8月15日

 


チャットの流れで人形浄瑠璃の話になる。語りたさすぎて長文になるので送りかけてやめた心の声→

ワーーー。。NARUTO疾風伝の敵のサソリっていうキャラの話とかめっちゃしたいわ。。私的にはサソリの回で語られるチャクラ解釈が、物語全体の人間とは何かチャクラとは何かキャラとは何かなどのわかりにくい世界観のルールと本質を突いてると思ってんだよね。それ以外はなんでもアリになりすぎててあんま面白くないというところもあり。。てかNARUTOは精神的な傷つきやトラウマを全体として軽くなって扱う傾向にあるんだけど、サソリだけは語り尽くされない深みがあって、私はそこが好きなんだけどね。やっぱ身体と精神をエネルギー換算して戦う世界で「何かを操る」というとき、それをちゃんと操っているのか・それでいてそれが強いというのはどういう状況なのか・人間と非人間の境は何か・魂は死んだらどういう扱いになるかというのはかなり問題になっててそこが熱いんだよね。あ、サソリは天才人形遣いなんだけどね。。。。だから思い出したんだが。。。。

てかね、NARUTOは分身の序列とか身体の乗っ取りのルールとか死者の呼び出しとかいろいろあってまじ面白いよ(長々とオタク失礼)。攻殻機動隊の人体-魂-行為と社会構造を巡るSF表現とは全然違って、肩から人が生えてきてオマエ俺に何したっ!?とかなっちゃうのもおもろいよ笑
無から有を創出できるあらゆる理由がチャクラってことになってるんだけど、そこにも一応のルールがあって。
チャクラ=精神エネルギー
チャクラ量=術によって消費する。潜在的なもの。多分絶対量は変化しない。戦いの中での扱われ方は体力とか気力と近い。
チャクラコントロール技術=ほぼ集中力。頭の良さ、センス、繊細さとも近似。
とか。忍術、魔法、呪い(悪魔の実は呪いの類いだと思う)…など異能力が単に世界観によって定義づけられるジャンプ作品の中で、能力の個別性でなく質と量のバランスで能力を語ることができるのは特殊だと思うんだよね、、それは登場人物全員が忍者だからっていうことにも関わっていて。。ああ。。ナルトがみんなを口説いて回っているのもやばい。ネジにさとの因習を自分が里長になって断ち切ってやるってばよというのも、サスケはなるとのこと唯一の友達(もはや生涯のパートナーというか)と思っているのも、我愛羅もナルトと出会ってメンタル安定したり、今見てるところはサイというキャラが出てくるんだけどサイは兄弟を失っていてその面影をナルトにみて自我を取り戻すんだよね。とにかくナルトがモテすぎる。

術のキレという言い方も、作中でも何度も出てくる。ウケない!?その言い方で伝わると思ってんた!?と最初出てきた時思ったんだけど、やっぱめっちゃ伝わってくるんだよね、「術のキレ」って言い方はまじですごいと思う。さらりというんだけど何度も出てくるんだよね。忍者界の慣用句みたいな感じで・・・。誰が考えたんだろ。作者?編集者?体力がなくなってくると集中力が切れて「術のキレ」が悪くなり、戦闘においては直接的に死んだりする。忍者同士の戦いはまじでド派手すぎて(クソでかい爬虫類がどこからともなく現れたり)ほとんどなんでもありだから謎なんだけど。
精神攻撃である幻術の解き方も面白いいんだよ。幻術というのは相手のチャクラコントロールを乗っ取り悪意を持って操作することで幻を見せダメージを与えるような内側から破壊する系の術なんですが、それにかけられた方はそれを解く(催眠術から抜け出すような感じ)ために、一度チャクラの流れを止め、自分のチャクラを一気に流すんだそうです。チャクラの流れは水の流れに似ていると作中でも触れられており、水道の蛇口をひねって水を止めたり、水流を強めたりする感じです。・・・・

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自分や他人のジェンダーの取り扱いを知ることがハラスメントを予防することにつながると考えている。

数年前の8月15日、対馬で、テレビを一緒に見ていた。広島のアーティストも多く、韓国の同年代のアーティストがいて、私はただひたすらに若い日本人の東京のアーティストであった。テレビで敗戦特集が組まれ、それをみんなで見ていた。韓国人アーティストはドン引き。私は韓国語はもちろんのこと英語もろくに喋れず、まあ気持ちをうまくしゃべるには日本語も使いこなせないのだが、何にも代表したくないのにその時は日本人代表みたいな気持ちに押し出されそれでsorryと言った。シーン・・・て感じで一緒に座って。それから小学校や中学校で自分が受けてきた教育をその子と話した。8月15日に思い出すのは毎年、おお「終戦記念日」だ今日、ということと、その韓国人の子が悲しんでいた顔と、自分のどうにもし難い申し訳なさが全然ずっとおわんない宿題として残ってること。