2023/10/27

 昨日円盤に乗る派のプレビュー公演をみて、ひとの動きとか存在感までも重力4分の1くらいに感じられたなーと思い出している。台詞や衣装も面白く、特に主演の男性はものすごかった。個人の技を超えたような再生ができる身体をつくる過程はどのようなものなんだろうか。

演劇という言い方を取らなくたっていいけど(だってなんか「とは、べき」を語る人が多くてハードルを感じるのだ)、急に集った人となんかするんじゃなくて、稽古(という言い方もなんか変)をして、作品作るとしたらどう進めるのがいいんだろうか。つまり劇を見て、劇をやってみたくなった。

ティノセーガルを想起して、しかしそれともまた違うのだと頭の中でサッと折り返す。金沢の個展は良かった。2年前だが。振り返るとわかる面白さ。部屋という制限があればこそだ。そういえば数年前にティノセーガルの個展が香港であった。何が行われたのだろう。水戸芸での田中功起展も思い出す。カタログが欲しいと思って、(昔は買えなかったので)ネットで探したら「コ本や」の在庫がヒットする。買った。

最近の悩み。ずっとバラけてしまうこと。やりたいことの不安定さと、人が集まるという状態のコントロールの効かなさと、コントロールをするということ自体への疑いと、で定まらない。そんなことを言うのも言い訳がましいかもしれないが。しかしさすがにこれまでに無い不安定さで、前人未到のバラけ具合なのではないか。不安だ。

ウェンデリンさんの展覧会を思い出す。複雑さを保ってバラけずに成立させる手つき。見事でしかない。鑑賞者との課題設定や前提共有のスピードが早く、それでいて、ディテールでは他の問題系や見る個人の生活にも接続できる箇所がある。オブサダのvimeo買えたりするだろうか。あの作品は私にとって心の支えになるようなものだ。コレクションに入ったんだっけ?まあコレクションだっていつでも見れるわけでは無い。展覧会ごと買いたかった、私が富豪ならば。