10月9日
10月9日
Twitterで、山本浩貴さんがこれをツイートにしてくれていたやつをコピペしとく。ほんmoney(けみおのやつ、言ってみたかった)至言だ。
《「それでは保坂さんは文学賞も反対ですか?」
反対です、夏目漱石は賞をとりたくて文学をはじめたわけではない、芥川龍之介が芥川賞とってないのはわざわざ言うまでもない、
「賞がないとどれがいい小説か、わからなくなりませんか?」
賞によって良くもない小説がいい小説だと思われる、フェミニズムの説明の抜き書きの最後のブロックの二段落目、
「能力や価値といった観念は相手のことを十全に知ることを節約するための道具であり、それゆえ今日の資本主義社会のようなせわしない条件においてこそ重宝される」
能力や価値を文学賞に読み換えればいい、
「それとは逆の、重厚な情報循環があらかじめ存在し………後ろに〈隠しもった〉ものも十分に推察できる共同体社会なら、それらの抽象的価値(文学賞)は衰退させることが可能になる。」
文学賞とか他の芸術全般に関わる賞とかそのジャンルの隆盛のためにあると誤解されているが「重厚な情報循環」のある環境をつくることが大事で、賞によってそれが省略されたり、情報のやりとりなど必要ないと思われたりするとそのジャンルは意退する、衰退するというのは、本が売れなくなる、観客が減る、美術市場が縮むということではまったくない、そのジャンルにおいてすごい作品がつくられなくなることだ、》保坂和志「鉄の胡蝶は記憶を夢は歳月は彫るか」75回『群像』2024年11月号