2021/09/03

 夏休みの飛び地。「ボイス+パレルモ」展(口ではボイパと呼んでいた)を見に行った。のっけから口悪い感じになるけど埼玉近美の薄汚れた設えがボイスにぴったりだと思った。ショーケースの展示台を回り込めるでもなく壁に近づけ狭く狭くといった感じにちょっと見たことない並べ方をしていた。学芸員がどういう意図でそうしたのかはわからないけど、配置からは単調な展示室に有り物の中で差をつけようとしているような感じがして、いやそんなことあるか?とも思ってを反芻するような行き来があり、その読み取れなさはチャレンジングと言ってもいいんじゃないかと思ったが、やっぱしよくわからない。「パフォーマンスをやったことあるひとはわかるであろう恥ずかしさ」と小山さんが言っていたボイスのパフォーマンスの記録映像は、《ものの一つ一つになにかをめっちゃ代弁させようとして真剣な顔でうやうやしくものを扱いしゃがんだりする所作も硬く意味深な感じでやる》というタイトルにしてもいいような(よくないやろ)、あの初めてパフォーマンスやるとき/ものに込める意味ばかりばっちり考えてきてパフォーマンスの内容を全然決めてこなかったとき/顔芸で場を持たせようとするパフォーマンスの特有のあの感じ、がして、もうとにかく恥ずかしくなってしまって、これが共感性羞恥か!。パフォーマンスを何度かやったことがあるひと(見たことがあるだけだとわからないんじゃないか)(演劇やダンスのひとにも多分わからないんじゃないか)と「あれ恥ずかしいよねー!」ということを話すだけのイマジナリーな飲み会の5分間が立ち上がる。そういうやりとりを全然していないなあ。