2022/02/17

 CSLABのことを書いていると、学びっていうのは他の人には別になんの関係もなくてただ自分のことをやるっていうのがはっきりと感じられる。それはただ孤独にひとりきりでやるっていう意味じゃないけど。狭いとストレスかかる。物理的な空間も、時間もそう(あまり一緒に居すぎるのは良くないのかもしれない)。それぞれがバラバラに自分のことをやってると同じようなひとが居合わせたりしてオ!何それ!と便乗したり、誘ったり、そうやって集まる場所から集まりが発生してゆく拠点。色々試す日々。試してみよう!というやる気は静かにさせておき、なんかやってるひとがいると場所が元気みたいな感じ。広いとそれが何個も共存できる。広いから共存している。場所が熱を出してるみたい。コロナによる三密的制約はまじでファックですね。

授業としてスチューデントセンタードラーニングをやる「知の漂流教室」。先生がいない状況で学生が自分たちで学ぶ時間を作る授業。全13回2コマ続き(三時間)。最近は授業を学生がグループで考えて実際に授業をやるというのをしているけど、なんかやらされてる感があるような感じ。カリキュラムの中で、時間が決まってる中で、好きにやってというのはごっこ感あって燃えないし萌えないかもしれない。たしかに。作戦を立てる時間をかなり多くとって、なんか…なんのためにここにいるんだろ…と感じてからそれを越えてこれをやろうと自分でセットできるように設計できるといいけど。