2023/07/19



昨日の夜、小山君が蒔いたワイルドフラワーのMIX種のエリアに小さなニゲラが咲いているのをみた。それから少し寝て、起きたらすぐになぜか青木陵子さんの作品が見たいって思った。作品はいつでも買えるわけじゃなく、展示もいつもあるわけではない。

この3,4,5日間はなぜか落ち込んでいた。もう無理やーなんも興味ないだれのSNSもいらん、完成された物だけ買って読みたい、プレイしたい、自分にも誰にも興味持たれたくないわー欲望もないわーご飯もいらんわーそういう3,4,5日間を過ごしていた。その反動の一番最初に、青木さんの作品が見たいと思った。朝起きてすぐ…

そんな朝を過ごし、有楽町へ。乗り換えるたびでかい楽器を持った人たちが英語で会話していたので、今日も誰かが来日公演しているなと思った。amaro素晴らしかったなー。

SOUDAN。なんかの手応えが欲しいねとなっちゃんと話した。たまたま居合わせたビリーさんに演劇の稽古ってどんなことやるのかと聞くと色々の中で「短い繰り返しをする」と言いながら手をトムクルーズが走るときの形にして顔の前で小さく前へ回していた。なるほどSOUDANの手応えのことにも応用が効くかもしれないと思ったけど、なんでだったか忘れた。

相談員も慣れてきたかもしれない。さくらさんが振ってくれて自分の日記の話をしたりした。それで相談する人としていた人から「過程に興味があるんですね」と言ってもらったのだが、発表されている状態はむしろ作品にとってすごく短い時間であって、それがパフォーマンスならなおのこと、わたしがこの身体に生活も制作も引き摺りながらやっているのでむしろその時間が過程であるという観点すらなかったのだが、勢いで「そればかりしかないですー」と前から思ってたみたいな雰囲気醸して言ってしまった。恥ずかしい。鑑賞者の視点から言えば過程と翻訳されるかもしれないわたしの生活。その生活も、生活って言葉でいいのかよくわからないでいる。

誰の顔も思い浮かべずに全員大嫌いって思ってる時間は幸い今はすごい短いけど、確かにある。物が死んでく暑さも、今日はいくぶんマシだった。これも生活。