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5月, 2014の投稿を表示しています

不安は突然やってくる

不安は突然やってくる。 知らない誰かがつかまった、つり革がイヤだ。並んで座るこの人たちがイヤだ。例えば、電車にこうやって乗っているうちに、お父さんやお母さんは悲しんでいないだろうか。幸せだろうか。不安は突然やってくる。 いつだって、目の前にはいない人のことおもっている。手も足も投げ出して、自由に飛んで行けるのはその人たちのおかげである。 時間と身体はここにちゃんとあるだろうか… 不安な時には床を確かめるようにして歩く。今夜安心して眠るために。

かせんてん

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そういえば、5/7-5/10で学校の展示室でグループ展をやりました。 はこちゃんとよもにゃんといデザイン畑のキュートな二人とやりました。 展示名は「課セン展」で日常の寄り道をテーマに作品を出しました。 はこちゃんの枕と、よもにゃんのpfのジェットコースタースツールが好きでした。 しかし、展示空間の作り方が下手でせっかくの作品が見づらく微妙な展示になってしまったね。展示しながらよく見える工夫をもっとするべきでした。反省.... デートスポットは去年の習作のリバイバルでした。「デートスポット」という言葉とコンセプトだけあって、あとはなんにもないまま当日を迎えてしまって展示室をいじくりながらできた即物です。じぶんでもまだちゃんと完結できていないのでもう少し時間をかけて、あと場所を変えて、やっていきたいな〜。その場で自分の行為によって場が変わって行くのがすごく快感だと気づけてよかった。 ねこのシールは好評でしたが、猫の死だけに話がとどまってしまって悔しい。 もうすこしリアルを感じられるような作品になってゆくとよい。 作品がすっとぼけすぎて真意が見えないというのが自分の今後の課題です。

ホームレス

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路上に放置してたら、ホームレスみたいな感じだったり、なんだこれ?ってなったり、みちゃいけないけど見ちゃうみたいなものだったりそういう風に見えるのに、美術館に入ったりして美術作品!!!!ってなった瞬間その危うさみたいなのが消えてしまう気がしてる。初号機ちゃんが捨てられたのもきっとそういうのが関連していると思う。捨てられたのは、ショックだったけど同時に嬉しくもあった。 スゲー作品だ!!って風には、どうしたって見えないけど、それでもライトアップされたりしたら自分で発光してる(見た目的にも性質的にも)のに、それが見えなくなりそうで…とかね。路上に放置くらいがいいよねって思う。どうやったら、やって行けるだろう。
そのばでまにあわせながらつくる

自己紹介、コミュニケーションについて、メモ

美術がコミュニケーションツールなんていうやつは云々という話をこないだ松井君はしていたけど、わたしは人と話すのも好きだし新しい出会いも大好きだけどそれでも作品が一番他人と繋がれると思っている。 作品があれば自分が強くなれるし、何を話したらいいかわかるし、ちゃんと自己紹介できる。 名前生年月日所属やなんやってそんなこというの野暮だ。コミュニケーションが何をさすのか、って話でしょうと思う。ただ話すだけでいいならこんなことしないって本当に思う。美術は趣味にはならない。なぜか湧き出てなぜかやってる。そういう、核心みたいなものを交換するのがコミュニケーションじゃないのかなあ。。

中村一美展

まんなからへんのオレンジと深緑の有機的な大きいペインティングが忘れられない。春風に足をとられて腰を押されて、歩くような感じがした。柔らかい布で被われた、風や空間が視覚化したのがちょうどあんな感じたった。そんな風に、気持ちのいいペインティングを丁寧に丹精込めてやっている彼の気持ちに想いを馳せずにはいられない。純粋なペインティングはロマンチックだ。 絵画の古さ、画風とか素材 古いとか新しいとか そんなことは論じたって仕方ない。 絵画はなんのためにあるのって思った。

不安定なことのメモ

静かでぬるくて お腹が冷える むかしのこと  双子、寝間着にマスクの女の子 寒いところから来てまた帰ってく  また来るんだって へんなの。