両手放しのチャリで飛んだ日

このブログのタイトル「両手放しのチャリで飛ぶ」とは高校生のころに両手放しをしたがための自転車事故で吹っ飛んだときにみた鮮明なスローモーションの景色と言語体験から持ってきている。そのとき私はそれ以前のことと、それ以降のこと、つまり"今"の外のことを考えていた。

舌の奥で音にならずに消えることばがある。あれは夜に見る夢に似ている。思い出そうとすると感情や記憶が混線して曖昧に滲み、時として突然、普段の考え事とは別の回路で、思考はボーッとして止まっているのにそれがさらさらとことばになって口からこぼれてくるのだ。

咽頭に溜まって腐った言葉と、往来へばら撒くまんなかをずらすための言葉の、両方が交わる「形式的なフィクション」へ逃げ込む。閉じた別々の個体をつなぐカテーテルだ。
一緒に寝てもおなじ夢を見ることはできない。