2024/01/14

 時間を正しく圧縮する技術が必要だ。編集ということかもしれない。ディレクションは鑑賞のためにある。日記本の編集を始めたものの、2021年4月からあるので困った。文の書き方がなんか気持ち悪いし、どうしよう…時間が経つとできなくなることも多いな。ブログに検索窓をつけたので例えば「ワークショップ」とか入れるとこのブログの中でワークショップという文字列を含んだ日記を表示することができる。


宇陀市のイケモト先生の話を聞く会に参加した。こんな先生に子供の頃出会っていたらと魂が癒される。

さいきんはよく子どもの頃を思い出す。りーちゃんとのバイオハザードごっこ、大城さんとのPCゲーム、わかなちゃんとのRPGツクール。間違えちゃったなあと思ったのはクラスの女の子みんなでやってたドラマの再現ごっこを放課後にもやりたくて演劇部を作ったら先生がガチの人で、みんなごめんと思いつつその先生も豊かな人ですごい好きだったので小説を書いて個人的に見せたりしてたらなんかほとんど誰もあまりやりたくないのにガチな感じになってしまって、稽古とか始まったりして、あれはまじで本当に最悪だったな。誰も覚えてないのだろうけど、わたしはあそこでいったんグレたのだと思う。誰も待ってくれなかったし、疑ってくれなかった(作り出すことを続けるはつらつとした子どもでもあったのだ)。やること全部を肯定され採用されて、友達との関係とか考えたりするバランスとる時間を少しももらえなかった(今思えば、あらかじめ友だちとの共作にすればよかったのだ。演劇をどこから始めるかという問いがすでにそこで立ち上がりかけていたのだけど、複数人のやる気とやる気のなさと複雑な関係性に揉まれる中に話す時間を持つというアイデアも無く、結果的に教本にある子ども演劇の台本の複写をくばられることとなった)。子ども一人一人として、先生はそれぞれを信頼してくれていたように思うけど、その集団としての側面をもつわたしたち同士のバランスは、先生の出る幕はひとつもなく、本当に自分たちでやるしかないということをほんとうの意味で理解してはいなかったとおもう。そういうなんとも言えない悔しさとか、過去のこととして整理された幼い自分の思いが、現在のワークショップ実践のための相談会という側面以上に内的に思い出されたのだ。

「美術の成績ずっと2だったから」と自虐する大人のワークショップ参加者の話が出てきた。いるいる。「センスないから〜」と何を選ぶのもできなくなってしまう人、いる。大人になっても子供の頃の評価を引きずってしまう。あかん書いてて辛くなってきた。美術ができようができまいがなんだっていいけど、まず美術ができないっていう状況がありえないことだ。道徳に成績の項目がないように美術も人間の権利枠だし、イケモト先生の言い方を借りれば美術は人も科目も時代とかも行き交うことのできるプラットフォームだ。

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バグスクにも遊びに行った。楽しい人達がリクルートの根本の空間でワチャワチャしてる。光岡さんと涼ちゃんと大学時代のゼミの話になり、「あとハッフルパフだけいないね」といったら光岡さんがすぐ内容を汲んでくれてナイスだわーと思った。ちなみに長澤クラスがグリフィンドール、袴田クラスがスリザリン、丸山クラスがレイブンクロー、赤塚クラスがハッフルパフである。涼ちゃんたちとの11月の旅行に急に行けなくなってしまったことがあったが、涼ちゃんに「楽しかっただろうなあ」と言ったら、「うらが想像してるよりももっと楽しかったよ!」と言ってきてすごかった。ラーニングに関心のあるひとは多いので、そういうひとたちが集まる展覧会の最終日というのはいいなあと思った。えみちゃんにも会えた。かほちゃんは日記を書いているらしい(わたしはもはや日記ばかり書いてる)。


帰りに駅の自転車置き場から自転車を出して漕ぎ出すと、青いLEDテープで車の下をデコったワゴン車が横を通り、その後ろから叫びながらその車を追いかける女の子が走ってきた。チャリ貸して!とか彼氏の車に鍵置きっぱにしちゃって家に入れなくて!と言われたが流石にチャリ渡すのは怖くて嫌だったので(ポケモンの第一話か?)わたしがそのデコカーを追いかけることにした。もちろん追いつけるわけもなく彼女の元へ戻って、とりあえずうちに来てもらって各所に電話をしたりしてもらった。翌日が誕生日だということで(なんて日だよ)ケーキみたいな形のカマンベールチーズに細長いピンクのろうそくをさして歌を歌った。