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2022/04/19

日記を書いてない間、ほとんど毎日ヤクルトを飲んでいた。流行っているヤクルト1000の市販品Y1000は一本150円もする高級品で、(日数で掛けると身体を作るのにかかったお金が計算される)最初の日は衝撃的な腸内環境の変化を感じたけれどそのあとは特別何かが変わったような気もしない。安定しているのでいいということなんだと思う。心なしか頭もさっぱりしているような気がする。コンビニを見つけたらヨーグルトの棚に直行して確認するのが日課だが、Y1000はだいたい売り切れていて、並んでいた場所は暗い隙間になっている。Y1000の1000とはその中にある何かしらの成分が1000億個で、普通のヤクルトは200億個(同じ成分の増減なのかはよくわからない)と買いてあるので、では5本飲んだら1000億個かということで1000の代わりに200のボトルが8本入ったパックを買った。と思ったのだけれど、それはヤクルトではなくピルクルで、まあなんだかよくわからないがとにかく5本飲む。甘すぎて唾液がキシキシする。その後またY1000が売ってないので今度は間違えないように気をつけてヤクルトの200のパックを買った。ピルクルの開け口はただ丸いギザギザのアルミが貼り付いているだけでどこから開けてもうまくいかなかったがヤクルトの開け口は一箇所つまみやすくなっているので方向があって開けやすい。使いやすい物は使い方が当然しめされていて、されてない物は怠慢かコスト削減の目的によるもの(適当に言ってるけれど)だ。でも自由な感じもする。それらはよく外国製品のパッケージに感じる。勝手に使うしそんなもんでいいなと思う。 ラボのこと。どこまで並走して、付き合っていくのがいいのか、やっぱりわからない。まだ動き出したばかりのプロジェクトも、どうしたら密度のあるものになるのか。作法などは時々だし、もはや学生の自主的な取り組みに関わろうとすること自体が間違っているのかもしれない。システムをデザインするのが、状況を作り、現象になりたいという作品の目標であるところのわたしの仕事なのかもしれない。政治家になろうか?読まずに参加した読書会「民主主義の源流」が大変面白かった。すぐ買った。

2022/04/05

 俳優って、役を演じることを通してできることが増えるのか。その技術、経験にまた絡まるように他の次の役に身体ごと成り代わる。格闘技とか。(キムタクのインスタストーリーズを見て思ったこと)

2022/04/01

 多摩美と藝大にはアピチャッポン来るのに相原に呼ぶために動くことをし損ねたのしばらく引きずりそう。山の向こうにアピチャッポン。はやくも1年前の悔しさ。 やりたいことの書き出しmiro共有している。これら全部全部やりたいが、それはプロダクション化しないと無理だし、とはいえチームとして動こうとして学生を誘うのはプレッシャーになるのではという怖さも。もっと色々普通に対等に話して、プロジェクトやりきった頃にはムキムキになってるみたいな。そういう感じの半ばナードな魁!…プロジェクトを考えたりやったりするよりも、学生を巻き込むのが一番難しい。マンパワー必要な現場はハラスメントが横行しやすく、自分がいつそうなってしまわないか恐ろしい。アイデアをもっとたくさん話す/話すためには身の回りにいてもらう必要がある/とりあえずお菓子を買ったり充電器を設置したりしてwelcomeする……そういう小さな積み重ねで面白がりあえるひとを呼び寄せるのや。。イベント。そのためのマメな広報。そのために分担。そのための準備。のためのミーティング。そのためのブレスト。ながーい時間かけてやる準備、たった数十分の美しさ。美しさは持続するはずという期待だけを頼りに… なんか広がりと連なりのある展開を考えつけたらいいんだけど。言われたことをしっかりやれるひとと、きっかけがあればどんどん動き出す人の違いと見極め。それぞれが集中したり面白がったりするタイミングや持続する時間のムラ。たくさんのリズムが同時に鳴っていて、その重なりが形式的に調和しないままに、美しい旋律に気付いて、音が止んだ後、なんかすごかった、と惚けるみたいな時間をデザインできるだろうか。