丸クラ遠足でみた展示の感想2つ


原美術館
「アートスコープ・旅の後もしくは痕」

ドイツと日本の交換滞在制作プログラムの成果発表。
リタ・ヘンゼンはとても素直な作家だと思った。身の回りでおこる些細なことに面白みを見出すような作品。たくさん並べてあったドローイングは一緒に行った絵描きの何人かはありふれているとディスってたいたが、ドローイングとしてみるのではなくメモとして見るのだろうと思う。ドローイングとメモでは似ているようでかなり違う。絵描きは絵を絵としてみる傾向にあるのだろうか。。ネタバレになるけど、足元にこっそりと忍ばせた愉快な小作を見つけたときのにっこりしてしまう感じは、散歩の中に見つける面白いことのよい再現だった。作品としての強度は低いけれど妙に力の抜けた(日本人の若手の作家であれば原美でやるとなったらもっと意気込んでしまうだろうと思う)物の見え方をピースフルに変えるようないい作品群であった。彼女は日常の中に隙間を見つけている。その隙間とは、すなわち彼女にとっての芸術体験であり、素晴らしい絵画や彫刻作品がひっそりと転がっているのであろう。その伝え方が上手い。同じような体験を私自身よくするし、作品でそれを伝えるのに苦戦していたところだったのですごく勉強になった反面これよりいい作品を作らなければならないとおしりぺんぺんされた気がした。
今村さんは繊細な記憶をゆっくり呼び起こされるような作品だった。ロマンチックすぎてちょっとだけ恥ずかしい気持ちにもなった。たまに部屋でひとり電気もつけずに黄昏れて酔いしれたいような時ってあるでしょう。そんなのを、思わずやりそうになった。あの日は恐ろしいほど空いていたからよかったけれど。危なかった。。

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野村和弘
「笑う祭壇」/gallery21yo-j

ボタンを投げて小さな土台に乗せる。お祭りのゲームにあるような単純な遊び。体感型のインスタレーションで、床にはそれまでのチャレンジャーの苦戦が無数に散らばっていた。ボタンは素材も形も大きさもてんでバラバラなので何度やったってなかなかコツがつかめない。その作品の前では誰もが平等な気がした。以前やった相撲の作品を思い出した。初めまして同士の戦いはなぜかにっこりしてしまうし土俵の中ではだれもが平等(実際の相撲には八百長も格付けもあるがわたしたちの相撲にはそんなものはない!)である。

ギャラリー内には他にもキラキラのパーティーモールをリボン結びして片方垂らしているのと、ブロンズ製の子供の靴が片方だけ、それと人形が二体付かず離れずの距離を保って組み合わされているのが椅子にのせられて二つあった。その二つは微妙に見た目が違う。パーティーみたいなものだったりゲームは、楽しい場にこそふさわしいものだけどそれらが意図的にバラバラにされた途端に寂しさを感じる。片方だけの子供の靴(ものすごく重くって持ち上がらない)や付かず離れずの対の人形も、どうしたって誰とも全部はわかりあえないことや大海原にひとり取り残されるような恐ろしいひとりぼっちを連想させた。前にそんな夢を見た気もする。想像するだけですごく怖い。作品は一見軽いのに、想像がどんどんいってしまう。野村さんの作品は恐ろしい。
「ボタンは例えばシャツなら5つセットで一つでも欠けるとその他も意味がなくなってしまうようなところがある」と、いうようなことを野村さんは言っていた。果たして、どういう意味だろう。「笑う祭壇」という題であるが、もしかしたら元は主述の意味が逆なんじゃないか。悲しいパーティーみたいな。。だけど、そんなことを言うとそういう風にしか見れなくなる。言葉の力は偉大である。「笑う祭壇」は恐ろしさや物悲しさを楽しげな要素に背負わせた、素晴らしい展示だった。
(以下引用)
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「笑う祭壇」覚え書き2
インスタレーションの中央に配置される、鑑賞者参加のパートについて1:
これを見た時、その行為としては、太古の占いか何かの儀式、またその姿としてはモザイク、絨毯といったものが連想されるのかも知れない。
たとえばフランスのラスコー、アルタミラの洞窟絵には、動物の輪郭線をダブらせたり、岩肌の膨らみに動物のボリュームを沿わせて描いたりと、神的、宗教的な目的とそれを異にするような、遊びの痕跡を見てとることができるーそれがなかったとすると、こんなに生き生きとしていなかったに違いない。
遊びが、むしろ神的、宗教的な儀式に不可欠だったとすれば?ー遊びを不真面目な、あるいは無駄な行為のように捉えてしまうのは、今日にある価値基準からだろう。たとえば、上の洞窟絵にみられる遊びが、芸術へと発展したのだとすればー描くことの移行ではなく、あくまでも遊びが、それこそ多くのものに同じような起源が認められるはずである。それは、刺繍のようなものにしても。また、スポーツ全般も。(テキスト集「笑う祭壇 」より抜粋)