9月29日、30日、10月1日、3日、4日、5日、7日、8日

 


9月29日

風邪引いたので、マスクして仕事へ。路面店でのイベントは急に絡まれるので楽しい。店やりたいなあ。リサイクルショップ。


9月30日

感情を見せないことが良いという価値観がありますね。不安であるとか、怒っているとか、嬉しいとか、感情があり心が露出しているということが恥のような文化がありますね。人が泣いていたり怒っていたりするのを目にする時、またたとえば怒っている人に影響されて自分の感情が乱され不安になるということが、迷惑だと感じる時がありますね。感情が無いような時が心地よく、何も考えなくてよく、普通でいられる。そういうことがありますね。毎日降りかかることによって引き起こされる小さな怒りを抑えないといけないというプレッシャーがありますね。怒っている自分になりたくないという思いがありますね。それは優しい自分でいたいという思いですね。

様々な無関心について考えていたら、「無情」として振る舞うこと、シンプルな趣味、そういう無機的な物への憧れやSNSの運用が関係しているとおもった。


10月1日

グローバルストライキに合わせたかのように発熱。仕事を半分休む形でオンライン参加。PJ終了のお知らせ?先方がやる気無い予算ないということならなにも憚らず、やりたいように…


10月3日

Mちゃん、Hちゃん、あいち2022のメンバーと美学校で会う。不思議。あのプログラム面白かったな。集団行動というほどには集団感がなかったのはなんでだったのか。私たちが自由に話しているところを録画するというのは(あるいは、録画しながら自由に話すというのは)とても大変な事だった。なにかを言ってやろうとはしないで、ある種受動的に話すような。


10月4日

TERFなローリングのことで、ハリーポッターのファンであることに折り合いがつかないつかないと言いながらも任天堂のセールでまんまと購入したホグワーツレガシーの性別選択はかなり配慮されてるとおもった。性愛/友愛もかなり複雑に緻密に(それは原作でもそうだったか)扱われている。私はパートナーを選ぶタイミングではいつもナティではなくセバスチャン・サロウを選択する。セバスチャンはいい奴だし美声のスリザリン生だ。わたしのシスヘテロ性がゲームの中まで持ち込まれるのは、子どもの頃ホグワーツに行きたいと心から夢見ていたからだろうか。ゲームの中で、ヴォルデモート以前のボグワーツではスリザリンが孤立しないでただのMBTIのようなものとして描かれる。私はINTP-Aのグリフィンドール。


10月5日

朝 アトリエオンゴーイング。大木さんのインスタレーションをスケッチ、着彩の授業をした。何を描くか考えながらインスタレーションをみてもらう。「何が置いてあるのかな、そこにどんな情報があるのかな、ということに注目してみましょう」とアナウンスした。子どもたちは鋭く、「散らかって見えるけど意外と物のまとまりがある。ここは雑誌のまとまり。ここは外国語のまとまり。服のまとまり。」など言う。はじめに登って行ってもらった子は、「え?!え?!」と言ってた。不法滞在みたいでびっくりするね。カップ酒や散乱するレシート、プロジェクター、端に置かれたお花の絵が描いてあるマグカップ、謎の実(2つ)などを子どもたちは見つけて、それを描いた。色鉛筆が得意な子。絵の具が得意な子。気質で画材を渡しわけてみる。

午後は小山さんと共にデモへ出かけた。昨晩作った水彩絵の具のプラカードは雨で色落ちした。このデモに関して、〈引込線/放射線〉とオンゴーイング・コレクティブと武蔵美油絵科同窓会、パラダイスエア運営の4つのグループのメーリングリストとLINEグループ、discordサーバーに、各地での催しをまとめた情報を送ってみた。いずれも数人から直接、間接どちらもの方法でリアクションがくる。「あーこういうのやってよかったんだー」と安心した。なによりも大事だと思っていることが他の人にとっても必要な情報であるということが感じられる。素直に生きるというのはなんて気持ちがいいことだろう。できることは何があるのか、寄付先はどこがいいのか、川から海までってどういうことなのかなどと聞いてくれる。それに今私がちゃんと答えることができるのは、他の人がきちんと歴史を忘却せず私が知るまで引き続けて残してくれていたからだ。そういうやりとりが必要だった。普通にそういうのが必要だった。自分がやりたいと思って(というよりも、やらないと気が済まないという感じ)集めまとめていた情報、日課のようなものが、なんかしたい、と思い立ったひとの役に立つ。そのために学ぶんだね(それより大事なことなんて一個もないと思ったよ)。自分が受けとって、それをまとめ、発信すると、応答が返ってきて、それに答え、他者の参加が起きる。連帯。ささやかでたしかな抵抗のフィードバックだ。(こんなことで喜んでいいの?入植者を帰らせることも、虐殺を止めることもできないでいるのに)


10月7日

オスロ合意を含めた「平和」に見せかけた出来事は入植者を一人も帰らせることはなかった。ユダヤ人たちをヨーロッパから追い出したという反ユダヤ主義に習ってイスラエル人はそのリベンジをパレスチナ人にやっている。ヨーロッパの中でちゃんと解決するべきだったのに。非西洋主義的なアートをやるというのはどういうことなのか?

未来の若い人からパレスチナの虐殺を世界が黙認したことについて聞かれるだろう。沖縄、アイヌ、朝鮮人虐殺についても。香港。台湾。無知と忘却に抗わなければ。悲しいこと、嬉しいことが朝が来て夜が来るように無関係な感じで交代に起きる。


10月8日

大日本帝国がしてきた非道なことのせいで、和人のルーツを持った私が何かの芸術祭とかでそのルーツを理由にキャンセルされたとして、それを仕方ないと考えるだろうか?それとも酷いと感じるのだろうか?自分のルーツに加害性を認めて、それにどう向き合えばいいのか。

イスラエルのアーティストはシオニズムを批判するべきだし日本人のアーティストは朝鮮人虐殺を自分の問題として引き受けるべきだ。パレスチナの話をしている時に良きイスラエル人の話をするべきではない。大きな話をしている時に、個別の話をするべきではない。

硬い筆の先のようにボソボソな歴史のエッジに、フューリーロードのマックスみたいなふうに括り付けられている気持ちだ。先端のところにいる。