おそらく具体的なのだろう

薄く平たい一枚の岩の東側が欠けた。一枚の岩と思えたそれは、青や、黄色や茶色の岩が重なってできたミルフィーユのような、陸の端、海との境、柔らかな泥になろうとしている砕けやすい、岸辺、空き地、或いは閉じられた本の小口に過ぎないものだった。

あの日私と彼らは背と背を合わせて手をだらりと落として歩き、座り、寝転び、それをおどりと呼んであれはもう四年も前のことだ。

毛糸の、端を、鋏で切るように、もういいか、などと、想像すればおかしくて、なぜか笑いそうになる。前に何かで読んだり見たりしたようなふうだとは到底思えないから、わたしはそう思ったんだけど、それで、どうかんじたの、と、言えたらどんなにいいだろう。

それでも、彼は毛糸はおろか布もほとんど切らないで服を仕立てていた。わたしはね、裁縫をするたびに糸を針の穴へ通すとき、あなたたちとおどったときの背中や割ってしまった電球と暗くなった青い床の部屋、右腕を耳の後ろの方へ伸ばしてはじめてみた目の内側を、鮮烈に思い出すんだよ。
何かを選ぶ基準が変わっていくようだった。わたしは小さな動物で、だから鼓動が早いんだと思う。色々なものが通り抜けていってその度に彫刻されている。例えるとしたら筒のような感覚だとわたしが言うと続くようにして、ああ、そうだ、筒だね、透明で、筒だ、と言いました。

ススキはじっとしていた。弱い風に吹かれ、気にならない程度に肌寒い。空気は置かれた石のように暗く、団地の光は緑色だった。


時間




耳の奥に入り込んだ海水が鼻へ抜けるのに似ている気がする。ぬるくなった黒いお茶を少し口に含むと、なんて柔らかい液体だろう。気持ちが悪かった。喉の暗いところへ落ちていって、音も香りもやわらかさも忘れてしまった。とはいえ、気持ち悪さややわらかさを雑な文章にしてこうして記述することで喉の奥へ再び呼び戻すことができることは確かだ。今は、またすっかり冷めてしまったコーヒーを飲んでいる。

眠ろう。身体を布団へ落とそう。腹をへこませばわたしは匙のようだろう。へそが窪んでいることなどなかったことのようだった。そんなことをしたからか、今朝からお腹の調子が悪いよ。

あるひとは、いけないことだといったけど、わたしはそうあって欲しくないだけだと思う。制度とは無関係な懇願だ。その方が聞き入れてくれそうだから、そういう言葉を使ったのかもしれない。

裸足で踏んだ砂利の痛さを柔らかな足の裏で転がせば痛くないと言ったけれど、わたしにはそうは思えず、そこからもう一歩もそっちへ歩くことができないからサンダルをこちらへ投げて欲しいと頼んだ。

痛かったのだろうか。
それともそれすらも感じることで渡って行ったのか。
どうだったの、うーん、ぼくはね、
聞きたいんだけど、しかし責めることにならないだろうか。ただ聞きたいだけなんだけど、どうなのかなあ。答えを出すことはできる、出ないとすれば、答えたくないという人がいるときにそう選択するだけで、わたしたちは答えを出すのではなくじっと、、
具体的と抽象的という二項対立に対して、何も心配しなくていいと言ったね。身体や空間はどうしようもなく具体的だから、いくら抽象が強くなっても具体的にならざるを得ないと。
いろいろ思い出して、そんなことをむかし書いていたのを、みて、あなたの身体はいまどういう状態であると受け取ったらいいのだろう。

海の写真を繋いだ映像、波の起伏のひとつひとつを鑿で彫り、そして止まった

とにかく、あなたがスプーンを持っていたから、あの本を勧めたんだよ。