く。家の中をカニが歩いている。急に動いてきて踏まないか不安。かにも怖がっているような感じで廊下の端っこを歩くので私はその逆側の端っこを歩く。なんやねん・・対馬の滞在の日々はいつもえ?あれ?おや?まあいいか、と様々な環境を了解しながら過ごしていく。

2021/08/20

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 昼に起きてちょっとご飯を食べて海へ。長袖長ズボンのスウェットスーツ的な水着を持ってきたのでそれでうろうろできる。対馬は石でできた島で、土壌がえぐれていて山の端っこと海岸がくついている。断崖みたいになっているところは薄く割れるような石が山から飛び出しており、海につづく部分は雲に撫でられたような岩がたくさんある。足音がごろごろとする。足音が石になっている。歩くのに飽きたので泳ぐことにする。荷物を置いてサンダルを脱ぎ、海に入ってゆく。ラボから借りてきたGoproを恐る恐る水中に沈める。泳ぎながら撮影する。ヘッドマウントを部屋に置いてきてしまい、しまったなーと思いつつ、泳ぎながら手持ちで撮影する。脚だけですすむ。足のつかないところまで行くと少し水が冷たく、海底を蹴りに行くために頭を低くする。地面よりずいぶん低いところに頭がある。小さい魚がいる。ゆっくり浮上して、カメラをラッコのようにお腹に乗せて背泳をする。ああ泳いでいる時のことを書いていたら泳ぎたくなってきた。泳ぐのに疲れたら浜に上がり荷物を持って歩く。鳶がものすごく近くに転がる切り株の根降り立つ。入江の石の浜の、勾配が緩やかなところには苔が生えていてそこにだけフナムシがいっぱいいる。またちょっと泳いで、二時間くらい海辺でいろいろしたら散歩しながら体を乾かした。急に声をかけられて「どなたですか、知らん人がいるなと思って気になって」と聞かれる。どういう意味だろう(まあコロナとかもあって知らない人が村にうろうろびしょ濡れの体で歩いていたら、まあ変な感じもするか)と思いつつ、うらです、アートの・・というとああアートの!と認知してもらえた。広島のアートの学生さんね、と言われる。いや29歳なんです、うらです、神奈川に住んでいます、というと、ああうらさんちゅうのね、みんなでバーベキューしにおいでよアートのみんな連れて、と言われたもののコロナ対策でまあまあガチガチにやっていることもあって、そうですね様子みて(いけんけど、気持ちは受け取る、サンキュー)みんなと話してみますと伝え、そうねえ色々(コロナとか、コロナとか、コロナとか)あるけど楽しんでってねと副音声的なレイヤーのあるやりとりを交わして犬を撫でさせてもらい、少し遠回りして歩いて帰った。

2021/08/19

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対馬。コロナで一年延期したので2年ぶりにきた。対馬アートファンタジアは今年で10回目で、私はなぜか4回目の参加。働かない(金も出さない)スポンサーみたいなふりをしているなぞのひととかをはじめとした厄介さによっていろいろ対応して変化しながら、黒田大スケさん(スケの字がいつも間違えられるからいっそカタカナにしようとしているらしく、黒田さんのそういうところがとてもいいなあと思う)を中心としたアーティストたちが運営を行なっている。 もろもろの契約から資金集め、アーティストの選定、インストール、広報、翻訳にいたるまですべてをDIYでやるありえないすごい企画で、離島でやり、アーティストとして自分の活動の中で知り合った国内外(おもに日本韓国中国の交流を国境の島でやるというやつなんだけど、それぞれのパートナーがドイツの人だったりバングラデシュの人だったりカナダだったりして家族でやってきたりするから結局いろんな国の人がいることになる)のアーティストを対馬に集めて、自力で改修した元廃墟の物件にて共同生活をおくりつつ滞在制作をして、展覧会をつくっていくというほんとうにまじですごい企画。 これから九日間は対馬にいる日記になる。 対馬へ行くとき今までずっとフェリーに乗っていたけれど、飛行機もすごくいい景色だった。景色がいいといろいろなことが大丈夫な気持ちになる。

2021/08/18

 パッキングをした。買ったスーツケースが大きすぎて詰めるものがなく荷物がぐちゃぐちゃになるのを避けるためにスーツケースに空き箱を詰めたりした。明日わたしはアマゾンの空き箱の入ったスーツケースを引いて移動するのか。ラボの冷蔵庫には何も入っていないのにずっと空間だけが冷やされている。そういえばラボには 2 週間くらい誰も立ち入ってないけど、大丈夫だろうか。虫とか。草とか。  マイカさんに相談したいことがあったので自宅に招き、一緒にやりたいことを話した。ピザを食べながら自分の馴染みの場所が廃墟になった話も聞いた。誰もいなくなると日光が強くなるのか酸素が濃くなるのか、何であんなに太陽で日焼けしぼさぼさした感じに建物が変わっていくんだろう。かき混ぜられていない場所の停滞した空気のあのありありとした感じはなんなんだろう。  Twitter のスペースで短歌とかやってるひとたちが喋っていて、「はやく片付けろ」とかじゃない言葉を使っていいということを知って嬉しかったことがありそこに現代詩の良さがあると気付いたと話していた。絵を見るように言葉を聞いてほしいと言っていた。絵を描くように言葉を書きたいということなんだろうか。そんな話を聞くたび、このひとは絵を描いたことあるのか?と思う。

2021/08/17

   歯医者の予約を飛ばしてしまった。またしばらく通えなくなりそうなスケジュールの中でのこの失敗はわりと痛手で、数日中にやばいことが起こる可能性があり未来が恐ろしい。やばめの痛みの到来が確定しているルートに入ってしまった。今日のことを書きながら未来のことが書ける。痛みと約束が結ばれた交差点には欠けた歯がある。その交差点にまっすぐ向かう道をひた進んでいる。。  時間ができて、やっと雑誌の入稿をすませることができた。ゲラで作った時はリズムなく詰め込みすぎなレイアウトだったことに全然気づけなかったけど、長い時間向き合う(なんとじぶんでもうけた締め切りから一か月もためらっていた)うちに雑誌に必要な要素がわかってきて、必要なページを自炊したりした。入稿したら、あとは発送を待つだけだ ( 雑誌のできあがる未来のあるルートに突入 ) 。約束は他所があって発生するのだとすればわたしの失敗は他所にあり、できごとにたいして点を打ちリズムをとるみたいな。できごとで分岐していったり、展開のあるカノン、というアイデアが浮かんだ。

2021/08/16

  コロナのことがすごく不安になってしまってねむれなくなり、 5 時くらいまでひとしきり色々な手続きとかを調べて疲れて眠った。起きると日が落ち始めていて、最近毎日こんな感じだな。毎日がっかりする。そろそろ改めないと、といういつものおまじない…。 飛行機の予約、飛行機の予約、PCR検査の予約、抗原検査の予約、新幹線の予約、残高の確認、スケジュールの確認、約束の返信。未来の行動にガイドをひくような事務作業。今をなんとなく蔑ろにしている気がする。短い昼寝をする。 カブールのニュースをみてびっくりして、イスラム圏のドラマとかアニメをみたあと「フルメタルジャケット」をみた。何も言ってないを結晶化させるハートマン軍曹役のひとは役者ではなく演技指導できた軍人らしい。本物のひとだ …ツイッターで 飛行機と並んで大勢の人が走っていく映像もみた。

2021/08/15

ホットコーヒーを淹れて事務作業をする。クラシックピアノ曲のジャズアレンジみたいな曲が流れているのでおやとおもってキッチンを見ると、キャンピングチェアが広げられキャンプみたいな感じになっていた。 怠いのは生まれた時からずっとなんだけど、もういよいよこれはコのつく病気に罹るかなという予感がする。確率からいってもかかるだろうという気しかしない。毎日だるいし寒い。面倒でしまわないでいた冬用の羽毛布団が活躍しているのが嬉しい。

2021/08/14

 井の頭線で同じ車両の遠くの方で女性が小さく叫んだのを聞いた。何かあったのかわからなかったし、周りの人もそわそわしてはいたけど特に何もなさそうだった。電車の中は人が重なっていて何も見えないので、他の人の動きから、何が起きているかを予想するしかない(間接触と仮に言ってみるが、誰かがもう用語を当てているんだろう) 。本当に何もなかったんだろうか。数日前の事件が思い起こされるようでちょっと怖いなとおもった。電車に乗っている時は自分の誰でもなさが強化される。風景になる。そういえば子どもの頃、雑踏という言葉を見て、これは都会の言葉だなと思った。

2021/08/13

不調だったPCを2週間休ませたらバキバキに回復していた。もうこれ以上私も休めなくなってしまって、カレンダーを手書きした。休めないぐらいまで休んだ。もうほんとにギリギリ。書いて現前させてこれだけのタスクがあるのかというのを量として把握すると消化のゲームみたいになる。ノートを書くとそれだけでやった気になれて、やりたくないことを遂行するイメトレになっていい気がする。こんなことを書くと意識めちゃ高い感じがするけど、そんなことなくて、もうほんとうに怠惰で、だるくてだるくて、ほんとどーしたらいいんだろ。どうしようもない怠惰さに巻き込まれて、がっかりしている。怠惰さはつよ〜い他者だ。

2021/08/12

 「物語」なるもの全然興味ないな。小説は好き。つまり単にストーリーでなくて、「物語」とかいっちゃうときのなんかやったるぞという仕草というかが恥ずかしい。なにかあるとすぐ「物語」だとか言い出すひととはたいてい話ができない。 とにかく歯が痛い。顔の右半分が痺れたように小さな振動を伝え合い、パチンコのドアが一瞬空いた時に聴こえてくる滝壺みたいにザーザーいう銀色の玉がおちる音の氾濫がまさにわたしの顔面の下で鳴っている。そのイメージが顔の皮膚の下で繰り広げられている。何をするにも痛い。歯を噛み締めると振動が無くなる。若干マシになるけれどそれはそれで別の、じんわりとしたような感じで、痛さが漏れてくる。治療中のところだけじゃなくて、その周りまで痛い。痛すぎて知覚が受けきれない痛みを他の知覚のツボ?とシェアしてんじゃないのか。

2021/08/11

 たくさん寝た。小学生のころに同級生からされた嫌なことの夢をみてびっくりした。すっかり忘れていたのにどうして急に思い出されたんだろう。あの頃は毎日長くて、なぜかうしろめたいような気持ちだったことを覚えている。まあそれでも、そこそこ楽しい日々だった気がする。とにかく一日が長かった。 ヨーグルトを食べながら、勉強になるかと思って他の人がやったWSの記録映像をみる。子供向けのものだ。全8回のうち1回分だけしか見れなかったが、ジェンダーについての説明が挟まり、いやその言い方あかんやろと思って企画者に意見をメーした。すぐに返信が来て、事前に言っていたことと違うことをされたということだった。複数人が関わる時に起きうるエラー(?)。 散歩して、フォーを食べて、夜は「広島・在日・ジェンダー」のオンライン講座の録画を観て、その感想をシェアするzoom。よき友達がいてまじで捗る。20代後半はこれに尽きるかも。よき友達がいてまじで捗る。

2021/08/10

日のあるうちは散歩行って空眺めたりとかなりのんびりしている。やる気が出てくるのがいつも夜中だ。重たい作業じゃないのになぜか時間がかかってしまって久しぶりに徹夜した。16:00まで寝て、ご飯食べて散歩してご飯食べて散歩して3amくらいに寝る。寝てばかりだ。犬のような生活?夜は猫が多い。虫も多い。猫になり〜たい〜という歌ををコンビニで耳にして、さらりとした心地でわー気持ち悪いなあと思った。

2021/08/09

 昼夜逆転が始まる。自炊も高まってくる。夏休みの生活に慣れてきた。昼に起き、ご飯を食べてPCを開いてネトフリに直行する。毎日のルーティンとなっている。大体まず「僕のヒーローアカデミア」をみている。みんなが何を言っているのかちゃんと聞き取れて声優すごいなと思う。というか、画面を見なくてもセリフで全部説明されている気がする。流し見しても全然何が起こってるのかわかる。発声の技術によるストレスのなさ。発声の仕方で低中高の音域の操作をして声をマイクに平坦に入力しているのかもしれないなとか思う。「この国には象徴が必要だ」というすごいセリフが聞こえてうおぉっとなる(前にも書いたっけ)。8月だね。 こないだ川崎駅でサッカー選手のインタビューの録音が放送されていたが、何言ってるんだか全然聞き取れなかった。オリンピックがはじまり、そしておわたねえ。

2021/08/08

 友達との久しぶりの遊びの約束をスキップした。昨日に引き続き。本当は都現美に行く予定だったけどやめた。打ち合わせとかがない状態で友達と普通に遊ぶのかなり気がひける。はやく予防接種を受けないと。 小山さんにボイス+パレルモのカタログを買ってきてもらった(わたしもそのうち行かないと)。気立のいいコヨーテを連れてきたキュレーターがいたんだろうねといっていて、とてもいい響きでおどろいた。「気立のいいコヨーテを連れてきたキュレーター」。そのキュレーターの肖像を描いてみようと思った。たまに、絵を描きたいと思う。 夜に散歩に行った。お化け見たことあるかとか、UFOみたことあるかとか話しながら歩く。川辺に立っていたはずの絵とか工作とかおもちゃとかポスターとかでいっぱいに埋め尽くしてデコっていた奇妙な感じの民家が取り壊されていた。ずいぶん前から人は住まなくなっていたようだったけど、建物まで無くなってしまうとは。取り壊されたところには深緑の薄い葉っぱをこんもりつけた低木にラッパみたいな白い花が咲いている。セブンイレブンの看板の光を受け取ってぼやっと白く光っていた。デコりの怨念だ、と思った。これも絵に描こうかと思ったが、怨念みたいなものが強すぎて絵を描いてしまったらやばいかもしれない。もう一度見に行ってから決めよう。 調べたらあの花はダチュラというらしく、夜に花が開くらしかった。吸引すると種子に毒があって幻覚作用とかもあり、かなり危ないとのことだった。たしかにそんな姿ではあった。

2021/08/07

 友達の誕生日会をスキップした。近いところでコロナになった人がいて、もうできる限り遊ぶのは控えようと思って。PCRを毎日できたらいいのかも、と思ったけど、夏菜子(ももクロ)が毎日PCRして陰性でもかかったから意味ないのかもしれない。とても不安ですね。対馬に行けるのだろうか。行く気持ちがかなり減ってきてしまった。 対馬って名前の人が小田急の電車の中で通り魔をやった。幸せな女性を殺したいって言ってたらしくて、そんなひとにまで女とか男とか冷静に見た目で判断されて、本当に嫌だな。通り魔をやるようなひとが、わたしの日記を読んでいたら、なにを思うんだろう。何も思わないんだろうか。何かを書いているというわけではないけれど。。

2021/08/06

 打ち合わせ。前に言ってたアイデアからガラッと変えましたと話すと良いじゃん!!!!みたいな感じだった。首の皮一枚繋がる心地。中高生向けに、パーティーの作戦会議をするという内容。前に言ってたものと全然違うけど、こっちの方がいい気がする。ジェンダーにまつわるものに絞ってやってみてもいいのかもしれない。 花の香りがするサラダを食べて、そんな考え方をしたことがなかったから驚いた。中国語(上海)を教えてもらった時には口の中の空間の広さを感じたものだが、花の香りのサラダも同じように感じた。食欲もあまりないことだし、飾りみたいなご飯を食べたい。

2021/08/05

 読書会をして、歯医者へ行った。虫歯が新しく見つかって、自分の歯が少しずつ違うモノに置き換わっていく。削られて半分違うものになったり。一回性の強いものを大事にするみたいなのって焦る。差し歯とかインプラントとかを調べてみて、芸能人の歯事情みたいなまとめサイトをみつける。言及されてるのは全部女性だった。歯列矯正をデコるやり方があるらしい。ジョジョに出てきそう。

2021/08/04

山川さんが帰って森さんがきた。広い空間を広く使うアイデア。なぜか新鮮に感じた。いい悪いの判断は先送りにして、他人から出るアイデアにはできるだけ全部乗っかるようにしているが、デカイことはいいことですからね〜とテキトーすぎるコメントをつけて小さいものをでっかくする準備をしてしまったりして、なんかイキった感じになっちゃって後から恥ずかしくなる。別にデカイことが直接そのままいいってわけじゃない。でかくすると楽しい感時がして、その楽しさに巻き込んでもらってアイデアが湧いてくることもある。そう言う意味で、デカイことはいいことだ。 長谷川さん最終日。この3日間はなんかずっとうっすらエヴァのことを言ったりしていて、中学生の頃みたいな微妙なノリの軽さになっていた気がする。

2021/08/03

 長谷川さんと山川さんがラボに滞在している。その二日目だった。サイゼにも二日連続で行って、夜お腹が痛くなる。外食すると疲れが溜まった状態で固定される感じがする。個展のアイデアを話して、いいんじゃない?!みたいに言ってもらう。いやもっといろいろ話せたけど、相談というより依頼がしたいと思った。公開でアイデアを交換するのはいいと思った。4時間オーディエンスを囲い込む。 有名なひとと話したいみたいな、変な感じのひとがいる。仕事というよりも肩書きで人を見たりする、そういう人はだいたい、有名なひととの間にいる窓口となるスタッフとかにはわりと無礼で、大体つまらないアーティストもどきみたいなものである場合が多いんじゃないか。逼迫しているっていうかんじもあるけど。 嫌な感じのひとを通せんぼするのも嫌だけど、気の合わない人と喋らないで済むには、開くことを諦めないといけないのかな。やだなー。嫌なことを嫌だということをせずに、素朴な優しさやら粘り強さやら使命感やらのごちゃまぜによって、アーティストとかキュレーターとかはサービスでやってしまいがちだということをみんな知らない人だって友人として理解し承知しておいてほしいなと思った。 死の予感イベントのアイデア。ファイナルデスティネーションを傍で流しながら、危険機材や設営時の防災を学ぶWS。

2021/08/02

ドラムコードを巻きっぱなしのまま使うのは火災の元だと聞いて、恥ずかしながら知らなく、そんなことも知らない人が施設の管理なんてやっちゃいけないと思った。火災関係の講習に参加しよう。それで、以降のラボのスタッフは全員必ず受けるようにしてもらおう。リューターに髪の毛巻き込まれているのを自撮りしてインスタグラムにアップされているのを見て本当に血の気が引いてしまって、めちゃくちゃ怯えた。ファイナルディスティネーションのような死の予感がずっとし続けて、落ち着かなくなってしまって散歩に行った。途中でサッと雨が降った。 薄い雲が全部雨になって地面に落ちる。空がすっきりして火星が見える。小さな田んぼがある真っ直ぐな道。静かに歩く。

2021/08/01

展覧会へ出かけるのを我慢し、諸々の作業をする、と見せかけて、昼過ぎまでタスクの重さに落ち込んで放置していたリンゴを剥いて煮たり草をみたり最終的にただ座ったりしていた、と見せかけて、実はお腹が減って動けなくなっていただけで、フォーを食べに出掛けて帰ってきたら4時間くらいで二つ終わった。歯医者の予約をして、できないことをできないと前もって伝えた。まだいくつかやらないといけないことがあるけれど、まあ今日はひとまず労る権利があるところまではきた気がする。動けない理由を発見して解消すると全部動き始めるようだった。歯医者の予約をしたら急に歯の痛みが消えたのですごく怖い。

2021/07/31

 前日に陽に当たりすぎてめっちゃ寝ていた。久しぶりに顔を見るようなひとが夢に出てきたりした。起きてしばらくぼーっとして、その古い友人に連絡をした。すごく気の合うひとだけれど、long time no seeもno seeすぎてお変わりありませんかという以外にする話が見当たらない。まあ生きてるらしかった。相変わらず。そんな友人(あるいは知人)は友達関係から退場することはないとなんでか確信を持っていたが、そうでもないらしかった。そうはっきりと言われたわけではないけれど、まあさまざまな事由で、というか女性とか男性とかどうしてもついて回り、わたしが男ならそんな話にはならなかったんだろうと思うと(いや、もしかして、そういうことでもないのかもしれないが)スカスカとした寂しさがある。なんか知ってる。これはcoccoの感じだ。coccoは悪霊みたいに歌う。昔住んでいた家から別の人が出てくるのをみるみたいな。そんな感じがした。 夜は日記の先輩(110日)の福尾さんと日記の話をした。110日のビハインド(?)は埋まることはない。福尾さんのbeggingは2ヶ月目あたりまでのことを言っていて、ちょうど今のわたしくらいの日記継続時のことだ。わたしのは7日目くらいのことをbegging的に呼び出した。点のようななにかの成果ではなく、生活者としての前後がありありと提示される日記を介して少しずつ構築する見知らぬひととの見知らぬ関係性を信用というふうにも呼べそうだと感じて、日記続けようと日記の先輩との話を終えて3日分の日記を清算したのだった。