2023/07/02



みぽりんとこのちゃんと下北沢で遊んだ。このちゃんはみぽりんの子ども。このちゃんは全部をオモロくしようとする。見習いたい。オモロくしようとするのでそれに着いていくので必死だし、見失ったらすぐ何かあるんじゃないかと思って怖くなる。古着屋を見たりもしたのだが、みっしり服が列になっているのを活かしたプレイで早歩きで撒かれる。遊ぶのが上手い。遊んでもらうのも上手い(居なくなると探すというのがバレている)。違う人間が、違うモチベーションを持ったまま一緒に行動することの根源的な不可能さを思い知った。その不可能さがケアだ。みぽりんが買い物に集中できるよう、このちゃん追いかけ役をやるタームも楽しいものであったが、みぽりんが「このちゃん一緒に見てよー」と誘ったのをみて、みぽりんは継続的に――今日だけでなく――自分の時間を作る方法をこのちゃんごと探してるんだなと思った。それがみぽりんの子育てであるし、みぽりんが制作でしている「絵の中にある光のバランスを作るようなこと」を考えているのと同じ人のやり方なんだなあと勝手に納得する。この手の元で起きることの全部が、なるべく無理なく無駄なく素朴に楽しく不安定なままに保持され成り立つよう、反応を与え合うさまを作るような。労働や、あるいは趣味でもいいが、とにかく身を浸す時間の長い生活の中で身につけた語彙から実感は作られる。みぽりんの制作はきっとそういうものなんじゃないか。とか。

子育てをしている人を、大変かなとか思わずにどんどん誘ってしまいたい。このちゃんに、「たまにママお借りしますけど、このちゃんも来たかったら来てもいいよ」というと、やったーと言ってた。みぽりんもやったーと言っててかわいかった。

私が思うアーティストのサバイブというのは、儲かる儲からないはさておき、自分が作品を作っているひとなんだと周りの人が認識しているとか、作品を発表したり、制作をしたりすることができるとか、作品の話ができるとか、そういうのが続くことだ。female artists meetingはそういうことのためにある。なんかしたいよー。つがちに連絡しよう。





服屋もういいさすがに公園に行きたいよ〜となり、Googleマップに従って最寄りの「どんぐり公園広場」にいくと遊具がこのふたつしかなく、「遊具がないじゃん」とこのちゃんが号泣して申し訳ないがめちゃ面白かった。みぽりんが「都会すぎてブランコないねー」と言って、それもすごくクリティカルで、素晴らしい瞬間だった。