2024/01/19-01/25

 展覧会の打ち合わせ。物の大きさとか配置とかくらいの話なら英語で行けるかもと思いつつ脳のキャパを集中させるために日本語で推し進めた。それでいいのだろうか。わからない。

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某所にて自分と自分の性がなんだかうっすらばかにされる事案発生。男1が男2と私との間に挟まれて可哀想。軽口と下ネタで小さくパチパチしばきあって信頼関係を確かめる。そこにわたしの身体が卑しいギャグとして織り込まれる。わたしが女だってことをこの人は知っていたのかと思ってがっかりする感覚、だれがわかってくれるだろう。。

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ジャンヌがここ最近のホット。申し訳ないが稚空アンチである。都と水無月君の守護聖人カップルはすごく好きだ。稚空はキャラとして嫌だけどまろんが自分自身を愛していく過程の当て馬みたいなところもある。花男における道明寺とかもだけど、入りが最低な男が恋によって許されてくのって本当に嫌。

社会的イシューがアプデ(2024/01現在)された神作品スキップとローファーは4周目。毎日漫画ばっか読んでいる。「そんなことも察せられないで よく劇作家とか言えましたね」という激強台詞に震える。いやなこと言う高校生だな…

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仙台へはじめて行った。アーティストインレジデンスの勉強会。喫煙所で原理的AIR(アーティストのための)/プロレタリアAIR(地域のための)という話題になる。そのいい妥協点(というと消極的なようだが)を双方向的に見つけるためのコーディネートができたらいいよねとおもった。アーティストとして思うのはプロレタリア的でよい、ということであり、しかしコーディネーターとしておもうのは何より良いクリエーションが起きることを優先したい、ということだ。それらは別々の方を向いてるわけではないが、成果を先取りしようとすると途端に別れてしまう。(サクッとググってシルエットだけ美しく文脈を結ぶような悪しきリサーチの技術はAIRを含む助成金申請の勃興によって強化された。行政の監視の元での制作と、それがキャリアに直結してしまう世界観で。審査員への説明が先立つ企画書操作がいかに上手くても、本来ならばそれは重視されないはず…)話がそれた…。成果を先取りせずにしかしまっとうなクリエーションと地域とを並置しようというバランスゲームを楽しくやるためにキュレーターという職能が必要になる。AIRにおいて成果展の展覧会構成を行うのは必ずしもキュレーターがする必要はなく、その仕事は入り口の設計をするということで、大勢の立ち位置からひとつのAIR期間の中で起きる諸々を観測するにあたってそこで起きることすべての説明に先回りしつつ作品説明にはならずに地域、行政からいかにアーティストを解放しながら必要な時には結びつけるような手がかりとなる軸となる作文、がキュレーターの仕事だと今は、数ヶ月後にはまた違ったことを考えるのかもしれないが、そうおもう。いったん書いておく。

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仙台からの相原。相原の方が寒い気がする。造形大の卒展をみた。川上君の作品。友達が行きすぎることってあるよななどと思う。性の介在しないキスというか。同質化というか。石をチュパチュパやる作品(そんなふうに言ってくれるな)はいい作品だけどずっとは観ていたくない。3年に1度、50秒だけ観たい。

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いけがみちゃんからもらった「think more about love 」と書かれたステッカーをキッチンで見つめる。愛は行動を引き起こすものでしょうか?それか行動によって発生する何事も考えたり勉強するだけでは仕方がないのではないかと思うことも多い(ソーシャルグッドな作文をする人のハラスメントの多さにがっかりが止まらない)。愛について考えてみるも限界がくるのは早く、誰かや何かの間にある愛(形容詞的な関係性、その丸ごとの詩)を考える時、つまり関係性としての愛を考える時、(愛を贈与にスライドさせつつ、)その贈与の周囲にいる者を指定する段階でアイデアは尽きている。あとはその贈与集団を観察する。それを書いたり表したり記録したりする。見つめ考え何かを書いたとして、それは言葉というよりは物語なのかもしれない。「犬への愛、犬からの愛」というツイートも見かけた。

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手ぶらで考え事をするのができないので風呂にラッキー(ポケモンの)の指人形を置いて、これに質問してもらうことにした。