2024/05/28から5/31

 


5/28

遊具や公園のデザインをするという子どもの頃の夢が、ある種の結実を見せようとしている。子どもが子どもの空間を夢見たのは、近所の公園の遊具の劣化によって入れ替えに作り直された公園のレイアウトと、トイザらスのプラスティックハウスの屋根や壁を爪でなでていたことと無関係ではないだろう。シムシティをパクったようなゲームで遊んでいたことも、知らずのうちにされた高度な情操教育であったかもしれない。子どもの頃を延長したような仕事。しかし子どもの頃のようにはいかない。天命反転地のプロジェクトブックが読みたい。巨大で素晴らしいものができてゆく過程。

夜、もりもっちゃんが泊まり、ぬいぐるみジャズプレイヤーとして切磋琢磨。本日の寝言「…ぜんぜんいいじゃんねえ!………オッケー………」。



5/29

髪型ショップの新居へ。広い、赤い。新しい髪型の方向性として豆にもなりたいし星も捨てがたいと話していたらあっという間に薄黄緑に光る発根し発光した豆になっていた。「目をつぶって目以外の表情を解除し、ゆっくりと目をひらく」という指示によってポートレートを撮ってもらう。初めて観る自分の記号の外れたヒトっぽい顔(ただ起きてる人、何にもしてない人)。二時間半も遊んでいた。

蔵前という街がとても好きになった。ここに住みたいかも。便利だし。歩いていると気になっていた「うそのたばこ店」が現れる。あーここにあったんだ、曳舟かと思っていました。デモまでに時間があるので少し立ち寄る。バリスタのお客さんが急にキッチンに立ってコーヒーを淹れはじめる。40種はあろう中から15種ほどのカードの絵柄を見比べ、きのこなどの絵が描いてあるトランプを選び購入した。客が淹れたコーヒーをいただき、13歳のマジシャンにマジックを見せてもらった。そんな人がいるんだ、すげー。トランプをデザインするのが流行っているらしい。あぁわしも大ボン民のトランプを早く作らなければな。企画を立ててからなんやかんやで一年が経った。スリの逸話が書かれた本を手に取ると所有という概念を認めないと窃盗は成り立たないと尤もらしいことが書かれていた。面白いのでオンライン古書店で買った。そしてデモのために秋葉原駅へ向かう。

ところが秋葉原でのデモが今日だというのは私の勘違いであった(明日だった)。心ばかりの抗議行動として「現代思想2024.02パレスチナから問う」を駅前で読む。なんかお金使いすぎではないか。知らずのうちにフルコースで遊んでいる。その晩、ダウンタウンの浜田・松本からパレスチナ解放に協力したいと直に相談を受け、チャリティ漫才ライブを企画する仕事に葛藤する夢を見た。


5/30

重いものをたくさん運んだらめちゃくちゃ疲れて這うようにして帰宅。体力が無い。やばい。こんな受け身でなく私の能力を活かせる仕事をしたい。だめな自分しか見えてこなくて最悪すぎる。。言われたことは上手くできない。基本的に短距離的な指示を遂行することが苦手なのだ、何かを押さえておくとか。自分のだめさにべこべこになって神保町の蘭州牛麺に入ってだらだらと麺を啜る。明日と明後日のことを考えながら帰宅。『ガザの美容室』観た。やばいくらい面白い。小さな美容室でヒジャブを取った女たちが脱毛したり喧嘩したりする。取らない女もいる。女たちだけで集まるというのはヒジャブを取ることができる空間なのだ、それだけでもう胸がいっぱいになるおもい。そこはひとつも全く快適じゃないけれど抑圧もない。だれも場を調停しない。不安症かつ攻撃的だった女が静かに死にかけの男から銃を奪って部屋の奥へ隠すシーン。ジャンキーの女がその部屋の中にいる人で政権を組む例え話をするシーン。部屋の中でたくさんのことが同時に起きる面白さは映像でしか作れないかもね。人数こそパワーとの言葉がまた思い出される。ひとりきりのことを現すには文が最適だと思う。絵は?絵は不思議。本当に。


5/31

役所の人がすごい親切で泣けた帰り、先日の会食を思い出す。あれはもしかして怒れる私をなだめるためのガス抜きとして設えられたものだったのではとふと気づく。組織的な懐柔ってこういうふうにされるものなのかも。仲良くすることと深く怒ることは両立できる。二重底システムでも嘘はない。段階があるだけで。本当に好きなひとに本当に好きだということをどうしたら伝えられるのだろう。

「一番外側の円まで押し出されて、速度が速度を生む。事物の縁が生き生きと輝き始める。もう我慢できない。脳の内部の裂け目のひとつひとつが音に変わっていく。もしここで糸が切れたら、飛んでいってしまうだろう。言葉という言葉は皮を剝かれてむき出しに光る。」(『変身のためのオピウム』多和田葉子)

明日が楽しみ。