2022/07/21

作品なのかよくわからない中途半端な領域を作る中に、ラボや金沢や愛知のプロジェクトで周りの人が教えてくれた(教えようとして教えるんじゃなくて、雑談の中で言っていたりする)ことを作品の中に取り込んでいく。わざわざそれを取り込むために、それまでと異なるディテールを差し込む用のスペースを作って。変調のリズムを叩いて既存の流れに間を割る。少しずつ反映させる。自分の考えに絡まってきたたくさんの要素。異種と絡まることで考えがどう変わるか?(あるいは変わらないのか?)

アートや展覧会っていうのが、予算の取り合いでしかないみたいに感じる。そうじゃないのはわかるけど、でももうほとんどそうなんじゃないの。公の金が入っている。それを何万とかいって、予算費目がどうとかいくら使えるとかそういう話じゃあないんだよ。税金とか学費とかから割り当てられている「予算」を、数字だけで扱い出したらもう終わりだ!予算って言葉大嫌い。でも使わざるをえない言葉だ。展覧会が終われば大量のゴミが出て、保存や恒常的にパブリックなアーカイブとする分の準備はなく。終わり終わり!芸術祭は民族資料館みたいなところにアーカイブできるような尺度で考えたい。教科書とか。市民の営み。


高度に政治的な表現ばかりを見てみたい。そういうキュレーションの中で、自分の作品が眼差しを向けられたい。小さなクラスや、集まりを作品やプロジェクトごとに組んでやっていることは、本当は高度に政治的態度で内容のはずなんだけどなかなかそうは見られない。わかりやすくプレゼンテーションをするってどうやってやるの。