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手紙1(ある手紙に寄せて)

お元気ですか。こんな場所にですが、いい機会なのでてがみを書きます。 ここ2年くらい、毎日の過ごし方が少し良くなるといいなという具合で 美術の作品を作っています。今の生活のほとんどがそれです。 応援してくれたら嬉しいです。 あなたと離ればなれになってどのくらいでしょうか。わたしはいつからだったか、 不安になると必ずといっていいほどいつもあなたのことを考えます。宗教信者が 神様にそうするようにして、考えます。そしてそうするとなぜかうまくいくような 気がします。だからこんなヘボなわたしが健やかにやれているのは あなたのおかげだと心から思います。いつもありがとう。 肩車されてみた水色と赤の大きなものが動いていた祭りの風景、 錆びた非常用の螺旋階段、丸い模様のついた急な坂道、みどり色の蛍光灯が光る 病院の売店、細くて暗い急な木の階段、 オレンジ色で柔らかくて少しベトベトした食堂の床、銀色のナフキントレー、 子供用のイスと絵本が置いてある青いカーテンの部屋であなたへの手紙を書いたときに 想像した長い階段に扉が付いている風景(その時に書いた手紙は絵ばかりでしたね)、 クッキーの空き瓶をポストにしたちいさな手紙だけは鳥に荒らされなかったねと褒められたこと。 ごく断片的にですが、いろんなことを思い出せて嬉しいです。長くなってしまうので、この辺でやめにします。またね。 彩佳より −−ある手紙に寄せて。

丸クラ遠足でみた展示の感想2つ

原美術館 「アートスコープ・旅の後もしくは痕」 ドイツと日本の交換滞在制作プログラムの成果発表。 リタ・ヘンゼンはとても素直な作家だと思った。身の回りでおこる些細なことに面白みを見出すような作品。たくさん並べてあったドローイングは 一緒に行った絵描きの何人かはありふれているとディスってたいたが、ドローイングとしてみるのではなくメモとして見るのだろうと思う。ドローイングとメモでは似ているようでかなり違う。絵描きは絵を絵としてみる傾向にあるのだろうか。。ネタバレになるけど、足元にこっそりと忍ばせた愉快な小作を見つけたときのにっこりしてしまう感じは、散歩の中に見つける面白いことのよい再現だった。作品としての強度は低いけれど妙に力の抜けた(日本人の若手の作家であれば原美でやるとなったらもっと意気込んでしまうだろうと思う)物の見え方をピースフルに変えるようないい作品群であった。彼女は日常の中に隙間を見つけている。その隙間とは、すなわち彼女にとっての芸術体験であり、素晴らしい絵画や彫刻作品がひっそりと転がっているのであろう。その伝え方が上手い。同じような体験を私自身よくするし、作品でそれを伝えるのに苦戦していたところだったのですごく勉強になった反面これよりいい作品を作らなければならないとおしりぺんぺんされた気がした。 今村さんは繊細な記憶をゆっくり呼び起こされるような作品だった。ロマンチックすぎてちょっとだけ恥ずかしい気持ちにもなった。たまに部屋でひとり電気もつけずに黄昏れて酔いしれたいような時ってあるでしょう。そんなのを、思わずやりそうになった。あの日は恐ろしいほど空いていたからよかったけれど。危なかった。。 --------------------------------------- 野村和弘 「笑う祭壇」/gallery21yo-j ボタンを投げて小さな土台に乗せる。お祭りのゲームにあるような単純な遊び。体感型のインスタレーションで、床にはそれまでのチャレンジャーの苦戦が無数に散らばっていた。ボタンは素材も形も大きさもてんでバラバラなので何度やったってなかなかコツがつかめない。その作品の前では誰もが平等な気がした。以前やった相撲の作品を思い出した。初めまして同士の戦いはなぜかにっこりしてしまうし土俵の中ではだれもが平等(実際の相撲には八百長