2021/10/20

 日記をしばらく書かないでいるあいだ、川上君が図書館から貰ってきたヴァージニア・ウルフ『ある作家の日記』を読んだ。読むたびに驚いたが内容を何も覚えていない。誰と会ってこう感じたとか本を読んでここがこうだとか書いてある日報に近いような日記だが緻密。


ラボメロ。ラボメロのメモを日記がわりに3回分書いていたのでのせてみよう。このブログの使い方はもはや日記じゃなく考え事の整理みたいなかんじだ…

--

9/22

うらより大学内の喫煙所で遭遇した配慮のなさから生じる差別的発言の数々への苛立ちが相談され、それに応答するような作品や展覧会のやり方(ポスターを貼るとか、喫煙所でレクチャーをするとか、パフォーマンスをするとか・・・)のアイデアが提案され交換された。休憩を挟んで、まろんさんとつがさんが『雑誌・現代思想2021年9月号特集:〈恋愛〉の現在』をめくりながら「ポリアモリー」の話をしているところから、集団的な恋愛の形がなぜないことになっているのかとか、恋という現象のどうしようもなさとか、関係性の変化とかについてそれぞれがわからないことへ言葉を投げ込んで緩やかに議論がされた。「わからなさ」に向かいながら経験を言葉にするやりとりが豊かだなと感じた。


--

10/6

オンラインから参加するまろんさんより「ある状況の中にいるときに、実際に行動をするって難しいよ」という切り口から、例えば家族の結婚式に参加してジェンダーロールに違和感を覚えてもそれを表明するのも憚られたり、戦いたいわけじゃないという思いもあったりで難しさの具体例が提示される。池上ちゃん、がたちゃんの家族や親戚に関する経験が共有され、ディスカッションが深まる。「面倒くさい家族付き合いに反対」という共通の意見を持った上で、それぞれがどんな家族なのか話すことで違う話や経験を持っていることがはっきりと現れる。また似ている境遇もある。家族付き合いという現象(?)がどうして続いているのかとかの流れで「クレヨンしんちゃん」がずっと変わらない家族(およそ30年も!)の形を示し続けることとか話す。伝統を守る=根拠がないから続けて実践で示す「いいことは続く→続くということはいいこと」の膠着状態。めっちゃ大和魂やんけ、と思った。


--

10/20

ある学生劇の批判から始まる。全くジェンダーロールへの違和感や視点が抜け落ちている他人の作品に対して、多くの人が関わっているのならそれを批判しない女ってなんなの、とどうしても思ってしまうがそれは良くないことなので学びを広げたい。(私が私のために学ぶというより、長期的な目論見として、いい作品がたくさんある世界になって欲しいからいいアイデアを共有するつもりで展覧会を作る・・・)

アズちゃんとけんちゃんが久しぶりに参加。アズちゃんから「いつもジェンダーへの視点が第一に来るわけではない者がジェンダーにまつわる議論に参加することへの罪悪感」的なことが話された。大学の中でジェンダーの議論がされる場所を増やしたくてゼミが開講されているのだからそれをぜひ活用して欲しいなあ!

---


最近は月に一度酒を飲むか飲まないかだけど、飲むたびに酒が好きだとしみじみ思う。そういう好きの在り方もあるね。