2022/07/04

 社会正義や倫理、かつての失敗をどう反省するかの話の流れで、投票は個人的な意見を見つめ直す作業にもなると話せたのはよかった気がする。情報を得てリテラシーを構築する場がTwitterに集約されているこの状況(異常なことだ)で、個人はどう個人なのかを学ぶ必要がある。できればフィジカルに。政治を考えたり関わることが、分断された社会の中のどこに身を置くか的なポジションの話になるのは順序がおかしいと思う。政治参加って誰かを応援するとか、どっち派とか、そもそもそういう話じゃない。個人の考えとバラバラの実践が生活の中にあって、それがポリティクスであって、その中に選挙もあるというだけのことだ。投票では選ぶことをとおして自分の考えを誰かに寄り添わせることになる。そういうのが、ツイッターの機能の何かによって、考える方法が高度に政治的になっているということなのかもしれない。個人はどう個人なのか。