8月28日から9月11日
8月28日
フィリップパレーノ展みた。働いた。つかれた。自他は分離するのが大事だとおもう。それは話し合うために。自分の意見をいうことはすごく大事だ。自分の意見がないように振る舞うというのは、何を目指してとられる態度なのだろうか。
なんか上手く行くとか、滞りなく行くとか。そういうのは私はあまり優先できないな。逡巡がありながら滞りながら何かが経過し続けていくのが大事だ。
8月29日
山本篤+和田昌宏展。普通の悲しみというか。ユーモラスさが渋い。山本篤さんの作品好き。おかげで疲れが回復した。胃腸炎気味。土砂降り。帰宅して座りたいところにあったクッションを15cm蹴飛ばす。えーん。つかれたー。明日も仕事。やべー。来週も出張。飛行機乗り逃しがこわい。
8月30日
仕事。仕事の時間の間の記憶ほぼ無し。早よ帰る。
ナルト疾風伝304話のアニメーションすごい。クナイで弾き合っているのなんて、ナルトでしか見たことないのに、こんなにも重さが伝わると感じる。デカさを感じる。下がりながら少し上昇したりの立体的な戦い…止めながら萌語りしたい。
8月31日
めっちゃ寝て昼寝もしたら浮腫が抜けてそれだけで体すっきりした。むくみってどこいくのだ。
9月1日
疲れが抜けないぬー。短い出張から帰ってきて、数日経ったがなぜか疲れが抜けない。休んでいるんだけどね。なんだか家が狭く感じる。片付けたいが、片付ける場所を作るのが難しい。
気分を上げるためにるーるるが言ってたメイクをしたが、顔面のギラめきにいろいろと追いつかない。元気でないね。マグダレーナベイのアルバムいい。h.e.l.l.o.とかのエモいタイトルの作品?もやってみたい。
ラメを纏いたいっつうかラメそのものになりたいんだよ。そんでぼーっとして轢かれそうになる。信号守ってたけどなとプンスカするのも死んだら意味ないから気をつけないと。ナルト、自来也死んじゃったな。寂しい。。もうどうしたらいい。。
9月2日
自分の意見がうっすら却下されるばかりの日々。1%のアイデアを1000個出せるひと、50%のアイデアを20個出せる人。ひとりで50%まで行くというのがそもそもだめって話なんだけど…
鬼トレーニングによってお尻めちゃ小さくなった。洗濯が間に合わなくて泣く泣くちっちゃくて嫌な感じのパンツはいたら、他人のパンツかと思って何度も確認したが、身体の方が他人だった。うれしーっ
大蛇丸あっけなくてしょんぼり。大蛇丸の木の葉時代の話もっと見たい。サスケの新しい仲間たち、夢小説のような展開で辛い。(こうしてひとりごとを散らしながらNARUTO見てる時間が一番楽しい)自我がなくなるのが恐ろしい男に、強く美しい君麻呂が「僕が君の檻になってあげる」って口説くのやば。。と思ってたら同じ台詞をサスケも言うんかい………………ブ、ブヒーッ。。。。自分のチーム名「蛇」なんだ。。かわいすぎる。。道中のカフェでところてん食べるんかな。。。
9月4日
台北へ向かう。のはずが家を出て、すぐに帰ってくるはずじゃなかった家にまた帰ってきた。飛行機を乗り逃してしまった。どうしてこんなことになるんだろう。辛すぎる。長い移動はシミュレーションしないといつもだめなのになぜか怠ってしまった。空港はついこの間行ったばかりだから大丈夫だと思い込んじゃったけど国際線の大変さ抜けてたな。鬼のように忙しかったし仕方ないけど、JALの相談室みたいなところでめちゃ落ち込んでしまった。かわいいワンピースきてさ。恥ずかしい。32歳なのにというより、32歳だからこそヤバさに拍車がかかるってもんだ。20歳の私だったらどうだろう。乗り遅れそう。
家でイタチの最期のとこみた。いろいろ混ざって涙出た。うう。キャラが死ぬのもう嫌だ…。穢土転生で生き返るらしいけど。それよりは過去編とか見たい。生きて大人の兄弟やってるサスケとイタチがみたかったな。。
9月6日
無事台湾到着。台北のHalfway cafeに行った。リベラルのコミュニティスペースという感じで気持ちがいい。CSLABの雰囲気にも似ているけどもっと暗くて夜がある。夜を過ごせる場所。仕事場ではない。沖縄と台湾のタッグイベントのフライヤーや、いろいろなTシャツ、zine、など親しみ深い物があり喫煙所があり。自宅に版画をサクッとやれる設備(そんな大層なものでなくてよいのだが)ほしいな。作ることから始めようと思った。コレクティブの造形教室を、使ってみたい画材を試す場所として使えるかも。
外国にきたのについコンビニに入店してしまう。チャージスポットの充電器は普通に借りることができる。お茶で煮た煮卵がホットスナックとして売っている。最高か?14元で、60円くらい。犬も入れるコンビニはかなり推せる。レジの前が日本のレジ前より6倍くらい広い。適当に買った煙草がいい感じで嬉しい。
9月7日
-日本国旗から太陽を星に戻す
-他人にどう優しく/厳しくできるのか、のダンス(?)
-一緒にあるから大事にできるものは何だろう(私一人で無く、もう一人にに任せてしまうのでもなく)
-どこから他者を連れてくるの?(他者はやってくるのか?)コミュニティに他者はいない。50人いてもコミュニティ。
-city: tourist majority
-city: worker majority
-city: mother majority
-art need audience (audiences)
(持続するにはコミュニティを豊かにするしかない)
9月9日
長い時間をかけて帰宅。一時間の時差が飛行機の中でいつのまにか消えている。いつも不思議な気持ち。さっきまでの18:00が私に解けて19:00を生きる。時差ボケというのか。かなりマジカル。粉末の胃薬のようにサッと溶ける。ボケというのは魔法の中にいるみたいな感じか。ギャップがある。
帰宅して2分後にオンラインミーティングした。疲れた。
9月10日
野田さんに会った。自分の生き方を説明するのが難しいというのを相談した。今日はチームのみんながほぼいないので現地は2名対応。すごく大変だった。いくつものことが同時に起こる。
9月11日
ベッドで寝て、床で寝て、ベッドで寝て、床で寝て、そう繰り返していたら22:00になっていた。美学校のために買ってきたパイナップルケーキを食べたら血糖値が爆上がりしてまた寝る。あまり糖分を取らない方が人間にとっていいのかもしれない。
-Capitalisticであるかどうかという指標をアートの全ての部分に照合する。都市部で考えることと田舎で考えること、全然違う。どこで何考えるのかが生きることだ。つかどうせゆくゆくは都市部で発表することになる。それは私の今の実際のところだけど、本質的なところではない。
-普通にアーティストは生きづらい。アートコーディネーターは生きやすい。CSLABも含めて、コーディネーター的な仕事をやり始めてから自分の生活が安定したのを、どう考えていいかいまだによくわからない。お仕事はあきらかに、アーティストとしてよりもコーディネーターや裏方の仕事の方がたくさんある。前はキュレーターとかアートマネージャーになるために勉強してきた学科にいるひとたちがやるような仕事を私がやってるんじゃないか(席を取ってるんじゃないか)と思って悩んでもいたけど、これ系の仕事は実際無限に感じられるほどたくさんある。入り口はアーティストとして知られていて、アーティストとしてそこで働いているつもりだが、なんか社会の中でのアーティストのマイノリティ具合がえぐい。
認知症は病気なのかという感じの本を読みかけてどっかにやってしまった。