8月23日から8月27日
8月23日
欲しいのはスタジオというよりも準備室というよりも実験室。私案外言葉の中に囚われてそこから出るためにめっちゃ時間かかるな。
8月24日
腹筋辛すぎる。ブレワイついに本丸到着。きんぴらごぼう美味し。広告で「ズボラ下着界隈のひとちょっと待って!」という文言を見る。人をコケにする文言制定会議あったのだななどと思い、ここに書いてと、至極無駄な3行程を踏む。
8月25日
阪中君のパフォーマンスみた。阪中君の作品て、思いついてから展示室で実施するまで心を折らず引っ込めず、どうなるかわからん状態でアイデアをアイデアのままキープしながら準備するというところによくよく隅々まで神経が通っている気がする。中距離中規模のパフォーマンス+インスタレーションを着想し準備し手配して実施までできるというの普通にまじすごい。建物とかの構造物に対して小さな身体を挟み込み置き場を設けるみたいに部屋の中に持ち込んだ装置で、居ることをパフォーマンスにし、パフォーマンスと労働の境を危うくし、てか労働性を帯させることで生活がパフォーマンスとして成り立つ。別にそれ自体は作品じゃないっすみたいな感じでありつつ。でもまさに作品の中心に身体があり、生存し、生活している。そっけない普通に/変に生きてるひととして、インスタレーションの見た目とはかなり違うところへしれっと鑑賞を運んでしまう。展示をするということの「こんなことがこの建物でできちゃうかもよ!」みたいな感じ(←この言い方は失礼かもしれないが)で、フィクショナルや鑑賞者の想像力に任せる的なことやあるいはいい話系の形に落とさずに、めっちゃちゃんと準備して実際にやらかして冗談が冗談じゃなくなる。それは本当にすごいことだ。
8月26日
目的を共にしない集団的なひらめき(満員電車の中で全員にいいことが起きる)。
wifiや携帯の契約時に取り付けたままにしていたいらん契約全部解除した。はー。やだねー。
ひとつも面白くない好奇心の持てない行為をする人がいるのは別にいいけどそれを本人が「ナンセンス」と呼んでるのはセンスレスの間違いじゃないですか、、。自分の作品に自ら既存の新規形容詞つけてしまったら、なにやってもそれにしかならなくなってしまうし、やめたほうがええて。
バルニーちゃんのordinary特にOGが良すぎる。。寄ってくる猫、リスや小鳥〜かわい〜。
リリスクの新体制は面白げだがいまいち好きになれねー。アイドルの枠組みの中でフェミニズムやるために(いろいろ違ったらごめんだが)男の子のメンバーを新たに入れるのが、なんか乗れない。
8月27日
クマ財団の仕事で箱根へ。コーディネーターズの布陣がいい。幻かもしれないが。この4人で他の仕事もしてみたい。リレーコラムとかもやってみたい。
仕事の側面で「わたしは何もできねえポンコツ😔」となっていたが、まあポンコツではあるのだが、それでも自分の良さが生きる環境ってたしかにあるよな。できることができるとわかることはすごく大事なことだ(できないことはチャレンジ中なのだと自分を励ましてあげたい。人にいいとこ見せたいとか役に立たないととかの焦りがあって上手く行った試しがないよ)。
アートワーカーという言葉で活動を考えないと、自分の働き方、生き方を説明できないかも。エデュケーターとかコーディネーターとかいろいろそういう複数の社会的役割の説明についても考えたことあるけれど。まず私は私のことをアーティストだと思っている。そこを外した時に、やりたいことと、得意なことは微妙に違うので、得意な方に特化したら本当にワーカーになってしまうのではないかという逡巡もありつつ、特化できるならそれでいいのかもしれない。てか自分の言葉の理解度が低い気がする(酔っ払って書いてる)。とはいえ、まずはfemale artists meetingで言ってる「artists」の難しさは全部artworkerで包括できる。でも、artistsであることだってまじ大事なんだよね。artistて職業なの?自認の問題?大学4年生の頃初めて自分の名前をひらがなで書いた時、artistと横に書いたな。武蔵美油絵科とかでなく、そういった所属から独立させた。workerたる部分は、独立性とどういう関係にあるかなぁ。。。まあ今日は疲れたから寝よー。おやすみ。