おどる墓石2


動くものを見るときには止まらなければならず、止まるものを見るときには動かなければならないと感じながらも、見ている時のわたしのこの体に焦点を当ててみれば鼻の下が熱く湿りお腹が上下している人の身体を見るとき自分のお腹や呼吸もなぜか同期していた。

癖や趣味や型ではない、身体を動かす方法やその動機を探していた。
呼吸や唾液が起こることで身体の形が変わること自体が踊りであり、外から見てわかるくらいにダイナミックに体を動かす動機でもあるのかもしれないと思った。(もう随分前から言語化されていることだ、不勉強だ、と叱らないで欲しい、、こういうどうでもいい恐怖から解放されたいです。)とにかく、身体の内側を見るということがなんなのか感じられるようになった。

「身体が動いてしまう」のを止められない=ダンスと置くことがかなりしっくりきている。わたしにはどうしようもなく、身体が動いてしまうのを止められない。呼吸や唾液を止められない。できないことを分解してみることで、肯定できるということは、素晴らしいことだと思う。わたしの生を肯定することは、嫌な"力"に対して最も有効な手段だ。

身体が動いてしまうことを止めようとすることに抗いたい。止まったのではなくものすごくゆっくり動くことができるようになったと石を愛したダンサーの、おどる墓石のことを考えている。この身体にかかる重力に gravity /pressure /power と変換した言葉を置きながら考えて身体が無くなってしまったダンサーがいまどのように踊っているのか。


自分ともう一人を実際に並置することを続けながらどのようにできるかを考えて、発表しようといます。