8月3日続きから8日、8月12日

 


8月3日

追記。賑わう午後の駅の外で人が倒れていた。医療NGOのビラ配りの横で倒れてる人が無視される世界。。道に迷って電話をかけながらうろうろしているときに見つけたので「ウワッすんませんっ」とその電話を急に切った。パニくりながら119に電話をかけ、倒れてる人の口元に持っていた水をちょろちょろとかけた(顔の向きは横向き、、上向だと溺れるから)。思い返すと謎行動だが。植物に水やりするのに似ていた。水やりしたら男は生き返った。


8月4日

実家へ。実家がabemaに汚染されていた。最悪。自分の考えを生活圏にアウトプットしたいし、そうしないとという気持ちが最近は強い。生活圏というのは自分が巻き込まれながら何かアプローチしうる範囲のこと。外部ではなく内部から。挟まりながら。ひとりデモってパフォーマンス表現の問題だよな。表現をいかに生活圏レベルで実践するか。


8月5日

公共的に自由になんかをするというとき、誰でもなくみんなに許可取る。街でもそう。正直ガチでめんどくさい。。でもそうやって可動域を広げてく。私有地を増やし全員にフリーで使わせるVS公共空間をアクティベートする。都市においては後者のほうがクリティカルなようにも思えるし、空家問題を抱える地域や観光資源が多いところはデベロッパーに持ってかれないよう陣地争いのように先行投資して確保みたいなこともあると聞く。世界をどれだけ豊かな場所にしておけるのか。空き地。土地、領土の話。

自由に表現できる空間を増やしていくというのは大事なことだ。誰かが作った自由な場所。それまでの途方もない工程。それからそこをうまく機能させて、根付かせてく。それで実績を作る。それをモデルに増やす。仕事ってなんて大変なんだろう。。

豊かな世界ってどんなものなのかな。「フュリオサ」の冒頭に「豊かって何?」「いっぱいあるってことだ」というやりとりがあった。ささやかだけどすごく残っている。いっぱいあるってことだ。


8月6日

何かしながら仕事の話が立ち上がる。コミュニティの形成。仕事の話をしながら仲良くなる。コミュニティの仲が深まる。仕事って一体なんなんだろう。本当に人間に必要なのかな。庭いじりで生きてく人の本があるって聞いたことあった気がする。読みたい。

湯船に湯を張った。自分のことでいっぱいいっぱいなのに仕事もしないといけないしアートもやらないといけない(誰に頼まれてるわけでもない、社会への贈与活動として)。


8月7日

育てているマユハケオモトが最近葉っぱ少し枯れている。何で?根詰まり?葉っぱを失うのは悲しい。水やりは毎日霧吹き。蒸れているのかな?北窓の明るい室内、風通しはそんなにないけど部屋の真ん中に置いてるから狭くなってるわけではない。新しい芽は出てるけど、もともとある大きな葉っぱが枯れようとしていて、一度枯れたら元にはもどらない。それが植物自身的に問題があるのか、ないのかわからない。でも私は見てられない。元々ついていた大きな葉だけが、黄色くシワシワになってゆく。しわしわになったところをちぎると、フルーツみたいに見える。植物を写真判定するAIによるとそれは元気の範疇にあるらしいが、この状態で元気というのは嫌だ。元気の高みにありたいのだ。

仕事の後すごいランク帯の焼肉を食べた。水道橋で70周年を迎える高級焼肉店のもろもろは韓国のであり、牛は松坂牛。はて。一枚千円の肉…幸福がクッと入り込んで固定される。こんないいもの食べるほどのこと何もできてないのに、いいのかな?近くに雷が落ちて、カゴ台車をひっくり返したみたいにすごい音がした。高い食べ物とか食べ慣れてないので帰りにお腹が痛くなるのはハナからわかっていたことだった。米が美味しいのは幸せだなとおもうと民族を感じる。私の心の中のちいさな太陽を、日本国旗から解放してあげたい。真っ白な布。無国民。


8月8日

なんかすごい可愛い動物を秘密で飼う夢を見たな…フェレットのような…。喋る………。

実際にやれることに比べて、やるべきことは増えていっている。色々と届いた。今日はそれを開けるところから。でかい筋肉から鍛えると身体がより早く強くなるらしい。でかい筋肉とは脚、尻、背中、胸。お腹とか腕とかは薄いらしい。たしかに。ずっとこの身で生きるのは変わらないのだと思うと途方もなく長い距離のようなものを感じる。疲れない無限の体がほしい。筋トレが流行ってるのは高齢社会でなるべく多くの元気老人労働者を作る必要があるからだ。悔しいが体鍛えるのは面白い。

1日7000歩計算で歩いて地球を一周すると22年かかるのだそう。早歩きの友人は同じ歩数を15年ほどで行くだろうか。そんだけ違うのかって思うと早歩きはすごい。円空は32歳から仏像作り始めたらしい。


8月12日

なんで橋本聡さんの作品集出版されてないんだろう。なんで眞島竜男さんの作品集出版されてないんだろう。本当にどうして。おかしいだろ。彼らの作品集が世に無いことは、文化的に問題がある。作品集を作るのは重要。自分の作品集より今は彼らの作品集が自分にとって必要。美術館で個展をすると、その記録集を作ってもらえる。本は大事。(PDFでいいとかそうゆうのやめて。データの脆さなめんな、本の長生きさなめんな。PDFでシェアしたろうとかiPadでみんねんとかそうゆうのやめろ。大事なものは作り、もうあるものはもう作るな)