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11月, 2023の投稿を表示しています

2023/11/28

 子供たちの仲間に入れてもらうには? 子どもたちの仲間に入れてもらうとき、わたしは大人だから、大人だけどあまりちゃんとした感じじゃないからいつも気を使ってもらっていると感じるが、それは小学生だけでなく中学生も高校生も大学生も若手アーティストも年上のアーティストたちも同じように、ある程度年齢層のまとまりがあるところへわたしが単騎貫入する時にはいつだって感じることだ。すごい気を使ってもらっているという実感がある(だからあまりに気使われないとすぐに腹を立ててしまう)。こないだなんかは(もう書いたかもしれない)、小学1年生、2年生、5年生、の5名たちに混ざってなんかすることがあり、ひとりだけ小学生じゃないから、ここに通い始めて6年目という意味で6年生ですと言ったら「え、小学生なの?」と聞き返されて「ちがうけど…」とめちゃくちゃ申し訳ない気持ちになった。情けなさすぎ。小学生であるということを茶化すみたいにしちゃった。大後悔。 教えつつ、同じように学ぶ、遊ぶメンバーの一人として仲間に入れてもらうように、こどもの遊びのリサーチをしたい。いろんな国の遊びを見にいきたい。それをベースにした、参加型のパフォーマンス作品をたくさん作りたい。これまでの仕事の全てがなんなのか、やっと整理がついてきた。ただ友達がほしい、ラーニングとか集まりとか色々考えるにあたって自分のベースにはこれがあると思う。

2023/11/27

 英会話のオンライン授業も、精読のオンライン授業もサボってしまった。さすがに忙しすぎる。ばかだし、メールの返信もできない。もう嫌だ。他の人の思惑も、自分のことをするついでに何とか叶えてやりたいとか思ってしまう。で結局動けなくなって何にもできない。。おわた。。

2023/11/25

数日間のダイジェスト。TABFなど。Red Stocking新刊完成など。からの搬入、美学校広報準備、完徹して資料づくりなど。怒涛の疲れがやばい。やばすぎてやばかったということを記録しておく。布びっちり石爆売れinTABF。御殿が建ちそう。 そして日記はここより。 ・ホワイトボードのオリジナル什器が欲しい ・掲示板や看板(お店のでなく、お知らせ用の)の写真を撮り溜めていきたい ・プロジェクトと並行して絵を再開できるか 防火管理者の講習がすごく大変だった。1限から5限までずっと同じ先生の座学。狂ってるよ。。おじいさん講師の喉が心配。 A.R.Tの中間展一日目。いい感じの展示になったのではないか。インストールは楽しい。作品はその人のありようをよく現すなぁ。展示したり、美術館に入れて残していくために作品を整理し直すのはいいのではと石川さんが言ってくれた。なるほど。藍原さんのことを推す施術所のお客さんたち。なるほど。応援ってこういうふうにすることができるのかと思った2つ。大石さんはインストールを頑張ったらめっちゃ作品良くなって感動した。作品は見た目が8割か。わたしの作品ってどう見えるんだかよくわからない。ここのところずっと、フランシス・アリスのことをけっこうな時間を割いて考えている。

2023/11/20

下北へ。はるちゃんのライブみた。あんなおしゃれな中学生いるんだ、、、メキシコの雑貨屋でメッシュでフルーツの書いてあるかばんと、足のブーメランみたいなネックレスのチャームと、魔女グッズが描いてある巾着を買った。小山君はまた灰皿を買っていた。

2023/11/19

 家族旅行2日目。草津温泉へ。コテコテの観光地(コテ観)へ行くことはおそらく高校の修学旅行で行った京都散策以来である。まあ熱海もそうか、あまり観光する場所も少ないけども。 公衆浴場に無料で入れるので、その場所と自分のムードだけで体験を計測する。リッチだ。公共性というのはこのようなものであるべきだとジーンとくる。4箇所の湯に計5回入る。石鹸は禁止。脱ぎ着がめちゃ早くなる。対風呂の振る舞いとなる。見つけたら突入、脱いで湯加減を爪先で測る。行けそうなら入る。少ししたら出る。この間およそ5分か10分。堪能は時間をかけることではなさそう。おばさんが冷たい水で足元を冷やして熱い風呂に入れるように身体をチューニングし、その仕方をレクチャーされるもなかなか難しい。いくつも回って入るうちに身体が風呂の温度に慣れてきて、熱い風呂にも入れるように身体が変化した。おもしろい。 帰り道、アーティストインレジデンスでつくる、旅先で新たな発見系作品がどうのという話になる。今回なら何を?と聞かれるも、なんか変なこと言いたくなくてうーんとずっと考えていたら、母が急に、公衆浴場一軒目以降は質素な小さい小屋(公衆浴場的な建築物)を探すスイッチが入ったので、このモードの切り替わりを作品にしたらどうかとアドバイスしてきた。みんなそうだそうだ、あれは楽しかった、その作品作ったらいいよと。どういうこと?なんかめちゃラーニングだなと思った。このことは年末にでも漫画に描こうと思う。

2023/11/18

 家族旅行へ。前日夜に原稿をやっていたので2時間ほどしか眠れなかった。車で草津の方へ。わたしは免許を持ってないから座ってDJをするのがここ最近の家族旅行のお約束だ。聴きたい曲をひとりずつから順繰りに募り検索していい感じにフェーダーを手動でやる。母はテンション高い懐メロ、父はPerfumeとYOASOBI、弟はエロガキ系アニソン、妹はスピッツ、vaundy。わたしはポンキッキで流れてる系の童謡が多い。妹は酒ギャルなので友だちとのいろいろを教えてくれる。芸能人のゴシップにも詳しい。ギャルすぎ。専門の成績はいいらしい。車の中でも勉強していたので感心した。なんていうかマカって感じだ。バイタリティすごい。そこは母、私、妹に共通するなとおもった。

2023/11/17

 実家へ。2泊なのに靴下とパンツを1個ずつしか持ってこなかったので薬局で最悪な下着と靴下を買った。 TABFのことでInstagramがパンパンだ!コミケみたいにガッツリ稼ぐ本屋が現れたらいい……。商業っ気のあるアートはほぼほぼろくでもない物に席巻されて、うちらにはもうグッズ販売しかないって感じがずっとしているんだけど、実は売ることができる作品だって作りたい。ちょうどそういう相談に乗ってくれるらしい新興コンペの情報を得たので見に行ってみると粟田さんとか鷹野さんとかが審査員にいた。これもしかしてBUGのトークショーの時にアツカンが新しいコンペ作るらしいってなってたやつかな。思ってたよりもいい感じのところにアイデアが落ち着いたのだなとおもった。 引越し先が決まった。「周辺静か、ちょっとサグい」とメモした間取り図を妹にここに住むんだーと言ってみせると、サグいってどういう意味?ときかれ、あーなんか悪そうとか殺伐としてるとかそういう感じって言ったら、それ大丈夫なの?と聞かれた。雨だからそう見えただけだと思う、いや、でもほんと大丈夫だろうか。

2023/11/16

 美学校で久々に木工。 ラボで池上ちゃんと作った(けどルール設計が甘くてすぐに物置になってしまった)即興木工はかなりいいアイデアだった。スペースではなくてワークショップイベントを何度かやって、コンペとかパフォーマンスとかやったらよかったかなあ、とか。誰か建築家(GROUPとか)を呼んだりして。。あぁいいなあ。またラボみたいなところで働きたい。自分でやるには荷が重すぎるスペースなんだよな。相談室であり、オープンデスクであり、なぞ専門性を尖らせるためのラボであり、いろんな人が継続して出入りしやりたいことをやり、それのマルチタスク的伴走者が私も含む互いであり。誰もいなくても空間が(おまけで管理人が)最初の友達になり。すごく楽しかったなー。あんな場所はもう無いよな、と思ったが、大学の常勤教員になって自分の研究室やゼミを持ったらそういうふうにできるのかもしれない。研究者全員があんな風に働けたら全員豊かだし最高だな。説いて回りたい。意欲のあるひとだけがとどまるような遅効性のフィルタリングのようなもの、これが何よりも重要。一時的にとどまる人がそこにいる間面白くあればそれで十分だというのは、関わる者がみんな自立している状態をいかに見定めるかであった。そういう意味で、教育は褒めるだけでよい/何かが起きるのを準備しながら待つ/その環境を維持するこの三つなのだなと思い至る3年半であった。(これは日記ではないな) 美学校でももう少しなんか頑張れるといいけど、なんか頑張る場所がない、あるとすればPARAとの共有地だが…シェアオフィスの管理人として在中するにしてはお金と時間が足りない。なんか発明する必要があるな…。まああそこでお金稼げばいいのかもしれないが。なるほど。

2023/11/15

 熱海へ。わたしにとっていまのところ、熱海の面白さは本の中にある。RAUはアタミアートグラントに展示の形で見えるようにしなくてもよかったのでは、純粋に旅行みたいな感じでいいのではないか、と思いつつそのちょうど真ん中くらいにみんながさまざまな意見を検討してデザインした展示室の設営を行う。ふにむさんから相談され、意見を言ってはみるが、それらほとんど全部検討済みであった。みんなおつかれ。えらいね。チューニングとは具体的な位置のことだ、とめちゃ思った。誰かが合わせたチューニングをそれだと指摘することができる状況のことだ。相談されて、検討済みのことをわたしもそうとは知らず語り、それはチューニングが合っているということなのかもしれない。そのことがなんだか嬉しい。 帰りの電車の中で葬送のフリーレンをみた。同じルートを違うメンバーで二度巡る物語である。目となるフリーレンは1000年以上生きる。他の登場人物は彼女よりも早く死ぬ。全話通しの前半では一度目の冒険の回想と、友人が死んでいくこと、知を集めていくことについて語られる。そこで発明や発見は、ひとりの生を豊かにする目的で作られる。それが多くの人に必要であれば流通する。この物語における魔法とは、そういうものとして描かれる。物語の後半はかつての仲間の弟子や孤児と共に二度目の旅路を一度目のことを思い出し弔いながら経験する。目的地は天国(地の果てに地続きに所在する天竺システム)。他の人よりも長生きすることの孤独さ(他者と生きる時間以外は知が彼女に寄り添っている)を描いてる。西遊記とか指輪物語とか読んだ方がいいな、と思った。土地を移動するその経験を物語ることの面白さをもう少しインストールしていこうと思う。

2023/11/14

展示場所を見つけるためにみんなでめちゃくちゃ歩き回りながら、中国籍の女性が撲殺されたつい最近のニュース、ホーム飛び降り、松戸で今年起きた怖いことふたつを怖がりながら歩いた。 松戸は法が届かない場所があるという意見をいくつもみた。ツイッターや2ちゃんまとめみたいなのに書いてあるだけなのでどの程度本当なのかわからないが、中心から離れれば離れるほど無法の地だという。半分は本当なのではないか。法が届かないというのはどういう感じなんだろう。不安だ…  ユキさんが魔法のリサーチをしてる。魔法も何らかの法だ。なんらかの一定の手順。

2023/11/13

右耳だけ耳鳴りがある。余韻って耳鳴りのことだったんだな。 音楽の発展の仕方は系譜を遡っていけるなんていうか美術に比べて効率がいい。元からある構造なり構成なりをまっすぐに引き受けて加えていくことができていいなとおもいつつ、言語や宗教の違いから表現されたものがどういうことなのか汲みつくせないことがある。外国のお土産を食べてその国の美味いはこういう味なのか、と知ることはできる。知るってなんなのか。ただ私の生を彩るというだけなのだろうか。それはどれくらいすごいことで、くだらないことなんだろう。 美学校で壁塗りをした。壁紙のクロスは、表面をあらかた剥がしたあとで水をつけると全部きれいに剥がれるというのを知らなくて、はがし残しのある壁を塗ってたらベロベロになっちゃって困った。もう間違えない。みんなして無知を晒してまた一つ賢くなった。 終わって梓沙さんに相談所のヒアリングしてもらう。ベローチェとサンマルクどっちがいいか聞かれたのでベローチェがいいと言ってそうなったんだけど梓沙さんは二日連続でベローチェになってしまったらしかった。ドトーリアン、ベローチスト、エクセラー、と呟きながら梓沙さんの待つベローチェ神保町店へ移動。いろいろ書いて渡しておいたメモを元に質問をしてもらい話す。詳細を話す以外はたぶんいつもどこでも同じようなことを言っている。BUGのを進めなくては。ひとつずつ…

2023/11/12

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 LITURGYをみた。川上君、齋藤君(サイの字は適当)と。予習的に聞いてきた音源となんか全然違うけどいい誤算というか。刺激に旋律が消えて吹っ飛ばされた。光の中で他の光と共に(精子ってこういう感じなのかもしれない)上昇し、ファーっと拡散するみたいな感じ。音で体現とかあるんだ。めっちゃ加速的だった。 RAYは推しそうって思った。ダンスの連続が轟音的すごみを加えていた。私以外の二人はアイドルたちとチェキ撮った。わたしは並んだ列が悪く撮れず。不憫に思ったのであろう、オタクのみなさんが「また来てください」と口々に声かけてくれた。フォカヌポゥ…オタクの花道だった。齋藤、川上、私のライングループの名前はRAYになった。コポォ。

2023/11/11

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 勝とうとして変なこと言っちゃうのを思い出した。カナヘビが葉を動かす軽さにつられて。くさむらには夜冷えた空気が溜まっていた。朝早く起きるのは久しぶり。寒さすらスッキリとしている。寒いと元気ないけどその寂しさが好きかも。誰もいない。 オンゴーイング・スクールがやっとランして嬉しい。教室のたびに自分も作品が一個完成したら最高だよなあ。

2023/11/09

 PSYCHO-PASS一期をみた。ギノザの髪型やばい。茜がBLの夢小説一人称ポジすぎる。最高…。エンディングの曲もめちゃいいね。。飛ばさずじっくり聴いてしまう。てかギノザニキがかわいすぎる。伊達眼鏡なんて言って買ったんだろう。。縢秀星死ななくてよかったじゃない!?とおもってググったら、死んでない可能性があるということと、その数年後に出た石田彰のコメントでオタクたちは死を受け入れたということが続けてまとめに書いてあった。アツい。。そしてつらい。。なんでリアタイでハマってなかったんだろう。今からでも遅くない。。 カッコいい系おばさん義体の一人称ボク、かなり好きだな。集団的な人格の破れだったり窓口みたいなキャラの一人称はウチでもボクでもわたしでもいい(俺ではない)。フル義体に加えて脳はAIで担当?人格?は猟奇殺人犯とかすごい。なんか設定グダグダだけどそれでもかまわん!(むしろ捗る!) やるべきこと全然終わらないのは、ながら見してるつもりがすごいしっかり見てるからだわ…

2023/11/08

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 やる気が出ないし過食気味である。またゴミを捨て損ねた。ペットボトルだらけの家だ。昼は昨日小山君が作ってくれていた豚と茄子の炒め物を食べた。歯ブラシを変えた。電球が切れた。LEDの電球って2000時間くらい切れないものなのかとおもっていたが。大根と鶏肉を買ったが料理をする気が起きなくて外食をした。河口湖で買ったハーブティーを飲んだ。冷めても美味しい。水筒を買ってよかった。もう殺すな本当に、、スポーツとか賭けとかで決め事行え、、なんで、、、  

2023/11/07

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ちょっと立ち止まろう、ちょっと休もう、ちょっと贅沢しよう、ほろ酔いしよう、体験、とかいうみたいなこの感じは嫌。 今日初めてベローチェでテイクアウトした。ホットコーヒーLサイズとピーナッツバターサンド。一日中ミーティングしても仕事がおわらない。 朽ちたグローリアの聖地やん松戸。写真集あるかな。なければ作ろう。陸さんのPARADISE AIRリサーチツアーの副産物として松戸の散歩コース開拓が捗った。

2023/11/05

 危機のなかでは芸術どころではないというツイートを見かける。危機の想像もつかないからよくわからない。知ることはできても。危機の中でも詩がいくつも生まれてきたことを知っている。展示をしたり見にいくとかは無いだろうけども。 私なりに真摯に突き詰めているつもりだが、作品がうまくいかない。とにかくやってみるのが大事ではある。人のことをあまり手伝いすぎるのはよくないかも。学びはあるけど、人のことだと責任も持てないし、作品のもとで行われる自己開示の現場につきあうのは、当事者間で合意が取れていても目の当たりにするたびに戸惑う。共感は自家中毒を引き起こす。適性があっても、それがうまく機能していても、それがいいことなのかはいまいちよくわからない。作者も鑑賞者も喜んでいるならいいのか、、? 今日はデモに行かなかった。他の人がデモに行っているのを心の中だけで応援する。デモ。このささやかな支援を蔑ろにされたくない。(公立美術館のキュレーターや国公立大の教員は公務員扱いなのだろうか。公務員がデモに行けないのはおかしい) デモがイケてて楽しいみたいな広報をみるとそんなデモがあるのか…?とおもうが、あるのかもしれない。私が知っているデモは、いろんな人が同じ意見ではないなかで、それぞれが切迫した部分のみを持ち寄って同じ場所に立っている。それが何千人もいる。行くだけで「バランス」とか無いなって思い知らされる。私の知っているデモはそういうものだ。だからこそ行くのだけども。で、今日は行けませんでした。デモって数の問題ではないし、数とかからだの不在に注目してなんか考えるのはいろいろと間違いが起こりやすい。生を数えないで…

2023/11/03

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いろんなところに出入りしてるのにそれぞれになにかを運んでいる(花粉を運ぶ蜂のように)気がしない。てかなにが花粉なんだろう。

2023/11/02

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出津さん、絵美ちゃんと共に世田美で開催中のこども造形教室の展覧会を見た。油絵の具は、この世界でもっとも美しく調合された色がチューブに詰まっているのだと確信した。子どもたちが描いた油絵の自画像がとんでもなく素晴らしい。週末からコレクティブの造形教室が始まる。もしも子どもたちが「うまくいかない」と言い始めたとしても、クレーやピカソやデクーニングらがものすごい試行を(試行がそのまま偉業なのだ)いつでも示してくれる。納得してくれるかはさておき、目指すべきうまい絵というのは無いのだと証明する(?)、膨大な実践がある。世界に芸術があってよかったな。 美術館の地下の工房を案内してもらう。登録者たちは、美術館にきて展示を見てその足で地下におりて銅版画や木彫まだできるような工房で制作に入ることができるのだ。なんてことだ!すごすぎる。出津さんは自転車で、わたしはバスに乗って帰った。 そのあと「にっ友(日記を書いているので身近に感じられる友達)」川上君と会う。ラボで働いてる時の日記にはよく登場してもらった。川上君がいるとなんだかポンポコ弾けて増えるように面白いことを見つけることができる。まず電信柱が一本だけ、ツルツルの砂利でデコられているのを見つけた。黒い玉砂利に白い塗料でひし形の(わたしからしたらキラキラマーク✦)が手書きされている。それからいい坂道を下ったり、いいトイレを案内してもらったりした。アテンドが上手い。2020年に歩きまくったという道をいろいろ教えてもらう。google meetの背景にこの川をみたような気がするなと思った。ある友達の誕生日プレゼントの包み紙を自作しているのを去年も見せてもらったが、今年は切り絵であった。葉っぱが紙に切れ込まれてキラキラして、枝や幹は風が抜けるように細くカットされた木の切り絵ですばらしい。相当秋が好きなんだなと思った。 駅前のいい文房具屋で、小さな本の形のクリスマスオーナメントと忍者のシールを買った。忍者のシールは小山君へのプレゼント。小山君が好きなのは忍者なのであってシールではないから見るだけで満足しそうでもある。前に刃物屋で買った手裏剣は大変に喜んでもらえてそれはそれで面白い。小山君はコロナの後遺症で味が全然わからないようなのだが、それなのに料理を上手につくる。鯖を醤油につけて焼いたり、きのこを葉っぱと炒めたりが美味しい。薄切りのかぼちゃ

2023/11/01

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 千代田線を使うようになって、行動範囲を広げやすくなった。今日は午後から東京駅に行った。丸の内は街の隅々まで資本の目が行き届いている。私はナイロンのパーカーを着てリュックを背負い歩いている。カバンの中にはウルトラライトダウンが丸めて入れてある。観光客みたいだな、と窓ガラスに映った自分を見て思う。 シェア、贈与、などについてもっと考えておく必要がある。準備の時間切れも近い。 覚書 a.良い方法はきっと自分の中にあるのではなく、たとえば空間とものの配置の方にある。何年も使うのでなく、今使って次の時にはリメイク、アレンジ、カスタマイズすることが前提となる仮置きの配置は、次の機会の時に動かしやすいように置いておくことがその設計における唯一の指針のようなもので、あとはどんな形であれ構わない。 覚書 b.シェアとはたとえば受け取る側でアレンジを加えて使うことが前提になるものである(だからめんどくさい)。工夫が加わるので、だから減らない。増えて、また戻す。受け取るだけじゃなくて戻すという動作が重要だと直感している。問題は何を戻すかなのだが…。 覚書 c.シェアとはたとえば、プレゼントすることとは異なる。シェアはされるたびちょっとずつ内容を増やしながら増えたところが盛り上がったりして、有機的に動き続ける。だからあげてしまうプレゼントや交換のようなピストン運動とは動き方が異なる(のではないか)。「プレゼント」とはどういうことか……… == 齋藤君と待ち合わせて、エルメート・パスコアール・グループのライブを観る。豪華に演出された場所に、チケットを持って入ってもなんだか身の丈に合わないという感じがしたが、始まってしまえばわたしではない。齋藤君は体が痛いようだったがそれも演奏の間消えたようだった。座って前を向いて何かを見ている間は体が消える。 エルメート・パスコアールたち。めちゃすごくてすごくてすごいすごい。なんでまとまりが感じられるのか本当に不明だ。みんなめちゃくちゃやってるように思え、きっと本当にめちゃくちゃやっているのだとおもう。アレンジ、カスタマイズ、DIYのようなことを演奏の端々に仕込んでいるという意味で。それから、人の分まで引き受けてめちゃくちゃやるというのもあるかもしれない。あるいは穴だらけに演奏すると、そこに誰かがなんかのリズムを放り込む。その連打の並走が、たまに盛り上がり

2023/10/31

 どうぶつの森でアメを配りまくる。ハロウィンの家具が可愛い。黄色いかぼちゃの飾りのついた木の幹はオレンジのものよりも黒い。それがかっこいい。 パラダイスエアに脳の神経がつながり始めたかも。何が起きてるかがわかる。ここではほとんどのことを仮置きのままに心の傾く方へ進めることができ、心が傾かなければとどまってもよい。ほとんどのことは誰に決定権があるでもない。だからみんなで話す。 夜、荒谷さんの講座。久しぶりに参加できてよかった。今日は私の回だったので、ミミズが死骸を分解するように古着のユニクロやGUを100円とかで買って着る資本主義の分解者の話とか、詩が物や風景にくっついて物が風景がアートになるという話を少ししてみた。荒谷さんから資本主義の分解者はミミズみたいなかわいいもんじゃなくたとえば怪鳥みたいな様々な矛盾を丸ごと飲み込んで平気でいるようなものなんじゃないかといわれ、ゴジラ、ヘドラ、の続きの怪鳥のモンスターを少し想像した。その絵は描いてみたいなと思った。